*** 312 見習い料理人選抜 ***
高原の民に笑顔が溢れていた頃、シェフィーちゃんは大地に連れられて川の民の越冬場に来ていた。
読み書き計算検定初級の合格者が何人か出始めたために、彼らの内の希望者を対象に見習い料理人の選抜試験を行うためである。
見習い試験に応募した者は1の村から5の村まで、合計で50人ほどいた。
受験者は各村の代官に連れられて1の村の料理場に転移して来ている。
下は12歳の女の子から上は50代の男性までの雑多な集団だった。
「それではこれより見習い料理人を採用するための試験を行います。
試験に合格して見習い料理人になれば、日に銅貨10枚、麦にして1升分のお給金が支払われるようになりますので、頑張ってください。
ですがその前に。
あなたとあなたとあなた、あなた方はまだ読み書き計算の検定試験に合格していませんね。
お帰りください」
「なんだと!」
「なんで魚を捌くのに読み書きが要るんだ!」
「お、俺は20年も魚を捌いて来ているんだぞ!」
「これはダイチさまが決められたルールです。
それに、料理には数字などの把握も必要になることがあります。
もういちど勉強しなおして、検定試験に合格してから来てください」
「なんだとこの餓鬼ぃ!」
男たちがシェフィーちゃんに掴みかかって来た。
だがもちろん……
「「「 ぎ、ぎゃぁぁぁぁ――っ! 」」」
「やれやれ、他人に暴力を振るおうとすると、『幻覚刑』を受けると説明されていたでしょうに。
『幻覚刑』とは、魔法の力で今までに被ったことのある最も痛かった経験を30分に渡ってフラッシュバックさせられるものですが、この場で30分も転がり廻られるのも邪魔ですね」
シェフィーちゃんが指さすと、男たちはわめき散らしながら宙に浮いて川原に運ばれて行った。
もちろんシェフィーちゃんも初級魔法は使えるのである。
加えてシェフィーちゃんには大地が『防御』の魔法もガチガチにかけていた。
それも戦車砲で撃たれても掠り傷ひとつつかないレベルで。
「それでは見習い料理人の採用試験を始めます。
まずはみなさん、おトイレに行ってから隣のクリーンの魔道具の部屋に行って体を綺麗にし、次は光魔法の光を浴びてきてください」
40人ほどの男女がぞろぞろと料理場を出て行った。
だが、その場には30歳から40歳ほどの数人の男女が残っていたのである。
「どうされましたか。
早くおトイレに行って、そのあと体と服を綺麗にして来て下さい」
「アタシの体が汚いっていうの!」
「はい汚いです。
手や体には目に見えない汚れや黴菌がたくさんついていますから」
「なんだって!」
「トイレなら朝行ったぞ」
「もう一度行ってください。
料理の途中でトイレに立つのは不衛生ですし、再度クリーンの部屋に入るのも時間の無駄ですから」
「うるせえガキっ! 俺さまに指図するんじゃねぇっ!」
シェフィーちゃんはため息をついた。
「あなた方は採用試験不合格です。
すぐにお帰り下さい」
「な、なんだと……」
「ここは料理場で、わたしは料理場の責任者です。
しかもあなた方はこれから料理の仕方をわたしから教わるのですよ。
ですから、わたしの指示に従えないひとは要りません。
不合格です」
「この糞餓鬼めぇっ!」
「ぶちのめされたくなかったら、俺を合格させろぉっ!」
「ん? あ? ぎやぁぁぁ――っ!」
「い、痛い痛い痛い――っ!」
「また幻覚刑ですか。
記憶力が無いんですかね……」
のたうち回る男女は、また念動魔法で外につまみ出されている。
トイレとクリーンの部屋に行っていた者たちが帰って来たようだ。
「それではそこにあるエプロンを身に着けて、帽子も被って下さい。
後はこのビニール手袋も手に嵌めてくださいね」
「ここまでしなきゃいけないのかい?」
「はい。
風邪などの場合を除いて、ヒトがお腹を壊すのは、ほとんど食材か料理人の手についていた黴菌というもののせいになりますので」
「面倒くさいねぇ」
「あなたも不合格です」
「えっ……」
「これから料理を学ぼうとする講師であるわたくしの指示に、公然と文句を言ったのですから不合格は当然です。
さっさとお帰り下さい。
この試験は、料理の技術を問うものではなく、まずは講師であるわたくしの指示に従えるかという試験ですので」
「こ、この生意気な小娘が……」
だが、この年配の女性は川原の方を見た。
そこではまだ痛みにのたうち回る者たちがいて、悲鳴も聞こえている。
「くっ、今日は帰ってやるけど覚えときな!
今度その生意気な口をぶちのめしてやるから!」
「あーあ」
「ぎ、ぎゃぁぁぁ―――っ!
