*** 300 ブラッドウインナー ***
同じような料理教室はその後も繰り返された。
受講中の生徒たち以外の者も道具や材料を使うことを許されており、空いた時間に自主練を行っている。
それでも上手く出来ないと別の組の授業を見学したりもしていた。
彼らにとっては、歳を取った羊の肉をあそこまで柔らかく食べられるということは、もはや奇跡に近い出来事だったのである。
因みに、現代地球では雄羊は種付け用の少数の雄を除いてほとんどが去勢されている。
これは、雄の性ホルモンが肉の香りを(ヒトにとって)不快なものにしてしまうかららしい。
(ヒトとは実に身勝手な生き物である)
だが、13歳を過ぎて性衝動、つまり性ホルモンが無くなった雄羊ならば、問題は無い。
あとは肉を柔らかくする技法が必要になるだけだったのである。
その技法でひと手間かければ十分に肉を柔らかく出来るのに、『やっぱり安い羊肉は固いなぁ』などとホザいている日本人は、なんと愚かなことだろうか……
こうして、寡婦と12歳以上の子供たち全員が、柔らかい焼き肉の作り方伝授されたのであった。
各人にとっては1回2時間ほどの講義だったが、講師のシェフィーちゃんは連続の講義になった。
だが、シェフィーちゃんの分位体は、ストレーくんの時間停止空間内に自分の家を貰っている。
そこに転移して1時間でも1日でも半年でも自由に休めたので、疲労とは無縁だった。
大地はブラック労働を酷く嫌っていたのである。
また或る日の料理教室にて。
「さて、今回の授業ではブラッドウインナーを作りましょうか」
子供たちの何人かが嫌そうな顔をした。
「みなさんはブラッドウインナーはお嫌いですか?」
子供たちの半数が下を向いてもじもじしている。
女性たちも大半が目を泳がせていた。
「それではミルナルさん、何故ブラッドウインナーが嫌いなのか教えて下さい」
女の子はびっくりしていた。
突然名前を呼ばれたことにも驚いたが、自分が名前を言ったのは最初の授業で自己紹介したときだけである。
この先生は、あの一度だけで自分の名前を憶えていてくれたんだ!
もちろんシェフィーちゃんは『鑑定』で名前を読み取っただけなのだが。
「あ、あのあのあの! あの生臭い匂いが苦手なんです!」
「確かにブラッドウインナーは生臭いですよね。
ですが、あの料理は大切な羊を屠畜して私たちの糧にさせて貰う際に、その体を余すところなく頂こうとする、ある意味真摯な料理なんですよ。
しかも栄養は実に豊富ですし。
そこで『料理』の出番です。
生臭くなくて美味しいブラッド・ウインナーを作りましょう」
生徒たちの目が輝いた。
あの固い固い羊肉を柔らかくしてしまった『料理』と同じように、生臭くないブラッド・ウインナーが作れるかもしれない!
シェフィーちゃんは水を張った容器の中から4メートルほどに切られた羊の腸を取り出した。
「これは羊の腸を4メートルの長さに切って、一晩水に漬けておいたものです。
これを調理台の上に乗せて、このローラーで腸膜の中の腸壁を絞り出しましょう。
この作業は急いで行うと腸膜が破れてしまいますので、端の方からゆっくりと絞り出していきます。
そうですね、1度に20センチほどずつ絞って行きましょうか」
「あの、腸の中身を絞り出してしまうんですか?」
「そうです。
腸のような内臓は非常に痛みやすいんです。
それに血と同じぐらい生臭いですし。
みなさんが作っていたブラッドウインナーが生臭かった理由は、この腸内壁を取り除いていなかったせいもあります。
ですからこうして絞り出してしまいましょう。
この絞り出した腸内壁も、肥料として作物を育てるために使いますので無駄にはなりません。
絞り出した腸はこの器に溜めておきます。
それではみなさん、各自1本ずつ作業してみてください」
みな真剣に作業を始めた。
「腸内壁の絞り出しが終わったら、腸の先端にこのノズルを嵌めて下さい。
そうして、このノズルを水の魔道具のホースに繋いで、このダイヤルを「1」の位置まで回します。
そうすると、ほんの少しだけ水が出て来ますから、腸は真っすぐに伸ばしておきましょう。
そうしないと、腸が破裂してしまいますからね。
反対側の端から水が出始めたら、このようにノズルの周りに腸を押し込んで行きます。
この時にノズルの先で腸を破かないように気をつけましょう。
ゆっくりで構いませんから慎重に作業してください。
こうすると、腸内に残っていた内壁もさらに洗い出されて来るでしょう」
皆なんとかノズルに腸を嵌められたようだ。
