*** 60 ティック ***
大地は巨大熊の前方に立ちはだかった。
熊は大地の目前で後ろ脚で立ち上がり、異様に長い爪を持つ前足を振り上げる。
(『ウインドカッターLv7』……)
熊に向けて上げた大地の手から、不可視の風の刃が噴出した。
瞬時に熊の首が切断されて下に落ち、胴体からは噴水のように血が吹き上がる。
「す、すごい……」
「い、一撃で……」
「ははは、さすがはマスター殿だの」
「当然だの。
我らも何度あの驚異のウインドカッターでリポップさせられたことか」
「シスくん、あの熊はリポップさせるな」
「はい」
「でも血の匂いで他の獣も集まってくるかもしらんか……
いや、むしろそれは好都合かな。
よし、あの熊の胴体を念動魔法で逆さに吊るし、森の淵に沿って移動させながら血抜きをしてくれ。
その匂いでこの辺り一帯の肉食獣をおびき寄せよう」
血が出尽くしたら冷却魔法で冷やしておいてくれるか。
今日の夕食は熊肉のステーキだ」
「はい」
「収納くん、頭部はそのまま収納庫に」
(畏まりました)
「さて、シスくんはこの村を中心に、半径1キロごとに20キロ先まで幅1メートルの同心円状領域をダンジョンにしておいてくれ。
その警戒網に肉食獣らしき奴が引っかかったら、直ちに俺に連絡すること」
「畏まりました」
「肉食獣が来たら、収納くんは今と同じように更地の端に食料を置いてくれ」
(はい)
「族長たちは、それでも襲って来る奴がいたら部下を率いてこれを殲滅せよ。
そうだな、まずは上空のハーピー族のウインドカッターで遠距離攻撃から始めろ。
お前たちは仮にこの場で死んでもすぐにリポップされるが、それでも慎重に戦うんだぞ」
「「「「 ははっ! 」」」」
「それじゃあ村長さん、その兄弟村へ行こうか」
「は、はい」
大地と村長は小走りに東に向かった。
だが、途中の開けた場所に1人の兎人族が座り込んでいる。
「と、止まれっ!」
「おお、ラビノではないか! こんなところでどうしたというのだ」
見ればその兎人族の肌はボロボロだった。
毛の無い部分は赤い斑点に覆われ、毛があるところもかなり禿げかかっている。
そこには小さな黒い粒が付着しているのも見えた。
「む、村にフォレスト・ティックが大発生したんだ……」
「な、なんじゃと!」
「だから今村に入ると村長さんも集られてしまう!
ど、どうかこのまま引き返してくれ!」
会話をしている間にもその兎人の手は忙しなく動き回り、苦悶に顔を歪めて体中を掻いている。
(ティックって…… うわ! ダニか!
そうか…… 森の奥の動物が移動を始めたせいで、その血を求めてダニまで森の外周に出て来たのか……
それにしてもなんてデカいダニなんだ。
さすがは異世界だな……
ねえタマちゃん、ダニに集られたひとたちって『クリーン』や『治癒系光魔法』で助けられるのかな)
(うんにゃ、あれはあくまで汚れを落としたりケガや病気にゃんかを治すためのものだからにゃあ……)
(ダイチさま。
わたくしがフォレスト・ティックを選択して『収納』出来ます)
(おお収納くん。
それじゃあ早速この兎人で試してみてくれるか。
そうだな、『収納』したティックは完全時間停止庫に入れて生かしておいてやってくれ。
まあティックたちもマナ減少の被害者だろうから)
(はい)
「ラビノさん、少し動かないでいてくれるか。
今から君に集っているフォレスト・ティックを取り除いてあげよう。
ついでにティックに噛まれた跡の治療も」
「えっ……」
(『治癒系光魔法Lv3』……)
数秒で兎人の体はみるみる綺麗になっていった。
「か、痒くない! 痒くなくなったっ!」
「さあ、村に案内してくれ。
同じようにティックを取り除いて村人たち全員を治してあげよう」
「あ、ありがとう!
な、なんとお礼を言ったらいいか……」
村は酷いありさまだった。
子供たちは泣き叫び、母親たちはおろおろしながらその体を掻いてやっている。
男たちも転げまわって体を地面に擦りつけていた。
「おいみんな! 助けが来たぞ!」
何人かはその声に振り返ったが、すぐにまた転げまわり始めている。
(収納くん、半径5キロ以内のティックを全て収納してくれ)
(畏まりました。
それではまずこの村の中から始めて、徐々に外側のティックを『収納』して行きます)
(村の中が終わったら教えてくれ。
光魔法による治療を始めるから)
(…………村内の収納、完了致しました)
(早いな!)
(レベル10の収納でございますから。
ついでに蚤も収納しておきました)
(蚤もいたか……)
「よーしみんな!
今から治療をはじめるぞ!
