*** 358 貴族家の生き残り戦略 ***
ボツリヌス子爵家家令ロゴスの静かな激白は続いていた。
「かのお方の深謀遠慮の一端を申し上げます。
この国では、ケーニッヒ侯爵閣下を除いて全ての貴族家の方が王家より借り麦を受けられました。
あの麦は、元々ダイチ閣下のものだったのです」
「!!!!」
「それを王家に無利子無期限で貸し出され、王家経由にて無利子で返済期限年末として貴族家に貸し出すようご提案為されたそうですね。
無利子にすれば、貴族家はこぞって必要以上に麦を借り、返済が出来ずに法衣貴族化に応じるか内乱を起こそうとするだろうと読まれていたそうです。
そうなれば、どちらに転んでも貴族家の力を大幅に削減出来るという目論見だったのでしょう」
「「「 ………… 」」」
この辺りは現代日本の『コロナ情勢下に於ける事業存続のための政府特別融資』に似ている。
無利子と聞いて喜んだ中小企業のオーナーたちがやはり必要以上にカネを借りまくったのだ。
無利子というものは、それほどに魅力があるらしい。
そうして、そのカネを株式市場に突っ込んだために、コロナで景気が最悪に落ち込む中でも全世界で株式市場が爆騰していったのである。
もし株式市場がこれ以上上がらず、返済期限が来たらどうするのだろう……
中小企業オヤジ閑話休題。
「ここで重要なことは、あの貸し麦制度が出来たときには、未だデスレル帝国が滅んでいなかったということなのです。
このことに気づいたときには、恥ずかしながらわたくしの脚が震えてしまいました。
つまり、ダイチ閣下は、あの借り麦制度を作られた時点で、既にデスレルを滅亡させることを予定されていたということになります。
デスレルが存続したままでは、この国の国軍や貴族軍を解体させるわけにはまいりませんから。
ということは、秋ごろまでにデスレル滅亡を予定されていたのであり、そして実際に滅ぼされたのです」
「「「 !!!!!!! 」」」
「し、しかしだ。
なぜあ奴はそこまで貴族を目の敵にしているのだ……」
「あの、お貴族さまとその領軍は、『非生産人口』と言うそうなのです。
つまり富や財を何も生産せずに食料だけを減らすものという意味だそうなのですが。
国単位で見ると、王族貴族さまと国軍、貴族軍を合わせた数字がこの『非生産人口』になります。
そうして、この非生産人口の限界は、総人口の5%までだというのですよ。
つまり、国の民100人につき5人の割合が限界だということです。
この割合が5人を超えると民が餓え始め、王族貴族の方々の権威が脅かされるために、侵略戦争などの必要が出て来るそうです。
実際にデスレル帝国では、この割合が100人中35人にまで達していまして、そのために常に侵略戦争に明け暮れなければならなくなったのですね。
要は侵略のための軍備、つまり非生産人口を増やし過ぎたせいで、ますます侵略の必要が出来てしまったということなのです」
「そ、そうだったのか……」
「そして実はかのお方は、このアルス中央大陸から戦を無くして民を豊かにするという使命を帯びて、異世界からやって来たらしいのでございます」
「な、なんだと……」
「また、この中央大陸には、王も貴族も軍人もいない奇跡のような国がひとつありました。
皆さまもご存じのサウルス平原の北部にある国というか村で、つまり『非生産人口』がゼロの国です。
その国では、大陸全域が大不作に見舞われる中でも、税が無いために民が餓えていなかったのですよ。
それでかのお方は考えられました。
『もしも王族と貴族がいなくなれば、戦は無くなって民は豊かになるに違いない』と」
「「「 !!!!!!!!!!! 」」」
「もしくは、『貴族家が領兵を維持出来なくなる法衣貴族家になればいい』とも思われたようです。
もちろんデスレルの皇帝や貴族がそのようなことを受け入れることは有り得ません。
ですからかのお方はデスレル帝国そのものを滅ぼされたのです」
「なんと……」
「そして……
かのお方が滅ぼされたのはデスレルだけではありません。
王族貴族がどうしようもなく好戦的だった国、実に55カ国をも滅ぼされています」
「な、ななな、なんだとぉぉぉっ!」
「ですがご安心ください。
ダイチさまは絶対にヒトを殺しませんので、それらの国々の王族皇族貴族家関係者は、全てあの方の国の牢に収監されているそうなのです。
その総数は、なんと2万人に達せられたとか」
「「「 ひぃっ! 」」」
