*** 382 ダンジョンチャレンジャー ***
タイ王国は世界でも比較的治安のいい国だと言われているが、それでも黒社会はあった。
そして、彼らのシノギもまた、どの国とも変わらない恐喝、威力業務妨害、キリトリ、ボッタクリなどであり、時には縄張りを巡っての闘争もあった。
その反社会的勢力の構成員たちが、毎日毎日数百人単位で路上や恐喝先などで絶叫しながらのたうち回るようになったのである。
どうも、その構成員はみるみる減っていっているらしい。
また、農村や都市部でも、多くの一般人たちが同じく絶叫しながらのたうち回る光景が見られるようになっていた。
彼らのほとんども神界裁判によって罪状を明らかにされ、神界刑務所もしくはタイ王国の刑務所に収監されている。
もちろん罪状はDV、児童虐待、育児放棄などであった。
これを予想していたタイ王国の警察官と児童相談所職員は全国を回って被害児童たちを保護していったのである。
大地は国王陛下に対して王立児童保護施設への寄付を申し出ていたのだが、陛下はこれを謝絶し、個人資産から追加で1億ドルの資金を拠出していたそうだ。
また、タイ警察は、銃弾の火薬が使えなくなったために、世界各国から新たな武装品を輸入して使用することになっている。
その武装品とは、『暴徒鎮圧用ゴム弾発射機』、『携帯可能な放水銃及び警察車両に搭載した放水銃』、そして『新型テーザー銃器』だった。
これはエアガンからテーザー弾を打ち出すものであるが、その銃弾はワイアレスになっているという優れモノである。
1発につき通常弾丸の100倍の価格になるが、大地からの莫大な寄付があるため特に問題にはならない。
また、このワイアレステーザー銃には、ピストルタイプのもの、ライフルタイプのもの、ショットガンタイプのものまであった。
タイ警察全体にこうした新型武装品が配備され、各地で教習と訓練が行われている。
だがもちろん、ほとんどの暴力行為は『幻覚の魔道具』によって未然に防がれるために、使用される機会はほぼ無いと思われた。
また、この『火薬類不活性化魔法』は、その地域が対象になるため、軍の武器についても同様に火薬・爆薬類が不活性化されてしまっている。
だが、仮に他国が武力侵攻して来たとしても、同様に火器が使えないのである。
長距離巡航ミサイルにしても、タイ国境を越えた途端に推進薬も炸薬も不活性化されてしまうだろう。
もちろんその後ストレーくんに収納されてしまうのである。
唯一の懸念は弾道ミサイルだったが、タイ国軍は元々この種類のミサイルに対抗する地対空ミサイルをほとんど配備していなかった。
そして、弾道ミサイル攻撃への対処は神界が行うという申し出に対し、誰も異論は唱えなかったのである。
国防大臣やタイ国軍司令官は、これで軍の役割はほぼ無くなり、大幅な人員削減は避けられないものと覚悟していた。
タイ王国は元々世界でも珍しい抽選制の徴兵制を行っている。
これは、21歳になった男子に徴兵のための抽選が義務付けられているという制度であった。
(希望すれば女子も参加出来る)
21歳の徴兵該当者の人数が多すぎ、全員を徴兵出来ないためにこのような制度が作られていた。
また、志願すればもちろん軍人になれるが、軍の訓練や規律の厳しさは知れ渡っており、志願する者はほとんどいない。
そして、21歳の徴兵対象者は籤を引き、陸海空軍、および徴兵免除に仕分けされ、籤に当たった者には2年間の軍務が待っているのであった。
徴兵免除を引き当てた参加者はその場でガッツポーズをして大喜びし、徴兵を引き当てた者は顔面蒼白となる。
(徴兵者は20分の1ほどの確率で当たるらしい)
特に訓練が厳しいとされる海軍に当たると、その場で気絶する者も出るほどだった。
この抽選風景はマスコミにも公開され、タイ王国の毎年の風物詩となっている。
軍の縮小を思って肩を落としている国防大臣と最高司令官に大地が声をかけた。
「あの、ところでダンジョンに挑戦してモンスターと戦い、恩寵品を獲得して来る仕事は軍にお願いしたいと思っているのですが、よろしいですか?」
「も、もちろんアスラさまのご命令とあらば、ダンジョンに兵たちを突入させます。
彼らも必ずや決死の覚悟でモンスターと戦ってくれることでしょう」
「あの、『決死の覚悟』は要るかもしれませんが、決して死にませんよ?」
「「 ??? 」」
「ダンジョン内でモンスターとチャレンジャーが戦えば、チャレンジャーが逃げない限り必ずどちらかが死にます。