痛い痛い痛い――っ!」
「何度言われたら分かるんでしょうか。
『幻覚刑』の発動条件のひとつは、『暴力を匂わす脅迫』ですよ。
あなたも煩いので川原に行ってください」
悲鳴が遠ざかっていった。
「さて、それでは料理の実技試験を行いましょうか。
まずはナイフの使い方の練習をしましょう。
これは大根という野菜です。
これを8センチほどの長さに輪切りにし、次にこうやって皮を剥いて下さい。
それが終わったら、こうして外側から内側にかけて薄切りにして行きます。
こんなふうに。
途中で薄切りが厚くなったり切れたりしないように気をつけてください」
「な、なあ、なんで魚を捌くのにこんなことをしなけりゃならないんだ?」
「これは桂剥きと言って、ナイフの使い方を練習するのに最適な方法なんですよ」
「あ、また切れちまった。
おい、こんな無駄なことしてねぇで、早く魚を捌かせろや。
こう見えても俺ぁ、魚獲りと魚焼きの名人なんだぜ」
「あなたも不合格です。お帰り下さい」
「なっ……」
「たとえあなたが採用試験に合格しても、まだ見習いでしかありません。
そして一人前の料理師への道はまだまだ遠いのです。
桂剥きも出来ないシロウトのくせに、自分を名人と己惚れているようなひとは要りません。
人から何かを教わるときにはもっと謙虚になりなさい」
「くっ……
こ、この生意気な餓鬼めぇっ!」
「碌にナイフも使えないのに名人を名乗るあなたの方が、よほどに生意気ですね。
さあ、早く帰りなさい」
「ぬぐぐぐぐ……」
「さて、みなさんはもう少し桂剥きを続けてください。
もちろん剥いた皮も桂剥きにした大根も他の料理に使いますので、そこの箱に分けて入れておいてくださいね」
「あ、あのっ!」
13歳ほどの少年が目に涙をいっぱい溜めて必死で話しかけて来た。
「なんでしょうか」
「お、俺、さっきからぜんぜん上手く薄切りに出来ないんだ。
や、やっぱり俺も不合格になるのか?
お、お願いだから、不合格にする前にもっと練習させて欲しいんだ!」
シェフィーちゃんは微笑んだ。
「今日の試験は見習い料理人を採用するためのもので、料理人を求めているものではありません。
そして、見習いに必要なのは、講師の言う通りに出来ること、それから出来るようになるまで努力することなんです。
あなたは合格です」
「えっ……」
その場の男女が熱心に桂剥きを始めた。
「もう一度だけお手本をお見せします」
シェフィーちゃんの手の中の大根は、みるみる桂に剥かれていった。
反対側が透けて見えるほどの薄さで、途中の切れ目も無い。
何人かの口は開いていたが、別の何人かは忌々し気にシェフィーちゃんを見ている。
どうやら12歳ほどに見える少女が、自分よりも遥かに高い技量を持っていることが許せないのだろう。
「試験に合格されて見習い料理人になられた方は、この桂剥きの練習をする時間を作りますので自習して下さい。
それでは次に、魚を捌いてみましょう。
また私がお手本を見せますので、よく見ていてください。
この鮎と山女は氷温以下の環境で仮死状態になっています。
まずはエラを開いて中にナイフを入れ、このようにナイフの先端で動脈と脊髄を切って〆てください。
その後で鱗を落とします。
この様にナイフの背でも鱗は落とせますが、慣れないうちはこちらのウロコ取りを使いましょうか。
落とした鱗も使い途は有りますので、別の箱に入れておきます。
鱗を取った後は腹を裂いて内臓を取り出します。
鮎の内臓と山女の内臓は、それぞれ別の箱に入れてくださいね。
それではみなさんもやってみてください」
その場の皆がトロ箱の中から鮎や山女を取り出して捌き始めた。
12歳から16歳ほどまでの子供たちは、魚を捌いたことが無かったのか、おっかなびっくり魚を掴み、まな板の上で教わった通りにエラの内側にナイフを入れている。
だが……
「お待ちなさい。
なぜあなたは魚の頭を切り落としているのですか」
「いつもこうやっているからに決まってんだろ」
「あなたは不合格です。すぐにお帰り下さい」
「なっ……」
「あなたの料理方法はわたしの指示したものと違います。
講師の言うことが聞けない方は、料理場には不要です。
帰りなさい」
「ぬぐぐぐ……」
「そこのあなた、なぜ〆る前に鱗を剥がしているのですか。
それもナイフの背ではなく刃で」
「だってよ、いつもこうやってんだからいいだろうが」
「あなたも不合格です。
すぐにナイフを置いて帰りなさい」
「なんだとこの餓鬼やぁっ!」
男はナイフをシェフィーちゃんに向けた途端に消えた。
すぐに川原から激痛にのたうち回る悲鳴が聞こえて来ている。
どうやらシスくんが『幻覚の魔道具』に、川原への自動転移機能を付け加えてくれたらしい。
このころになると、悲鳴を聞きつけたひとたちが、大勢建物の中から川原を見ていた。
中には自分の身内が絶叫しながらのたうち回っているのを見て、慌てて川原に出てきた者たちもいたが、それでも何も出来なかったのである。
「そこのあなた、その箱は鮎の内臓を入れる箱ですよ。
山女の内臓はこちらの箱に入れるように」
「いちいちうるせえっ!
