*** 384 身体能力測定 ***
各国の首相官邸や大統領府の一角に転移門が設置され始めた。
これに繋がったもうひとつの転移門は、全て国連近傍の円盤施設に設置されている。
国連本部が手狭だったために、アメリカ政府とNY市の了解を得て、国連上空3000メートルにハブ施設が建造されていた。
(結界で覆われているために高山病の心配は無い)
それは、直径2キロに及ぶ巨大な円盤だった。
因みに外周部は全て展望デッキやレストランになっており、国連本部から転移門で観光客も受け入れている。
NY市長は新たに超強力な観光資源が出来てホクホクだった。
このハブではもちろんダンジョンへの入国審査(=入ダンジョン審査)も行われる。
ここではまずパスポートをチェックし、その後に診断と恩寵措置の仕分けが行われることになっていた。
入国審査は全て個室で行われ、入国希望者は入国審査官が映し出されているスクリーンと会話するよう指示される。
もちろん入国審査官は全てテミスちゃんであり、おかげで同時に数万人との会話が可能であって、入ダンジョン審査は極めてスムーズに行われていた。
だが……
「パスポートを開いて画面に向けて下さい」
「なぜワシがそのようなことをしなければならんのだ!
貴様、頭が高いぞ!」
「あの、入国審査を受ける際には入国管理官にパスポートを提示するのは常識ですよ?」
(なにっ……
今までは王族としての外交特権で入国審査などは受けたことは無かったぞ……)
「こ、これは、この部屋に下僕の入室を認めなかったそちらの落ち度である!
即刻ワシを入国させよ!」
「そうですか、それでは入国は認められませんのでお帰り下さい」
「な、なんだとぉっ!」
「自主的にお帰り頂けない場合は転移による強制退去処分になり、あなたの個人情報は入国拒否リストに登録されます」
「な、なななななななななな……」
「パスポートを開いてスクリーンに向けてください」
「ほら」
「ありがとうございます。
アメリカ国籍のモハメッド・ハチさんですか」
「そうだ、早くダンジョンとやらで若返りの施療をせよ」
「あの、あなたは実際にはサウジジーアラビア王国のアル・ワルイーゾ殿下ですよね。
それも王位継承順位第9位の」
「なっ……」
「ダンジョンへ偽造パスポートで入ることは出来ません」
「な、何かの間違いだ!」
「いえ、神界の人物鑑定機能は絶対です。
あなたは偽造パスポート行使の罪により、神界刑務所に3か月留置されますのでご承知ください」
「なななっ!」
「サウジジーアラビア政府は、ダンジョンへの渡航を禁止されていましたが、こうやって犯罪を犯してまでダンジョンに行きたいのなら、まずお国の国王陛下や政府を説得されたら如何でしょうか」
「ぐぅっ!」
「それではお国の王宮府には、偽造パスポートによってダンジョンに入ろうとした罪で、あなたがダンジョン刑務所に3か月収監されるとご連絡させていただきます」
「な、ななな、なんだとぉぉぉぉ―――っ!」
「あなたは中国系カナダ人の平和さんですか」
「そうだ。
パスポートにもそう書いてあるだろう。
早くわしに『若返り』施療を行え」
「いえ、あなたは中華帝国共産党政治局員の大三元さんですよね」
「なっ!
ななな、何かの間違いだ!」
「いいえ、神界の鑑定機能は絶対です」
「こ、ここに100万元の小切手がある!
これでわしを入国させて施療を行え!」
「いいえ、賄賂は受け取りません」
「な……
そ、それならもう100万元出そう!
こ、これでどうだ!」
「金額の多寡に拘わらず、神界は賄賂を受け取らないのです」
「なんだと!
賄賂とは社会常識であり当然の儀礼だろう!