ですが、どちらも神界の恩寵で生き返るのですよ。
これを我々はリポップと呼んでいます」
「「 !!! 」」
「モンスターの場合は、死亡すると彼らの休息所にリポップします。
チャレンジャーが死ぬと、彼らは生き返って入り口付近の部屋にリポップするのです。
その際にはそれまでの怪我も治っていますし」
「な、なんですと……」
「そのときにはもちろんそれまでに得た恩寵品は失われます。
ですから、或る程度恩寵品を得たら、モンスターとは戦わずに帰還すればいいのですよ。
モンスターたちは、逃げるチャレンジャーは決して襲いませんので」
「なんと……」
「それに加えて、ダンジョンでの死亡は致命傷だけではなく点数制でもあります」
「と、仰られますと?」
「チャレンジャーはHPと呼ばれるポイントを持っていまして、例えばこれが30ポイントあったとします。
モンスターの強力な攻撃を受けて40ポイントのダメージが入ったときには即死判定になってリポップ部屋に戻されますが、そのとき負傷はすべて治癒された状態で戻りますね。
また、弱いモンスターの攻撃力1のダメージを30回負っても死にます。
この場合はほとんど怪我はしていないでしょう」
「ま、まるで模擬戦闘ですな……」
「その通りです。
ですが痛みは当然あります。
ですから、痛みに耐え、モンスターと如何に戦うか、どこまでチャレンジしたら撤退するかなどの判断や努力は必要です」
「まさに最高の対人戦闘訓練ですな。
あ、対モンスター戦闘訓練ですか……」
「はは、モンスターの中にはヒト型もいますよ」
「ほう!」
「火器は使えるのでしょうか」
「今は使えないようにしています。
代わりにこん棒や剣などは使えますね。
その分強力なモンスターが出て来ますけど」
「あの、集団で戦闘することは出来るのでしょうか」
「もちろん出来ます。
連携戦闘のいい訓練になりますね。
ただ、その場合はモンスターも同数出て来ることになりますが」
「なるほど……」
「それでですね、これはわたしからのご提案なのですが、軍人チャレンジャーが獲得した恩寵品は、わたくしに全て買い取らせて頂けませんでしょうか。
それを使用して患者を治したり若返らせたりしますので。
もちろん、代金は国と軍とチャレンジャー個人に支払います」
「なんと……」
「あの、各軍人は恩寵品一つにつき如何ほど代金を受け取れるのでしょうか」
「そうですね、浅い階層、つまりモンスターがそれほど強くない階層でドロップした恩寵品は1つ300ドル、強力なモンスターを倒した際のドロップ品は1つ3万ドルにしましょうか」
「そ、それでは兵たちが皆高額所得者になってしまいますぞ!」
「特に問題は無いのでは?」
「「 ………… 」」
「それからですね、全てのヒトにはレベルという物が存在します。
これは戦闘力、耐久力、意志力、体力、器用さなど全てを包括した概念でして、このレベルが上がるとより強くより速く動けるようになります。
例えば今の地球人類最強はレベル19ですね。
このレベルはステータススクリーンによって自分でも見られるようにしておきましょうか」
「と、ということは、ダンジョンにチャレンジすると戦闘実践訓練になり、より速く強くなり、しかも金銭まで得られると……」
「ああ、あと体が頑健になるために寿命も延びます」
「「 !!!! 」」
「そうですね、レベル20になれば10年は伸びるでしょう。
レベル30になったら20年です」
「そ、それはどのぐらいのペースで強くなってゆくのでしょうか……」
「毎日チャレンジしたとして、1か月でグリーンベレーやスペツナズ相手に徒手格闘戦で圧倒出来るようになるでしょう。
2か月チャレンジしたら格闘技世界チャンピオンですね」
「「 !!! 」」
「あの、ダンジョンには一度に何人がチャレンジ出来るのでしょうか」
「1万人まででしたら余裕です」
「「 !!!!!! 」」
「ダンジョンには誰もがチャレンジ出来るのでしょうか……」
「いえ、最初はある基準に基づいて、わたくしがチャレンジャーを選定させていただければと思っています。
それも当初は軍の方に限らせて頂きたいかと」
「その選定基準とは?」
「すみません、それはしばらくの間だけ秘匿事項とさせてください」
「「 ………… 」」
タイ国軍は、基礎訓練を除いてもはや武器取り扱い訓練はさほどしなくてもよくなっている。
