*** 336 健康診断 ***
大地は料理人たちを見渡した。
「みなさんようこそワイズ王国料理学校へ」
「な、なんだと!
こ、ここはワイズ王国だというのか!」
ゲゼルシャフト王国のゼルゴー料理長が吼えた。
「ええ、わたくしどもの魔法でお連れさせて頂きました。
ここはワイズ王国の王都にありますワイズ王国国立料理学校であります」
「なんのつもりだ!」
「あれ?
なにもお聞きになっていらっしゃらないのですか?
王城の管理部の方にはお伝えしておりましたのに」
「知らん!
今朝仕事のために厨房に行ってみれば、いきなり全員集められてここに連れて来られたのだ!」
「それはそれは。
管理部の方々がお伝えするのをお忘れになっていらっしゃったのですね」
「すぐにその魔法とやらでわしらを国に帰せ!
ったく、まだ朝食の用意も終わっていないというのに!」
「大丈夫ですよ。
今日は1日、わたくしどもワイズ商会のレストラン部が王城の皆さまに料理をお届けすることになっておりますので」
「な、なんだと……」
「それでは改めて本日の予定を申し上げましょう。
わたしはみなさんのお世話係を拝命したダイチと申します。
よろしくお願い致します。
まず、この料理学校は、3カ国の国王陛下の合意により設立されたものでございまして、その目的は一流の料理師の養成になります。
料理師という職は、これからゲゼル、ゲマインの2カ国に作られる国営商会直営のレストランに於いて、厨房長となれる資格を有する方になります。
もちろんそのレストランは主要都市など各地にも作られ、多くの方々のために食事を作ることになるでしょう。
また、料理師はここワイズ料理学校に於いて、後進の指導にも当たって貰います。
料理師の上には上級料理師と言う資格もありまして、これはもう国を代表する料理師ということになりますね。
その後の業績によっては一代貴族の地位が与えられることもあります」
ゼルゴー厨房部長の目が貪欲に濁った。
「そうかいそうかい、ってぇことは俺みたいな大ベテランにその学校とやらで講師をして欲しいってこったな。
まあ報酬次第で考えちゃあやるが、その前にまずその上級なんとかとかいう地位をよこせや」
「すみませんが、まだ全てご説明を終わっていませんので、最後までお聞きいただけますでしょうか」
「ちっ、若造が生意気言いやがって!」
「この料理師資格の下には、料理師を目指す料理人という待遇がありまして、その下には見習い料理人という初級職もあります。
それでは本日の予定を申し上げましょう。
まずは簡単な検査を行わせて頂きます。
検査の内容は非常に単純なものですのでご安心ください。
次に、現在この大陸に唯一1人だけいる最上級料理師が作りました新料理の試食をして頂き、それを食べて頂いた上で、皆さまにはその後の職を選んで頂くことになります。
第1の職とは、もちろん今の職場での職を継続されることですね。
第2の職は、この料理学校に見習い料理人として入学して頂くことであります」
「なんだとこの野郎っ!
ゲゼルシャフト王国予備役大尉であり、王城厨房部長であるこの俺様を見習い料理人だとぉっ!」
「お静かに。
あなたは発言を許されていません」
「な、なんだとっ!
おいお前ぇたち、帰ぇるぞ。
こんなフザけた場所にこれ以上いてたまるか!」
「そうですか、それでは道中お気をつけて。
差し出口を申し上げますが、ここからゲゼルシャフト王国王城までは徒歩で3日半かかりますので、食料と野営道具の準備をお忘れなく」
「莫迦言ってんじゃねぇっ!
さっさと魔法とかなんとかで、俺たちを送り返ぇせっ!」
「いえ、それは出来ません。
本日のこの会合はゲゼルシャフト王国からの要請にも基づくものでもあります。
従いまして、会合が終了するまでは送迎は出来ないのです」
「ちっ!
それならお前たち飲みにいくぞ!
休暇だとでも思って王都に出るか」
「よろしいのですか?」
「なにがだ!
俺の厨房部員の行動は俺が決める!」
「もちろんそれはそうですね。
ですが、これもおせっかいながら皆さんに申し上げます。
あなた方は今、国から命じられた公式な任務中です。
それを放棄して酒を飲みに行くことは、軍で言えば『命令無視』と『脱走罪』に当たります」
「な、なにっ」
「ああ、それに『任務中飲酒』も加わりますか。
帰国後は重営倉入りと軍階級の降格もしくは剥奪になりますのでご承知おきください」
「な、なんだと……」
「当然ですよね。
あなたは国の命令を無視して脱走為さるのですから。
ああ、部下にそれを強要したという『違法命令罪』も加わりますので、あなただけは3階級の降格の上、軍籍剥奪になるかもしれません。
ということは、将校ではなく下士官に降格された上で不名誉除隊ということになります」
「ぬぐぐぐ……」
「あれ?
