*** 395 陸軍 ***
中華帝国戦車軍団のタイ王国中央部侵攻が開始されようとした早朝、その場の戦闘車両の燃料タンクがすべて空になっていた。
「い、いったい何が起こっているというのだ……」
「原因は不明でありますっ!」
「仕方あるまい……
示威行動を行えという命令を果たすため、全ての戦車にバンコク方向に向けての発砲を命令せよ」
「ははっ!」
だが……
ガチンガチンガチンガチンガチン……
「砲弾が発射出来ませんっ!」
「ええい!
すぐに砲弾を交換させろっ!」
「ははっ!」
だが……
ガチンガチンガチンガチンガチン……
「せ、戦車砲弾が全弾不発になっておりますっ!」
「な、なんだと……
それでは弾薬運搬車の砲弾と交換せよっ!」
「はっ!」
「た、大変ですっ!
弾薬運搬車の燃料タンクも空になっています!
戦車に弾薬を補給出来ませんっ!」
「燃料輸送車は!」
「それも空ですっ!」
「な、なにが起こっているというのだ……
し、仕方あるまい。
戦車搭乗員に手作業で弾薬を交換するよう命令せよ。
充分に注意して取り扱うように」
「は……」
だがやはり……
ガチンガチンガチンガチンガチン……
「ぜ、全弾不発です……」
「な……」
「い、如何致しましょうか……」
「昆明基地に無線連絡して追加の燃料補給車と弾薬輸送車両を届けさせろ!」
「む、無線機が動きません……」
「な ん だ と ……
こ、この30個師団には燃料も弾薬も無線機も無いというのか……」
「あの、歩兵部隊に徒歩でミャンマーまで向かわせたら如何でしょうか。
そこで車両を徴発して昆明基地に伝令に行かせるとか……」
「やむを得ん……
歩兵部隊1個大隊を進発させろ」
「はっ!」
だがもちろん、その歩兵部隊もストレーくんに『収納』されてしまったのであった。
ついでながら、派遣軍からの定時連絡が途絶えたために昆明基地から偵察部隊が派遣されたが、この部隊も途中で『収納』されてしまっている。
翌朝。
「こ、侯爵司令官閣下!
た、たたた、大変ですぅっ!」
「どうした。
これ以上大変なことなど起きるまい……」
「食料が…… 食料が全て消え失せましたぁぁぁっ!」
「なんだとぉぉぉぉぉ―――っ!」
「し、食料も弾薬も燃料も無く、無線機も使えません……
い、いったいどうしたらいいのでしょうか……」
「そ、それでは部隊運用費を持たせて歩兵部隊をミャンマーに向かわせろ!
せめて食料だけでも購入させて来るのだ!」
「あの、歩兵1個師団を向かわせて食料を略奪させたら如何でしょうか……」
「莫迦者ぉっ!
そんなことをすれば、最悪の場合ミャンマーに救援を求めることが出来なくなるだろうがぁっ!」
「はっ……
すみません。
それでは早速食料購入部隊を出発させます」
この食料購入部隊は、ミャンマーの農民や商人に大いにボッタクられた。
やはり民はどこに行っても強かなのである。
だが、トラックも購入した歩兵部隊がタイ国境を越えたとき、やはり食料ごと全員が姿を消したのであった……
40万人もの大軍団は、タイ王国奥地のジャングルで飢えていた。
昆明基地に送った兵も、ミャンマーに食料調達に行かせた兵も一向に戻って来ない。
男たちの困惑は空腹のために徐々に怒りに変わって行った。
そしてその怒りが頂点に達しようとしたとき、中華帝国タイ侵攻軍団は、やはり将兵兵器もろともすべて消え失せたのである……
この映像ではタイの陸軍長官が白目になっていた。
飲みかけの紅茶も鼻から噴出している。
そしてその後……
まずは北京の陸軍総本部前の広大な庭にいた人々が300メートルほど離れた場所に転移させられた。
そして、空いた場所には1万2000両の戦車を使った見事なピラミッドが現れたのである。
戦車の砲身はすべて陸軍本部に向けられており、今回も『暴発注意』の大きな垂れ幕がかかっていた。
その周囲には、まるでピラミッドを守るスフィンクスのようなものも出現したが、よく見ればそれは兵員輸送車、燃料輸送車、弾薬運搬車などがごちゃ混ぜに固められたものだった。
シスくん渾身の作品である。
そうして、装備も服も全て剥ぎ取られ、飢餓状態に陥っていた怒れるバーサーカー裸族40万人は、北京市の貴族街に解き放たれたのであった。
『狂戦士化』の魔法は今回もマシマシでかけられている。
もちろん女性や子供たちは既に『収納』されて避難していた。
まっ昼間から侍女とエッチしていた伯爵閣下は、侍女が消えたことに気づかずしばらくエアエッチをしていたそうだ。
怒れる裸族40万はまず貴族邸の食糧庫を襲った。
そこで食い物も酒も全て喰らい尽くすと、新たなる喰いものを求めて貴族街を駆け回り始めたのである。
