*** 402 皇宮府の『助言』 ***
中華人民共和帝国では皇宮府主導で省庁再編とその幹部人事が行われた。
まずは権限が集中し過ぎていた国務省を解体し、内務省、財務省、経済省、貿易省、厚生省、交通省、環境省、金融監督省などが作られた。
資源強奪局などを管掌する帝国主義省も改組されている。
そして、各省庁や党の上層部を占めていた貴族家当主やその係累者たちを、全員元老院とそのサポートをする元老省に送り込んだのである。
多くの貴族家が慌てた。
党本部に莫大な賄賂を渡して党役員や大臣や次官や局長になったばかりなのに、まだその賄賂費用を回収していないうちに辞任させられるとは!
彼らは早速抗議のために皇宮府に乗り込んで行ったのである。
だが……
「貴族家ご当主やその一族の方々を元老にせよというのは、建国皇帝陛下の御命令書にあったことです。
そのご命令が不服なのですか?」
「だ、だが、大臣の地位についたままでも元老院の仕事は出来るだろう!」
「いいえ、御命令書には貴族家ご当主は元老としての仕事に専念し、そのご一族はこれを全力で支えよとあります」
「な、なにっ……」
「もう一度御命令書をよくお読みください」
「き、貴様のような下っ端では話にならん!
皇宮府大臣を呼んで来い!」
「あの、元老閣下からの政策に関するご提案やご批判は、全て文書により皇宮府に提出すること、と御命令書に明言されています。
今日はわたくしがお相手させて頂きましたが、これからは国政に関するご意見は文書でお願いしますね♪」
「ぐぬぬぬぬ……」
「さもなければ、建国皇帝陛下の御命令に背くことになり、反逆罪に問われてしまいますよ?」
「ぬがぁぁぁ―――っ!」
何人かの貴族家当主は、元老と大臣の兼任を求めて皇宮府やあろうことか皇帝陛下に賄賂を持参した。
だが、『建国皇帝陛下の御命令に公然と反した』という反逆罪により逮捕収監されてしまったのである。
新たに創設された省庁の大臣や幹部も、全てシスくんの推薦名簿通りだった。
彼らは、行政の能力はありながら、党幹部貴族に賄賂を払わなかったせいで冷や飯を喰わされていた者たちばかりであった。
そして、新人事による閣僚や幹部の顔ぶれを見た聡明な彼らは、自分たちの共通項に気が付いたのである。
((( これは、賄賂を受け取っても払っても今の地位を失うということだな……
せっかく大幅に昇格昇給して生活も楽になったのに、目先の賄賂を受け取って罷免されることだけは避けよう…… )))
元老となり、元老院に押し込まれた党、政府の前高官だった貴族たちは愕然とした。
なんと新たに任命された平民の党役員、大臣、次官、局長たちが、いくら待っても自分たち貴族に礼金や賄賂を持参しないのである。
このため額に青筋を立てた貴族たちが大挙して各省庁に押し寄せて来た。
だが、各省庁の前には『元老閣下窓口』なる物が設置されており、数ページのパンフレットを配布していたのである。
そのパンフには建国皇帝陛下ご命令書の抜粋が赤線と共に記載されていた。
『各省庁や党役員の幹部人事は皇宮府の専権事項であり、如何なる抗議も認められない』
『政府が発布した法のうち、特に官位を得る際の贈賄と収賄を禁止した法は厳重に守ること。
もしこれに反した場合には反逆罪として如何なる貴族家と雖も逮捕投獄せよ』
これを読んで愕然とした貴族たちが顔を上げてよく見れば、『元老閣下窓口』の後方には治安維持警察部隊が並んでいるではないか。
そしてその全員が手に逮捕拘束用の手錠と足枷を所持していたのである。
顔面蒼白となった貴族たちはその場を逃げ出すしか途はなかったのであった。
もちろん、各省庁には平民ながら党や大臣閣下に賄賂を渡しまくって課長や次長にのし上がっていた者たちも多くいたが、彼らも全員が皇宮府からの辞令によって『平民元老』に任命されてしまったのである。
これらの平民元老たちも大挙して皇宮府に抗議に行った。
だがやはり、『政策に関する平民元老の抗議は、全て文書で受け付けよ』というのは建国皇帝陛下の御命令です、と言われて追い返されている。
それではということで、分厚い抗議文書を持ち込む平民元老もいたが、係官が一読した後は全てゴミ箱行きになっているようだ。
こうして各省庁再編と幹部人事が進むと、皇宮府は各部門の幹部を招くようになり、そこで現皇帝陛下の『助言』が伝えられるのである。
もちろん助言であって勅令ではないので特に問題は無い。
だが省庁幹部は、人事権を持つ皇宮府と皇帝陛下の助言を実行する以外に途は無かったのである。
最初に行われたのはあの悪名高き輸出関税の撤廃である。
これには民間企業から大歓声が上がった。
もちろん貴族元老たちは、これにも大挙して政策抗議文書を送りつけて来た。
学者が書いたらしい冗長な言い回しが多かったが、要は『朝令暮改のようなことを行うと国の威信が低下する』というものである。
