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*** 356 法衣上級子爵 ***

 


 ボツリヌス子爵家にて。


 ロゴスという名の家令が王都出張から戻り、身辺整理をしていると家宰に呼ばれた。


「ロゴスよ、王都邸の準備は整ったか」


「はい家宰さま。

 王都邸の準備は全て整いましたし、家具調度の輸送も領兵隊の荷馬車により行われる予定となっております」


「ならばよろしい」


「あの……

 ところで家宰さま、法衣貴族となられた今、従士隊や領兵隊、侍従侍女下男などは何人ほど召し抱えられるのでしょうか……」


「喜べ、ご当主さまより今召し抱えている臣下は全員安堵するとのご指示を頂いておる」


「あの、差し出口ながら、実はそれは不可能なのでございますが……」


「なんだと!

 お前はご当主さまのご指示に従えんと言うのか!」


「いえ、ご指示に従うと、数か月以内にこの法衣上級子爵家が国から降爵を命じられ、1年経たぬうちに平民に落とされてしまうかもしれないのです」


「な、なにっ……

 く、詳しく説明せよっ!」


「はい。

 ボツリヌス子爵閣下は、今まで従士20名、領兵120名、侍従侍女を50名、下男下女を10名召し抱えてくださっていました。

 合計で200名になります。

 そして、新たな国法によれば、彼らには日に銅貨20枚の給金を払わねばならないのです」


「ふん、たった銅貨20枚か。

 我が上級子爵家の貴族年金は金貨で30枚もあるのだぞ」


「ええ、たったの銅貨20枚です。

 ですが、1年ではそれを360倍して銅貨7200枚、銀貨にして72枚になりましょう」


「それがどうしたというのだ!

 たかが銀貨ではないか!」


「あの、そうした給金支払いが200名分になると、銀貨にして1万4400枚、

 金貨ですと144枚になって、上級法衣子爵家の貴族年金を遥かに上回ってしまうのですが……」


「な、なんだと!

 なぜそうなる!」


(こんな簡単な計算もわからんのか……)


「日給銅貨20枚かける年360日かける人数200人だとそうなります。

 このまま200名を召し抱えられるとすれば、給金は2月半ほどしかもちません」


「な、ならば、召し抱える家臣の給金を半分にせよっ!」


(それでも足りないという計算も出来んか……)


「新国法第20条によれば、貴族家の配下と雖も従業員として扱われます。

 その最低給金も法で決められておりまして、それが日給銅貨20枚なのです」


「そ、そんな法は知らんっ!

 貴族家には貴族家のやり方があるのだ!」


「あの……

 子爵閣下は法衣貴族化受諾契約書にご署名為されました。

 その契約書には『国法を遵守し』との記載がございます」


「な、なんだとぉっ!

 な、なぜそれを言わなかったのだぁっ!」


「閣下がご署名為される前に、契約書内容読み上げを申し出たところ、あなたさまも閣下もすぐに寝てしまわれたのですが……」


「ぐうっ!

 だ、だがそのように重大なことが記載してあったのなら、何故ワシを起こさなかった!」


「お忘れですか?

 家宰さまを起こし申し上げたところ、『うるさい、下がれ!』と命じられましたので下がりました」


「なっ……

 お前はワシのせいだというのか!」


(そうだけど……)



「それに加えまして、王都邸には臣下200名とその家族600名を収容出来る場所がございません。

 ですので、もしそのまま200名を召し抱えられるのであれば、彼らの住居も用意してやらねばならないのです」


「そ、そんなもの、奴らに勝手に探させろっ!」


「いえ、やはり新国法20条によれば、『近隣に住居を持たない従業員を雇う場合には、雇用主はその住居を提供せねばならない』と記載されています」


「な、なんだと……

 な、ならば致し方あるまい!

 臣下の給金を半分にするしかないだろうっ!」


(まだ言うか……)



「それには2つほど問題がございます」


「な、なんだ」


「国法に定められた最低賃金を支払わなかった場合、その貴族家の資産は国に接取され、未払いの賃金の支払いに充てられるのです」


「なんだと……」


「場合によっては王都邸が国に取り上げられて、皆さまの住む家が無くなるかもしれません」


「そ、そそそ、そんなもの!

 臣下が国に黙っていればいいだけの話だ!