まるでイナゴの大群であった。
もちろんハデな貴族服を着ている者たちは、片っ端から裸族の仲間にしてやっている。
それはこの世のものとも思えない悍ましい光景だった。
なにしろ怒れるバーサーカーちんちん40万本と飢えたタマタマ80万個が、喰いものを求めて暴虐の限りを尽くしているのである。
まさしく目を覆いたくなる光景であった。
この時、貴族街を取材に来ていた外国のメディアがいた。
仰々しい貴族服を着た公爵閣下が、貴族街をバックにインタビューに答えていたのである。
高齢のためやや耳が遠くなっておられた閣下は、そのお耳にレポーターの音声が聞こえるようイアピースを装着されておられたため、周囲の音はあまり聞こえていらっしゃらないようだった。
「見たまえこの壮麗な街を。
これこそが我が大中華帝国を支える帝国貴族たちの住まう貴族街である。
ここでは由緒ある貴族家1200家の当主とその係累たちが、静謐の中で思索に満ちた暮らしをしておるのだよ」
そのとき、公爵閣下の後ろを30人ほどの裸族の集団が駆け抜けていった。
彼らは単に喰いものを求めているだけなので、特に喚き散らしたりしてはいない。
公爵閣下は気づかずにお話を続けられた。
カメラマンは大驚愕にも耐えて必死でカメラを回している。
そのイケメンさとダンディさで有名な男性レポーターも、これに気づいてはいなかった。
「資本主義国の多くには貴族はいないそうだが、哀れなことよの。
このように素晴らしい街に暮らす優秀な貴族がいてこそ、国の根幹が支えられておるのじゃ」
公爵閣下の後ろを激走する裸族が一気に増え始めた。
既に1000人規模の集団になっている。
ここでカメラが微かにしか揺れなかったのは、カメラマンの流石のプロ根性と言えよう。
数千人が走り寄って来る音を聞いて、レポーターがふとそちらを見やった。
その目は零れ落ちんばかりに見開かれ、口はムンクの叫びのようになり、顔面も一気に蒼白になっている。
ついでにシスくんのイタズラで髪の毛も逆立っていた。
この時の表情はあまりにも雄弁にその心境を語っていたために、『ザ・衝撃!』という名がついたポスターやフィギュアになって後世に残ることになる。
レポーターは肖像権使用料で大金持ちになったそうだ。
そのフィギュアは当初びっくり箱にも使われたが、心臓発作を起こしたジジババが500人ほど出たために販売禁止になった。
回収を逃れたびっくり箱は『殺人びっくり箱』と呼ばれてネットオークションで高額取引されているらしい……
だがまだ公爵閣下は危機には気づかれていらっしゃらなかった。
「この上は、アメリカも欧州も我が帝国を見習って、貴族制度を復活させたらよかろう。
さすれば国も民も安定した生活と、世界に冠たる国威を手にすることが出来ようぞ」
一気に数万人に膨れ上がった激走裸族が公爵閣下を見つけた。
そして、Tシャツとジーンズ姿のカメラマンは見逃されたものの、公爵閣下とスーツ姿の男性レポーターは、カメラの前であっという間に裸族に吞み込まれ、その仲間にされてしまったのだ。
哀れ公爵閣下は、悲痛な悲鳴を上げながらその紙オムツまでをも剥ぎ取られてしまったのである。
その悲鳴もすぐに消えて行ったらしい……
ウルトラスーパースクープとなったこの映像は、全世界で30億回を超える再生が為されたが、映像名は元々番組として予定されていたものがついていたそうだ。
そのタイトルは『中華帝国貴族街の日常』だったとのことである。
中華帝国共産党が気づいたときには、既に全世界に拡散されてしまったあとだったらしい。
カメラマンはその年のピューリッツァー賞を受賞している。
この『裸族の乱』は、飢餓将兵たちの腹が落ち着くまで3日3晩続き、中華帝国の歴史に残った。
後世の小中学校歴史教科書の年表にも載ることになったのである。
今回の映像もタイ国王陛下を爆笑させたものの、首相、陸海空軍長官、警察大将を白目にさせたらしい。
ことここに至って中華帝国首脳部は戦慄した。
沿岸部の海軍基地は全ての艦艇が出航不能になり、陸軍本部もいつ暴発するかも分からない数千もの砲身と、同じく数千もの同軸機銃に睨まれていて使用不能である。
その上国家の屋台骨であると勝手に思い込んでいる貴族たちもが、壮烈な大打撃を被ってしまったのであった。
全員行方不明になっていた共産党政治局員に代わり、新たに政治局員に就任した者たちは、鳩首協議を開いた。
その結果、まずは全員揃って皇帝陛下にご意思に沿えなかったことをお詫びに行くこととなったのである。
そのときの陛下のお言葉は、
『ん?