もちろん自分たちの失政を認めたくなかったからだった。
皇宮府からの返答は、『貴卿らが低下させてしまった我が国の威信であるが、この程度の政策変更でさらに低下するほど帝国の威信はヤワではない』というものだった。
それも何千枚とおなじ印刷物が返送されて来たのである。
どうやら予め印刷してあったらしい……
次は司法省と内務省に助言が行われ、かの悪名高き『不敬罪』が廃止された。
政府広報には、『不敬罪が廃止されたことにより、貴族は平民に強制収容所行を命じることは出来ず、かつ手打ちなどの暴力は通常の刑法犯として逮捕投獄される』と記載されていたが、もちろん貴族でそんなものを読んだ者は1人もいなかった。
というか、読んで理解出来る者も1割もいなかったのである。
皇宮府で開催された大手企業幹部たちとの懇親会では、周恩来来大臣からの訓話があった。
実に平たい口調でにこやかに語られたものだったが、要約すると、『我が帝国の輸出商品に国際競争力があるのは、とりもなおさず中華帝国人民の給与が低いことと、環境に対する配慮が全く無いためである。
これはいずれも企業経営者の責任であり、皇帝陛下はこのことを非常にご憂慮されている』ということだった。
周恩来来大臣は、穏やかな口調でさらに企業経営者たちに話しかけた。
「また、今までの外国資本誘致モデルについても陛下のご懸念は深いのです。
例えば日本企業が中華帝国に工場を建設することを検討して現地調査に訪れたとしましょう。
彼らの来訪を知った外務省海外資本誘致局は、積極的にその日本企業と接触を図り、貴族の肩書を持った者たちや高官らが入れ替わり立ち代わり接待を行います。
もちろん工業団地の案内も手厚く、至れり尽くせりの厚遇をするのです。
そうして、日本の本社の社長や会長など、代表権を持つ方を準国賓として釣魚台国賓館に招待していたのですよ。
日本の企業も上意下達が激しいですからね。
準国賓扱いに気を良くした社長や会長が、帝国人民のあまりの賃金の低さに驚き、『中華帝国内に工場を造れ』と命じれば、部下たちはその指示に従わざるをえません。
そうして、外務省高官らはあなた方現地資本との合弁会社を勧めるわけです。
中華帝国労働者の労務管理はやはり慣れた現地企業の方がいい、とか言って。
そして、その合弁企業の役割は、徹底して日本企業の技術を盗むことでした。
その方が新規に技術開発をするよりも遥かにコストがかかりませんから。
もし日本企業があなた方との合弁を拒むと、従業員の1割ほどがあなた方の配下である産業スパイたちになります。
そうして、彼らの技術を盗めるだけ盗んでいたわけです。
そして、数年経ってもはや盗めるものが無くなると、共産党からの指令で工場労働者たちが大幅な賃上げを求めてストライキを行います。
工場進出の時に仲介してくれた役人に相談しても、『帝国人民の真摯な賃上げ要求には、政府も介入出来ない』と言って断わられます。
こうして、人民の賃金の低さに惹かれて進出して来た外国資本も、賃上げという形でその利益を中華帝国に吸い上げられるのです。
工場を閉鎖などしようとすれば、工場の機械類や備品は全て盗まれてしまいますし。
そのために、今や日本などでは『中華帝国に進出して最終的に利益を得た企業はひとつも無い』、『もし進出するにしても、現地工場では基礎部品の製作に止め、基幹部品製造は絶対に持ち込まないこと』と認識され始めてしまっているのです。
つまり、中華帝国の外国資本誘致とは、国家ぐるみの産業スパイ行為だったのですね。
おかげであなた方中華資本も、技術開発費が非常に低く抑えられていたのです。
もちろんその分、党や貴族に賄賂を払わなければならなかったわけですが。
接待費も全てあなた方の負担でしたし。
ですがこれからはもう賄賂を払う必要が無くなります。
ならば、技術開発研究に資本を投入して、中華帝国独自の技術開発を行ってください」
(↑本当の話。
コロナ禍で日本国内の産業流通が滞って混乱が起きた際にも、『中国からの基礎部品の輸入が滞ったため』という説明はあったが、『基幹部品輸入が滞ったため』という説明は皆無だった。
実際には、『是非中国国内でも基幹部品の製造を』という中国政府と『現在検討中』という日本企業の鍔迫り合いが今日も続いているのである。
もし基幹部品製造が始まるとしても、それはその技術が陳腐化してからになるだろう)
実質的に権力を一手に握られた今上陛下のこのお言葉に、企業経営者たちは真剣に対応策を考え始めざるをえなかったようだ。
試しに皇宮府の上級官僚に賄賂を渡そうとしたのだが、1元も受け取ってもらえなかった。
それに皇帝陛下に賄賂など通用するはずもない。
経営者たちは貴族に渡す賄賂を心の底では大いに嫌っていたものの、今までその賄賂による利益誘導に頼り過ぎていて、経営努力を全くしていなかったことに気づかされたのであった……
