*** 301 試食 ***
調理台の上には、それぞれの大きさのボウルに入れられた材料が並べられている。
それらボウルには、材料の名前と重さを書いた札も貼ってあった。
「お料理にとって大事なことのひとつは分量なんです。
まだみなさん材料の名前や重さの数字は読めないかもしれませんが、すぐに覚えられるでしょう。
それではこの材料の内、コーンスターチと卵白以外を全て寸胴に入れます。
6つの寸胴の内2つは塩と胡椒は少なめにしますが、これは子供さん用です。
塩や胡椒が効いたウインナーは美味しいのですが、子供さんたちには少し辛いかもしれませんから。
次は寸胴の中の材料をヘラでかき混ぜます。
これは材料を均等にするための作業ですから、あまり強くかき混ぜないでください。
(本当は脂が溶けて粘りが出ないように冷やしながらする作業なんだけど、
羊脂はヘットやラードに比べて融点が高いから大丈夫でしょう……)
混ぜ終わったら、卵白とコーンスターチを加えてさらに混ぜます。
それが終わったら、いよいよ羊の血を入れましょう。
寸胴ひとつにつき8リットル、この器4杯ずつ入れてまたかき混ぜます」
厨房に生臭い匂いが広がった。
生徒たちの大半は顔を顰めている。
「次はこの具材をウインナーフィラーの上についている箱に入れ、中に気泡が残っていないように箸でかき混ぜます。
混ぜ終わったら、先程腸を嵌めたノズルをフィラーに嵌め、腸の端をこのように結びましょう。
その後はこうしてフィラーのハンドルをゆっくり回すと、具材が腸の中に入って行きます。
もし空気が入ってしまったら、この針で突いて小さな穴を開けて空気を絞り出します。
この充填作業では、あまり腸が張らないように少し余裕をもって詰めていってください。
また、20センチほど具材を詰めたら、腸を捩じります。
こんな感じですね。
20センチという長さは、フィラーの台についているこの『20』と書かれた長さですので参考にしてください。
それではひとりが1本のウインナーを作りましょうか」
生徒たちは20台あるウインナーフィラーに分かれて作業を始めた。
これもやはり、にゅるにゅるとウインナーが伸びて行くのが面白いらしい。
「あっ!」
男の子が声を上げた。
どうやら腸が破れて具材が出て来てしまったらしい。
「大丈夫ですよ。
穴が開いた腸の前後をこの太い糸で縛ってください。
はみ出た具材はまたフィラーに戻しましょう」
「はい!」
「ウインナーが出来上がった人は、針で2センチおきぐらいに小さな穴を開けてください」
ご婦人たちは無事に作業を終えたようだが、子供たちはそれなりに苦労していた。
だがまあなんとか作業を終わらせたようだ。
「出来上がった腸詰は、端の捩じり目同士を合わせてまたこのように捩じります。
これでウインナーの輪が出来ましたね。
そうしたら、全員のウインナーをこの12個の寸胴に入れましょう。
その後で水をこの線まで入れておきます。
これを、部屋の隅にある大型の熱の魔道具に並べながら入れて下さい」
「あの、この魔道具って、パンを焼く前に生地を膨らませるために入れる魔道具に似ていますよね。
こちらの方がずっと大きいですけど」
「そうです。
大きさは違っても機能は同じです。
それでは魔道具の目盛りを『80℃』と『60分』に合わせます。
これでウインナーを80℃で1刻の間茹でてくれます」
「あの……
そんなに長い時間茹でて、ウインナーが破裂してしまいませんか?」
「ええ、沸騰したお湯、つまり100℃のお湯で茹でればすぐに破裂してしまいます。
ですが、この魔道具の中は80℃以上にはならないんです。
それにさっき針で小さな穴をたくさん開けましたから大丈夫ですよ」
「すごい道具なんですね……」
「実は皆さんが今まで作っていらっしゃったブラッドウインナーが生臭かったのは、この茹で時間が足りなかったことと、お湯の温度が低かったこと、それから香辛料や調味料を入れていなかったからなんです。
ウインナーを茹でているお湯が沸騰しないように水を足していませんでしたか」
「は、はい……」
「ですけど、この魔道具なら安心ですね」
しばらくすると、魔道具に赤いランプが灯った。