「ノズルに嵌めた腸は、乾かないようにそのまま水に漬けておきます。
次にウインナーの中身を作りましょう。
そうですね、今日は6種類作りましょうか。
まずはこの心臓や胃、肝臓や腎臓などの内臓を水でよく洗います。
洗い終わったらナイフでぶつ切りにしてその大きな寸胴に入れて煮ます。
魔道具の目盛りは3つ目のものにしてください。
次にその骨から軟骨を切り離します。
手を切らないように気をつけて作業してください。
切り出した軟骨も寸胴に入れて煮ます」
「「「 はい 」」」
「内臓や軟骨を煮ている湯が沸騰して来たら、上に浮かんで来た白い泡をレードルで掬ってその箱に捨てて下さい。
その時にお湯が減った分は水を足しておきましょう。
この魔道具台には寸胴の下に溝があって、吹き零れても大丈夫になっています。
実際には、この内臓と軟骨を煮る作業は8時間行います」
「8時間も……」
「ええ、ですが20個の寸胴で煮込んでいたとしても、白い泡を掬うのと水を足すひとは1人いれば十分でしょう。
このまま8時間煮ていると大変ですので、今日は私が煮ておいたものを使います。
それでは、先日薄切りにしたテンダーロインの端肉もぶつ切りにしておきましょうか」
一通り具が揃うと、シェフィーちゃんはそれらを中型の寸胴に入れ、大きな秤の上に置いて重さを測っていた。
3つの寸胴にはテンダーロインの端肉を多めに入れ、後3つにはモツを多目に入れている。
「みなさんこの秤の表示を見て下さい。
これは『10』という表示で、重さが10キロあるということを示しています。
それではこの寸胴の中身をこのミンサーの受け口に入れましょう。
いっぺんにたくさん入れずに少しずつです。
具を入れたら、この出口の下に空の寸胴を置いてこのハンドルを回します」
ミンサーの口からは、細切れにされた具が零れ出て来ている。
生徒たちはその様子を凝視していた。
「この道具を使うとこのように手早く細切れを作れるので便利ですね。
それではみなさんもやってみましょうか。
ハンドルを回すのは交代で行ってください」
ミンチを作る作業は皆少し楽しそうに行っていた。
これだけの量の肉やモツをミンチにするという大変な作業が、どんどん進むのが楽しいらしい。
すぐに6つの寸胴に材料が溜まったようだ。
「それではみなさん、そちらのタマネギとニンニクを持って、外の調理室に行きましょうか」
厨房分室の外には、15メートル四方ほどの建物があり、こちらにも調理台や各種の道具が置いてあった。
「今日は風も穏やかですから、四方のドアを開けておきましょう。
風が強いときには風上側のドアを閉めて作業をします。
男の子たち25人は、このゴーグルとマスクをつけて下さい。
こんな風に」
皆、不思議そうな顔をしながらゴーグルとマスクを装着している。
「次にタマネギとニンニクの皮を剥きましょう。
剥いた皮はこの箱に入れてくださいね。
これも後で地面に埋めて堆肥にしますので。
皮を剥き終わったら、まずこのミンサーの受け口にニンニクを入れます。
このミンサーはニンニク専用にしましょうか。
こちらの大型ミンサーはタマネギ専用です
この線のところまで食材を入れたら、その上にこの蓋を乗せます。
重いので気をつけてください。
それでは出口のところにボウルを置いて、ミンサーのハンドルを回してください。
少し重いので頑張って下さいね」
男の子がハンドルを回すと、ミンサーの出口からみじん切りにされたニンニクと、大型ミンサーの出口からはタマネギが出て来た。
同時に……
「うわっ! 何だこの匂いはっ!」
「涙が! 涙が出て来たっ!」
「これはタマネギに含まれているチアールという物質が目を刺激しているせいなんです。
見学されている方たちは、もう少し離れた方がいいかもしれません」
全員がミンサーから離れた。
特に風下側にいた者たちは皆風上側に避難している。
(ふふ、順調にみじん切りが出来ているわね。
既存のフードプロセッサーって、単に中で刃が廻っているだけだから、どうしてもたくさん切り残しが出来るんだけど、この野菜ミンサーなら野菜も無駄なくみじん切りに出来るわ。
さすがはシスさんの魔改造ね♪)
因みにだが……
シスくんが魔改造したミンサーの中には、ハンドルではなく動力部分が隣の自転車のペダルに連結されたものもあったのである。
どうやらシスくんは自転車型の機械が相当にお気に召したらしい……
男の子たちは、あまりの強烈な匂いに咳き込みながらもみじん切りを作り続け、ようやくニンニクもタマネギも無くなったようだ。