内臓なんかどっちもおなじだろうがっ!」
「あなたも不合格です。
講師の指示通りに出来ないだけでなく、魚のことも知らないとは」
「なんだとこの餓鬼やぁっ!」
拳を振り上げた男がまた1人消えた。
「ふう、みなさんも良く聞いて下さい。
みなさんは簗で魚を獲っているのでご存じないのでしょうけど、山女と鮎ではその食性が全く違うのです」
「「「 ??? 」」」
「山女は雑食性で、昆虫やミミズや小魚も食べます。
そのため、内臓の中には虫の破片などが含まれているので食用に向きません。
ですから、山女の内臓は土に埋めて発酵させて肥料として使います。
ですが、鮎は幼魚の時を除いて、川底の石に着いたコケを食べて生きています。
ですから、その内臓も香ばしくて美味しくなるのですよ。
特にその内臓を塩漬けにすると、『うるか』という美味しい食べ物になります。
これは塩分を摂るために最適な方法のひとつになりますし。
そんなことも知らずに何十年も魚を食べて生きて来たとは……
やはり考えたり工夫したりすることを放棄して、惰性だけで生きているとこうなるのですね。
しかも何十年も魚を料理して来たと言っても、桂剥きさえ出来ないとは……」
「な、なんだとぉっ!」
「も、もう勘弁ならねぇっ」
「ぶっ殺してやる!」
また5人ほどが消えた。
川原からの悲鳴がさらに大きくなっている。
「本当に学習能力の無いひとたちですねぇ」
「おい、魚の処理が終わったぞ」
「終わっていません。
まだたくさんウロコが残っています」
「そんなもん、喰うときに剥がしゃあいいだろうに!」
「あなたも不合格です。お帰り下さい」
「なっ……」
「なぜあなたはウロコを床に捨てているのですか。
ウロコにも使い道があるので、箱に入れるように言ったはずです」
「うるせえっ!
いちいち俺に指図するんじゃねぇっ!
しまいにゃぶん殴るぞっ!」
また男が消えた。
こうして、その場にいた大人たちは全員不合格となっていったのである。
残っていたのは12歳から16歳ぐらいまでの少年少女たち5人だけだった。
「すみませんシェフィー講師、これでウロコは取り終わっているでしょうか……」
「まだ少し残っていますね。
もっとよく見て全て取って下さい」
「はい!」
「みなさん、魚の処理が出来たようですね。
ずいぶんと時間はかかりましたが、それはこれから仕事を続けていくことで慣れていくでしょう。
あなた方5人は合格とします」
歓声が上がった。
みな本当に嬉しそうである。
「それではもう1尾ずつ魚を処理しましょうか。
さっき鮎を捌いたひとは山女を、山女を捌いたひとは鮎を捌いてください」
「「「 はい! 」」」
そうこうしているうちに30分経ったのだろう。
川原で転がり廻っていた連中が起き上がり始めた。
「だ、大丈夫かい父ちゃん」
「いったい誰にやられたんだい。
それにしては怪我はしてないみたいだけど」
「ちくしょう…… あの餓鬼、許せねぇ……」
「ぶっ殺してやる……」
「思い知らせてやろうじゃないの!」
そうして、手に手に川原の石を持って料理場に走って来たのである。
中には家族や仲間の敵とばかり、同じように石を持って走り出した者たちもいた。
だが……
彼らはそのまま消え失せた。
家族の者はまだ初犯だったのでまた川原でのたうち回り、そして、2回目の傷害未遂、殺人未遂犯たちは……
「「「 な、なんだこりゃあぁぁぁ――っ! 」」」
その場では、『変身刑』を受けた者たちが驚愕に立ち尽くしていたのである。
まあなにしろ身長50センチと言えば、生後3か月ほどの乳児の平均身長である。
彼らは料理室のドアのノブにも手が届かず、皆その場で途方に暮れていた。
そしてそのまま、あるいはのたうち回る家族が落ち着いた30分後、階段を上がるのにも苦労しながらとぼとぼと越冬施設に帰って行ったのである……




