*** 364 熊頭 ***
あの『勇者用or懲罰用』ゴンドラに挑戦し、1周しても正気を保っていて、泣きも笑いもせずまた股間も濡らしていなかった者には、立派な『勇者バッチ』が授与されることになった。
これにより、多くの若者が挑戦することになったのだ。
どうやらこのバッチをつけてモテようとしたらしい。
だが、現状では全員が撃沈して醜態を晒し、却ってモテなくなっている。
この挑戦失敗者は『心の平穏』の魔道具部屋にて治療を受けさせてもらえるために、白い円柱のある店にもなんとか入れるそうだ。
大地はこのバッチを貰って密かに喜んでいたらしい……
自分も勇者バッチが欲しくなったイタイ子は、変化の魔法で自分を大人の外見にし、ひそかに転移して『勇者用or懲罰用』ゴンドラに挑戦した。
妙齢の美女がハーネスをつけて登場すると、その場で大歓声が沸き起こったらしい。
だが、敢無く轟沈して泣きながら走って帰って来たそうだ。
ゴンドラの回転に合わせてじょびじょばも盛大にまき散らされ、周囲にはやや黄色味を帯びた虹がかかっていたという……
だが、女の子ながらあの絶叫観覧車に挑戦したということで、シスくんが『勇女バッチ』を作ってプレゼントしてあげたために泣き止んだ。
感激したイタイ子に抱き着かれてチューもしてもらえたシスくんは、真っ赤になって立ち尽くしている。
その後イタイ子は、シスくんと共にダンジョン国内で『円柱撲滅運動』を始めているそうだ。
少しでも円柱形状の柱があると、『錬成』で片っ端から四角柱にしていっているらしい。
うっかりいっぺんに何本かの柱を『錬成』で柔らかくしてしまったために倒壊した建物もあったそうだが、2人は大地に見つからないうちに慌てて建て直していた……
続いて行われたゲマイン総合商会本店のお披露目でも、ゲゼルシャフト王国とほぼ同様なことが起きている。
民たちは充分に商会を楽しみ、一生懸命読み書き計算を学んで、いつかはこの店で買い物が出来るようになろうと思ったようだ。
貴族たちは、やはり見事におちょくられて額を青筋だらけにしていたそうだが……
数日後、ゲゼルシャフト王国の旧公爵領都とゲマインシャフト王国の旧侯爵領都にほど近い地にも、国営商会の支店が出来た。
支店と言っても、その広さは1.5キロ四方もあり、またショッピングモールの規模もやや小さいだけであって、双方とも領都を囲む城壁前から送迎馬車が運行されている。
そして……
どちらの支店もモールの屋上にあるのは観覧車ではなく塔になっていた。
それも直径40メートル、屋上からの高さが120メートルに達する巨大な塔である。
(最上部には360度回転可能なウインドカッタ―バルカン砲が目立たぬように配備されていた)
これらの塔の最上部はどちらも広大な展望台になっていた。
高齢者や小さな子供連れの客は塔中央部にある『エレベーターの魔道具』を使わせてもらえる。
その他のひとびとは、塔の内側を螺旋状に昇っていく昇り専用スロープを使うことになっていた。
もちろんこのスロープにはちゃんと壁も屋根もある。
壁にはところどころに窓もあったが、さほどに大きな窓ではなく、それほどの恐怖感は無い。
生まれて初めて高層建築に昇る民たちも、おっかなびっくりではあるが窓に近づいて外を見て歓声を上げていた。
展望台からの眺めも素晴らしい。
遥か離れた王都本店の観覧車も微かに見えるほどである。
展望台の一角には床がガラス張りになった場所もあった。
生まれてこの方ガラスなどというものを見たことが無い民たちは、誰もその上に乗ろうとしない。
たまに若い男がガラスの上に1歩踏み出すが、目を固く閉じて脚をプルプルさせている。
また、何人かの若い男たちが集団でガラスの上に立つこともあった。
だが、その中の1人が調子に乗ってその場で飛び跳ね始めると、そ奴は袋叩きにされている。
軍人や元軍人だらけの国では、注意即拳であるようだ。
この展望台は、あまりに混雑の酷いときのための対策が取られており、それは滞留者が多い時には展望台が揺れるというものだった。
それでもヒトが多いとゴゴゴゴゴという音と共にだんだん揺れが大きくなってゆく。
