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*** 357 ロゴス家令 ***

 


 ロゴス家令が退出しようとするのをボツリヌス子爵は慌てて呼び止めた。


「ま、待てっ!

 お前には何か解決策があると申すか!」


「もちろんございます。

 ですが、無礼打ちを避けるために、口にするのは憚られますので」


「ええい! 申さねば無礼打ちに! あ……」


「それでは失礼いたしますです……」


「ま、待てっ!

 おい息子たちよ!

 この者を拷問にかけて解決策を吐かせよっ!

 殺しても構わんっ!」


「父上っ! それは我らに獄に繋がれろということですか!」



 ロゴス家令は静かに微笑んだ。


「ご長男さま、ご安心くださいませ。

 ご長男さまが捕縛された際に、ご当主さまに命じられたと仰られれば、ご当主さまも同様に獄に繋がれます」


「ええい莫迦者ぉっ!

 お前を無礼打ちにしたことを隠しておけば、そのようなことは有り得んわっ!」



 ロゴス家令はさらに微笑んだ。


「あの、実はわたくしの甥が国軍におりまして、このお邸に近い駐屯地に新国軍の将校として赴任しておるのです。

 それで、先日その駐屯地を訪れまして、週に1度わたくしの姿を見せて安否を確認してもらうよう依頼致しましたのですよ。

 もしわたくしが姿を見せなければ、国軍がこのお邸に査察に入ることになっております。

 ですので、誠に遺憾ながら、わたくしを無礼打ちにしたことを隠すのは不可能かと」


「な、なんだと!

 き、貴様そのような手筈まで弄していたのかぁっ!」


「はい。

 わたくし以外にも、国法で無礼打ちが固く禁じられたことを知った多くの者が、同じようなことを行い始めております。

 それでわたくしたちは、配下の侍従侍女下男下女たちの生存確認も代行するようになりました」


「な、なに……」


「また、それを知った国が、貴族に仕える者に対して新たに安否確認業務を検討してくれています。

 週に1度か月に1度、王城に出向くことで無礼打ちになっていないことを確認してくれるそうなのですよ。

 なにしろ今までは貴族家も各領地に散らばっておりましたが、これからは王都に固まって住むようになりましたので、便利になりました」


「わははははは―――っ!

 莫迦めぇっ!

 ここは貴族邸だ!

 国軍の将校ごとき平民が査察などに入れるわけは無かろうっ!」


「あの、ひとつご指摘させて頂けますでしょうか……」


「なにっ!」


「新国法には、殺人など重罪の疑いがあった場合、平民と雖も新国軍は貴族邸に査察に入ることが出来るようになったと記載されています」


「な、ななな、なんだと……」


「そして……

 新国軍は、新国法により貴族の捕縛権限を与えられておるのですよ。

 ですから、もしわたくしを無礼打ちに為された場合には、新国軍がこのお邸に大挙して査察に入り、まずは証人として皆様全員が拘束されて取り調べを受けることになります」


「「「 !!! 」」」


「そして、無礼打ちを命じられた方と、実際に手を下された方は終身刑囚として牢獄に入れられることになるでしょう」


「「「 !!!!! 」」」


「もちろんその貴族家は取り潰されて全員が平民落ちとなります。

 また、無礼打ちを止めずに傍観されていた方も捕縛されますが、こちらは牢に数年入れられるだけでしょうからご安心くださいませ」


「「「 な…… 」」」

 

 

「それで、如何為されますか。

 降爵や爵位剥奪を避けるための方策をお聞きになられたいですか?

 それとも御不快な思いをされるのがお嫌でしたら、わたくしはこのまま下がらせていただきますが」



 その場の全員が当主の顔を見た。


「し、ししし、仕方あるまい。

 その方策とやらを申せ!」


「その方策が如何なるものであろうとも、無礼打ちはもちろん、あらゆる懲罰を与えないというお約束を頂戴出来ますでしょうか」


「な、なんだとこの無礼者めがぁっ!」


「それではこれで下がらせていただきます」



 子爵夫人が口を開いた。


「あなたはボツリヌス子爵家最後の当主になるおつもりですか?

 私や息子や娘たちが平民に落とされても構わないと。

 これは、フォッケウルフ伯爵家の4女として、父上にも報告に伺った方がよろしいですね」


「ま、待てっ!

 わ、わかった!

 約束する!

 お前が如何なることを口にしようと、罰することは無いっ!」


「ありがとうございます。

 実は方策と申しましても、簡単なことばかりなのでございますよ。

 まずは200人もの家臣を召し抱えられるのではなく、せいぜい20人、出来れば10人までにされるのがよろしいかと」


「そ、それでは貴族家としての権勢が保てんではないか!」


「あの、貴族家の権勢とはなんでございましょうか」


「お前はそんなことも知らんのか!