「そ、それだけで国が作れる人数ではないか……」
「そうです。
もうお分かりでしょう。
かのお方の目的はまず戦を無くすことであり、そのために最適な手段は王家貴族家を無くすことだったのです。
もしくは法衣貴族化による無力化ですね。
領地王家も領地貴族もいなくなれば民は飢えなくなりますから。
ということで、そうした目的をお持ちになっておられ、デスレルを予定通り滅ぼせるほどの武力も持ち、あれだけの法を起草出来る頭脳をもお持ちの方が、本気で貴族家を滅ぼされようとしているのです。
もしくは法衣貴族にしてその権勢を徹底的に低めようと」
「な、なんということだ……」
「そして、もうひとつご留意いただきたいことがございます」
「な、なんだ……」
「今上国王陛下もケーニッヒ侯爵も読み書きはたいへんにご堪能です。
そして、何度も何度も新国法を読み込まれたあと、自らのご意思で陛下は法衣国王に、侯爵閣下は法衣侯爵になられたのです」
「「「 !!!! 」」」
「そうです。
陛下も閣下もこの変革を受け入れられたのですよ。
国の非生産人口を民100人に付き5人までに抑えるには、国軍も近衛軍も領軍も大幅に削減するしかないと。
そして、法衣王家年金と法衣侯爵家年金で生きて行くためには、侍従侍女も減らさねばならないとも」
「「「 ………… 」」」
「ご当主さま方は、法衣王家や法衣侯爵家が抱えようとしている家臣の数をご存じですか?」
「い、いや……」
「陛下も侯爵閣下も、その家臣は30名にされるそうです」
「「「 !!!! 」」」
「それを法衣子爵家が200名の家臣を抱えるなど、無謀、いや暴挙以外の何物でもございませんぞ」
「「「 ………… 」」」
「また、その際に最も重要なことは、家臣としての職を失った者を失業者にしないことだそうでした。
失業者が増えると国が乱れますので。
そのために国が取った方策が、あの模範村と国営商会の設立だったのです。
現在我が国にある模範村は4か所ですが、その4つしかない村の石高は他の全ての貴族領の石高を上回りました。
その凄まじい生産力を誇る模範村を、あと12か所も作るそうです。
これだけで、優に1万2000名の民の職場が出来るでしょうし、同時に我が国の石高も80万石に達するでしょう」
「は、80万石……」
「さらにゲマイン国営商会を設立することによって、ここでも数千人の雇用を確保出来ます。
要は、どれだけ貴族家を潰しても、また潰された貴族家の家臣が職を失っても、その家臣を吸収出来る職場は既に用意されているのです。
そして……
さらに恐ろしいことに、画期的な新農法を持ち込んで模範村を建設したのも、国営商会にその素晴らしい商品を卸して実質的に経営を行うのも、どちらもダイチ閣下のなさることだったのです」
「「「 !!!! 」」」
「これでもう、あのお方さまは、心置きなく貴族家を潰せますね」
「そ、そのダイチとかいう若造は、なぜそのような力を持っているというのだ!
爵位も持っておらんだろうに!」
「あのお方は、ダンジョン国という国の代表です。
まあ実質的な国王陛下ですね」
「ど、どうせ吹けば飛ぶような弱小国だろう!」
「その国土面積は約30万方キロ、これは我が国全体の36倍になります。
人口は現在40万人に達したそうで、我が国の10倍以上です」
「「「 !!!!! 」」」
「それ以外に、自国の国民ではないものの、食料と住居を与えて保護している民が約280万人、賃金を払い食事も提供して雇っている他国の民が250万人いるそうです。
合計で570万人ですね。
この大陸の住民総数は約2500万人だそうですから、かのお方はその5分の1以上を影響下に置く大陸最大の勢力の長と言ってよろしいでしょう」
「そ、その国の石高は!」
「ダンジョン国の石高は100万石を越えたところですが、それ以外にダイチ殿は個人財産として1000万石の麦をお持ちだそうです」
「「「 !!!!!! 」」」
「さらに金貨は大樽で4000杯分、鉄貨は1000杯分お持ちだそうですね。
よろしいですか。
金貨4000枚ではなくて、金貨を詰めた大樽を4000個なのです。
我が国の金貨を全て集めても大樽1杯にもならないでしょう。
この莫大な量の金貨の一部を我が国に無期限無利子で貸し付け、その資金で法衣貴族化を推進されようとしたのですよ」
「き、金貨大樽4000杯……」
「て、鉄貨大樽1000杯だと……」