『エリア光魔法Lv7』!」
村全体が光に包まれた。
その光が収まると、茫然とした顔の兎人たちがいる。
「か、痒くない…… 痒くないぞ!」
「「「「 おおおおおお…… 」」」」
「お母ちゃん、痒くなくなったからもう搔かなくてもいいよ……」
「ど、どなたか存じませんが、なんとお礼を言っていいものやら……」
「ラビルや……」
「おお、ラビタ兄さん!」
「こちらはダイチさまというお方での。
わしらの村がウルフの群れに襲われたのを追い払って下さったり、フレストグリズリーをただの一撃で退治してくださったりしたのだ」
「す、すごい」
「ラビル村長、どうやらこの大森林全体の恵みが減って来ているようでな。
だから森の奥にいた肉食獣たちやティックが、外に出て来ようとしているみたいなんだ」
「や、やはりそうでしたか……」
「それでの、こちらのダイチさまが、森が元通りに落ち着くまでわしらにダイチさまの村に避難したらどうかと仰ってくださっているのだ」
「えっ……」
「そうだ。
念のために言っておくが奴隷も税も要らん。
俺たちの村は今畑を広げようとしているところでな。
その畑で働いてくれれば食べ物は保証しよう。
まあ、急な話ですぐには決断出来ないかもしれないが、西の兎人族の村にはしばらくいるから返事を聞かせてくれ」
「あの…… フォレストティックは追い払って頂けたのでしょうか……」
「ここから5キロほどの範囲内だけだがな」
「ということは、その外にいるティックがまた村に押し寄せて来るかもしらんのですな……」
「そうだ、さすがに森中のティックを追い払うことは出来ん」
「ほ、本当に森が元通りになるまで避難させて頂けるのでしょうか……」
「もちろん」
「あの痒み地獄はもうたくさんです。
二度とあんな目に遭いたくありません。
御礼出来るようなものは何もない貧乏な村ですが、どうか避難させて下さいませ。
伏してお願い申し上げます……」
2つの村の村長2人が深く頭を下げた。
周りを見れば村人たちも同じように頭を下げている。
「よしわかった。
それじゃあこの村のみんなはとりあえずラビタ村に移動してもらおう」
「「 はい 」」
「シスくん」
(はい)
「そちらの村は異常は無いか?」
(今のところ異常ありません)
「そうか、それじゃあ俺が今いるところとそちらの村を転移の輪で繋いでくれ」
(はい)
「あ、ところであの白い渦って消すことは出来ないのか?」
(いえ、あれは単なるエフェクトですので簡単に消せますが)
「そうか、それじゃあエフェクト無しのやつを設置してくれ」
(畏まりました)
その場に輪が現れた。
その向こうには先ほどのラビタ村の様子が見えている。
「うわっ! ホーンラビット族だっ!」
「ゴブリン族も、オーク族もいるっ!」
「な、なんなんだこれ……
それ以外にも10種族以上の種族がいるぞ……」
「し、しかもみんな大きい……
これ、みんなソルジャーやコマンダーに進化した連中だ……」
「はは、安心してくれ。
あれは俺たちの村の戦士たちなんだ」
「「「 えっ…… 」」」
「よく見れば戦士たちはみんな村の外を向いているだろ。
ああして村を守っているんだよ」
「ほ、ほんとうだ…… みんな兎人族に背を向けて森を見ている……」
「さて、ということでだ。
この輪を潜ればすぐにラビタ村長の村に行けるからな。
あちらには大量に食料も置いてあるから、取敢えずみんな移動して飯でも喰ったらどうだ」
「あ、あの……
ほ、本当によろしいので?」
「みんなティックのせいで採集や食事もほとんど出来ていなかったろう。
まあ、あっちの村でゆっくりして貰った後に俺たちの村に行こう」
「「 あ、ありがとうございます…… 」」
(シスくん)
(はい)
(ダンジョン内に階層を増やして、100人から150人を収容出来る村を5つばかり作っておいてくれ。
そうだな、時間も無いだろうから当初は大きな建物をそれぞれ2つずつ作ってそこに住んでもらい、個別の家は後から作ればいいだろう。
炊事場は大きめのものを頼む)
(洞窟型にいたしますか、それとも自然環境型にいたしますか)
(洞窟型だとちょっと圧迫感があって長期滞在には向かないな。
自然環境型にしよう)
(かなりのダンジョンポイントがかかりますが……)
(はは、そんなものはまたみんなで戦闘訓練をすればすぐに稼げるだろう。
もちろん俺のカードから引いてくれて構わん。
それにこの連中がダンジョンで暮らしてくれればポイントも入るからな。
数年で元が取れるんじゃないか?)
(それもそうでございました。
では早速取り掛かります)
(よろしく。
淳さんたちに言って、寝具や食器も用意しておいてもらってくれ。
それから村のご婦人たちに、穀物粥やパンを大量に作っておくようにも頼んでおいてくれ)
(はい)
「なあラビル村長さん」
「は、はい」
「この村から東にも村はあるのかい?」
「ええ、鼠人族の村が3つほどと鶏人族の村が2つほどございます。
彼らとはたまに交易もしておりました。
ですがここ1年ほどは我らも彼らも交易するほどの品は無く、あまり交流はしておりませなんだが……」
「それじゃあ申し訳ないんだけど、俺とラビタ村長さんと一緒にまず鼠人族の村に行って、俺たちの村への避難を勧めてみてくれないかな」
「畏まりました。あの……」
「なんだい?」
「それにしても、我らに加えて鼠人族や鶏人族も避難するとなると、大量の食糧が……」
「はは、安心してくれ。
この村が1000個所避難して来ても、何の問題も無いぐらいの食料はあるぞ」
(なにしろじいちゃんが小麦を20万石も用意していてくれたからな……)
「えええっ!
そ、そんなにっ!」
「それじゃあ早速、鼠人族の村に行こうか」