確かに朕は民もダンジョンに行きやすくしてやれとは言ったが、なにも国内にダンジョンを持って来ずともよいのではないか?
民が転移門とやらを使いやすくしてやればそれでよいのだぞ?』
だったそうだ……
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
陛下からのお叱りもお怒りも頂戴しなかった政治局員たちは安堵した。
(呆れられたということには気づいていなかったようだ)
だが問題は山積みである。
まずはなんといっても壊滅してしまった海軍や陸軍南西方面軍の立て直しであろう。
このため、国務省に対し、取り敢えず初年度5兆元(≒80兆円)、10年計画で総額50兆元の追加軍事予算を用意するよう命令が下ったのであった。
ついでにそのうちの3割ほどをパクれば、裸族に荒らされてしまった貴族邸の修復をしても十分にお釣りが来るではないか!
どうやら上級貴族でもある党政治局員閣下方は、(中華帝国国内ならば)自分が命令すれば如何なることでもたちどころに叶えられると本気で信じているらしい。
侯爵国務大臣閣下は部下を集め、まずは5兆元の追加軍事費を捻出し、その後も毎年5兆元ずつの追加軍事予算を組むようご命令を下されたのである。
大臣閣下はその後、お気に入りの美人秘書たち10人を連れてカリブ海に1か月の外遊に行ってしまった。
部下への丸投げだが、まあいつものことである。
これを受けて侯爵国務大臣の嫡男である国務次官は逸り立った。
(縁故主義の激しい社会ではこういう人事は当たり前である)
ここは何としてでも目標を達成して、自分の次期国務大臣としての地位を固めておきたいところである。
共産党政治局など上層部への賄賂資金は既に十分に用意してあり、後は多少の実績さえあれば次期国務大臣への昇進は確実であった。
さらに、その実績如何では党政治局員への途も開けるかもしれない。
そうなれば今までとはケタの違う賄賂を集めることが出来るだろう。
次官閣下は局長や部長、課長たちを集めて対策会議を開催した。
このうち局長以上はほとんど太子党、つまり貴族家係累者が占めている。
要は建国皇帝の棺を担いだとされる側近貴族の子孫たちであった。
(因みにだが、中国では日本の2世3世議員も太子党と呼んでいる)←本当!
だが、部長以下の者は、ほとんどが共産主義青年同盟(共青同)出身だった。
彼らは、平民の生まれながら各地の党支部で学び、その後は村や町など小さな組織の統治を経て中央官僚まで這い上がって来た者たちである。
いわゆる政治テクノクラートであった。
国務次官閣下は部下たちに訓示された。
「国務大臣閣下から、ひいては党政治局から厳命が下った。
これは実に名誉なことである。
そのご命令とは、海軍と陸軍を立て直すために、追加で5兆元の臨時予算を用意せよというものだ。
来年以降も10年間この予算編成は続き、総額で50兆元の追加予算になる」
会議室がザワついた。
「そのために余が企画立案した政策を発表する。
各自自分の部局に持ち帰って実行策を上奏せよ。
なに、簡単なことだ。
民への税率を倍にすればよいのだ」
会議室がさらにザワついている。
徴税局長が恐る恐る手を挙げた。
「なんだ」
「恐れながら申し上げます……」
「まさかそなた、余の政策に文句があるのではなかろうな」
「いえいえ!
とんでもございません国務次官閣下。
ですが、そのご政策には皇帝陛下の勅令が必要かと……」
「な、なにっ!
く、詳しく説明せよっ!」
「は、はい。
民への税率につきましては、畏れ多くも建国皇帝陛下がその上限を定められました。
そして、その税率は軍備増強のために現在上限いっぱいにまで達しておるのです。
建国皇帝陛下の勅令を変更するには、今上皇帝陛下の勅令が必要かと愚考致します。
万が一今上陛下の勅令無しに民への増税を行うと、大臣閣下と次官閣下が反逆罪に問われてしまいますが……」
「あ、当たり前だっ!
そ、そのようなことは知っておるっ!」
その場の全員が心の中でそんなことも知らなかったのかよと思っていた。