脱走はされないのですか?」
「ぬがががが……」
「それでは説明を続けさせて頂きます。
この料理学校に入学すると、その後は最低でも3か月の研鑽を積んで頂いた後で認定試験を受けることになります。
そこで料理人、もしくは料理師に認定された方には、その時点でさらに進路を選ぶことになります。
その進路のうちのひとつは、元の職場に戻ることですね。
軍隊用語で言えば原隊復帰でしょうか。
その際にはもちろん階級も俸給も上がっていることになります。
2つ目の道はこれから20か所ほどに出来る国営商会のレストラン部で厨房長になって頂くことですね。
その際には、その厨房長という職級とかなりの昇給が与えられるでしょう。
3つ目の道は、料理師資格取得後もこの学校に残って研鑽を続け、同時に新たに入学してくる見習い料理人に料理を教えることになります。
この際に、昇給は行われますが、昇格は行われません。
何故なら料理師という地位そのものが階級になりますから。
つまり、この料理学校とは軍と同じような組織であると言ってもいいでしょう。
軍学校と同じ位置に料理学校があり、訓練や演習と同じ位置づけとしての料理実習があり、実戦として各地のレストランでの仕事があります。
先ほどこの料理学校に入学する際には、全員が見習い料理人になるということにご不満の方がいらっしゃいましたが、最初が見習いであるのは当然でしょう。
初めて軍に入隊する者は必ず新兵として教育を受けますから。
ただし、例えば貴族の領兵だった者が国軍に入隊した場合、その者に実力があるのは明らかです。
その場合には、入隊後の階級昇格にも差が出るでしょうね。
そういう意味で、長年厨房員として働いて来られた方は有利だということです。
そして、この料理人の世界は完全に実力主義となります。
軍と違って入隊後の勤続年数は考慮されません。
全て安全で美味しい料理を、如何に手早く作れるかということが昇格判断の基準になります」
「その昇格判断は誰がするんでぇ!」
「私共の最上級料理師が皆さんの国王陛下と宰相閣下に推薦致します。
そのときには、推薦された方は実際に陛下と閣下に料理を召し上がって頂いて昇格が決定されますが、推薦が拒否されることはまず無いでしょう」
「…………」
「なにしろこの方は、ワイズ王国、ゲゼルシャフト王国、ゲマインシャフト王国の3カ国にて、既に一代男爵に叙せられていらっしゃるほどの方ですので。
それでは早速健康診断を始めましょうか」
「な、なにをさせる気だ……」
「とても簡単なことですよ」
大地が手を挙げると、各人の前にコップが5つずつ出て来た。
それぞれ、黒、白、赤、青、黄色のコップである。
中には無色透明の液体が入っていた。
「「「 !!!! 」」」
「みなさんお気になさらずに、単に魔法で出したものですから。
そのコップのうち4つには、水に塩を加えたものが入っています。
ひとつは真水ですね。
あとの4つには、100グラムの水に、それぞれ1グラムの半分、1グラム、1グラムと半グラム、3グラムの塩を入れた塩水が入っています。
みなさんはこれから、それらのコップの水を飲んで、塩の多い順に左から並べていってください。
念のため他の方のコップが見えないように衝立を出しますので、驚かないでくださいね」
その場の110人を囲むように衝立が出て来た。
これでもうカンニングは出来ないだろう。
ゼルゴー料理長と3人の副料理長が、腕組みをほどいてコップを取り中身を口にした。
4人ともコップを持つ手がプルプルと震えている。
反対側の手でコップを持つ手を押さえたが、震えはさらに大きくなっている。
まあ衝立のおかげで手の震えは誰にも見られないと思っているのだろう。
またゼルゴー厨房部長が吼えた。
「ふざけるな小僧っ!
塩が入っているのは1つだけで、後は全部水だけじゃねぇか!
しかもひとつにはなんか苦ぇもんまで入れやがって!」
3人の副厨房長も、怒気も露わに頷いている。
その場の全員が驚いた顔をしていた。
「みなさん並べ終わったようですね。
衝立を消しましょうか」
衝立が消えて皆の前のコップが見えるようになった。
「みなさんさすがですね。
ゼルゴー厨房長と3人の副厨房長さんたち以外は全員正解です」
会場にほっとした空気が流れた。
「小僧っ!
手前ぇインチキしやがったな!
