*** 377 『ダンジョン設置承認法案』 ***
タイ王国で臨時国会が召集された。
議案はもちろんダンジョン設置に関するものだったが、上下両院議長と与党幹部、野党指導者もあの場にいてアスラさまの御言葉を聞いており、法案は圧倒的多数で可決承認される見込みである。
アスラさまのお話の内容については一応箝口令が敷かれていたものの、どうやら神界について世界的に重大な決議が為されるとの観測も広がっていた。
その内容についての記者会見の準備も行われている。
臨時国会召集日にはWebで会見が行われるが、その5日後には全世界から記者を集めてデモンストレーションも行われることになっており、ストレーくんの倉庫には様々なポーションや魔道具が用意されていた。
「首相閣下、採決の見込みは如何ですか?」
「全員賛成とはいかないでしょうが、それでも圧倒的多数の賛成で『ダンジョン設置承認法案』は可決成立する見込みです』
「それは何よりです。
ところで、誠に不躾なご質問で恐縮ですが、首相閣下は英語にはご堪能でしょうか」
「読み書きはなんとかなるのですが、恥ずかしながら発音が壊滅的でして……」
「そうですか、それではこちらのスクロールを手に持って広げて頂けますでしょうか」
「こ、これは何ですかの?」
「これは『言語理解』のスキルスクロールです。
これでスキルを取得されると、あらゆる言語についてネイティブと同等の能力を得られます」
「な、なんと!」
「ですので、法案可決成立後の記者会見は首相閣下に英語でお願いしてもよろしいでしょうか」
「も、もちろんでございます!」
首相はその後、アメリカ人通訳官と長いこと会話をした。
首相の英語能力が突然ネイティブ並みになったことに通訳官は驚愕し、これでは遠からず馘になるものと肩を落としたのである。
俗語表現にはまだ慣れていないようだったが、首相のような公人にはさほど必要は無いだろう。
首相はそんな彼に、もし人員整理をするにしても高額の退職金を用意した上で、サイアム食料への転職を紹介するとも約束した。
首相は彼の真面目な勤務態度に好感を持っていたのである。
首相の紹介があれば、タイ王国内のどんな企業にも再就職は容易だろう。
奥さんがタイ人の通訳官にも笑顔が戻ったようだ。
臨時国会までの5日間、大地はタイ警察と国軍の協力を得て予備調査も行った。
その大地には、警察大将とタイ国軍総司令官、護衛として陸軍特殊部隊の精鋭20名が随行している。
特殊部隊のメンバーは皆あの大洪水阻止作戦に同行した者たちであり、アスラさまとの再びの邂逅に全員が滂沱の涙を流していた。
(シス、この特殊部隊員たちのE階梯は?)
(以前は1.2から2.1の範囲にありましたが、現在では2.5から2.9までの範囲になっています)
(平均は?)
(2.65です)
(そうか。
それにしても、なんでそんなにE階梯が上がったんだろうな?)
(それは、天部の御使いさまが奇跡を起こして祖国を救って下さったのを間近で見たからでしょう)
(なるほどな。
こいつらなら全員がダンジョンチャレンジャーとして最適だろう。
ご苦労だが、他の軍人たちのうちE階梯2.5以上の者たちのリストを作っておいてくれるか)
(畏まりました)
(ところでタイ王国とその周辺の外部ダンジョン化は終わったか)
(はい、タイの領土と、その周辺3000キロの範囲は全て外部ダンジョンになっています。
もちろん海底海中も含めてです)
(そうか、多少時間をかけても構わんので、その範囲を倍の6000キロに拡大しておいてくれ。
あと中華帝国と中東全域もな)
(はい)
(それから対象物のロックオンは終わりそうか?)
