*** 8 尻子玉を抜かれた ***
大地は目尻を拭って手紙を置いた。
次いで重ねて置いてあった手記を読み始める。
ワーキャット幼女はいつの間にか子猫の姿に戻って、ソファで丸くなって寝息を立てていた。
【第1巻 アルス南大陸の概要とひとびと】
『惑星アルスの直径は地球よりやや小さい1万2000キロ、重力加速度は0.95Gと推定される。
惑星表面の65%は大洋が占めていて大きな大陸は3つ存在し、そのうちの南大陸は面積約1億2000万平方キロ。
赤道に跨り、北緯45度から南緯30度にかけて広がる歪んだ長方形のような形をしている。
だが、赤道を跨いでいるとは言っても熱帯の占める領域は狭く、多くは亜熱帯性気候に覆われている。
これは惑星アルスそのものが太陽からやや遠く、全般に地球よりは寒冷な気候だからと思われ……』
(はは、じいちゃんらしい几帳面な記述だなぁ。
なんか異世界滞在記とか活躍記っていうより、理科や地理の教科書読んでるみたいだよ。
これ、そのまま『なろう』に投稿しても絶対ウケないよなぁ。
ま、みんなにウケるために書いてるんじゃなくって、俺のために書いてくれたんだから当然だけど……)
『アルスの公転周期は約360日、自転周期は幸いなことにほぼ24時間となっている。
また、公転面に対して自転軸が25度ほど傾いているために、中緯度地方には四季もある』
(ふーん、地球と似てるんだ。
ああ、だからこそ地球からダンジョンマスターを派遣してたんだな……)
『南大陸の地形の特徴は、何と言ってもその中央から西部にかけて存在する巨大な休火山にある。
祠様によれば2億5000万年ほど前に大噴火を起こした海底火山の名残であり、南大陸自体がそのときの噴火で噴出した膨大な量の溶岩が冷えて固まった溶岩台地だそうだ。
地球のハワイ島を遥かに大きくしたものと思ってくれればいい。
幸いなことに、このときの噴火があまりにも激しかったせいで直下のプリュームがほとんど地表に出てしまい、今後数百万年に渡って大噴火の可能性は小さいらしい。
だがしかし、溶岩質の大陸というその発生形態から、この南大陸は知的生命体にとって非常に住みにくい地となっていた。
北半球の夏には西風が、冬には東風が吹いて山岳地帯に当たるために降雨量そのものはかなり多いのだが、その雨水が多孔質の溶岩や砂礫を通じてほとんど地下水になってしまうのである。
よって南大陸には河川というものがほとんど無い。
そのため、生命は中央山岳地帯の麓の湧水地帯か、盆地にあるオアシス周辺に集中して発生した。
そして……』
(うーん、暮らしにくそうな場所だなぁ……
こんなところをじいちゃんはどうやって栄えさせたんだろ?)
『だが幸いなことに、この地は1億5000万年ほど前に鳥類が発生してから現在まで『鳥の楽園』であった。
空を飛ぶ鳥にとっては水場の遠さも苦にならず、森の木の実や昆虫類をエサにしていたのだろう。
また、最初の火山噴火によって大陸東部が形成された時点では、カルデラに海水が入り込んで巨大な内海が出来ていた。
その間に膨大な数の貝類が発生していたが、鳥類の中にはこれらの貝類を捕食していたものもいたらしい。
数百万年後に大陸西部火山の2度目の大噴火によって南大陸は今の形になったが、東部地域の鳥類と貝類は多くが生き延びた。
このため東部の地表の多くには鳥の排泄物や貝殻が風化したものが分厚く堆積していて、リン鉱石やカルシウム土壌の宝庫となっている。
リン鉱石の推定埋蔵量は5千億トンから1兆トンと推定され、資源の少ないアルスでは珍しくリン鉱石だけには事欠かない。
よって、河川の無い大陸にしては森林も多い。
これは、窪地に於いてその根を地下20メートルから30メートルにも伸ばせるように進化して来た樹木によるものである。
リン以外の肥料成分も、森林地帯の腐葉土を使えば問題が無かった。
つまり、この地に於いて、知的生命体が生き延びるために必須である農業は十分可能だったのだ。
そう……水さえあれば。
さらに……』
(そりゃそうだよなぁ。
水が無けりゃいきていけないもんなぁ。
でもどうやって大陸全域に水を齎したんだ?