「因みに、それほどまでの富と民をお持ちのダイチ殿の家臣の人数は何人ほどだと思われますか?」
「い、1万、い、いや2万か……」
「いいえ、たったの11人だそうです」
(内訳:イタイ子、シスくん、ストレーくん、テミスちゃん、シェフィーちゃん、淳、スラさん、良子さん、静田氏、須藤氏、佐伯氏。
タマちゃんは居候枠もしくはお友達枠)
「「「 !!!!!!!!!! 」」」
「そのことを聞かれた国王陛下と宰相閣下は、それぞれ家臣を30名も抱えることに恥じ入られたそうです」
「「「 ………… 」」」
「ですがまあ、王族の方々と侯爵家の方々が、仕事に就かれるか炊事洗濯馬の世話を覚えるまでの措置であり、ゆくゆくは10名になさるおつもりだとか」
「なんと……」
「よろしいですか。
そうした方々が本格的に非生産人口を減らす政策を始められたのです。
よって、これからは貴族家にとって、家名と生き残りを賭けた戦いが始まるでしょう。
その相手は信じられぬほどの強敵です。
とてもではないですが、見栄など張っている場合ではございません。
貴族として生き延びるためには、権勢どころか何もかもかなぐり捨てて全力を尽くさねばならないのですよ」
「わ、わわわ、我らは、ど、どうすればよいのだ……」
「まずは先ほど申し上げた家臣を最高でも20名までに削減することです。
出来れば10名以下がよろしいでしょう。
次に、少ない家臣でもやって行けるように、貴族家の方と雖も炊事洗濯馬の世話なども覚えて頂かねばなりません」
「なんだと!」
「貴族家に連なる我らにそのような下賤な仕事をせよと言うのかっ!」
「先ほど、全ての見栄を投げ捨てて全力を尽くさねばこの貴族家が滅ぼされると申し上げました。
もうお忘れですか?」
「あう……」
「『炊事洗濯など高貴な身分の貴族が出来るか!』と仰られているうちに、その身分が平民に落とされるのです。
そうなれば、元お貴族さまでもご自分で炊事洗濯をし、働きにも出なければなりません。
すなわち、どちらにせよ炊事洗濯は覚えなければならないのです」
「あうあう……」
「だ、だが、そのような仕事は家臣20名にさせればよいだろうに!」
「それでは家臣たちにとって酷い重労働になってしまいます」
「そのようなことは当たり前だろう!
なにしろ家臣なのだからな!」
この辺りの発想は社員を家臣や下僕と見做している現代日本のブラック企業社長と同じである……
古今東西世界を問わず、雇用者の発想は変わらないのだ。
「新国法では『被雇用者は、雇用者に対し職を辞する申し出をすることが出来る』とあります。
従業員にあまり重労働を命じられていると、皆辞めてしまいますよ。
家臣が皆辞めてしまったら、皆さまのお食事は誰が作るのですか」
「「「 !!! 」」」
「そ、そのようなこと……
辞職を申し出るような家臣はみな無礼打ちに…… あ……」
「そうです。
そうなれば貴族家を改易に追いやることが出来て、ダイチ閣下の思うツボですな。
それに、そうなれば国もその貴族に年金を払う必要が無くなって助かりますし」
「なんということだ……」
「さらに、新国法20条では、雇用者は従業員を日に8時間以上働かせてはならないことになっています。
また、5日働くごとに1日読み書きの学校に通わせ、1日は完全な休みにすることも義務付けられていますね」
「な、なんだと……」
「そして、もし家臣を20名に削減するとすれば、それは残りの180名は雇用者都合の退職ということになります。
その場合、新国法には1月分の給与、つまり1人につき銀貨6枚を払わねばならないと記載されているのです。
これは、非雇用者への迷惑料兼次の仕事が見つかるまでの生活費という意味があります。
それが180人分ということは、合計で金貨10枚と銀貨80枚になりまして、これだけで法衣貴族年金の3分の1が飛んでしまうのですよ」
「そ、そのような法は知らんっ!
よって無効であるっ!」
「いえ、ご当主さまは『新国法を遵守し』と記されている法衣貴族化受諾契約書にご署名なさったのです。
ということは、当然国法の内容を知っていると見做されるので、知らなかったという言い分は通りません。
これを払わないと、やはり国軍に家屋家財を差し押さえられて競売にて現金化され、退職する従業員に配られます」
「ち、父上はそのような法を遵守するという書面に署名したというのか!」
また全員が当主を睨みつけている。