(現在タイ王国全域に於いて対象物ロックオン進捗率85%です。
明日には100%となる見込みです)
(わかった。
漏れの無いよう引き続きロックオン作業を続けてくれ。
その後の措置の準備も頼む)
(はい)
大地は警察大将を振り返った。
「代替武装品の選定は進んでいますでしょうか」
「はっ。
現在欧米の武器メーカーからテスト用の品を取り寄せ中であり、5カ国18のメーカーから280種類の武装品が届く予定であります。
使用テストにご参加されますか?」
「いえ、それはプロにお任せします。
費用のことはあまり気にしないでください。
多少高価でも性能重視でお願いします」
「ははっ!」
「また、お渡しした魔道具の効果範囲内でのテストも行い、その魔道具が使用されている環境下での警察武装品の使用という状況でのテストもお願いします」
「畏まりました」
タイ王国国民議会で『ダンジョン設置承認法案』が審議採決された。
下院に当たる人民代表院では定数489のうち、賛成484、棄権5で可決され、直ちに上院に当たる元老院に上程されている。
元老院でも定数250のうち、賛成250で可決された。
尚、人民代表院の棄権者は南部のイスラム教徒が多い選挙区の代表であったらしい。
この法案の可決を受けて、その日の夕刻には直ちに首相による記者会見が行われた。
この会見は英語で行われたが、タイ国営放送を通じて全世界に配信されると同時に翻訳官によって各国語にも訳されている。
「全世界のみなさん、タイ王国首相のオーヤント・ガーナンです。
先ほど、我が国の国会に於きまして、『ダンジョン設置承認法案』という法律が可決成立いたしました。
公布は本日夕刻、施行は明日であります。
このダンジョンとは、我が国を初め世界各国の自然災害をお救い下さり、またアルスという名の異世界を救うために地球で食料を買い付けておられるアスラさまにより造られるものであります。
アスラさまによれば、天界による地球への更なる恩寵だということだそうであります」
国によっては深夜の地域もあったが、それでもリアルタイム視聴者は非常に多く、その者たちは皆静まり返った。
「我々はアスラさまをご任命の上派遣された世界のことを『天界』と呼称しておりましたが、アスラさまによればこれは『神界』と同義であり、以降は神界とお呼びさせていただきます。
まずはその神界よりの使徒であらせられるアスラさまよりのメッセージがございますのでご覧ください」
大地扮する神界よりの使徒、アスラさまのメッセージ放送が始まった。
「地球の皆さま、日頃は異世界アルスの食料調達のためにご協力を頂きまして誠にありがとうございます。
地球での食料購入によりまして、アルスでは北大陸と中央大陸の合計800万人ものヒューマノイドが飢餓死の危機から救われています。
まずは両大陸の民の様子をご覧ください」
画面はタイ国王陛下とバハー首相にも見せた北大陸の映像に変わった。
雪かきの後に風呂に入って寛ぐ白熊族たち、親子連れで食事を楽しむ各種族、そして幼稚園のお遊戯会の映像も流された。
地球の人々は各種族の楽し気な様子を見て硬直している。
なにしろ白熊族やペンギン族やアザラシ族の子供たちが音楽に合わせて一生懸命お遊戯をしているのである。
その姿は身震いするほど可愛らしかった。
画面はダンジョン国の様子に切り替わった。
45もの一般種族やモンスター種族たちが力を合わせて畑で働き、フードコートで食事を楽しみ、親し気に会話している姿は、やはり地球人類の感動を誘っている。
「このように、アルスで採掘した金を地球で売らせて頂き、その資金で食料を調達させていただいたことで、アルスの民にも笑顔が戻って来ています。
ですがまだまだ道は遠く、特に中央大陸ではその全域を覆う不作のために未だ1700万近いヒューマノイドが餓えているのです。
我々はこの状況をさらに改善させなければなりません。
そのために、引き続き地球での食料購入を続けさせて頂きたいのです。
今後ともよろしくお願い申し上げます」
世界各地の農業関係者が安堵した。
少なくとも食料購入停止の発表ではないようだ。
「以上がアスラさまよりのメッセージでございました。
さて、アスラさまより新たに開示を許された神界及び銀河宇宙の情報がございます。
我々人類を含む銀河のヒューマノイドは、それぞれの世界で独自に進化を遂げて参りました。
ですが、そのうち原種になった動物が知性を獲得するのはかなり稀なことなのだそうなのです。
現在銀河系には約8000万の知的生命体居住世界があるとのことですが、そのうち独自の進化によって知性を獲得したヒューマノイドは1%に満たないそうです。