「今魔道具の中が80℃になりました。
あと1時間で茹で上がります。
それではその間に、さっきの卵黄を使ってもう1品作りましょうか。
こちらはプリンといいます」
シェフィーちゃんはまた80個の卵を割り始めた。
それをさっきの卵黄と混ぜて6つの寸胴に注いでいる。
「どなたかこの卵をヘラでかき混ぜてくださいますか」
「「「 はい 」」」
シェフィーちゃんはそれ以外の材料も取り出した。
生クリーム(高原製)、グラニュー糖(南大陸産、精糖中央大陸)、バニラの実(南大陸産)である。
バニラの実はミルで砕いて布巾で包み、その搾り汁を取り出していた。
因みに、バニラの実は、地球では単位重量当たりの価格が世界1高い香辛料(香料)と言われている。
だが、どうやら南大陸には大量に自生しているらしい。
「みなさんは、そこの棚の中にあるこの耐熱容器を101個出して並べておいて下さい。
細かい穴の開いた蓋もついていますが、それは取り外しておいていただけますか」
「「「 はい! 」」」
シェフィーちゃんは鍋に黒糖と水を入れてかき混ぜながら火にかけた。
ときおり水を加えながらとろみがつくまで煮た後は、耐熱容器に少しずつ入れて行っている。
ちょうど101個めを入れ終わったときに鍋のカラメルが無くなったのはさすがと言えよう。
子供たちはよくわかっていないようだが、ご婦人たちの何人かは目を見開いていた。
シェフィーちゃんは大型の手付き鍋に、羊乳、羊乳から作られた生クリーム、グラニュー糖を入れて火にかけた。
高価な砂糖が大量に入れられるのを見て、生徒たちの目が丸くなっている。
「これは60℃以上にしないようにします。
鍋の周りにほんの少しでも泡が出て来たら、熱の魔道具から降ろしてまたかき混ぜます。
みなさんもやってみて下さい」
ご婦人たちが10人出て来た。
5人が卵の入った寸胴をかきまぜ、5人が羊乳や生クリームの入った鍋を暖めている。
「次は卵にこの鍋の羊乳を加えて混ぜましょう。
暖めた羊乳はいっぺんに入れずに5回ほどに分けて入れます。
そのたびによくかき混ぜてください。
混ぜ終わったら、この目の細かいザルを別の容器に乗せて、その上からプリン液を落とします。
これは『濾す』と言われる作業ですね。
この作業はザルを取り換えながら3回行いましょう。
この作業によって、滑らかで美味しいプリンが作れます」
シェフィーちゃんは出来上がったプリン液に砕いたバニラの実を絞ったものを入れ、再びかきまぜると101個の耐熱容器に注いでいった。
辺りにはバニラと砂糖の甘い香りが漂っている。
子供たちが大きく息を吸い込んで深呼吸をしていた。
「この容器に蓋をして、その棚に入っている深めの耐熱バットに並べてください。
そこに水をバットの3分の1ほど入れて、また温度管理付き熱の魔道具に入れます。
今度の温度は140℃で時間は40分ですね」
生徒たちはバットを傾けないように慎重に魔道具に入れていった。
そうこうしているうちに、ウインナーを茹でていた魔道具が「チーン」となり赤ランプも消えたようだ。
「ウインナーが茹で上がったようですね。
それではウインナーを茹でていた12個の寸胴を調理台の上まで持って来て頂けますか。
寸胴が熱くなっていますので、この手袋を嵌めて慎重にお願いします」
生徒たちは2人ずつ組になって、ゆっくりと寸胴を運んで来ている。
「それではこのうちの香辛料少なめのものを2つ、多目のものを茹でた2つの寸胴から流しにゆで汁を捨てて頂けますか。
最初はこの大型レードルでお湯を掬って捨て、お湯が減ったら流しに置いた大ザルの中に中身を流しましょう。
お湯を捨て終わったらよくザルを振ってお湯を切っておいてくださいね。
それから、先日キウイ液に漬けてから焼いたテンダーロイン肉を倉庫から持って来て、あそこの棚に入っている平たいザルに並べてください。
そうですね、人数分101枚並べましょうか。
並べ終わったらウインナーと肉のザルを持って燻煙場に行きましょう」
(もう食材には確りと味がついているから、ソミュール液は要らないわね)
厨房から50メートル離れたところには、縦横20メートルほどの建物が作られていた。
四方に大きなドアがある以外に窓はひとつしか無い。
