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*** 3 異世界生活ハンドブック ***

 


 元日、大地はまず一人暮らしの佐伯を訪れた後、佐伯と共に須藤の家に向かった。

 静田は既に須藤邸で待っている。


 祖父と一緒に何度も訪れた須藤邸だが、今年は祖父はいない。



 一通り新年の挨拶を済ますと、大地の前には見たことも無いほどのご馳走が並んだ。

 祖父と訪れたときの料理も素晴らしかったが、今年の卓上に並んでいる料理はさらに豪勢なものになっている。


 祖父が亡くなっても、3人が大地を大切に思っているという気持ちを表そうとしてくれたのだろう。



 ビールとジュースで乾杯した後、大地は早速それら山海の珍味を堪能し始めた。

 この家では遠慮をすると悲しそうな顔をされる。



 須藤医師が大地に向き直った。


「それで大地くん。高校はやはり県立青嵐高校を受験するのかね」


「はい、そのつもりでいます。

 なにしろ市内の自宅から自転車で通えますからね」



 大地は普段市内にある自宅に住んでいた。

 8年前までは父母と3人で、両親が亡くなってからは祖父と2人で。

 だが今やひとりきりの生活である。



 祖父が亡くなった後、むろん佐伯も須藤も静田も一緒に暮らそうと言ってくれた。

 それも相当な勢いで。

 3人の大地争奪戦には辟易したものである。

 だがまあ父母の仏壇を守りたいという大地の願いをどうにか聞き届けてもらえたようだ。

 その代わりに3人とも頻繁に大地の下を訪れ、何かと理由をつけては家に招いてくれるようになっている。



「ところで大地くん。

 大学はやはり医学部を目指してくれるんだよね」


「何を言うか須藤、法学部に決まっておろうが。

 司法試験に通ったら、佐伯弁護士事務所は『北斗・佐伯弁護士事務所』になるのだからな」


「お前はなんとセコイことを言うのだ。

 大恩人のお孫さんを迎えるに当たって連名とは。

 ウチは、大地くんが医者になってくれるのなら、須藤総合病院から『北斗総合病院』に改称するからな」


「いえいえ御二方、大地くんが実業の世界に身を置きたくなったら、わが静田物産は『北斗物産』に社名変更した上で、大地くんを監査役に迎え入れますぞ。

 なにしろ大地くんは幸之助さんの持ち株を相続して、今や私に次ぐ個人大株主ですからの」


 酒が入った3人はいつもの言い合いを始めた。

 大地はあいまいな顔をして聞いているだけである。



「高校受験も終わっていない今からそんな話をしても仕方ないでしょうに。

 さあさあ大地さん。もっとお料理を召し上がって下さいな」


 須藤の妻の良子が助け舟を出してくれる。



 山海の珍味に満腹した後には巨大な皿に盛られたフルーツ盛り合わせが出て来た。

 この季節にこれほどまでに色鮮やかな果物を揃えるとは。

 きっと市内中心街の〇疋屋に特注した逸品に違いない。



「それで大地さん、高校受験の方はどんな具合かしら」


 果物を切り分けながら良子が聞いて来る。


「ええ、ありがたいことに内申点がかなり良かったので、受験では5教科で7割正解出来れば合格出来そうです。

 過去問を解いてみても十分に合格点でした」


「それは良かったですわ。

 でももし気が変わって東京の国立大付属高校や私立を受けたくなったら言って下さいね。

 学費も生活費も全部みなさんが出すそうですから」


「ありがとうございます。でも青嵐高校で充分ですよ」



 良子はふっと微笑んだ。


「もうご存知でしょうけど、須藤はあの山奥の村で生まれて育ったの。

 佐伯さんとは同級生で、静田さんは5つ年下で。


 それでみなさん、それはもう貧乏で大変だったそうなのよ。

 まああの村の住民はみなさんそうだったけれど。

 3人とも学校の成績は相当に良かったそうなんですけど、でももちろん大学進学なんか諦めていたのね。

