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*** 341 貴族とは ***

 


 ゲマインシャフト王国では、ケーニッヒ法衣上級侯爵が寄子の貴族たちを集めて懇親会を開催していた。

 その場には貴族家当主だけでなく、家宰や従士長、家令なども招待されている。



「諸君、まずは法衣貴族家への転換と上級貴族家への陞爵おめでとう。

 それではこれから、新しい国法の下での貴族家の在り方について少々話をさせてもらいたい。


 まずはなによりも法衣貴族年金についてであるが、先日も説明した通り、法衣上級男爵家で年金貨20枚、子爵家で30枚、伯爵家で40枚となる。

 私は法衣上級侯爵なので50枚だな」


 何人かの貴族たちの顔が綻んでいる。

 今までは不作のせいで相当に苦しい領地運営をしてきたのだろう。



「だがよく考えてみて欲しい。

 新国法第20条第1項の規定によれば、貴族家の家臣と雖も一般の民と同じく従業員として扱われるのだ。

 つまり、雇用者たる法衣貴族家当主は、家宰や家令、従士領兵、侍従侍女なども含めた被雇用者全員に貨幣の形で給料を支払う必要がある。

 そして同条第3項によれば、現在の最低賃金は日に銅貨20枚となっているだろう。

 これを7日に一度の休日も含めて被雇用者に支払わねばならないということは、年間360日で、1人当たり銀貨72枚の給与支払いが発生するということになる」


 その場の多くの者が首を傾げている。


 ここにいる者の中でこの手の計算が出来るのは、ケーニッヒ上級法衣侯爵とその家宰、家令に加えて各家の家令だけだった。

 他の者たちは、当主家宰を含めて2桁の足し算すら怪しい。

 また、文章を読むことについても、軍の命令書ですら字の読める家臣に読み上げさせていた。

 この中に国法を読めて理解出来た貴族家当主は1人もいないだろう。


 要はこの会合は、新国法の下で法衣貴族になる自分の寄子貴族たちが路頭に迷わないようにするために、ケーニッヒ法衣侯爵の温情によって開催されたものであった。



「ミルソノフ男爵、貴殿の配下には今何人の家臣がいる?」


「領兵まで含めれば150名の家臣がおります」


「ということはだ。

 仮にその全員を法衣貴族化した後も雇い続けるのならば、年間の給与支払いは金貨108枚にもなって、貴家は破綻する」


「「「 !!! 」」」


「また、同条第4項の規定によれば、雇用者は被雇用者に対し、その住居と日に1回分の食事を用意せねばならない。

 これには1人平均日に銅貨5枚の費えがかかろう。

 つまり、雇用費用は年間金貨135枚になる」


「「「 ……… 」」」


「仮に家臣を10分の1の15名にしたとしよう。

 それでも支払い給与は総額で金貨10枚と銀貨80枚になり、雇用費用は総額で金貨13枚と銀貨50枚になるだろう。

 つまり、法衣貴族年金の半分以上が給与その他として出て行くのだ」


「そ、そんなまさか……

 奴らは我が家臣です!

 給与を半分にすればなんとかなるのでは!」


(それでも全く足りないという計算も出来んか……)