なにしろ火器が使用不能になっているのである。
せいぜい武器の取り扱いを忘れない程度に訓練すればよいのだ。
まあ空軍や海軍は飛行・整備訓練や艦船行動訓練も必要だったが。
そして或る日、全軍兵士にダンジョンチャレンジ説明会が開催され、志願した者の中からアスラさまの選抜によってチャレンジャーたちが決められていったのである。
その中には国防大臣と国軍最高司令官の姿もあったらしい……
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
世界各国の行政府では、神界ダンジョンでの施療を巡って大論争が沸き起こった。
主な論点は、自分たち政府の許認可官庁が認可していない治療や薬剤に対し、貴重な国民保険料を拠出出来るかどうかといったものである。
そもそも法治国家であれば当然の議論であろう。
その中でも神界に対して好意的な国々、すなわちタイ王国はもちろんのこと、インドド、オーストコアラリア、カナダダ、アメリカ合衆愚国、ウクララライナなどは、許認可権を持つ行政府の役人と外務省職員に加えて各種疾病患者をタイ王国に派遣した。
疾病が実際に治癒するのか否かを確認して、速やかに神界による恩寵治療を認可する体制を整えるのが目的である。
このために、同伴する患者の疾病種類と人数は大変なものになっていた。
中には余命数か月と宣告されている小児癌患者が、ベッドごと空軍の輸送機で派遣されたケースもあったのである。
両親は藁にも縋る思いで神界の恩寵に賭けたのであった。
神界に対して特に好意も悪意も持っていない国々のうち、ほとんどの国が神界ダンジョンのHPを通じて治療薬や治療器具のサンプル提供を要求してきた。
だがもちろん、神界側の答えは『ダンジョン外では効果が無いので提供しても意味がありません』である。
それではとダンジョン内恩寵機器調査団の派遣を申し入れたが、これも『ダンジョン内ではあらゆる電子機器が使えませんので』と断られた。
次に『それでは医療費個人負担による自由診療を認めよ』との要求が為されたが、『個人負担にした場合には貧富の差によって治療を受けられない患者が出て来る恐れがあるので、政府保険料負担以外には認められません』と回答されてしまった。
それを受けて、各国では『ならば我が国はダンジョンに於ける医療行為を認めることは出来ず、従って患者の医療費負担も出来ない』との声明を出したのである。
神界側の返答は、『そうですか、それではさようなら』であった。
だがしかし、神界に好意的な国々が調査のために派遣した使節団にはもちろん報道陣も同行していたのである。
しばらくすると、ダンジョンで不治の病を完治してもらった患者たちの喜びの声が世界的中のニュースやネットで流れるようになった。
総数5000人を超える重篤患者たち全員が明日をも知れぬ不治の病を完治して貰い、家族と共に号泣しながら神界への感謝の言葉を述べているのである。
その中には四肢欠損を再生してもらった者も大勢いた。
あの小児癌だった子も自分の脚で歩き、報道カメラに向かって笑顔で手を振っていたのである。
両親はその隣で碌にインタビューにも答えられないほど号泣している。
そして、ほとんどの者たちがその場に跪き、王宮府にあるダンジョン入り口に向かって、各国各宗教の祈りと感謝の言葉を捧げていた。
『ダンジョンでの医療行為は我が国の行政の認可を受けておらず、従って国庫による医療費負担が出来ないために、ダンジョンでの治療は認められない』
としていた多くの国々で、空前の規模の反政府デモが起こった。
そのほとんどが首相や大統領のリコール運動に発展しており、世論調査によれば、これもほとんどの国でリコールが成立しそうな勢いだという。
慌てた各国の指導部は、急遽『特別認可調査団』なるものを組織して、被験体の患者を集めてタイ王国に飛んだ。
そうしてやはり、治癒率100%という奇跡を目の当たりにして帰国したのである。
この被験者たちに掛かる年間国費と予想平均余命を計算した行政府の官僚たちは慄然とした。
まさに神界が会見で述べていた通り、ダンジョンでの治療費は今後の予想医療費の約30%だったのである。
しかも患者もその家族も笑顔に溢れており、今後も選挙で与党に投票してくれるのは間違いないだろう。
こうして、大多数の国々では特例措置法によってダンジョン治療を認めることになっていったのである。