賄賂が通用しない社会などありえん!」
「それがあり得るんです。
ところであなたは偽造パスポート行使の罪で、3か月間神界刑務所に収監されますので」
「なっ……」
「共産党政治局員の方が3か月も行方不明になると騒ぎになりますから、あなたのお名前と収監は皇宮の皇帝陛下宛てにご連絡しておきますね」
「や、やめろぉぉぉ―――っ!」
世界各国の態勢が整うにつれ、ダンジョンを訪れるヒトは急増していった。
だが、その一方で偽造パスポート行使で収監される者も多かったのである。
当初はおおよそ10人に1人の割合で偽造パスポートを使っていたようだ。
その内訳は、最も多かったのが中華帝国高官であり、次いでアラブ諸国の王族や大商人たち、そしてスイスイ連邦の政府高官や企業経営者たちだった。
中にはスイスイ連邦の製薬企業の幹部まで含まれていたようだ。
そして或る日、ダンジョンのHPにこれら偽造犯の名前と写真と国籍と所属と役職が掲示されたのである。
この個人情報暴露については、当該国や各国記者団から人権侵害だとの抗議や指摘があった。
これに対する神界の返答は、
『収監中の犯罪者の人権は一部停止されるというのは銀河宇宙の常識です。
何故なら、彼らは収監されることによって自由という基本的人権の最たるものを停止されているのですから』
『地球社会の犯罪発生率が、同程度の文明社会に比べて100倍、神界認定世界に比べて100万倍に及んでいるのは、こうした過剰な人権擁護姿勢のせいであると神界は分析しています』
であった……
これにより、中華帝国とスイスイ連邦の高級官僚の2割が失脚し、またアラブ世界の王族の3割が王族位剥奪処分を受けたのである。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ダンジョンチャレンジャーになったタイ王国軍人たちは実に熱心だった。
なにしろ、ダンジョンで戦えば戦うほど信じられないほどの大金を手に出来るのである。
ただでさえあのアスラさまのお役に立てる任務である上に、収入まで倍増、いや10倍にも100倍にもなっていたのであった。
「あー、今日もよく頑張ったなー」
「いくら稼いだんだ?」
「今日は3000ドルかな」
「やるなぁ、1日で軍の俸給1か月分以上かよ」
「なあ、あいつなんか元気ないな。
どうしたんだ?」
「ああ、頑張って4000ドル分の恩寵品をゲットしてたそうなんだがな。
あともう少しだけ頑張って5000ドルに乗せようと思って欲をかいてたら、モンスターハウスに突っ込んじまったんだと」
「うっわー」
「それでスライム50匹に寄ってたかってボコられて、10秒で死んじまったそうなんだ。
どうやらそこは、若手スライムたちの集団戦闘訓練場だったらしいんだよ。
なんか微かに『わぁーい♪』とか『やっちゃえー♪』いうスライムたちの念話も聞こえて来てたそうだ」
「な、なんで逃げなかったんだ?
モンスターは逃げるチャレンジャーは攻撃して来ないだろうに」
「それが、50匹ものスライムたちにガン飛ばされた衝撃で、硬直してたんだそうだ」
「うっわわー」
「おかげでそれまでゲットしていた恩寵品が全部パーになったんだと」
「そ、そいつぁ気の毒に……」
「だがまあ明日から地道に頑張れば、それぐらいはすぐまた取り返せるだろう」
「それもそうだな」
こうした軍人たちの様子は、メディアやネットで徐々に拡散して行った。
タイの若者たちの間では、職業軍人になって大金を稼ぐことが目標となり、軍の士官学校の入試倍率は20倍にもなっている。
また、僅かな枠を狙った徴兵抽選では、今までとは違って抽選に当たった者が歓声を上げながらガッツポーズをしているそうだ。
さらにそのうち軍人たちは気づくことになる。
ダンジョンチャレンジャーになった者は、全員が自分の身体能力の著しい上昇を実感していたのであった。
軍はこの身体能力とダンジョン経験の相関性を研究することにした。
すなわち、レベル、ダンジョンで過ごしたのべ時間、モンスターとの対戦数、勝利回数、ドロップ品回収額などと、その身体能力との相関関係を調査しようとするものである。
この研究には大地も興味を持った。
総督隊や互助会隊の初期の鍛錬ではこうしたデータは取っていなかったし、彼らはもはや全員がレベル22以上になってしまっている。
全くの素人がダンジョンでどのように成長していくのか興味深かったからだった。
或る日、大地は国防大臣や国軍総司令官と共に、軍が借り切った国立の陸上競技場を訪れた。
この日は新兵からレベル20にまでなった古参兵の身体能力測定が行われていたのである。
競技場の規格は世界大会が開催出来るほどに完璧であり、100Mの計測ももちろん自動電気計時である。
新兵300名の計測結果は普通だった。
100M走のタイムは、11秒台が1人いただけで、あとは12秒台から14秒台までの平均的な若者の走力である。
だが、ダンジョンチャレンジャーたちの100M走は……
パンパーン!
「コラァ!
お前たちまたフライングかぁっ!
フライングをせぬよう注意せよとあれほど言ったであろう!」
大地は計測指揮官の少佐のところに行った。
「少佐殿」
「こ、これはアスラさま!