その場には大型ボウル1杯分のタマネギと中型ボウル1杯分のニンニクのみじん切りが出来上がっていた。
「それでは、両方のミンサーの受け口を外してください。
底の方にタマネギとニンニクが少し残っていますので、スプーンで取り出してこのボウルに入れます。
これらは時間停止倉庫に保管しておいて、またみじん切りを作るときに一緒に入れましょう。
ミンサーは、そのクリーンの魔道具に入れて綺麗にしておきます」
「「「 はい! 」」」
「次はそのニンニクとタマネギを軽く炒めましょうか。
そのフライパンに少しだけ油を入れて暖めてください。
そう、そのぐらい暖まったらニンニクとタマネギを入れましょう」
じゅぅ~っという音と共にニンニクとタマネギの色が変わり始めた。
「ここからはこのヘラでニンニクとタマネギをかき混ぜます。
焦げ付かないように、こんな風にフライパンも動かしながら手早く混ぜて下さい。
そうそう、そのぐらいのスピードで頑張って。
そうですね、時間にして5分ほどは炒めましょうか。
タマネギがしんなりしてくるまでです」
後片付けが終わると、一行はニンニクとタマネギを持って厨房に戻った。
シェフィーちゃんが調理台の上にその他の材料を並べ始めている。
「これは砂糖と塩です、寸胴ひとつにつきこの小カップ1ずつ杯使います。
それからこちらは黒胡椒というのですが、これはこのミルに入れて細かくして使います。
こんな風に。
6人の方に胡椒を挽いてもらいましょうか。
3台のミルを、それぞれ1人が押さえてもう1人がハンドルを回します。
胡椒を挽きながら説明を聞いてください」
「あ、あの……
砂糖も胡椒も大変高価なものだと聞いたんですけど……」
「そうですね、ダンジョン商会のお店では、どちらも1キロ銀貨10枚で売られています」
「「「 !!! 」」」
「でも美味しいブラッドウインナーを作るために思い切ってたくさん使います。
その分レストランで出すウインナーの値段を上げればいいだけのことですから」
(南大陸産の黒砂糖がどんどん輸入されて来ているし、胡椒の栽培も始まっているから、どちらもそのうち大幅に値下げされるでしょうね。
たぶん10分の1ぐらいの値段になるわ♪)
因みに、ダンジョン国では黒糖を白砂糖に精製するための製糖工場も作られ始めていた。
この精製糖を作る過程では、砂糖の結晶が含まれた溶液を遠心分離器にかける工程が必要になる。
そして、ここでも大型の自転車に連結された人力遠心分離機が採用されたのであった。
オーク族やオーガ族などの脚力の在る種族がペダルを漕ぐと、最初は1:1のギアでペダル1回転につき遠心分離機が1回転するのだが、これが十分に回り始めると次々にギアが上げられて行く。
最終的には1:30のギアで、1秒間にペダル2回転で分離機が60回転もするようになった。
これで3600rpmの回転数が得られるのである。
このお仕事はダイエットに最適だったので、オーク族とオーガ族の奥様達に人気があるそうだ。
シェフィーちゃんの料理教室は続いていた。
「これはショウガ(ダンジョン国産)です。
これはこのおろし金でおろして使いますので、また3人ほどで作業をしてください。
こちらはコーンスターチと言って、トウモロコシ(ダンジョン国産)という野菜の実から作られた粉です。
それからこちらは白ワインといいましてブドウという果物から作ったお酒です。
(ふふ、ドワーフさんたちもいよいよワイン製造に乗り出してくれて嬉しいわ♪)
それからこちらはナツメグ(南大陸産)という木の実を砕いて粉にしたもので、こちらもオールスパイス(南大陸産)という木の実の粉です。
このカップに入っているものは、コンソメスープと言いまして、12種類の野菜と肉を6時間茹でて作ったものなんですよ」
「ろ、6時間も……」
「このスープはこれだけでも美味しいので、今度また作り方を教えましょう。
それからこれはニワトリという名の鳥の卵です(地球産)。
今日はこの卵の白身を卵90個分使います」
シェフィーちゃんは左手で卵を持って右手で割り、それを黄身分け器に入れて白身だけを取り出していった。
右手には卵の殻が重なっていく見事な手際である。
「この卵の黄身も別の料理に使いますので時間停止倉庫に保存しておきましょう。
卵の殻もあとで砕いて肥料にしますので保存しておいてください。
この白身は卵15個分ずつ6つのボウルに分けて入れてありますが、これを6人の方でヘラを使ってよくかき混ぜておいてください」