開店初日はこのギミックのおかげで何とか凌げたようだ。
まあ腰が抜けた連中が白目になって滞留してしまっていたが……
初日以外では意外なことにそれほど人の滞留は見られなかった。
どうやら360度の外周に加えて屋根もガラス張りで、空や遠くの山々しか見えない環境が少々落ち着かなかったらしい。
そのため、訪れた民たちは15分ほど景色を堪能したあとは、すぐに降りて行ってしまうようである。
そして……
下り専用の斜路は2つあった。
塔の外壁に設置された『初級者用』と『上級者用』の螺旋通路である。
初級者用下り斜路は、昇り専用斜路とほとんど変わらなかった。
家族連れなどは展望台の感想などを口にしながら楽しそうに降りて行く。
だが、上級者用は……
まずは、何故か下降路の入り口横が『クリーンの魔道具』を置いた小部屋になっている。
そうして外壁の外側にある斜路に入ると、最初こそ初級者用と同じ黒い色の床なのだが、次第に斜路の外側の床がガラスになっていった。
当初は幅3メートルあった黒い床だが、その外側が、1メートル、2メートルと、どんどんガラスになって行くのである。
ご丁寧に外側の壁も全てガラスになっていた。
最後にはとうとう塔側に残った幅30センチの黒床以外が全てガラスの床になった。
ここを降りようとした者たちは、皆塔側に背を付けてカニのように横歩きしている。
足を踏み外さぬよう常に下を見ているため、否が応でも遥か下のショッピングモールの屋上が目に入った。
モールの屋上からの高度が30メートルほどになり、上級者たちがほっと一息ついたころ、下り斜路では渋滞が発生していた。
「おい、なんでこんなところでつかえていやがるんだよ!
さっさと降りて行けや!」
「そうだそうだ!」
「うるせえっ!
こんなもんが置いてあんのに降りられるかっ!」
「何が置いてあるっていうんだ?」
「こ、この『がらす』とかいうもんの床は、下が透けて見えるがそれでも上は歩けるだろう!
文句あるんだったら『がらす』の床を歩いて降りて来やがれっ!」
「なんだとコラ!
ようし! 降りて行ってやろうじゃねえかっ!」
男は恐る恐るガラスの床に足を置いてツンツンした。
それで床の堅さに納得すると、プルプルしながらも足を踏み出したのである。
「わははは、どうだ俺さまの勇気は!
ようし、このまま降りて行ってやろうじゃねぇか!」
男が降りて行くと渋滞の先頭が見えた。
そうして、その先に見えたものは……
何故か下り斜路の幅が2メートルほどに狭まった場所に、塔の壁に空いた穴から巨大な熊の頭部が突き出していたのである。
もちろん以前大地が大森林で討伐したグリズリーベアの頭であり、それをシスくんが剥製にしたものだった。
そう……
高さも長さも1メートルを超える巨大な熊頭が塔の穴から突き出ていたのである。
「な、ななな、なんだよありゃあ……」
「ほらみろ!
あんなもんが壁から出てるのに降りられるかっ!」
「だ、だけどよ、ど、どどど、どうせ作りもんだろ!
そ、それに壁から離れたところを歩けばいいだろうに……」
「だったらお前が通ってみろ!」
「お、おう!
俺さまが通ってやろうじゃねぇかっ!」
男はガラスの床の上をゆっくりと降りて行った。
巨大熊頭が徐々に近づいて来る。
それは近くで見ても造り物とは思えないものだった。
目は赤く血走っていて、恐ろしい牙の生えた口も少しだけ開いている。
その熊頭のあまりの生々しさに男の脚も竦んでしまった。
「なんでえなんでえ!
やっぱりお前ぇだって通れねぇじゃねえか!」
「な、なんだとコラ!
そ、そそそ、それじゃあ俺さまが通ってやるから、よ、よく見てやがれっ!」
男は脚を震わせながらさらに熊頭に近づいていった。
熊の鼻先から外側のガラスの壁までは1メートルほどの隙間がある。
ギロ。
プルプル男がその隙間に近づいて行ったとき、巨大熊頭の血走った目が動いて男を睨んだ。
「ひいっ!」
「どうしたどうした!
やっぱ怖いんかよ!」
「い、今この熊の目が動いたんだっ!」
もちろんシスくんが仕込んだギミックである。
「嘘つけこの野郎っ!」
「う、嘘じゃねぇっ!」
「はんっ!
