*** 360 国営商会の観覧車 ***
トキシン子爵家の法令違反を暴いた功績で、あのロゴス長官補佐が長官職に昇格した。
ケーニッヒ宰相からの信任は極めて厚いらしい。
そのことを王城の取調室で聞いたトキシン子爵家当主テトロは、今度こそ本当に発狂してしまったそうだ。
破産、平民落ち、捕縛というトリプルコンボに加えて、それを主導して自分を捕縛したのが、あのボツリヌス子爵家の元家令である平民だったということ。
加えてその功績で、宰相府の重職である長官職についたということに、プライドの高い老貴族の精神は耐えられなかったらしい。
今は王城の重罪犯専用牢獄に収監されているが、『この下賤な平民めがぁっ』『無礼打ちにしてくれるわぁっ!』『ワシは高貴な貴族であるぞぉっ!』と、額中に青筋を立てながら日に何千回も喚き散らしているらしい。
この話を聞いたボツリヌス法衣上級子爵家の面々は、嘲笑うどころか全員が顔面蒼白になったそうだ。
まさにあの元家令のロゴスが言った通り、トキシン子爵家はダイチ最高顧問の罠に嵌って滅んでしまったのである。
それも読み書きが出来ず、国法の内容も知らなかったばかりに。
しかも、手を下したのは、今は宰相府法衣貴族監督部の長官にまで出世したあのロゴスだったのである。
それ以降、彼らはすっかり大人しくなって見栄を張ることもなく、国の読み書き学校にも通い始めているそうである。
またこの話は、『読み書き計算を勉強しないとテトロ・ド・トキシンになっちゃいますよ』という教訓話として、アルスの歴史に残ったという……
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
シスくんが造っていたゲゼル総合商会とゲマイン総合商会の本店が完成した。
その建物は完成まで認識阻害の魔法がかけられ、誰にも気づかれていなかったようだ。
だがまあ、構造物のほとんどはストレーくんの中で組み立てられており、現場ではそれを出して『錬成』で融合していくだけだったので、完成まではたったの24時間しかかからなかったのだが。
そして……
「な、なんだよあれ……」
「あの丘には国営商会の本店が出来るって聞いてたけど、もう出来たのか……」
「と、ところであの建物上にあるデッカい丸いものはなんだ?」
「さ、さあ?」
(シスに任せていた観覧車だが……
これどう見ても直径120メートルはあんぞ……
みなとみらいのコスモクロック21よりデカいぞ……)
「な、なあシス、随分大きな観覧車を造ったんだな……」
(ええ、これだけ大きければ王都からも良く見えるでしょう♪)
「ところで観覧車の固定部分の上の方に、何か四角い箱とそこから突き出した棒が見えるんだが……」
(あれは北側と南側に取り付けたバルカン砲です♪
風魔法の刃を1分間に2000発ずつ撃てるものでございますね。
これだけ高い構造物ですと、ワイバーンが攻撃してくる可能性もございますので。
射撃可能範囲はそれぞれ上下左右180度、有効射程は1万5000メートルです♪)
「だ、だけどそれでバラバラになったワイバーンが街に落ちたら被害が出るぞ」
(それはストレーさんが空中で収納して下さいます♪)
「そ、そうか……」
(せ、せっかく作ったんだから、飛んでる状態のワイバーンを収納する方が楽なんじゃないかっていう指摘はしないでおいてやろうか……)
目立たないように設置されたバルカン砲の下には、王都の方向に向けた巨大なデジタル時計もあった。
この時計には日付の表示もついている。
これで王都の住民も、南の方角を見るだけで正確な時刻と日付を知ることが出来るようになったのである。
因みにだが……
地球でも昔はほとんどの国が太陰暦、すなわち月の運行を基準にしたカレンダーを採用していた。
だが、太陰暦は春分点や秋分点を基準にする太陽暦とは異なり、季節の反映には少々狂いが出てしまうのである。
この為に、農事暦としては太陽暦の方が優れている。
にも拘わらず、古代社会は軒並み太陰暦を採用していたのだ。
イスラム世界では今でもヒジュラ暦と呼ばれる太陰暦が使われている。
よって、西暦と比較すると毎年10日ほどズレも生じているのである。
このため、イスラム暦1月は冬であるという暦と季節感を結び付ける感覚は無い。
それでは何故古代社会は太陰暦を採用していたのか?