「それは国法第20条に違反する行為となる。

 1か月給与支払いが遅れれば、国により法衣貴族家資産の強制収用が行われ、労働債務の返済に充てられる。

 場合によっては貴殿らの王都邸が競売に付されて住む場所が無くなるぞ」


「「「 !!!! 」」」


「そして、賃金支払いが3か月滞ると1段階の降爵が行われるのだ。

 つまり法衣子爵は法衣男爵に降爵され、その貴族年金も金貨30枚から20枚になる。

 法衣男爵は平民になって貴族年金を受け取れなくなるのだぞ」


「「「 !!!!! 」」」



「そ、そんな……」


「家臣がたったの15名では、貴族としての権勢が保てませぬ!」



 ケーニッヒ法衣上級侯爵が微笑んだ。


「それではそもそも貴族とはなんだ」


「貴族とはまず建国に功のあった家が就いた地位であります!」


「その貴族の役割とは?」


「まずは国王陛下に軍事力を提供することでありましょう」


「その上で領地から得られる麦の一部を、陛下に上納することであります」


「その通りだ。

 貴族の役割とは、まず軍事力の提供であり、次に徴税と上納であったのだ。

 だがな、法衣貴族には兵力提供の義務は無いのだぞ?」


「「「 !!! 」」」


「それに加えて、税の一部を陛下に上納する義務も無いのだ。

 もちろん領地も領地の民から税を集める必要も無い」


「「「 !!!!! 」」」



「それを踏まえた上で貴殿らに問おう。

 貴族としての権勢とはなんだ」


「き、貴族の権勢とは、その家柄に相応しい家臣団を率いることでありましょう」


「権勢が無ければ領軍の統率も徴税も出来ませぬ! あ……」


「そうだ、法衣貴族たる我らにはもはや領軍を持つ必要が無い。

 徴税も無用だ。

 つまり権勢も必要無くなったのだ」


「なんと……」



「それではここで別の角度から我ら貴族について考えてみよう。

 軍事力の提供については、あの大城壁が出来、デスレルが滅んだ今、もはや軍を維持する必要は無くなっている。

 加えて民からの徴税は、これからは国によって行われる。

 これで貴族の存在意義のほとんどが無くなったとは思わんか?」


「で、ですが、いつまたデスレルのような国が現れて、我が国を侵略しようとするかわかりませぬぞ!」


「あの大城壁があるのにか?

 加えて我が国はあのダイチ殿と和平の約定を結んでおり、この約定には万が一我が国が好戦的な国に攻められた場合には、かのお方率いる強大な軍勢がご加勢下さることも含まれておるのだ。