 まずは武力を維持することだ!」


「あの、法衣貴族家には、有事の際に国王陛下に武力を提供する義務がございませんが」


「なに……」


「あの大城壁が出来、デスレルが滅んだ今となっては、軍そのものの必要が無くなっているのです。

 ですから、国軍の兵の数も1000人ほどにまで大幅に削減されるそうでございます。

 新国法のどこを読んでも、法衣貴族家に軍事力提供の義務があるなどと書いてございませんし」


「だ、だが貴族家に権勢が無ければ農民共が付け上がって、徴税に支障を来してしまうではないか!

 万が一にも逃散などされてしまったら如何致す!」


「あの、法衣子爵家には徴税の必要もございませんが」


「「「 !!!! 」」」


(そんなことにも気づいていなかったのか……

 まさか、法衣貴族になっても農民から税が取れると思っていたとか……)



「また、もしも農民たちが逃散したとしても、法衣貴族家には何の関係もございません」


「「「 ………… 」」」



「つまりですね。

 法衣貴族家にはもはや従士や領兵は必要無いのです。

 兵がいる意味も仕事もありませんので。

 まあ護衛として4人ほどはいてもいいかもしれませんが」


「だ、だが、貴族家の権勢とはすなわち保有する兵の数であって……」


「兵が4人しかいない貴族家など、貴族社会ではいい笑いものぞ!」


「現在、子爵閣下は従士20名、領兵120名の合わせて140名を兵として召し抱えられていらっしゃいますが、新国法の下では彼らに年間金貨100枚を払わなければならないのですよ。

 足りない金貨70枚をどこから持って来られるというのでしょうか」


「「「 !!!! 」」」


「そ、それは、領地の農民共からの税を充てれば……」


「それに領都の商人共からの冥加金も……」


「あの、法衣貴族には領地も領都もございませんが」


「「「 !!!!!!! 」」」


(やはりそんなことも知らずに法衣貴族になったのか……)



「法衣貴族家に有るのは、王都邸の所有権と国から年金を貰う権利だけなのです。

 同時に陛下へ兵力を提供する義務も税上納の義務も無くなりましたが」


「「「 ………… 」」」



「これはわたくしの言ではなく、あのケーニッヒ上級侯爵さまが寄子貴族家の方々に仰られたことなのですが、貴族家の皆さまはそうした武威を背景にした徴税という名目の下に、いささか見栄を張り過ぎていたと仰られているのです」


「み、見栄だと……」


「ええ、大勢の領軍を抱え、やはり大人数の侍従侍女に傅かれる。

 そうした見栄を張り過ぎていらっしゃったと寄子貴族家の方々を諭されたそうです」


「な、なんだと……」



 ロゴス家令は居住まいを正してやや遠い目をした。


「わたくしは新国法を何度も何度も読んでみました。

 法衣貴族化受諾契約書はもっと読み込みました。


 それで浮かび上がって来たものは、あの国法を起草した者は、『国にとって貴族は不要である』という思想を持っているということだったのです」


「「「 !!!! 」」」


「もっとあからさまな言い方をお許しいただければ、あの法衣貴族化政策と新国法は、貴族家を罠に嵌めるものだったのではないかと思われるのです」


「な ん だ と ……」


「その内容も確認せずに受諾のご署名を為されたということは、敵の罠にまんまと嵌ってしまったということですね」


「「「 !!!! 」」」



「あの、ヴェストファーレン伯爵閣下と2伯爵閣下の独立内乱についてはお聞き及びでしょうか」


「う、うむ、何でも3伯爵が、それぞれの寄子貴族家と共にゲマインシャフト王国からの独立を目論み、場合によっては攻め込んで来た国軍との内戦も辞さずということであったの。


 まったく、フォッケウルフ伯爵閣下もいっそのことそちらに組せばよろしかったものを。

 もしそうしていれば、独立を果たした後には閣下は国王陛下、我がボツリヌス子爵家は最低でも伯爵、もしくは侯爵家に成れていただろうに……」


「ということは、閣下は3伯爵家の末路についてはお聞き及びではないのですね」


「ま、末路だと……」


「ヴェストファーレン伯爵家は、確かに独立を盾にして借り麦返済と法衣貴族化を拒否されました。

 また、国軍との内戦も辞さずヴェストファーレン王国の建国を宣言するとも返答されたのです。

 そして、国軍はまったく進攻を行いませんでした」


「ほ、ほらみろ!