俺たちにだけ違うものを出しやがって!」
4人の机にまた5色のコップが出て来た。
そのそれぞれに元のコップから水が移されている。
「パダン厨房長さんと副料理長さんたち、恐縮ですが前に出てこのコップを並べ替えていただけますか」
「「「 はっ! 」」」
4人はそれぞれのコップの水を飲み、頷きながら並べ替えていった。
「どうですか、味の違いは」
「これほどはっきり違うのならば、見習いでも素人でも間違うことは無いでしょうね」
3人の副厨房長たちも大きく頷いている。
「な、なんだとこの野郎っ!」
「実はこれは、ある深刻な病気に罹っているかどうかを調べる方法なんです。
この病気は『亜鉛欠乏症』と言いまして、およそ料理を作る厨房員には致命的な病気です。
口に入れたものの味がわからなくなる病気ですね。
特に分かりやすい症状としては、ただの水を飲んでもそれが苦く感じられることです」
「な、なに……」
「ゲゼルシャフト王国厨房員の方、あなた方は井戸から汲んで来た水が腐っていて苦いと言われ、何度も汲みなおさせられたことはありませんか?」
若手から中堅までの厨房員たちが、躊躇いながら顔を見合わせている」
「ふむ、後で殴られるのが心配ですか。
それではゼルゴー厨房長殿と副厨房さんたち。
手を真っすぐ前に出してください」
「なんで俺が手前ぇの命令を聞かなきゃなんねぇんだ!」
「私があなた方の世話をしているのは、アマーゲ大将軍閣下からのご命令によるものです。
そのわたしの指示に従えないということは、将軍閣下のご命令を公然と拒否したことと同じ扱いになりますよ?」
「くっ! この糞餓鬼がっ!
手ぇぐらい見せてやるからよく見やがれっ!」
4人は両手に思いっきり力を込めて突き出した。
力さえ入れれば震えは収まると思ったのだろうが、それは完全に逆効果である。
彼らの両手は遠くから見ても分かるほどに激しく震えていた。
厨房長は、左手で右手を叩いたり、テーブルの上も叩くなどの奇行も始めている。
「あなたの手にもテーブルの上にも虫などいませんよ」
「な、なにっ!」
「その手の激しい震え、虫が見える幻覚、あなた方は『重度慢性アルコール中毒』も患っていらっしゃいますね」
「な……」
もちろん彼らはそのような病名は聞いたことは無い。
「しかもその手と腕の浮腫み、ということは、きっと脚も相当に腫れ上がっていることでしょう。
それはベリベリー病という名の病です」
(註:脚気のこと。アルスでの病名は貴族病)
「なんだと……」
「ということでですね。
あなた方4人は3つもの病に罹っているのですよ。
どれもかなりの重篤症状ですので、早ければ半年以内、遅くとも3年以内には皆さんお亡くなりになるでしょうね」
「「「 なっ…… 」」」
「ということで厨房部員のみなさん、この4人の方は帰国と同時に職を解かれて療養生活に入ることになりますので、本当のことを言ったとしても、もうあなた方を殴るひとはいませんよ。
ですから、甕にいれた水を何度も取り替えさせられたかどうか教えてください」
「は、はい。何度も取り替えさせられました……」
「こんな苦い水をどこから汲んで来たとか怒鳴られて」
「その度に殴られるんですけど、それで3人も辞めてしまいました」
「やはりそうですか。
ご安心ください。
わたしの勧告によって、殴られて辞めてしまった方々にはこの4人の退役軍人年金から賠償金が支払われることになりますので」
「あ、ありがとうございます……」
「ふざけんな小僧っ!
出来の悪い部下を殴って教育して何が悪いんだっ!」
「おわかりになりませんか?
それは明白な軍規違反であり、国法違反でもあります。
何しろ軍法による刑罰ではなく、あなた自身の単なる傷害行為ですからね。
まして、出来が悪いのはあなたの部下ではなく、あなた自身の口ですから」
「な、なんだとぉぉぉっ!」
「先ほど申し上げたように、『亜鉛欠乏症』は悪化するとただの水を飲んでも苦く感じるんです。
あなた方はもう末期症状ですね」
「な、なにっ!」
「それでは特別に、今日はあなた方4人の『亜鉛欠乏症』を治して差し上げましょう。
ただし、言っておきますが、この病は1か月も経てばすぐ再発しますので。
治療後にはもう1回だけ健康テスト用の試食をしてもらいます」
大地が手を挙げると4人の体が白く光った。
ツバサさまが創ってくれた『味覚障害専用治癒系光魔法』である。
「な、なにをした……」
「ご安心ください、ただの魔法ですので」
「「「 ………… 」」」