ダンジョンのドロップ品に水袋を出しても意味無いだろうし、例えダンジョンから外に水を溢れさせても、川にはならずに地面に吸い込まれて伏流水になるだけだろうし……)
『この地に住む知的生命体は、200万年ほど前に当時の哺乳類、鳥類、爬虫類から爆発的に進化している。
どうやら祠様の前任者たちが、神界の意向を受けて為した奇跡らしい。
そのために、ヒト族とその類縁種だけでなく、爬虫類系、鳥類系のヒューマノイド種族も数多く、主に大陸東部に生息して……』
(へー、やっぱり知的生命体の発生って、神さまや天使さんたちが関与してたんだ)
『彼らは通常の状態ではかなり温厚であり、他種族や同種族を問わず諍いも少ない。
その多くは、オアシスを中心に同族が集まって小さな国家を形成していた。
こうした小国家は南大陸各地で約5000も存在していたのだが、むろん統一王朝も国家も存在していなかった。
ただ、勇水量の多いオアシス周辺の都市国家は人口が多く、水の少ない街の人口はそれに比例して少なくなる。
また……』
(そりゃまあ国家って言うよりは街だよなぁ。
湧水を中心にして出来た街だから街同士の合併とか併合も無意味だし)
『だが、このように細々と生きていた知的生命体を10年から20年ほどの周期で大きな不幸が襲っていた。
その不幸とは『旱魃』である。
降水量の減少、地殻の変動による地下水脈の移動。
さまざまな理由でオアシスの勇水量の減少に見舞われると、それを生命線として発生した局所文明は絶滅の危機を迎える。
ある街は勇水量の減少に比例してその人口を減らし、またある街は湧水が皆無となって滅んで行った』
(…………)
『その中でも絶滅に瀕したいくつかの街は、近隣の街に対して侵略を敢行する。
水場が涸れ切って自らが絶滅する前に、他の街の住民を滅ぼして移住し、生き延びようとしていたのだ。
本来、地球でもアルスでも、戦争の本質とは単に資源を奪おうとする『武装強盗』であろう。
だが、この大陸に於ける戦争とは、その数こそ少なかったものの、発生するときには常に民族や種族の生き残りを賭けた絶滅戦争となっていたのである。
このような悲惨な状況は、絶対に改善しなければならなかった……』
(同感だよじいちゃん……)
その後も手記を読んでいた大地は、3時間ほど経つと大きく伸びをした。
(冬山で7時間も行動するとさすがに疲れてるか……
残りは家に持ち帰って読もう……)
大地はベッドの上の毛布を広げた。
(ああ、干し草の匂いだ…… じいちゃんの匂いだな……)
そう思いながらすぐに眠りの世界に入って行く。
だが2時間ほど経ったとき。
(……ん?…… 胸が重くて苦しいぞ?