これは、どんな貧乏人でも、夜空を見上げればそこにカレンダーが輝いていたからだと考えられている。
特に中東地域では空が曇ったり雨が降ったりすることも無く、また赤道に近い分季節の変化も乏しい。
誰もがタダでカレンダーを利用出来るため、太陰暦が使われていると思われる。
古代日本でも暦というものは非常に高価だったのである。
サウジジーアラビアなどは、政府の公式暦や会計年度として西暦を採用したが、それでも西暦移行からまだ10年ほどしか経っていない。
貧乏人閑話休題。
「そ、それからなシス。
なんかぶら下がってるゴンドラが少し不ぞろいに見えるんだが……」
(はい。
初心者用と初級者用と中級者用と上級者用に加えて『勇者用』も作らせて頂きました♪)
「『勇者用』?」
(今運転させますので、ご視察頂けますでしょうか)
「あ、ああ……」
(動力係チームのみなさん、始動をお願い致します)
「「「 はっ! 」」」
観覧車の基部にある小屋で、12人ほどの男たちのうち3人が3台の自転車を漕ぎ始めた。
どうやら交代で観覧車を動かす動力要員らしい。
(やっぱり……)
自転車の回転は、チェーンとギアを通じてまずフライホイールに伝達され、そこから観覧車を動かす小さなゴムタイヤに繋がっている。
最初は360:1というギアを使っているようだ。
普通にペダルを回転させると1秒間に2センチ弱ほど観覧車が動くらしい。
次第にシフトチェンジして20:1になると秒速24センチで動いていた。
この速度ならば、観覧車は1周25分ほどで回るだろう。
客が乗り込むには少しスピードが速いかとも思えたが、客の乗り込む場所はベルトウェイになっており、相対速度はほとんど無い。
大地が見ていると、『初心者用』と書かれたゴンドラが降りて来た。
それは8人乗りの箱だったが、床や屋根のみならず、周囲もほとんど壁に覆われていて、窓は前後左右に4つついている。
その窓も縦30センチ、横50センチとさほど大きくない。
(この初心者用ゴンドラでしたら、子供連れのお客さまでも安心してお乗り頂けると思います♪)
「あ、ああそうだな……」
次のゴンドラは『初級者用』だった。
これは初心者用と同じ形だったが、窓が大分大きい。
窓というよりは、上半分がほとんど全てガラス張りになっていた。
(初級者用でこれということは……)
次の『中級者用』は骨組みだけ金属で、屋根も床も椅子も壁も強化ガラスで出来ていた。
(…………)
そして、次の『上級者用』ゴンドラには壁が無かった。
屋根と椅子と床しか無い。
その椅子と床ももちろんガラスで出来ている。
客が乗り込むと、係員が安全バーを降ろしてやる構造になっていた。
(………………)
(このガラスの床は、ゴンドラの高度が30メートル以上になると下に抜けます♪)
(!!)
(足が床から離れますので、それなりのスリルも味わって頂けるでしょう♪)
「あ、ああ、そうだな……」
次のゴンドラはまた『初級者用』だった。
「ん? 『勇者用』じゃないのか?」
(勇者用は利用者が少ないと思いまして、全部で70あるゴンドラの内1つしかございません。
ダイチさまには是非『勇者用』をお試し願いたいです)
「か、構わんが……」
(それでは準備してお待ちくださいませ♪)
(準備?)
係員が何かベルトの塊のようなものを持って来た。
(なんだこれ?)
「ただいま『はーねす』を付けさせて頂きます」
(ハーネス?)
係員は大地にハーネスを装着させると、6か所ほどのベルトを締めていった。
そのハーネスには、上方と背中に2つカラビナがついている。
ちゃんとロック機構付きのカラビナである。
(すげーヤな予感がしてきた……
俺の危機察知スキルが最大音量でアラーム鳴らしてるぞ……)
そうして、間もなく『勇者用』と書かれたゴンドラが降りて来たのである。
何故かその前後のゴンドラとはかなりの間隔があった。
(いやこれゴンドラじゃねぇだろう……)
それは観覧車本体からぶら下がった太い金属の円柱だった。
その白く塗られた柱の下には丸い皿のようなものがついている。
「ステップに乗って、円柱に背中を付けて頂けますでしょうか」
「あ、ああ……」
大地がステップに乗って柱に背中を付けると、係員がカラビナを円柱の上と下についているベルトに固定した。
ベルトの数からすると、一度に4人が乗れるらしい。
「いってらっしゃいませ」
何故かワクテカ顔になっている係員が恭しく言った。
間もなくゴンドラというか、ステップ付きの柱が観覧車の回転と共に上に上がり始めた。
(うーん、さすがは『勇者用』だ、これはなかなかのスリルだな……
手摺すら無いとは……)
ういぃぃぃ――ん。
そして、地上15メートルほどになると、ステップが下に降りて行ったのである。
(うおっ! お、俺カラビナにぶらさがって浮いてんぞ!