 あのデスレル30万の大軍勢を、事実上たったの3人で滅ぼしたダイチ殿のご加勢があるのに、いまさら我らの軍が必要あるだろうか?」


「そ、それは……」


「確かに我らはデスレルの侵攻を阻むことに成功していた。

 だがそれも、毎年何百という死傷者の犠牲の上でだ。

 そこに来て、遠征病の蔓延のせいで我らもデスレルも戦闘不能状態になり、おかげで束の間の平和があったのだ。

 つまり我らはあのデスレルに勝利したわけではないのだぞ」


「「「 ………… 」」」


「そして、ダイチ殿のおかげで我らは特効薬を入手して遠征病から救われたのだ。

 だがあのとき、もしもダイチ殿がおらず、デスレルが先に遠征病の治療方法を発見していたらどうなっていただろうか」


「「「 えっ…… 」」」


「間違いなく我らは今全員生きておるまい。

 貴殿らも子孫の多くも殺され、女性や子供は奴隷として売られていただろう」


「「「 ………… 」」」


「遠征病という病は、なにもここ最近流行り始めたものではない。

 何百年も前から存在していた病であり、ここ100年でも多くの者が遠征病で死んで行っているのだ。

 だがの、あの特効薬を別にして、遠征病の治療方法は実に簡単なものだったのだよ。


 例えば我らが悪魔の芋と呼んで忌避していた芋だが、育て方と食べ方さえ間違わなければ、あれは遠征病の特効薬になり得るものだったのだ。


 また、諸卿らは『なずな』と呼ばれる草を知っておろう。

 どんなに荒れた地でも真冬でもそこらに生えている草だ。

 そして、あの草も遠征病の特効薬足りえるそうだ」


「なんと……」


「つまり、我らは何百何千年もの間、無知なせいで苦しんでいたのだ。

 その特効薬が生えている地を軍靴で踏みつけながら、浮腫み上がった脚でふらふらと歩いていたわけだな。

 ならば、偶然の機会にデスレルが我らより先にこれに気づくことも有り得たわけだ」


「「「 ………… 」」」


「わたしはこのことをダイチ殿から知らされたとき、心の底からの衝撃を受けたよ。

 我らは無能だったのだと。

 戦しか能の無い役立たずだったのだとな」


「うう……」


「さらにだ。

 我らの農地の収穫量は、昨年1年間で反当たり5斗でしか無かった。

 ここ10年での豊作の年ですら1石だったのだ。


 ところが、あのダイチ殿の新農法で作付けを行った模範村では、たったの半年で反当たり7石もの収穫が得られただろう。

 おなじ我が国の畑で、我らの14倍の収穫が得られたのだ。


 諸君らの中でも見たことがある者がいるかもしれんが、あの模範村では真冬になった今も麦が青々と育っている。

 春までにはさらに反当たり7石の収穫が得られるだろう。

 つまり我らの28倍の収穫量だ。

 なぜこれほどまでの収穫の差があると思う?」


「そ、それは……」


「彼らが持ち込んだ麦の種が優秀だったのでは?」


「それもある。

 麦というものは、収穫期になると、その穂から実が離れて風に乗って飛んで行ってしまうからな。

 つまり収穫の減少を意味する。

 また、実が離れぬうちに収穫しようとすると、麦の実はまだ小さいのだ。

 これによっても、乏しい収穫が更に乏しくなってしまう。

 ところが、ダイチ殿は我が国の模範村に品種改良された麦を持ち込まれた」


「『ひんしゅかいりょう』ですかの?」


「そう、品種改良だ。

 まずは国内や近隣の国を巡って、野原からあらゆる種類の野生麦を集めて来る。

 それらの麦を畑で育て、収穫期になっても敢えて刈り取らずに風に吹かれるままにさせておく。

 ほとんどの麦は風で実が飛んで行ってしまうが、中には実の付いた穂が分離しにくい株もあっただろう。

 翌年はこの株の実だけを種として畑に植えるのだ。


 そうして、その畑の麦の内、やはり風で飛ばずに最後まで残っていた株の実だけを収穫し、翌年もまたその実を畑に植えるのだそうだ。

 こうした作業を何十年も何百年も続けた結果、風が吹いても実が飛ばぬ麦の品種が出来上がったという。

 そして実際、あの模範村の麦の実は、収穫期になってもほとんど飛ばずにほぼ全てを収穫することが出来たのだよ」


「で、ですが侯爵閣下、そのような悠長な作業はとても農民には出来ますまい」


「税は反当たりで決められておりますからの。

 敢えて収穫せずに風で吹かれて飛んで行くのを放置し、残った麦を作付けするなどという真似をしていたら、税が払えずに農民は罰せられてしまいますでしょう」


「そう、この品種改良は、普通の農民では出来ないのだよ」


「それでは誰がそのようなことを……」


「それこそが貴族の役割だったと思わんか?」


「「「 !!!! 」」」



「貴族は領地の畑から税を集め、その一部を国に上納していた。

 ということは、税の一部は貴族家にも残っていたわけだな。

 ダイチ殿の母国では、国や貴族が直轄の研究用畑を持ち、その中で雇い入れた者にそうした実験を続けさせていたそうだ。


 その結果、数百年かけて出来上がったのが、あの風で実が飛ばぬ品種だったのだ。

 つまり、農業の点でも我ら貴族は無能で怠慢だったのだよ」


「「「 ………… 」」」


「それからの、そうした貴族の庇護を受けた者たちは、各地に自生している麦を集めて廻っているうちに気が付いたのだ。

 同じ小麦でも、春に芽を出して秋に収穫出来る麦と、秋に芽を出して春に収穫が出来る麦があることにな。

 春小麦と秋小麦と言うらしいが。

 しかもどうやら、麦とはもともと秋に芽を出して春に実をつける植物だったそうなのだ」


「なんと……」