 あの村にはバスも通っていなかったから、高校にも行けないかもしれなかったし。


 でも幸之助さんが海外から帰って来られて。

 そして3人のことを聞いて、学費と下宿代と生活費まで出して下さって。

 おかげで3人とも下宿しながら市内の高校にも東京の大学にも通えたの。

 東京の本屋さんから参考書まで取り寄せてくださったし。


 3人とも泣きながら『このご恩はいつか必ずお返しさせて下さい』って誓ったそうだわ。

 しかも全員の開業資金まですべて北斗さんが出して下さったし」


「…………」


「だから大地さん、あの3人にはどんどん甘えてやって下さいな。

 その方があのひとたち喜ぶから」


「……はい……」



 佐伯たちはグラスを重ねながら祖父の思い出話をしていた。

 3人とも大泣きに泣き始めている。

 普段の食事会では、大地に配慮してか皆さほどに酒は飲まないが、今日は正月なので特別らしい。


(3人とも泣き上戸だったか……

 それにしても改めてすごいなじいちゃん。

 他人様の人生にこれほどまでに影響を与えてたんだな……

 しかも今まで見る限り、このひとたち善良さと有能さとを併せ持っているし、じいちゃんは人を見る目すら確かだったんだなぁ……)



 3人の男たちにますます酔いが回ると、若い男が大地に声をかけた。


「さて大地くん、お腹もいっぱいになったし、酔っぱらいは放っておいて僕たちは部屋に退散しないか?」



 男の名は須藤淳。

 須藤家の一人息子で今年26歳になる。


 あまり勉強は好きではなかったようだが、1浪の末県内にある私立大学の医学部に進んだ。


 そこでも医師国家試験に1度失敗し、去年ようやく医師免許を得ている。

 春からは須藤総合病院で研修医として働き始める予定だ。


 歳は離れていたが、お互い一人息子であったこともあり、大地とは兄弟同然に育って来た仲である。



 淳の部屋に移った大地は辺りを見渡して呆れた。


「淳さん、またラノベが大増殖しているように見えるんですけど……」


「医師国家試験の合格祝いを半分注ぎ込んだんだよ。

 これでようやく趣味に没頭出来るわ」


 淳はラノベを買うときには、大地に貸してくれるためにいつも電子書籍ではなく本を買ってくれていた。



「ところでやっぱり病院では皮膚科医を目指すつもりなんですか?」


「もちろん…… と言いたいところなんだけどねぇ……」


「たしか皮膚科は、『患者が死なない』『救急車が来ないので夜勤が無い』『薬の数が少ないので処方が簡単』『手術が無い』からでしたっけ……」


「うん、その通り。

 でも暗雲が垂れ込めてるんだよ……」


「暗雲?」


「僕はAGA(男性型脱毛症)治療の専門医になりたかったんだけどさ……」


「AGA……」


「うん、内服薬も塗布薬も種類はほとんど無いし、まして急患も来ないからね。

 だから新しく作るAGA専門室で働きたいって父さんと皮膚科の医長にお願いしてたんだ。

 でも……」


「ダメだって言われたんですか?」


「そう……

 大地くんももう気づいているだろ。

 俺の髪、一昨年医師国家試験に落ちた頃からどんどん薄くなって来てるんだよ……」



 言われてみれば淳の額は大分大きくなって来ている。

 この分だと……



「皮膚科医長によれば、あと1年もしないうちに時代劇に出て来る月代さかやきみたいになっちゃうっていうんだ……」


「…………」


「考えてもごらんよ。

 皮膚科のAGA専門医が若ハゲだなんて、冗談にもならないだろ。

 これからお嫁さんも探さなきゃなんないのにサイアクだよもう」



 淳は、大地から見ても優しそうな顔をしたイケメンである。

 それが今や若ハゲのせいで台無しになりかかっていた。


(それにしても世の女性はなんでハゲを嫌うんだろうか……

 ナゾだ……)