ああ、なんだ、タマちゃんが上に乗ってるのか……
少し寒かったのかな。
俺の隣に寝かせてやろう)
(……んう、こうのしゅけぇ……)
(はは、念話で寝言か……
タマちゃんもじいちゃんに懐いてたんだなぁ。
俺とも仲良くしてくれるかな……
ふわぁぁぁ、もう一回寝るかぁ。
Zzzzzz……)
すぐにまた寝入った大地には、(早くネコ缶開けてくれにゃあ……)という念話寝言の続きは聞こえなかったようだ……
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
翌朝、大地は朝食を用意しながら窓の外を見た。
大地の体内時計に合わせてあるという外の環境は、海から太陽が昇りつつあるという素晴らしいものだった。
タマちゃんはワーキャット姿に戻ってテーブルに着き、お箸を持って待っている。
簡単ながら食事の準備を終え、大地もテーブルに着いて2人は食べ始めた。
「なあ、タマちゃんはツバサさまの使い魔で、今は俺がダンジョンマスターになるかどうか考えるためのチュートリアル担当なんだよな」
「その通りよ」
「だったらさ、俺これから下山するつもりなんだけど、一緒に俺の家に来てくれないかな。
まだまだ聞きたいこともあるし」
「『高級ネコ缶食べ放題』で手を打つわ。安物はダメよ」
「ははは、わかったよ。それじゃあよろしく。
でもワーキャットのコスプレさせた裸の幼女と2人暮らしとか、俺の社会的評判が死ぬから、基本は猫の姿でお願い出来るかな」
「猫の姿の方が楽だからいいわよ。これで契約成立ね♪
ところでダイチ、これから山を降りるって言ったけど本気?」
「今日中に下山しないと心配するひとたちがいるからね。
ヘタすりゃ捜索隊出ちゃうし」
「うーん、まだダンジョンマスター候補としての立場に慣れてないから仕方ないとはいえ……
天使さまが、ここは『時間停止の収納庫』だって言ったのを忘れた?」
「あっ!」
「昨日ダイチがこの収納庫に来たのは地球の現地時間19:00ごろで、それから体感時間で10時間ほど経ったけど、今収納庫を出て山小屋に戻っても山小屋は元の19:00のままで外は真っ暗よ」
「そうだった……」
「それになによりわたしいるからね。
コーノスケが、山小屋と麓の家と街の家に転移用のマーカーを設置してあるから、わたしと一緒なら好きなときに転移出来るわよ。
だから、今からでも街の家に転移出来るの」
「す、すごい……」
「まあダンジョンマスターに与えられる権能のひとつね。
アルスとの転移ゲートは外の祠の前にしか無いから、地球で生活しながらアルスで働くためには必要な能力だわ」
「そ、そうか……
ところでアルスへの転移ゲートって、それを潜ればそこはもう異世界なのか?」
「ダイチはダンジョンマスターになることを了承していないから、まだわたしと一緒じゃないと潜れないけど、ゲートの先はダンジョンの入り口前に繋がってるわ」
「了承したら潜れるようになるのか……」
「そうしないと、ダンジョンマスターのお仕事が出来ないもんね。
なんなら試しに今からアルスに行ってみる?」
「い、いや、じいちゃんの手記を全部読んでからにするよ」
食事の後片付けをしながら、大地はタマちゃんに聞いてみた。
「ところでここにトイレはあるのかな?」
「トイレはお風呂の隣のドアね」
「ありがと」
おお、ドアを開けると洗面所か。
その奥の扉がトイレだな。
洗面所もトイレも広いなぁ。
だが用を足し終えたダイチは困惑した。
(か、紙が無い……)
「お、おーいタマちゃん!」
(なによ大声出して。
用があるなら念話で話しかければいいでしょ)
(そ、そうだった……
ところでこのトイレ、紙が無いんですけど……
というかシャワートイレどころかペーパーホルダーも付いてないんですけど……)
(トイレに入って左側に白い箱があるでしょ)
(うんある)
(そこにある白い石に触れてごらんなさい)
(うん)
石に触れるとトイレの中が白く光った。
同時に……
「はうあぁっ!」
(どうしたの? だいじょうぶ?)
(い、いやなんでもないから)
なんだ今の感覚は……
まるで河童に尻子玉抜かれたみたいな……
い、いや抜かれたことないけど……
(それはクリーンの魔道具よ。
少し中まで綺麗にしてくれるからすっきりしたでしょ。
便器の中もちゃんと綺麗になってるわよ)
(少し中まで……
あ、ほんとに便器も綺麗になってる……)
(洗面所にもおなじ白い箱があるから、口を開けて石に触れれば歯も磨けるし洗顔も出来るわよ)
(じいちゃん…… やりすぎ……)