これを残念に思われた神界は、知性を獲得出来る可能性を持った生物に、その獲得を促すプロジェクトを行われていました。
我々地球人類も、このプロジェクトによって5万年前に知性の萌芽を得たとのことです」
全世界の視聴者が硬直した。
「つまり、神界は我々人類の創造主ではありません。
ですが、知性の母であると言うことが出来るでしょう」
視聴者の内の宗教関係者が硬直した。
或る者は神への冒涜だとして激昂していたが、また或る者は感激の涙を流している。
神はおわしたのだ。
「そうした知性を授けるプロジェクトによって、銀河8000万世界で知的生命体が生まれたそうです。
もちろん、このヒューマノイド居住世界も全てが順調に発展して来たわけではありません。
ですが、この8000万世界のうち、およそ10%は充分に平和で豊かな進歩を遂げたとされ、『神界認定世界』としての地位を持っているとのことでした。
この神界認定世界は、そのほとんどが他の認定世界との交流を持ち、さらにはその99%以上が加盟する銀河連盟と呼ばれる組織も作っているそうです。
この銀河連盟の発足は、ちょうど100億年ほど前のことだそうでして、当然のことながらその最も古くからの加盟星は、100億年を超える技術文明史を持っているということになります」
最先端企業と呼ばれる企業の幹部らが仰け反った。
地球との技術格差100億年分とは……
実際にこの宇宙の年齢は145億年と見積もられており、その中で銀河系の歴史も135億年ほどらしい。
一方で地球の年齢は45億歳である。
つまり、銀河系が成立してすぐに出来た恒星系と、地球を含む太陽系では90億年の年齢差があることになる。
そして、地球の場合は20億年近くもの間、真核生物しか存在しない時代があったのだ。
この原因は不明のままだが、ほとんどの世界では真核生物から多細胞生物への進化は数億年で起きていた。
このため、135億年前に成立した恒星系には、100億年の歴史を持つ技術文明が存在していたのである。
中にはその恒星系の太陽の寿命が100億年に満たない世界もあったが、核融合反応操作や他の恒星系への移住によって維持されていた文明も多かった。
「神界の予想によれば、この地球が十分な進歩を遂げて神界の認定世界になるには、如何に努力しても幸運に恵まれても、あと最低で50万年は必要だということだそうです。
ですが、この度のアスラさまのご政策によって、それが1万年ほど早まる可能性が有るそうでございます」
記者会見を聞いていた者たちの多くががっかりした。
銀河連盟に加入するのに、最短でもあと49万年もかかるとは。
「知的生命体居住世界8000万の内、未だ十分に文明が発達していない世界は約7200万ということになります。
このうち1割ほどの世界は資源に乏しく、その資源を奪い合う国家同士が異常に好戦的な世界もありました。
神界は、こうした世界の戦乱を終息させ、平和な進歩を促すために努力されて来られたそうで、数十億年に渡って様々な矯正プログラムが企画、実行されて来たそうです。
その一環として、神界は2万年ほど前に銀河宇宙に『ダンジョン制度』と呼ばれるものも導入されました。
これにより、現地住民にその努力と引き換えに各種資源や超高度文明の製品をドロップ品として広められたとのことなのでございます。
我々の太陽系は銀河の中でも第28象限という宙域に属しているそうなのですが、その宙域でもつい500年ほど前に『ダンジョン制度』が導入されたそうです」
世界でも日本のごく一部の層が硬直した。
よもやダンジョンが現実に存在していたとは。
「神界が決められた大原則として、ダンジョンでその恩寵品を得るためには努力を代償に提供しなければなりません。
今は詳しくお伝え出来ませんが、そうした『努力』を提供することによって、奇跡の恩寵品が手に入るのです」
やはり日本のごく一部の者が、『冒険者ギルド』だの『ドロップ品買取所』などを想像している。
「この恩寵品の詳細については、5日後に予定されている記者会見に於いて神界よりの使徒であるアスラさまよりご説明を頂けることになっておりますので、ここでの詳しい説明は割愛させて頂きます。
ただ、銀河中央部の神界認定世界は100億年近い技術文明史を持っているために、科学も技術も途方もない発展を見せているとのことで、ダンジョンで産する恩寵品とは、すべからくこの銀河の先端技術を用いて作られた物なのだそうです」
世界中の先端技術産業が色めき立った。
その恩寵品を分析すれば、圧倒的な技術力が手に入るかもしれないのだ!
しかも銀河宇宙の知的財産保護法は、神界未認定世界では適用されないらしい。
つまり、先端技術は盗み放題だというのである!