「……AGA治療ではどうにもならないんですか?」


「あれはせいぜい進行を遅らせるだけのものだしね。

 髪が多少増えても本人以外はほとんど気づかないらしいんだ。

 稀に劇的に効くひともいるそうだけど、僕は無理だったよ……」


「そ、そうでしたか……」


「だから普通の皮膚科医になるしかないって思ったんだけど、医長によればいま皮膚科医は十分いるそうなんだ。

 元々そんなに忙しい医局じゃないからね。


 だから父さんには内科医として研修しろって言われてるんだけど……

 風邪や胃痛ぐらいの診断ならともかく、僕手術とか絶対無理だから……」


「確か血を見ると吐いちゃうんでしたっけ」



 淳は4歳の時に大けがをして、自分の腹から流れ出す大量の血とはみ出た内臓を見て以来、血液や内臓というものにトラウマを持っていた。



「そう…… もう生理的に究極的にムリ……

 でも、総合病院だと、どの医局でも手術はあるからねぇ……

 いっそ今から麻酔医かレントゲン技師にでもなろうかと迷ってるところなんだ……」


「た、たいへんですね……」


「そんなことよりさ、僕の渾身の卒業レポート見てよ。

 7年間の大学生活の集大成」


「え~、いくら何でも医学のことなんかわかりませんよ」


「違う違う、サークルの卒業レポートだよ」



 差し出された分厚い冊子を見れば、題名は『異世界ガイドブック ~~異世界転移・転生に備えての知識と準備~~』とあった。



「1年生の時から『異世界研究会』に入ってたけど、最後の2年間は部長になったもんで、一念発起して『卒業レポート』を書いてみたんだよ」


「……はぁ……」



 大地はその冊子をめくり、目次を読んでみた。


 表紙には『異世界生活ハンドブック』とある。



【序】

 いつ訪れるかわからない異世界転移・転生に備えるために。


【第1章】分類


 Ⅰ 大分類 転生か転移か


<行使者による区分>


 神もしくは神に準ずる者、及び自然現象により行使されるもの。


 Ⅱ 転生・転移の目的


 1 神もしくはその眷属が当該者を誤って死亡させた場合の補償


 2 なんらかの使命を与える場合


 3 戦力としての期待


 4 単なる神の娯楽


 5 無目的



 Ⅲ 転移・転生後の目標


 1 戦闘チート


 2 魔法チート


 3 内政(知識、農業)チート


 4 料理チート



 Ⅳ ギフト・スキルの選択

 よりよい異世界生活のために、優先すべきギフト・スキルと危険なギフト・スキル



【第2章】 押さえておきたい今世の知識


・農業(野生野菜の発見方法、品種改良方法、三圃式農業、農具製作方法、肥料製作方法)


・鉱工業(磁鉄鉱・砂鉄の探査方法、金・銀・銅鉱石の探査方法、石炭の探査方法、たたら製鉄、軟鉄と鋼鉄の精錬方法、高炉建築方法)


・生活(火起こし、竈作成、炭焼き、土器・陶器・磁器製作、耐火煉瓦製作、水脈発見方法、井戸製作、手押しポンプ製作、方位磁石製作、紬車・機織機の製作、風呂作成)


・水車の製作と利用(揚水用、脱穀・製粉用)


・料理・料理材料知識(マヨネーズ、プリン、バター、チーズ、生クリーム、胡椒、砂糖の製造、酵母の採取と培養)


・養蜂


・漁業(漁網製作、釣り針製作)


・醸造(味噌、醤油)


・酒作り(ミードの醸造、蒸留器の製造、樽の製造、エール・ラガービールの製造)


・武器製作(やり投げ機、ボーラ、クロスボウ、コンポジットボウ、トレビュシェット(投石器)、バリスタ、黒色火薬、火縄銃、拳銃・拳銃弾、炸裂弾、地雷)



【第3章】常に持ち歩くべき装備


 いつ転生させられてもいいように生存確率を上げておくための常時携行装備一覧と説明




(なんだこれ…… 転移や転生が前提なのか……)



「す、すごいですね淳さん……」


「だろ、けっこう頑張ったんだよ?

 サークルで農地を借りて泊まり込みで農業や料理を試してみたり、生乳を分けて貰って来てチーズやバターを作ってみたり、炭や土器や陶器も焼いたりしてみたんだ。

 あ、沖縄の郷土資料館に行って、昔の製糖道具も見学してきたっけ」


「そ、そうだったんですか……」


「だから受験が終わって時間が出来たら読んでみてくれないかな」


「はい、是非読ませていただきます……」


「そうそう、途中で『別冊資料参照』っていうのが出て来るんだけどさ。

 そっちは全部で25冊あって、ページ数も合計で千ページ以上になるから別にしてあるんだ。

 なにしろ製鉄や醸造の資料だけで100ページ近くあるからね。

 だから興味があったら渡すから」


「はぁ……」


(こりゃ本格的な異世界マニアか……)


 大地は真剣に語る淳の姿を思い出して苦笑した。





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