 なにしろ奴らは我が上級子爵家の家臣なのだからの!」


「あの、それでも領兵の家族などが国に訴え出ると、すぐに国の査察が入ってしまいますが」


「そ、そのような密告は禁止せよっ!」


「わたくしでは禁止を命じることは出来ません。

 そのようなご命令はご当主さまのご了解を頂戴した上で、家宰さまがお命じになることになっております」


「な、なにっ……

 だ、誰がそのようなことを決めたというのだ!」


「ご当主さまです」


「あぅっ!」


「それに、家臣らも密告すれば未払いの賃金を受け取れるわけですし、また誰が密告したかもわかりませぬ」


「うぎぎぎぎ……

『上級子爵家の権勢を保つために、臣下はそのまま召し抱えよ』というご当主さまのご命令を実行出来んと言うのか!」


「はい、残念ながら」


(計算も出来ず、契約書も読まなかったせいだろ)


「そ、そのようなことを申し上げれば、このワシが命令不服従として処罰されてしまうではないか!」


(だからそれ、読み書きすら出来ない当主とあんたのせいだろうに)



「致し方ございません。

 万が一給料の未払いが3か月続くと、その貴族家は1段階降爵されてしまいます。

 6か月ですと2段階です。

 そうなれば、このボツリヌス上級子爵家は平民に落とされてしまい、貴族年金も得られなくなるかと」


「な、なんだと……

 そ、それではどうすればいいというのだっ!」


「そうですね、まずは今申し上げたようなことを、ご当主さまとご家族の方々にご説明ください」


「し、臣下の数はどうなるというのだ……」


「10分の1の20名までならなんとか雇えると思います。

 それぐらいでしたら王都邸に住む部屋もございますし」


「お、お前は臣下の家族も王都邸に住まわせよというのか……」


「これも致し方ございません。

 なにしろ王都は地代が高いですので、余計な費用を抑えねばなりませんから」


「よ、よし!

 お前が直接ご当主さまとご家族さま方に説明に上がれ!」


「家宰さまはご同伴下さらないのですか?」


「お、俺は忙しいのでお前1人でご都合をお伺いに行けっ」


(こ奴は阿呆なだけでなく、臆病者でもあったか……)



「あの……

 わたくしは、家宰さまのご同伴なくご当主さまにご面談を申し込むことを禁じられていますが」


「な、ななな、なんだと……

 だ、誰がそのようなことを命じたというのだ!」


「家宰さまです」


(あんたが横領を密告されるのを恐れて作った制度だろうに)


「で、では特別に許す!

 ご当主さまには、ワシは外出したと伝えろ!」




 翌日の朝、ロゴスは家宰に呼び出された。


「そ、それでどうだった?

 ご当主さまにはご納得いただけたのか?」


「それが、ご当主さまもご家族さまも、昨日はご都合がつかず本日朝食後にお伺いするようにとのことでした」


「な……」


「尚、その際には家宰さまも一緒に来るようにとのご命令です」


「ひぃぃぃっ!」




 朝食後、家宰と家令は子爵家当主の執務室に入った。

 その場には子爵家の奥方や息子娘たちの姿もある。


 家宰は家令に説明を任せ、3歩ほど後ろに下がって小さくなっていた。


「それでロゴス家令よ。

 お前は何を奏上したいというのだ」


「は。

 家宰さまより、今当家に仕えております家臣200名を、法衣貴族家となった後もそのまま召し抱えよというご命令を頂戴いたしました」


「それがどうした。

 それは当主としてワシが命じたことぞ」


「はい。

 ですが、そのご命令を実行すると、春前には当上位子爵家は男爵家に落とされた挙句、夏前には平民に落とされて貴族年金も受け取れなくなってしまうのです。

 それを家宰さまに申し上げたところ、ご当主さまとご一統さまに直接ご説明するよう命じられました」


 さらに家宰が小さくなってまた一歩下がった。


「どういうことだ! 説明せよ!」


「はい。

 まずは新国法には、貴族家臣下と雖も被雇用者であり、雇用者である貴族は被雇用者である臣下にも給金を貨幣の形で払わねばならないとあるのです。

 そして、その最低賃金は、日に銅貨20枚もの高額であるのです」



 長男が口を開いた。


「それがどうしたというのだ。

 たかが銅貨20枚であろう。

 我が上級子爵家の貴族年金は金貨30枚もあるのだぞ」


(家宰と同じレベルか……)



「あの、200名の臣下に日給銅貨20枚を支払うと、年間では金貨144枚にもなって、貴族年金では到底足りなくなってしまうのです」


「な、なぜそのような高額になってしまうのだ!

 説明せよっ!」


(やっぱり……)



「畏まりました。

 1人当たり最低賃金の日給銅貨20枚を払いますと、年額では360倍して銅貨7200枚になります」


「それでもたかが銅貨ではないか!」


「あの、銅貨7200枚は、銀貨にすると72枚になります。

 そして、その給金を200人の家臣に払うと、72枚の200倍で1万4400枚になり、これは金貨にして144枚にもなってしまうのです」


「お前の説明はさっぱりわからん!

 もっとわかりやすく説明せよ!

