*** 400 リーガ・エスパニョーラ ***
東南皇太子はベッドの上で伸びをしている姿で転移して来た。
周恩来来氏は椅子に座っている。
両者とも驚愕に硬直していたが、皇帝陛下が微笑んでおられるお姿を見つけて安堵しているようだ。
皇太子は20歳ぐらいに見える健康そうな男で、周恩来来氏は30代半ばほどに見える凛々しい顔立ちの男だった。
早速陛下が2人に説明を始められた。
ここは神界の創られた空間でその神界のお力でここに転移して来たこと、ここ以外の場所では時間が停止しているので皇宮が大騒ぎになる懸念は無いこと、アスラさまは神界より地球総督に任命されていらっしゃることなどを伝えている。
その上で中華帝国の現状を憂いて下さり、国家立て直しの方策を聞かせるために2人を呼んでもらったと伝えたのであった。
2人がその場で拝跪した。
「アスラさま、毛沢東南と申します。
お目にかかれて光栄でございます」
「アスラさま、周恩来来と申します。
ご尊顔を拝し、恐悦至極にございます」
「2人とも楽にしてくれ。
いや本当にそんなに畏まる必要はないからな。
ここには4人しかいないんだから、フランクに話し合おう」
「「 はっ 」」
「そのドアの向こうにバスルームがある。
沢東南殿下はまず朝の身支度をして来たらどうかな。
この小屋にある全ての備品は自由に使ってくれ。
そこのクローゼットに着替えもあるぞ」
「は、ありがとうございます」
その後4人はシスくんのサーブで豪勢な朝食を取り、紅茶も飲んで寛いだ。
その後で大地が切り出したのである。
「さて、3人とも今の中華帝国の現状については周知のことと思う。
そしていつの世にも苦しむのは民だ。
俺はこの状況を打開してもらうために、皇帝に親政を行って貰いたいと思う」
「し、しかし……」
皇太子が言いかけたのを皇帝が制した。
「アスラさまは、そのこともご承知の上で我らに策を授けて下さり、またその策を実行するためのご援助も下さると仰られているのだ」
「そうでしたか……」
「それでは俺の策を伝えよう」
大地の説明は2時間ほど続いた。
その後4人は海岸沿いを散策し、リフレッシュした後にまた小屋に戻ったのである。
「それにしてもお見事な策でございますな。
なにやらすぐにでも親政が出来そうな気がして参りました。
無駄になることは承知の上で学んで参りました政治や経済の知識が役立てられるかと思うと欣快に耐えませぬ」
「その際に、まだいくつか懸念事項がある。
そこで3人にそれぞれ4つの加護を授けたいと思う」
「と仰られますと?」
「まずはここにいる3人の健康だ。
国政改革の途中で急死されたら困るからな。
そこでこれから疾病防止の加護をかけさせてもらいたい。
これにより、諸君ら3人は病気では死ななくなる」
「そ、それはそれは……」
「また、万が一の事故や暗殺に備えて、寿命以外では死なない加護もかけよう。
これは、一旦は死んだように見えるものの、すぐにその場や他の場所で生き返るものだ」
「さすが……」
「次に言語理解のスキルも授ける。
これにより世界各国のニュース内容を理解出来るようになるだろう。
国政の参考にしてくれ」
「ありがたきことでございます……」
「最後に寿命延長の加護だ。
これにより、3人は70歳になった時点で肉体と精神がリフレッシュされて寿命が3割伸びる。
つまりおよそ90歳までの寿命を保証されるわけだ」
「なんとありがたきことでございましょうか……」
「礼を言うのは早いぞ。
なにしろ陛下も殿下も周恩来来氏も、これから90歳になるまで親政に携わらなければならないんだからな」
「望むところでございます」
後の2人も力強く頷いている。
大地は微笑んだ。
「ただしあまり超過労働はしないでくれ。
出来れば1日の仕事は8時間までにし、週最低1日、出来れば2日は休養日として欲しい」
「仰せの通りに……」
「それからな、まあ俺は国政にあまり口を出すつもりは無いが、3つだけ要望があるんだ」
「お聞かせくださいませ」
「その要望については、ここにまとめて来てあるんで後で読んで貰いたいんだが、簡単に説明しよう。
一つ目はあの無能で強欲な太子党貴族たちを国政から完全に排除することだ」
「はい、それはわたくしも常に考えておりました」
「そうか。
だがまあそれで内乱でも起こされたら敵わんからな。
俺の戦略を参考に、平和裏に排除してくれ」
「はい」
「2つ目は賄賂の禁止だな。
あれは間違いなく公正な競争を阻害する。
ひいては科学、技術、社会の発展を著しく損なうものだろう。
この案件については、俺も神界の権能を使って最大限サポートする」
「心強いことでございます」
「3つ目は軍備の大幅縮小だ。
まあ突然軍人を解雇すると社会不安に繋がるからこれは徐々にで構わない。
だが、装備の更新や新規の軍人採用は極力縮小して、10年後には軍事費が今の10分の1以下になっているようにしてもらいたい。
それによって大幅な減税も可能になるだろう」
「あの……
お言葉を返すわけではないのですが、それでは有事への備えが……」
「安心してくれ。