シェフィーちゃんは中に入って灯りの魔道具のスイッチを入れ、ラックにかかっていた棒を取り出した。
「その茹で上がったウインナーを20本ずつこの棒に通して、またそのラックにかけていってください。
ウインナー同士が重ならないように。
全てのウインナーを棒に通してラックにかけます。
茹で肉を置いたザルはそこのフックにかけておきます。
その間に、その中央にある炉に、外の倉庫にある薪を使って火を入れてください」
「随分横に広い炉ですね……」
「ええ、これは燻製用の特別な炉ですから」
「『くんせい』……ですか?」
「ええ、食材を煙で燻して、香りをつけて日持ちを良くする調理方法です。
けっこうおいしくなりますよ」
「は、はい」
「炉に火は入りましたか。
それではその炉にそこの大きな鉄の浅い皿を4枚乗せて下さい。
それから外の倉庫に入っている楢の木のチップを持って来ましょう。
誰かついて来て頂けますでしょうか」
シェフィーちゃんはバケツ4杯の楢のチップを持って来て鉄皿の上に敷き詰めた。
男の子が3人同じようにバケツのチップを鉄皿に敷いている。
熱せられた鉄板の上のチップからは早くも少し白い煙が立ち上り始めていた。
「それでは外に出ましょう」
シェフィーちゃんが外壁についた箱を開けると、中にはスイッチがあった。
それに触れると部屋の中で風の魔道具が起動している。
壁の窓からは部屋の中の煙がかき回されて満遍なく部屋中に行き渡っているのが見えた。
煙突からは暖められた空気が出て来ているが、途中にクリーンの魔道具がセットされているために、外には熱せられた空気だけが出て来ていて煙は出ていない。
環境対策も万全である。
(さすがはシスさん、完璧な燻煙場ね。
それに淳さまにお願いしたら、木工所の人たちが楢の木の端材をものすごくたくさんチップにしてくださったし。
ストレーさんの倉庫にチップが100トンも入ってるそうだから、この冬中はもつでしょう……)
一行は厨房分室に帰って来た。
「プリンが蒸し終わったようですので外に出しておきましょうか。
バットから容器を取り出してお湯を捨て、また容器に並べておいてください。
粗熱が取れたらこちらの『冷蔵の魔道具』に入れて冷やしてから食べます。
それではみんなで出来たてウインナーを食べてみましょう。
ここにあるのは『モツ多め、香辛料多め』『肉多め、香辛料多め』、それから子供さん向けの『モツ多め、香辛料少なめ』と『肉多め、香辛料少なめ』です。
そのキッチンバサミでウインナーを切り離して1本ずつ試食してみて下さい。
まずは何もつけずにそのままで食べましょう」
ウインナーを一口食べた皆が硬直した。
「なにこれ……」
「美味しい……」
「ぜんぜん生臭くない……」
「こ、これが料理……」
全員が夢中で食べ始めた。
子供たちは皆美味しい美味しいと笑顔で食べていたが、ご婦人たちの中には涙ぐんでいるひとまでいる。
特に年長の女性たちは皆泣いていた。
今までの自分の料理は何だったのかという後悔と、これからはこんなに美味しいものが作れるのだという喜びが混ざり合った感情なのだろう。
「皆さんはどれが一番美味しいと思いますか?」
「どれもものすごく美味しいです」
「とっても複雑な味と香りがします」
「お、俺はこの香辛料少なめが美味しいと思う」
そう言った男の子は、女の子たちから『子供ね』といってからかわれていた。
まあまだ12歳の子なので無理はないのだが。
「どうですか。
これならレストランでお出ししても、お客さまがおカネを払って下さるのではないでしょうか」
その場の全員が頷いている。
「それではこのケチャップやマスタードもつけて食べてみて下さい」
マスタードはまだ地球からの輸入品だったが、ケチャップはダンジョン国製である。
「こ、これも美味しい……」
「両方つけるともっと美味しい……」
マスタードをつけすぎた男の子が涙目で水を飲んでいた。
女の子たちから『やっぱり子供ね』とからかわれている。
「プリンが少し冷めて来たようですね、それではプリンの入っているバットを冷蔵の魔道具に入れて下さい。
40分ほどで冷えますので、その間にホイップクリームも作っておきましょうか」