こ、これ、遊園地なんか行ったことの無いアルスの住民には、かなりキツイんじゃねぇか!)
さらに地上30メートルになると、カラビナを繋いだ円柱が前後に揺れ始めた。
(な、なんだこれはぁっ!
お、俺なんかシスに恨まれるようなことしてたかぁぁぁぁぁっ!)
そしてさらに……
(ああああ…… 揺れが大きくなってきたぁっ!)
揺れが大きくなると、Gがゼロ近くから2G弱まで変化するようになっている。
そして高度が60メートルを超えると……
大地を繋いだ円柱が、とうとうぐるんぐるんと縦回転を始めたのである……
(あああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ―――っ!)
柱ゴンドラが高度80メートルに差し掛かるころには、その回転はさらに激しくなり、大地の体には優に3Gの重力加速度がかかっている。
さらには、円柱が自らを軸として回転も始めたのだ!
それも高度100メートル地点からである。
大地の視界は360度上下に揺さぶられていた。
伸身300回宙返り100回ひねりである。
(ぬおぉぉぉぉぉぉぉぉぁぁぁぁぁぁぁぁぁ―――っ!)
天頂部を過ぎて高度60メートルに降りた柱は回転をやめ、前後の揺れに戻った。
そうして高度を下げるごとに揺れも収まり、最下部に戻って来た時にはステップもまた上がって来たのであった。
(はぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁ……
き、『恐怖耐性レベル10』の俺でも限界ギリだ……
何故観覧車が絶叫マシンになってるんだ!)
「さすがでございますダイチさまぁっ!
今朝我ら互助会隊の者が実験台になりました時には、10人中9人が失神し、そのうちの6人が失禁もしておりましたのに!
ダイチさまは、なんともないとは!」
「…………あとの1人はどうなっていたんだ?」
「なぜか大声でずっと笑い続けていました。
それで治癒の魔道具のある部屋に担架で連れて行ったところ、ようやく笑うのを止めたのです。
途中柱が揺れ始めた辺りからの記憶も無いそうで……」
(発狂したのか……)
「それで、その後も円柱を見ると突然指を突き付けて笑い始めるようになってしまいまして……」
(後遺症も残ったか……)
「後で俺のところに連れて来てくれ。
レベル10の治療魔法と心の平穏の魔法をかけてやろう」
「はっ!」
「おいシス!」
(はい♪
さすがはダイチさまでした♪
それで如何でございましたか?)
「その前に、お前はこれを試したのか!」
(い、いえ、まだですが……)
「ここに分位体を転移させて来い!」
(えっ……
そ、そそそ、それって……)
「いいから来いっ!」
(は、はい……)
転移して来たシスくんの分位体に、大地は黙ってハーネスをセットした。
「代わってくれ」
「「 は、はい…… 」」
大地は動力用の自転車に跨ると、レベル63のパワーをフルに発揮して自転車を漕ぎ始めた。
足が見えないほどの速度でペダルが回っている。
動力係の男たちの口が開いていた。
すぐにまた『勇者用』のゴンドラが降りて来ると、大地は無言でシスくんを抱えて柱に繋いだ。
「あ、あの……」
「お前も楽しんで来い!」
地上15メートルになってステップが下がり始めた辺りで、早くもシスくんの笑い声が聞こえ始めた。
(ハイパーAIの分位体すら発狂させたか……)
その笑い声は、ゴンドラ柱が上がって行くにつれてますます大きくなっている。
そして、25分後。
降りて来たシスくんは、白目になりながらもまだ笑い続けていた。
皿状のステップにはなぜか液体が溜まっていて、口からは舌もハミ出ている。
大地がカラビナを外してシスくんを下ろし、クリーン魔法と治癒の光魔法をかけてやると、シスくんはようやく笑うのを止めた。
「なあシス、どうだった?」
「そ、それが、途中から記憶が無いんです……」
「そうか……」
それからしばらくの間、シスくんは円柱を見ると怯えるようになったらしい……