そんな嘘をついてまで逃げようとしてやがんのか!」
「な、なんだとこら……
よ、ようし!
俺さまの勇気をよく見ていろっ!」
男はガクガクしながらもさらに熊頭に近づいて行った。
手を外壁のガラスに当ててその硬さを確かめると、外壁に背中を付けて横歩きで慎重に進んで行く。
その体は必然的に熊頭の方を向いていた。
ぐるるるるる……
「ひいぃぃぃぃぃっ!」
「なんだやっぱ怖ぇんか!」
「ち、違うっ!
い、今この熊が唸ったんだっ!」
「はん!
俺には聞こえなかったぞ!
お前たちには聞こえたか?」
「いや、俺にも聞こえなかった」
「俺にもだ」
「ほらみろ!
つまんねえ言い訳してんじゃねえっ!」
もちろんシスくんが仕込んだ指向性スピーカーによる音声である。
「な、なんだと……
よ、ようし、と、通ってやろうじゃねぇかっ!」
そして男が熊頭の真横を通ろうとしたとき。
ぐおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ――――っ!
超大音量の吼え声と共に、熊の口がかっと開かれた。
そうして巨大熊頭が壁から50センチほど飛び出して来たのである!
よく見れば熊の喉の奥に『ドッキリ♪』と書かれた札が貼ってあるのだが、もちろん男にはそんなものを見ている余裕は無い。
自称勇気ある男は声も無くその場で気絶した。
男を見守っていた連中もパニックになった。
「「「 うわあぁぁぁぁ――――っ! 」」」
「「「 お、おかおかおか、お母ちゃぁぁぁぁぁ―――ん! 」」」
「「「 お、おたおたおたおた、お助けぇぇぇぇ―――っ! 」」」
壁に張り付いて見守っていた男たち30人ほどが一斉に上に向かって駆け出したのである。
もうガラスの床も気にせず走っている。
何故かガラスの床はびしょびしょに濡れていたそうだ……
こうした騒ぎは1時間ほどの間をおいて何度も繰り返されたそうである。
その度に上級者用降斜路の入り口横には、失神した男のどアップ顔写真が貼り出されていた。
因みにゲマインシャフト王国旧侯爵領都のゲマイン商会支店では、下り斜路の途中に生えているのはあのワイバーンの巨頭と凶悪な鈎爪のついた両足首だったそうだ……
この塔も、王都本店の観覧車も大評判になった。
おかげでわざわざ両方を見物に来る客も多く、どちらの店も大いに賑わっているとのことである……
噂を聞きつけた総督隊の上級将校たちが、旧侯爵領都のゲマイン商会支店にやって来た。
バルガス少将を先頭にジョシュア准将など幹部たちが勢ぞろいしている。
彼らは展望台まで駆け上がると、すぐに『上級者用』斜路を降りて行った。
もちろんガラスの上を何事も無く歩いている。
彼らにしてみれば、シス殿の仕事に手落ちがあるなどということは考えられないのだ。
全員がワイバーンの剥製の前で立ち止まった。
ワイバーンの目が動いてもワイバーンが吼えても全く動じていない。
「間違いないな。あのときのワイバーンだ。
頭部に微かだが矢傷がある」
「それにしても……
我らもウインドカッタ―は撃てるようにはなったが、この大きさのワイバーンの首をウインドカッタ―の一撃で落としたというのか……」
「それも滑空して来るワイバーンの正面に立ってか……」
「俺たち全員が一斉にウインドカッタ―を放っても、傷はつけられるだろうが首を落とすのは無理だな……」
「さすがはダイチさまだの……」
「あっ!」
「どうしたジョシュア」
「こ、この爪についている血の跡は……」
「なんだと……」
「間違いありません。
これはわたしの血の跡でしょう。
ワイバーンに捕らえられて攫われたときに傷から出たものです」
「なんと……」
「宙を飛ぶワイバーンに同じく宙を飛ぶダイチさまが追い付いて、私を助けてくださったときのものでしょうね」
「生きて飛んでいるこの巨大なワイバーンに向かって行ったのか……」
「さすがはダイチさまであらせられるのう……」
「凄まじい勇気だ……」
男たちはしばしその場で感慨に耽っていたそうである……