 これは命令である!」


(これ以上分かりやすい説明など出来るか……

 どうして貴族家はこのように阿呆ばかりなのだろう……

 そうだ……)


「それでは麦に例えてご説明させて頂きます。

 まず、これから国営ゲマイン商会では麦を1石銀貨8枚で売り出します。

 ということは、1升の麦は銅貨8枚で買えることになります。

 ここまではよろしいですか?」


「うむ、許す」


(阿呆かこいつは。

 あんたに許されなくても麦1升は銅貨8枚だぞ……)



「家臣たちは日に銅貨20枚の給金を受け取りますので、日に2升5合の麦を買うことが出来るでしょう。

 つまり、家臣を日に麦2升5合で召し抱えているのと同じです。


 家臣は1月当たりですと30倍して75升、7斗と5升の麦が買えます。

 これが1年ですと、12倍して麦9石になるのです。

 現状の扶持麦の4倍以上でございますね」


(実際にはこれで我慢して忠誠心を見せろとか言って、年に7斗しか下賜してないけどな。

 だから約13倍か……)



「なんだと……」


「さらに、家臣が200名おりますので、これを200倍して給金の総額は麦1800石にもなってしまうのです」


「「「 !!! 」」」


「せ、1800石だと……」

「それでは我が子爵領の石高を越えているではないか!」


(もう領地は手放しているということがわからないのか?)


「これに対し法衣貴族年金は金貨30枚ですが、この金貨すべてで麦を贖ったとしても250石にしかなりません。

 ですから到底足りないのです」



「そ、それでは家臣の扶持を10分の1にすると、麦にして如何ほどになるか!」


(そんな計算も出来んか……)


「180石になります」


「な、ならばなんとかなりそうだの」


「いえ、それも難しいかと」


「なぜだ!」


「新国法によれば、給与支払いの未達が有った場合、1か月後に国が貴族家財産を差し押さえに来るのですよ。

 そうして、家財を売り払って従業員に未達分の給与を払うことになっているのです。

 場合によっては王都邸が差し押さえられ、皆さまの住む場所が無くなってしまうかと……」


「そ、そんなもの、家臣に箝口令を敷けっ!」


(やはりそれしか思いつかんのか……)



「あの、いくら箝口令を敷いたとしても、臣下の家族が国に訴え出れば国軍の査察が入ることになります。

 その際には、国軍の尋問官が臣下やその家族から個別に聞き取り調査を行いますので、ご命令を守るのは難しいかと。

 誰が箝口令を破ったかもわかりませんし。

 ましてや、臣下たちの訴えが認められた場合には、臣下はそれまでの未払い分を受け取れることになりますので」


「そ、そんなもの、箝口令を破れば無礼打ちにすると脅せっ!」



「貴族による平民の無礼打ちは、新国法によって固く禁じられました。

 もしそのようなことをされると、関係者全員が国軍に捕縛されて尋問を受けます。

 下手人は牢獄に入れられ、下手人が貴族家に属する場合はその貴族家は改易されて平民に落とされることになるでしょう」


「なっ……」



「国法が何だと言うのだ!

 我らには子爵家としての領地法があるのだぞ!」


「あの、この度法衣貴族家となられたことで、ご領地は国に譲渡されました。

 なので領地法も消滅しております」


「なんだと……」


「また、法衣貴族化に際しての受諾契約書にも、『法衣貴族化に際しては領地法を破棄し、以降は新国法を遵守する』との記載があり、ご当主さまが承諾のご署名をなさっておられます」


 その場の全員が当主を見た。



「な、なぜそのような重大なことを、お前はワシに知らせなかったのだ!」


(やっぱり忘れていたか。

 貴族には記憶力も無いのか?)


「は。

 実はご当主さまとご長男さま、および家宰さまの前にて契約書を読み上げさせていただいたことがございます。

 ですが、その際にお3方ともすぐに眠られてしまい、お聞き届け頂けませんでした」


 夫人や他の子息令嬢たちが、当主、長男、家宰を睨みつけた。

 家宰は腰が抜けたらしく、その場にへたり込んでいる。



「お、お前はワシが悪いと言うのかっ!」


「いえ、そのようなことは申し上げておりませぬ。

 全ては法衣貴族になられたことに起因することかと」


「そ、それでどうすればよいと言うのだ!」


「僭越ながら、今いる家臣を全員雇えというご命令を破棄し、少人数の家臣のみ継続して採用されたら如何でしょうか」


「なんだと!

 それでは貴族としての権勢が保てないではないか!」


「………」


「な、なんとか言えっ!」


「本当に申し上げてもよろしいのですか?」


「な、なに……」


「いくら解決策を申し上げても、それで無礼打ちにされては敵いませぬ。

 わたしを無礼打ちにされた方は獄に繋がれて、おそらく一生出て来られないでしょうし、この子爵家は改易されて平民に落とされます。

 ですが、それでわたしの命が戻って来るわけではありませんので」


「「「 ………… 」」」


「差し出口を申し上げましたこと、深くお詫び申し上げます。

 それではこれ以上ご不快な思いをされないうちに、わたくしめは失礼させて頂きます……」





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