*** 354 新独立国の暮らし ***
ケーニッヒ宰相の通告は続いていた。
「我が国は、貴様らの独立は認めたが新独立国を承認してはいない。
よって交易も交流も為されることはない。
救援物資も届かないのでそのつもりでいるように。
また、この惑星アルスを統べるダイチ総督閣下のご意思により、この大陸全域で『幻覚の魔道具』と『変化の魔道具』が発動された」
「総督だと……」
「そうだ、神界からの使徒であり総督閣下である。
貴様はただのヒトが、部下とたった3人であのデスレルを滅亡させられたなどと思っていたのか?」
「「「 ………… 」」」
「その『幻覚の魔道具』の発動条件は、『他人に暴力を振るおうとすること』及び『他人を武威で脅して行動を強制すること』である。
この魔道具が発動すると、今までの人生で味わった最も大きな苦痛の幻覚を半刻の間味わうことになる。
さらに、この魔道具を発動させた者は、神界の権能により過去の罪を暴かれ、その罪状によって牢獄に入れられることになるが、最高刑でも終身刑だ。
牢での食事や日に半刻の運動も保証されるので安心するように」
「な、なんだと……」
「また、もし過去の罪が無かったとしても、この魔道具を2度発動させた者は、『変身刑』を受けることになる。
これは、お前たちの体を小さく変身させてしまうものだ。
身長はおおよそ50センチほどになってしまうだろう」
「な、なに……」
「念のため言っておく。
総督閣下によれば、貴様は戦争教唆という罪を犯しており、本来ならば閣下の牢獄に押し込められて終身刑となるはずである。
だが、その場所の環境はお前にとって牢獄に等しいということで、独居房での暮らしは特別に免除してくださったそうだ」
「ふ、ふざけるなっ!」
「最後に、ひとつ我が感想を述べさせてもらいたい。
人口が106人しかいない超弱小国、いや村に於いて、貴族家当主とその係累を名乗る者が50人もいるとは、なんとも歪な国よの。
そなたらも平民になったのだから、今まで通り民に対して武威による命令ばかりしていると、すぐに『幻覚の魔道具』による罰を受けることになるぞ。
また、他の旧伯爵領とその寄子領も同様に城壁での隔離措置が取られている。
彼らと連絡を取って合流しようとしても無駄だ。
さて、もう2度と話すこともないだろうが、寿命まで達者で生きろ。
どうやら若い女性たちは全員避難移住したようなので、もはや貴様らは子孫を残すことは出来ず、30年も経てばせっかくの独立国も全国民が死に絶えて滅んでいることだろうが、まあそれまでの余生は大切にするのだな。
それでは永遠にさらばだ」
画面が消えた。
それと同時にスクリーンそのものも消え失せている。
もちろんこの通告と共に封じ込め作戦フェーズ3が発動され、当初伯爵領とその寄子領全域を覆っていた城壁は撤去されている。
僅か16平方キロの領地を囲む円筒状の城壁に囲まれた弱小独立国周辺の地は、再びゲマインシャフト王国の領土となっていた。
応接室に沈黙が広がる中、邸の玄関から大声が聞こえて来た。
「アウストラ男爵、ロピテクス男爵、並びにネアンデルタール男爵である!
伯爵閣下にご報告に参った!
至急扉を開けて閣下の下に推参をお許し願いたい!」
「ええい! 誰かおらんのかぁっ!」
タムシーン領兵長が扉を開けてやると、3人の男爵がどやどやと邸に入って来た。
3人とも大柄で毛深く、見た目はいかにも武闘派貴族である。
手が長く、やや猫背になって歩いているために、もう少しでナックルウォークが出来そうな様子であった。
「アウストラ男爵、ロピテクス男爵、ネアンデルタール男爵、よく参ったが、如何致したのだ。
貴殿らはゲマインシャフトとの境にある砦に詰めていたのではなかったのか」
「伯爵閣下、それが先ほどまでは砦の自室にいたのですが、気づいてみればこのお邸の敷地内にいたのです」
「それ以外にも我が長男や従士長もいつの間にか」
「その他にも、街民と思われる者や農村の長とその長男と見られる者どもも大勢庭におったのですが、あれは伯爵閣下が呼び集められたのでしょうか」
「「「 ……… 」」」
「先ほどまでは領境の砦にいたが、突然この邸の庭に現れたと申すか……」
「はい、街民らしき者や農民らしき者も、皆自宅にいたそうなのですが、気づいてみればこちらの庭にいたと……」
「ま、まさか、先程ケーニッヒめが言っておりましたことが……」
「し、しばし待て!