少なくとも今後5000年間は、その有事の芽は俺が全て潰す。
あの海軍と陸軍の部隊を無力化した方法でな」
「それを伺って安心いたしました。
確かに我が国の海軍すべてと陸軍の3分の1を無血で滅ぼされたあのお力があれば、たとえ世界中の国が侵攻して来たとしても撃退は容易であらせられることでしょう」
「まあ俺の力というよりは神界の力だけどな」
「それにしても5000年とは。
噂に聞いておりましたアスラさまのご寿命は、神界の加護で本当に5000年だったのでございますね……」
「実はその通りなんだ。
さて、そうは言っても皇帝親政を実現させるために、手足となる行政府なども必要だろう。
これは俺の部下があらゆる事柄を調査、勘案して作った官僚の推薦リストだ。
人員も無駄を省いて最終的に現状の5分の1にする。
ここに書いてある通りの人事をする必要は無いが、出来れば参考にして欲しい」
「拝見させていただきます」
「あの……
ここに皇宮府大臣候補、周恩来来との記載がございますが……」
「そうだ。周恩来来さん、大変だろうが皇帝親政の司令塔になる皇宮府の大臣をお願いしたい」
「わ、わたくしで務まりますでしょうか……」
「もし判断に困ったことがあればシスに連絡してくれ。
またこの場所に転移して貰った上で相談に乗ろう」
陛下も殿下も微笑みながら彼らの側近を見ていた。
今後の国の行く末を左右する話し合いが終わったために、場の雰囲気がやや緩んだ。
その際に、陛下が大地に聞いて来た。
「あの、アスラさま、先ほど私共が賜った加護についてはやはり極秘ということなのでしょうか」
「いや、必要があれば相手を選んで話してくれてもいいが……
まあ、公開するようなことは控えてくれるかな」
皇帝は少し肩を落とした。
「どうしたんだ?」
「い、いえ大したことではございません」
「何か要望があるなら今のうちに言っておいてくれ」
「そ、そうですか……
実は、あの加護を頂戴したと宮内省に説明出来れば、お忍びで欧州にサッカー観戦に行く夢が叶うかとも思いまして……
なにしろ公式観戦などしたらそれこそ大騒ぎになるでしょうし、たとえお忍びでも千人近い宮内省職員が1年かけて準備に走り回るでしょうから」
「なんだ、そんなことなら今度転移で一緒に行こうか」
「「「 !!! 」」」
「それで陛下はどのチームの試合が見たいんだい?」
「あ、あの……
で、出来ればリーガ・エスパニョーラのバークリックさんの試合をもう一度だけでも見てみたいのですが……」
「ん?
中華帝国代表があそこまで大敗したのに、奴のプレーを見たいのかい?」
陛下は微笑まれた。
「あの大恥は、愚かな貴族たちが『国代表になって試合に出た』という肩書を金銭で贖ったために起きた惨事でした。
それでも反省する気が全く無かったのには驚きましたが。
それに、わたくしも皇太子も恩来来もサッカープレーのファンなのです。
特定のサッカーチームファンなのではありません。
あのような奇跡のプレーには心底感動していたのですよ」
「そうか、それじゃあバークリックに試合のチケットを4人分お願いしてみるよ。
取れるかどうかわからないが。
中華帝国時間だと試合はいつも日曜の夜中だろうけど、もしチケットが取れたらいったんここに集まってからスペペインに転移しようか」
「あ、ありがとうございまする……」
翌日、タイ王国国軍総司令部からスペペインのバークリックくんに『超重要連絡!』と書かれたメールが届いた。
そして、そのメールには、『あのアスラさまが、ご友人3人と貴君の試合をお忍びで観戦したいので、チケットを4枚求めていらっしゃる』と書かれていたのである。
バークリックくんは雷に打たれたかのように硬直した。
そしてすぐにクラブハウスのオーナールームに全力のダッシュで向かったのである。
(100M換算タイム9秒40)
彼は、オーナーたちを前にして、腰を90度どころか180度折って頭を下げた。
(ダンジョンチャレンジャーは体の柔軟性も増す)
そして、あのアスラさまが極秘のお忍びで自分の試合を見てみたいと仰っているので、チケットを融通しては貰えないかと涙ながらに懇願したのである。
チームが首位を走っている立役者であり、欧州サッカー界のスーパースターでもあるバークリックくんの懇願に、オーナーたちは快く4人分のオーナーゲスト席を譲ってくれた。
ただし、シーズン終了後のファンの集いで、チャリティーオークションに何か出品し、サイン色紙も100枚書いてくれとの依頼もついていた。
むろんバークリックくんは即座にこれを了承し、サインは1000枚用意すると約束した。
その試合は奇しくも首位攻防戦であった。
試合開始1時間前にスペペインに転移した大地と中華帝国皇帝陛下一行は、サービスカクテルも謝辞して既に集中している。
地元チームがピッチに出てくると、超満員のスタンドは壮絶に盛り上がった。
そして、ダンジョンの恩恵で視力も5.0になっていたバークリックくんの目には、オーナーゲスト席のアスラさまのお姿もはっきりと見えたのである。
彼は体が震えるほど感動した。
ついにアスラさまのご恩にほんの少しでもお返しが出来たのである!