このような場所にようこそおいで下さいました!」
「あのですね、現代の電気計時ではスターティングブロックにセンサーがついていまして、スターティングピストルが鳴ってから0.1秒以内にスタートすると、全てフライングとされてしまうんです。
ヒトの反射神経では0.1秒以内に反応することは不可能だとのことで」
「そ、そうだったんですね」
「ですがたぶん、レベル16以上になると反応速度が0.1秒以内になっていると思われますが、如何ですか」
「そう言われてみれば、今計測している者たちのレベルは16から18でした」
「それではフライングチェック機能を外して、フライングか否かは目視で確認されたら如何でしょう。
レベル16以上の方なら動体視力もかなりのものになっておられると思いますので」
「ご教授ありがとうございます!
早速その様にさせて頂きます!」
そして、計測結果は全員が100M9秒台だったのである。
最高は9秒60であった。
この結果には当の古参兵までもが呆然としていた。
フライング問題はともかく、これでは全員がオリンピックのセミファイナリストかファイナリストクラスではないか。
皆、自分の能力に感激し、ダンジョンでの鍛錬に感謝していた。
「まあ、もしも陸上競技会に出るのでしたら、スターティングピストルが鳴ってから0.1秒の間隔をおいてスタートする訓練を行われてからの方がいいですね」
また別の場所では垂直飛びの計測が行われていた。
ここでも新兵たちは平凡な記録だったが、古参のダンジョンチャレンジャーたちは驚異的な記録を叩き出していたのである。
500人の平均はなんと1メートル50センチ、最高は1メートル90センチだった。
もはやハイジャンプの世界記録が狙えそうな勢いである。
実際のハイジャンプはかなりの技術を必要とするために、大会出場は難しいと思われたが。
背筋力や握力の測定でも、新兵と古参チャレンジャーたちとの差は明らかだった。
もはやダンジョン経験やレベルと身体能力の相関は明白である。
なにしろ背筋力計も握力計も、古参チャレンジャーたちが皆破壊してしまっていたのであった。
これについては、後日300キロまで測れる握力計と1トンまで測れる背筋力計を用意して再測定することになっている。
国防大臣が大地に近づいて来た。
「あの、アスラさま、ひとつお願いがございまして……」
「なんでしょうか」
「もしよろしければ教えて頂きたいのですが、アスラさまのレベルはおいくつなのでしょう」
「最近レベル64になりました」
「さすがですな。
それで、皆の前で100Mのタイムを計ってみては頂けないでしょうか。
ダンジョンで鍛錬する皆の励みになると思いまして」
「ふむ、そうですね。
わたしも記録をつけておきましょうか。
それでは少々お時間を頂戴します」
大地はストレーくんの時間停止倉庫に転移し、海岸でストレッチやダッシュをして体を暖めた。
そうしてシャワーを浴びてから陸上用のウエアに着替えてまたタイの陸上競技場に戻ったのである。
実時間では1秒もかかっていない。
「お待たせしました。
それでは始めましょうか」
その場でどよめきが上がった。
今までは法衣に隠されてよくわからなかったが、アスラさまの体躯はとんでもないスーパーマッチョだったのである。
ボディビル世界大会レベルの体であった。
大地がスタート位置に立った。
スターターの合図でスターティングブロックに足を乗せ、クラウチングスタートの姿勢を取る。
けっこうやる気満々であった。
その周囲は1000人を超える数の軍人たちが固唾を呑んで取り囲んでいる。
だがしかし……
スターティングピストルの音と共に飛び出そうとした大地は、その場で盛大にコケてしまったのだ。
観衆が凍り付いた。
新兵の中には堪えきれなかったのかくすくす笑っている者もいる。
「うわぁぁぁっ!」
計測係の将校がスターティングブロックを指さした。
そこにはぐしゃぐしゃに歪んだスターティングブロックの残骸が残されていたのである。
どうやらアルミ合金製のブロックでは大地の脚力に耐えられなかったらしい。
また、スタートライン付近のタータントラックもベロベロに剥かれ、ランニングシューズの裏も全て剥がれていて、辺りにはコゲ臭い匂いまで漂っていた。
その場に驚愕の沈黙が訪れた。
「す、すいません。
次はもう少し手加減してやりますので、あと少々時間を頂けますでしょうか。
大地はまた時間停止倉庫に戻り、新しいシューズに『強化』の魔法をかけてから競技場に戻った。
時間を頂戴出来ませんかと言ったが、やはりこの間1秒も経っていない。
見学者たちの口が開いていた……