3階の物見台に参るぞ!」
応接間の全員が邸の屋上から梯子を昇って物見台に移動した。
その上からは、伯爵領の様子が一望出来、農村も街も川も森も良く見える。
だが……
彼方の森が、黒い帯のようなもので立ち切られていたのである。
それは伯爵の邸を中心に円を描くように繋がっていた。
「ま、まさかあれがケーニッヒめが言っていた城壁……」
その黒い壁は、前景の森の木々と比較すれば、途轍もない高さがあった。
遠すぎてよくわからないものの、50メートル近い高さがあるものと思われる。
蒼白な顔をした伯爵閣下が、3人の男爵を振り返った。
「アウストラ男爵、ロピテクス男爵、ネアンデルタール男爵」
「「「 はっ! 」」」
「そなたたちは、それぞれ自領の方向にあるあの壁を調査せよ。
特に城門がどこにあるのか、また切れ目はないかを確認するように。
厩の馬を使って構わん」
「「「 ははっ! 」」」
3人の男爵たちは、それぞれの息子である従士長を連れて出かけて行った。
「息子たちよ。
念のため邸内を捜索して、侍従侍女が隠れておらぬかを調査せよ。
もし本当にいなければ、そなたたちで火を熾し、まずは茶でも淹れてくれ。
少々落ち着いて考えたい」
「「「 はっ 」」」
「どうやら本当に侍従も侍女もおらんようだな……」
「ああ、母上があれだけ探し回っているのに見つからんようだからな」
「仕方あるまい。厨房に行って火を熾すか」
「ところでお前は火を熾したことはあるのか?」
「いいえ、兄上は?」
「伯爵家長男ともあろう者が、そのような下賤な真似をするわけがなかろう。
お前こそ領軍の野営訓練で火は熾さなかったのか?」
「いえ、そのようなことは司厨兵にやらせておりましたので……」
「それでは誰か火の熾し方を知っている者はおるか?」
「「「 ………… 」」」
「ま、まあ取り敢えず厨房に行ってみるか」
「竈に火は残っていないか?」
「いえ……」
「なんだこの灰が入った箱は。
この様に蓋もせず置いておけば、灰が飛んでしまうだろうに」
あの、それ熾火を灰に埋めて翌朝まで保存しておく『火止め』のための灰箱なんですけど……
蓋なんかしたら、すぐ火が消えちゃいますよ。
「確か司厨兵共は、石を打ち合わせて火を熾していたような……
お、この石かな。
薪の上で石を打ち合わせてみるか」
「おお、火花が出ているではないか」
「だが、まったく薪に火がつかんぞ」
あの、いきなり薪は燃えませんよ。
まずは火口に火をつけないと。
「なんだこの棕櫚の繊維は。
なぜ馬を洗う束子が厨房にあるのだ」
あの、それが火口です。
「ん?
先端が焦げた竹棒があるぞ。
まずはこれに火をつけるのか?」
あの、それ空気を送り込んで種火を大きくするための火吹き竹です。
その竹に火はつけられません。
「お、この窪みのついた板、窪みの周りに焦げた跡があるぞ。
まずこれを燃やすのか?」
あの、それは錐揉み式の火起こし道具です。
棒の先端を窪みに当てて掌で回転させ、摩擦熱で火を熾すための板ですね。
周りに火口を置かないと火はつきませんし、これで火を熾すにはもの凄い力と熟練が必要ですけど。
普通は棒を回転させるのは1人ですが、数人で交代しながら行う重労働です。
窪みのある小さな板で、もう1人が上から棒を軽く押さえておくとより早く火が点くでしょう。
「それにしても、なぜ厨房に弓があるのだ。
しかも弓弦が弛みきっておる」
あの、それは弓錐式の発火用具です。
これも上から小さな板で棒を押さえた方がいいでしょうね。
その弦を錐揉み式火熾し棒に巻き付けて弓を押し引きさせると、棒が激しく回転しますので、棒と板の間から煙が出て来ます。
そこで息を吹きかけると火口に火がつきますよ?