信じられないほどの報酬を手にして、故郷の両親に家を建ててやることも、トラクターや耕運機を買ってやることも出来た。
3人の弟妹たちを大学に行かせてやれるだけの貯金も出来た。
それでも莫大な資金が残っていたのだが、彼には贅沢をする願望も意思も無かったのである。
だが、オフに選手たちの様子を見に来た代表監督に言われてしまったのだ。
「君は地元の英雄になったんだ。
村の子供たちに夢を与えるためにももう少しおカネを遣ってもいいんじゃないかな」
そこでバークリックくんは、村のために土木会社を雇って畑を5割も広げてやり、ついでにコンバインも買ってあげた。
ボロボロだった集会場も建て直してケーブルテレビ局とも契約し、欧州サッカーリーグの試合を見られるようにもしてあげたのである。
まあ本人は宿舎から練習場に行くのに自転車で行くような生活だったのだが。
バークリックくんにとっては自転車すら夢の贅沢品だったのである。
それもこれも、全てはアスラさまのおかげだった。
食い扶持を減らし、少しでも家に仕送りが出来るよう軍に志願して厳しい訓練に耐えて来た人生が、完全に報われているのである。
そして最初のゴールキックチャンス。
バークリックくんは、もはやボールしか見えないほどに集中していた。
そして、超々人的な脚力を持って、利き脚を存分に振り抜いたのである。
大声援にかき消されてほとんどの者には聞こえなかったが、そのとき味方ディフェンダーたちには微かに『ぼふん』という音が聞こえた。
そして……
何故かボールは力なく20メートルほどを飛び、そのままひらひらとピッチに落ちて行ったのである。
主審が笛を吹いてタイムを宣言した。
静寂の中、国際映像のカメラがそのボールにズームして行っている。
もちろんスタジアムの巨大スクリーンにもその映像は映し出されている。
そして、そこにあったものは、花びらのように広がっている破裂したボールだったのである。
(日本人は食べ終わった後のミカンの皮のようだと思った)
静寂が超絶大歓声に変わった。
観客の大半は鳥肌の出た腕をさすっている。
全欧州のテレビ視聴者も同じく腕をさすっていた。
この日、バークリックくんは3個のボールを破壊した。
つまりたまたまボールに傷がついていたのではなく、純粋な脚力によってボールを破壊していたと証明したことになる。
その度にゴールキックは蹴り直しとなったのだが、ようやく加減を覚えた彼は相手ゴールに5本のシュートを叩き込んだのであった。
力を加減すると、その分変化のコントロールに集中出来る。
また、あまりにも速い無回転シュートだと、相手ゴールの上を越えてから変化が始まることも多かった。
だが、100%の力を出さなくなったことにより、敵陣ゴール前での変化がより大きくなったのである。
シュートの内の一発は、相手ゴール右に10メートル以上も外れる軌道だったのが、最後の最後に左に20メートル近く曲がって落ち、ゴール左側のサイドネットに突き刺さっていた。
また、相手チームにはタイ代表のチームメイトもいたが、彼のキックオフシュートも含めてウルトラスーパーセーブを連発し、とうとうチームは6-0で勝利したのである。
試合終了直後、バークリックくんはメインスタンドに向けてダッシュし、スタンド中段まで2歩で飛んでアスラさまの前に跪いた。
大地は咄嗟に隠蔽結界を張って身バレを防いでいる。
バークリックくんは、アスラさまから労いのお言葉と握手を頂戴することが出来た。
彼の涙は半日止まらなかったらしい。
ついでに握手して貰った皇帝陛下一行も感激の面持ちだった。
翌日の欧州のほとんどの新聞には、1面に花びらのようになった哀れなボールの写真が掲載されていたそうだ……
シーズン終了後、バークリックくんのサイン入り花びらボール残骸がチャリティオークションに出品された。
それぞれ30万ユーロの値がついたそうである。
大地は中華帝国皇帝たちから相談を受けるため、そして激務を労うために、数か月に1度は欧州に飛んでサッカー観戦をするようになった。
その度に各国各クラブのタイ王国出身選手たちは感激の涙を流しているらしい……