次に『助言』されたのは新彊ウイグルの強制収容所閉鎖である。
これは、テミスちゃんが作成したリストに基づいて、単なる思想犯や貴族に無礼を働いた者、賄賂が足りなかった者などを解放した結果、収容人数が98%減ったからであった。
残りの2%は刑法犯として国内各地の刑務所に移送されている。
こうして解放された5000万人もの収容者は、そのままでは失業者となってしまう。
これを救ったのが中華帝国全土に56か所も設立されたサイアムの支店と、今までの管理者が平民元老として一掃された共産党の末端支部であった。
農民が育てた作物を地方の共産党支部に売って収入に代える際には、およそ50%ものピンハネが行われ、その利益のほとんどが貴族に流れていた。
これに文句を言うと共産党に反する思想犯と見做されてウイグル送りになってしまうために、農民は誰も文句が言えなかったのである。
ところが、貴族が全員共産党から排除された上に、農民は地方共産党支部を通じてサイアムに農産物を売ることも出来るようになったのだ。
当然のことながら、ピンハネをしないサイアムの買取り価格は今までの倍額である。
おかげで農民は俄然やる気を出していたが、機械化の遅れた農村では人手不足に悩んでいた。
このために、収容所からの解放者に就職を斡旋する労働省は、まず収容所にいた年数によって慰謝料を支給し、その後は農村での就職を勧めていた。
自治体ごとに新たに農業法人を作り、元収容者を雇用した上で各農家に派遣するという制度も出来たのである。
要は住居付きの農業版派遣社員制度であった。
現地農業法人までの送迎も国が行っており、もちろん同時に労働基準法の強化と最低賃金法の施行も行われている。
次は厚生省と交通省に『助言』が行われた。
人口100万人以上の都市からは、毎日2便以上の病院列車を北京に向かわせよというものである。
これは、皇宮近くの人民解放軍基地に設置されている転移門から全国の重病難病患者をダンジョンに送り込むための措置であり、費用は交通費も含めて全額国費負担であった。
北京駅からは、普段滅多に使用されない皇帝専用お召し列車用の線路も解放され、毎日膨大な数の患者がダンジョンに送り込まれている。
もちろん、こうした助言は事前に皇帝陛下と皇太子殿下、周恩来来大臣の3人によって協議されたものであった。
彼らは律義にも『助言』内容をシスくん経由で全てアスラさまに報告し、承認を得ている。
財務大臣が幹部数名を連れて皇宮府に陳情に来た。
(元老たちと違って官僚には直接陳情が許されている)
その内容は、新たに設けられた貴族・平民元老に支払われる年金、臣民のダンジョンでの治療費、収容所解放者に対する慰謝料などが嵩んでいるために、このままでは国費が足りなくなるというものだった。
これには周恩来来大臣が対応した。
「ご安心ください。
現在軍務省に対し、国防費を昨年の30%に減らすよう助言が行われています。
来年はさらにその3分の2にします。
そのために、国庫支出の半分近くを占めていた国防費が大幅に無くなりますので、他の予算に廻しましょう」
もちろん軍務省の抵抗は激しかった。
上層部の貴族家係累者は全員元老院送りとなっていなくなっていたが、平民出身の上級将校たちが、国防費大幅削減に頑強に抵抗したのである。
彼らは貴族将軍たちの庇護の下、物資の横流しを担当することで貴族たちへ上納をしていたのであり、もちろんそのうちの幾ばくかは自分の懐に入れていた。
この為、貴族派の上級将校たちはほぼ全員が外国製高級車を乗り回していたのである。
彼らは貴族が全員いなくなった今、今後は隠匿物資の横流し金はすべて自分の懐に入るとほくそ笑んでいたのだった。
シスくんの調査によると、中華帝国の莫大な軍事予算のうち、その30%が直接間接に貴族家の懐に入り、10%が貴族家に庇護された大勢の上級将校たちの手で横領されていた。
残りの50%は軍備拡張のために使われており、施設維持費と人民解放軍兵士の食費や給与など人件費は残りの10%でしかなかったのである。
元貴族派の上級将校たちは、皇宮府から軍務省への『助言』に従って、軍務担当の平民元老に続々と移動させられていった。
軍の宿舎から近隣に用意された元老宿舎への引っ越しも命じられている。
もちろん軍への直接の口出しは禁止されており、全ての批判と提言は皇宮府に対して文書によって行うよう確認の通達も出されたのである。
おかげで、中華帝国の中古車市場は外国製高級車で溢れかえっているそうだ。
もちろんこうした措置は各省庁幹部人事と並行して行われていた。
このため激怒した旧軍閥貴族の一部がクーデターを企図しても、自分の息の掛かった平民高級将校たちは1人も残っていなかったのである。
それでも軍に乗り込んで将校たちに反乱を使嗾した貴族たちは、その場で待ち構えていた憲兵隊に反逆罪で逮捕されていたそうだ。