 フォッケウルフ閣下も同じようにされていれば、今頃我がボツリヌス家は侯爵に成れていたかもしれぬのだ!」


「それが、実際にはフォッケウルフ閣下が寄子貴族家と共に法衣貴族化を受け入れられたのは大英断であらせられたと見做されているのです……」


「なに!」


「法衣貴族化受諾期限の昨年末、ゲマインシャフト王国はあのダイチ大将軍閣下の魔法の力を借りて、3伯爵家とその寄子貴族家領内の全ての民に聞き取り調査をしました。

 そうして、内戦を恐れる民にはゲマインシャフト王国への避難と移住をも認めたのです。

 もちろん魔法によって転移させたので、子供も高齢者も安全に避難出来ました」


「なんだと……」


「ヴェストファーレン伯爵領とその寄子貴族家5家には、全部で4400人ほどの民がいたそうなのですが、そのうちほとんどがゲマインシャフト王国への避難・移住を選択したそうなのです。

 ヴェストファーレン王国に残留した平民は56人しかおりませんでした……」


「「「 !!!! 」」」


「また、人口に応じた領土ということで、新独立国の領土は16平方キロにされてしまったのです。

 これは、普通の男爵領の半分以下の広さですね」


「な、ななな、なんだと……」


「よろしいですか、1つの伯爵領、2つの子爵領、3つの男爵領を合わせた土地が、我が国の通常男爵領の半分以下なのです。

 村も1つしかございません」


「「「 ………… 」」」


「しかもその狭い狭い領地は、やはり魔法の力によって高さ50メートルもの巨大な城壁で覆われてしまいました。

 もちろん城門も隙間もございません。


 つまり……

 貴族も含め人口たった106人の新生ヴェストファーレン王国は、非常に狭い地域に完全に封じ込められてしまったのです。


 その民の中には若い女性が全くいないために、あと30年もすれば106人の国民も全員が死に絶えて、貴族も民もいなくなっていることでしょう。

 他の2伯爵領も全く同じ状況だそうです。


 もしこの国の北西部に出向いてみれば、巨大で奇怪な円筒形の城壁が3つ聳え立っているのが見えるだろうということでした。


 こうしてゲマインシャフト王国は、民も土地もほとんど損ねることなく、反抗的な貴族家を封じ込めてしまったのです」


「「「 ………… 」」」



「また、ケーニッヒ侯爵閣下、今は家督をご長男に譲られて宰相にご就任為さっていらっしゃいますが、その寄子貴族家の方々は、宰相閣下よりお言葉を賜ったそうなのです。

『貴族家として家名を残し、また法衣貴族年金を受け取れるようになったのは、かの国政最高顧問ダイチ閣下の温情である』と」


「お、温情だと……」


「はい、温情です。

 わたくしは、王都邸の準備状況を視察に行きました際に、昔の軍時代の伝手を頼ってケーニッヒ宰相閣下の寄子貴族家の家令殿たちとお話をさせて頂く機会を得ました。

 そこでこのような話を聞かせてもらえたのです。

 そして、法衣貴族化を受諾した貴族家にもダイチ殿は罠を仕掛けられていたというのです」


「そ、そうなのか?」


「それは、読み書きを下賤な者の為す行為と見做す貴族の隙を突いた罠でした。

 国法を読まず、法衣貴族化受諾契約書も読まなかった貴族家に対し、平民落ちさせて無力化する罠をそれこそ無数に仕掛けてあるのです」


「な、なんと……」


「例えば、平民を無礼打ちした貴族の捕縛と転封、家臣という名の従業員に対して法で定められた最低賃金を払わなかった場合の降爵と財産押収などですね。

 ですから、これからの皆さまは、法と法衣貴族化に隠されたあらゆる罠を見破って、それを躱して家名を存続されて行かねばならなくなったのですよ」


「な、なんということだ……」


「そのための第1歩が、『見栄を捨て去ること』です。

 貴族としての権勢を求めていると、あっというまに平民に落とされてしまいますので」


「だ、だが、いくらなんでも家臣が20人とは……」

「そ、それでは貴族の中での家格というものが……」

「そ、そんなことをすれば、あのトキシン子爵めに笑われてしまうではないか……」


「あの、わたくしは、先ほど家臣を200名抱えていると、家臣たちの住居を別にしても年間で金貨144枚の給与支払いが発生すると申し上げました。

 ということは、あのフォッケウルフ伯爵閣下ですら200名の家臣を抱えると、あっという間に平民に落とされるのですよ」


「「「 !!!!!!! 」」」


「わたくしの試算では、伯爵閣下でも家臣30名が限界ですね。

 ですので、子爵家であるご当主さまの家臣が20名でもなんら見劣りがしません」


「だ、だがもしも閣下が100名の家臣を抱えられたら、我が子爵家もせめて50人はいなければ……」


「その場合には、伯爵閣下と雖もすぐに子爵や男爵に降爵されてしまいますので、なんの問題もありませぬ」


「げぇっ!」


「また、それに抵抗して独立内乱を企図すれば、民が僅か数十名しかいない狭小領地に封じ込められてしまうでしょう」


「「「 ………… 」」」


「あの国法と法衣貴族化受諾契約書を起草したダイチ閣下の頭脳には本当に恐るべきものがあります。

 あらゆる抜け穴を塞いで、貴族を無力化することを徹底して追及しているのですから。

 あれぞまさしく深謀遠慮というものでございましょう」


「そ、それほどまでなのか……」





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