コツは、摩擦で削れた木の粉にも火が移るようにすることですね。
この道具があれば1人でも火を熾すことが出来ます。
「なんだこの細い薪は。
このように細い物であれば、すぐに燃え尽きてしまうだろうに」
あの、それは火口の火を大きくするための細木です。
細い方が体積当たりの表面積が増えて燃えやすいですから。
その細木に火が点いたら、だんだん太い薪を上に乗せていくんですよ。
「ええい、さっきからいくら石を打ち合わせても薪に火がつかん!
まったくどうなっておるのだ!」
あの、当たり前です。
「そうだ!
庭には農民共がおるだろう。
そ奴らに火を熾させよう」
「あのぉ、貴族家ご子息の皆さま。
生憎とわたしは村長ですので、火を熾したことなどございません。
それは下男の仕事ですので……」
「おいそこの女、お前なら火を熾せるだろう!
すぐに竈に火をつけろ!」
「あのぉ、わたしは村長の妻ですので、そのようなことはしたこともございません。
火のつけかたを教えて頂けますでしょうか」
「も、もういいっ!」
そのとき、彼らの耳に裏庭の方で薪を割る音が聞こえて来たのである。
「お、誰かおるようだ!」
伯爵家子息たちは裏庭に向かった。
そこでは下男の老人が青銅製の斧で薪割をしていたのである。
「おや、ご子息さま方、新年おめでとうございます」
「おお、下男のお前は残っていたか!」
「へいへい、ちと寒いですが、新年らしくよく晴れた日ですなあ」
「そのようなことはどうでもいい!
早く厨房に行って火を熾せっ!」
「いやあ、新年といえば、収穫祭のときと同じ振る舞い酒の日ですな。
わしはもうそれが楽しみで楽しみで」
「兄上、こやつ耳が……」
「仕方ない、そ奴を厨房に連れて行って竈を見せろ」
「おや、竈ですか。
今朝はもう薪は充分に持って来たですが……
わかりました、もっと持って来ましょう」
((( だめだこれは…… )))
老人はもちろん、伯爵の息子たちも読み書きは出来なかったために筆談も不能だった。
因みにだが、この老下男に対するテミスちゃんのヒアリングは、音声が通じなかったために念話で行われている。
だが、この老人は避難を断っていた。
老人というものは、いかなる理由が有ろうとも生活の変化を嫌う上に、自分が嫌なことは自動的に頭に入らないのである。
もしも内戦によってこの伯爵邸が灰燼に帰したとしても、この老人はそんなことは聞いていなかったとびっくりしながら死んでいったことだろう……
こうして、伯爵邸では火が使えなくなった。
内戦準備のために薪は大量に備蓄してあったのだが、誰もそれに火をつけられなかったのである。
行軍や籠城のための乾麦や干し肉も大量にあったが、誰も暖かいスープは作れなかった。
もちろん暖炉に火も入れられず、皆邸内で震えながら過ごしていたようだ。
こうして国民僅か106人の超弱小国家は、石器時代以下の生活水準に落ち込んだのである……
この小さなコロニーに於ける『幻覚刑』の最初の発動者は、やはり伯爵家令夫人だった。
彼女はいなくなった侍女の代わりに農民や街民の婦人たちを徴集したのである。
「これよりそなたたちをこのヴェストファーレン王家の侍女とします。
光栄に思いなさい」
「はぁ、だどもおらそっただことしたことねぇだよ」
「何を言うのですか!
まさか妃であるこのわたしに逆らうとでも言うのですかっ!」
「たったこれだけしか民がいない領で妃とか言われてもなぁ」
「な、ななな、なにを言うかっ!
そ、そこになおれっ!
不敬罪で処罰してくれるわっ!」
自称王妃デカシリーナは、農民の女を杖で打ち据えようとした。
だがもちろん……
「ん? なぜ妾の体が痛むのじゃ?
ぎゃあぁぁぁぁ―――っ!
痛い痛い痛いぃぃぃ―――っ!」
「おやまあどうしたことだろうかねぇ……」
デカシリーナの悲鳴を聞きつけた息子たちが飛んで来た。
「何をしている!」
「母上! どうなされたのですか!」
「キサマラまさか母上に!」
「痛い痛い痛いぃぃぃ―――っ!」
かつて経験した最も激しい痛みと言っても、その痛みのピークはせいぜい1分である。
それ以上の痛みが続くとしても、ヒトの体は脳内麻薬を分泌してその痛みを和らげようとするのだ。
だがしかし、この痛みは『幻覚の魔道具』による幻覚であるため、その効果は脳内麻薬発動の効果も遮断して、延々と続いていた……