「模範村では今年の春に植えた麦を秋に収穫したが、あれは春小麦だったそうだ。

 そして畑にはすぐにまた麦を植えているが、これは収穫した春小麦ではなく、春に収穫していた秋小麦だったのだ。

 これにより収穫量は倍になる」


「「「 ………… 」」」


「また、国や貴族の庇護を受けて実験用の畑で研究を行っていた者たちは、何百年もの間に他にも収穫量を上げるための方法をたくさん見出していたということだ。


 例えば我が国の畑では、秋に収穫の終わった畑にて春に麦の種をそのまま撒いている。

 おかげで鳥が集まって来て撒いた麦を食べてしまうために、村人総出で10日近くもの間鳥追いをしているのだ。

 それでも100粒撒いた種の内、鳥に食べられてしまわずに麦に育つのは20粒ほどでしかないそうだ。


 だが、模範村では畑の土に浅い穴を開けてそこに麦の種を埋めている。

 この農法により、100粒植えた種の内、無事麦に育つものは98粒ほどになるとのことだ。

 これで収穫量が5倍になる」


「そ、そうだったのか……」


「さらに畑は、種を埋める前に前年に作った麦の根を掘り出し、さらに良く掘り返して土を柔らかくしてやることで、収穫は3割増えるそうだ。


 また、その際に畑の土に麦の生育を助けるものを混ぜてやることによって、さらに収穫は倍になる。

 こうした知見の積み重ねが、我が国の畑と模範村の畑の収穫差28倍に至ったのだよ」


「お、同じ1反の畑でそれほどまでの違いに至るのに、なぜ我らの国ではそうした『けんきゅう』の試みが行われなかったのでしょうか……」


「わたしも以前その点をダイチ殿に聞いてみたことがある。

 かの御仁によると、それには2つの理由があるそうだ。


 ひとつめはもちろん貴族の怠慢だな。

 そうした研究のために費用を出さず、また人集めもしなかったのだから。

 貴殿らも、もし領内の村に於いて、小さな畑の麦の実を風に飛ばされるに任せて残った風に強い麦を得ようと試みている者がいたとしたら、厳しく罰していたのではないか」


「「「 ………… 」」」


「それからだ。

 これらの農法の内、最も試してみやすいものは、種を撒くのではなく小さな穴を掘って埋めるという行為だろう。

 それだけで種蒔きの労力が10分の1になって収穫量が5倍にもなるのだから」


「で、では、なぜ誰もそれを行っていないのでしょうか」


「それはな、その知識が口伝でしか残らなかったからなのだ」


「…………」


「つまり、書物で残っておらずに『これぐらいの穴を開けて、軽く土を被せる』と耳で聞くだけだったわけだな。

 そして、その穴が深すぎると麦の芽は出て来ない。

 要はせっかく植えた種が全滅するわけだ。


 もしも書物に『指の第1関節と同じ深さの穴を開け、そこに麦の粒を2粒入れて軽く土を被せ、その上から掌に乗る程度の少量の水をかける』と書いてあり、それを読むことが出来ればそのようなことは無いだろうがな」


「「「 ………… 」」」


「文字が読めないということは、それだけ不利だということだ。

 これからは諸君も読み書き計算を学ぶべきだと思う」


「で、ですが、読み書き計算など下賤な商人のすることであり、貴族たる我らには相応しくないのではないでしょうか」


「その結果が反当たり28倍もの収穫差に至ったのにか?」


「「「 ………… 」」」


「これから模範農村に入植する民は、読み書きの検定試験に合格した者だけになる。

 また、国営職業紹介所で職を選ぶときにも、この検定試験に合格した者が有利になるのだ。

 よって民は必至で読み書きを学ぶだろう。

 その方が遥かに多くの所得を得て裕福になれるからな」


「「「 ……………… 」」」


「もし読み書き計算など貴族に相応しくないなどと言っていれば、今はまだいいが、10年後には文字が読めない者は貴族だけになってしまい、貴卿らが下賤者と蔑む平民に笑われてしまうぞ」


「き、貴族を笑う平民など、無礼打ちにしてやりましょうぞ!」


「新国法第17条では貴族の無礼打ちは厳しく禁じられた」


「な、なんですと!」


「やはり貴殿らは国法も読んでいなかったのだな。

 仮に平民を無礼打ちにした場合には、その貴族は普通の殺人者として牢獄に入れられ、貴族家の爵位も剥奪されるのだぞ」


「「「 !!!! 」」」


「諸卿らは、法衣貴族化を受け入れる書面に署名する際に、その文面に『新国法を遵守し』と書いてあったことすら読んでいなかったのか?」


「「「 ………… 」」」


「ことほど左様に文字が読めないということは不自由なことなのだ。

 せめて家中の家令など読み書きの出来るものに新国法を読み上げさせて、その内容を理解するよう努力したまえ」


「「「 ぅぅぅっ…… 」」」



「話を元に戻そう。

 ある貴族領や国でそうした画期的な農法が広まっていたとしようか。

 その領地や国では、反当たり収穫が他の地域の5倍以上になっていただろう。

 だが、そうした地は単に麦が豊かに実る地として隣領や隣国に攻め滅ぼされてしまい、せっかくの知識を持つ者たちも死に絶えていたのだ」


「なんと……」


「つまり、我らがそうした智慧を持たずにいたのは、読み書きが出来なかったことと、戦乱に明け暮れていたからだということになる。


 デスレルが滅んだおかげで我らには時間が出来た。

 また、領軍を鍛える必要も徴税の必要も無い。

 これを機会に諸君も農業や読み書き計算を学び始めてもよいのではないかな……」


「「「 ………… 」」」





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