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*** 299 柔らかい肉 ***

 


 女性たちが肉の周りの脂肪や筋を落とし始め、それを子供たちが取り囲んで熱心に見ている。


『掃除』を終えた女性が薄切り肉を切り出し始め、1枚切り出すと、ナイフを子供たちに渡した。

 女性たちはかなり上手に薄切り肉を切り出せているようだが、子供たちは皆苦戦しているようだ。

 肉にナイフの刃を当てるときには3ミリの幅で当てられているのだが、肉を切って行くうちにだんだん厚くなったり薄くなってしまっていた。


「そのようにナイフを何度も前後に動かすのではなく、このように前に押し出すだけで切れますよ。

 それに上から押し付ける力もほとんど要りません」


 シェフィーちゃんがナイフを押し出すと、1回だけで見事な薄切り肉が切り分けられて行った。


「凄い……」

「上手……」


 どうやらこの時点で、生徒たちはシェフィーちゃんを料理の講師として完全に認めたらしい。


「あとは練習あるのみです。

 ゆっくりとで構いませんから、皆さん1枚ずつ肉を切ってください」



 皆が一通り肉を切り終わったようだ。


「それではみなさん、こちらの肉と先ほどの肉の違いがわかりますか?」


 皆が顔を近づけて肉を凝視している。


「あの、こちらの方が赤身が濃いような気がします……」


「仰る通りです。

 この肉は2週間かけて熟成させた肉なんですよ」


「2週間も!」

「そ、そんなに時間をかけて腐らないんですか?」


「その2週間の間は、『低温貯蔵庫』に入れておくんです。

 その中の温度は3℃から6℃までと、ものすごく狭い範囲に保たれているんです」


「「「 ??? 」」」


「ああそうでした、水が氷る温度を0℃、沸騰する温度を100℃と定義しています。

 人の体温はだいたい36℃ですね」


「それでは水が凍る寸前の温度なんですね……」


「そうです。

 ですから一般の家庭ではまず無理でしょう。

 それではまた塩胡椒を振って焼いて食べてみてください。

 今度は試しにナイフを使わずに」



「なにこれ……」

「歯で噛み切れる……」

「それにとっても美味しい…」

「なんでこんなに柔らかいの……」

「あ、あの、これ子羊の肉ですか?」


「いいえ、同じ13歳以上の羊の肉ですよ」


「「「 ………… 」」」



「これが肉を柔らかくする方法その1ですね。

 それではもっと柔らかくしてみましょうか」


 シェフィーちゃんは調理台の隅に置いてあった不思議な道具を手に取った。


 それは縦20センチほど、横が30センチほど、そして奥行きが15センチほどの箱のような形をしたものだった。

 上下左右は金属製の板だが、一番広い面は側面が無く、カタカナのロの字のような形をしている。

 その覆いの無い側面には、上下に無数の細い串のようなものが見えていた。


「これは『ミート・テンダライザー』と呼ばれる道具です。

 この棒のような細い物の先は、今は底板に隠れていますが、この箱を上から下に押すと、底板に空いた穴から出て来ます」


 シェフィーちゃんはテンダライザーを逆さまに置いて、枠を持って下に押した。

 底板に空いた穴からは無数の薄い板が出て来ている。

 よく見ればその先端は針状ではなく、幅3ミリほどの平たい刃物になっていた。


「これをまな板に置いた肉の上に乗せて、上から押します。

 すると、さっき見えた多くの刃が出て来て肉に小さな切込みを入れるんです。

 少量の肉ならナイフでも似たようなことが出来るんですけど、ここはたくさんのお料理を作る厨房ですから、便利な道具を使いましょう。


 それではみなさん、また交代でこの道具を使って自分が切った肉に切り込みを入れてください。

 そうですね、これぐらいの大きさの肉でしたら、縦に1回、横はテンダライザーを動かして2回押し付けましょう。

 こんなふうに。

 あまりたくさん切込みを入れると、肉が細切れになってしまいますから」



 皆が交代でテンダライザーを動かしているあいだに、シェフィーちゃんは次の作業のための材料や道具を用意していた。


(ふふ、ダンジョン国では猫系種族をラリパッパにしてしまうために封印されたキウイフルーツ、これからは大活躍ね♪)



「これはキウイフルーツという果物です。

 その中でもヘイワード種という名前なんですが、それはまあいいでしょう。

 この果物の皮を剥いて、中の実を取り出します。

 こんな風に皮を剥いて下さい。

 そうですね、皆さんで50個ほど剥いていただけますか」


 キウイフルーツの中の実は滑りやすいために、皆やや苦労しながら皮を剥いている。

 シェフィーちゃんはその実を5ミリほどの厚さに薄切りにしていった。


「この果物はそのまま食べても美味しいですからね。

 みなさんも一切れずつ食べてみて下さい」



「美味しい……」

「ものすごく美味しい……」

「不思議な味…… 甘いけど甘いだけじゃない……」

「少しだけヨーグルトに似た味……」


「それは『酸っぱい』という味ですね。

 それでは残りのキウイをバットに入れて、こんな風にマッシャーで潰しましょう。

 ドロドロになるまで何度も潰してください。

 潰し終わったらこのボウルに入れましょう」


(『詳細鑑定』……

 重さはちょうど200グラム、pHは3.5か……

 さっきの肉の堅さからして、アクチニジンのpHは5.5でいいかな。

 ということは水で100倍に希釈する割合ね。

 でも水とキウイだけだとお肉の旨味も溶け出してしまうから……)


「それではソミュール液というものを作ります。

 水20リットルに岩塩1キログラム、グラニュー糖600グラム、ニンニクを刻んだものとタイムとローリエと言う香草を入れて沸騰させましょう。


 この液が十分に冷めてからこのボウル1杯の潰したキウイを入れてよくかき混ぜます。

 次は、さっき薄切りにした肉をトングで持って、このキウイ・ソミュールに漬けた後に別のバットに並べて行きますが、肉が重なっても構わないのでどんどん作業をしてください。


 このバットに並べた肉は、このまま半刻置いておきます。

 これは砂時計と言って上の部分の砂が下に落ちきるまでに半刻かかりますので、これで時間を測りましょう。

 その間に、各自もう1枚薄切り肉を切り出してください」


「「「 はい 」」」



「それでは液に漬けた肉を取り出し、このキッチンペーパーの上に乗せて周りの液を落とした後、また胡椒を振って焼いて食べてみましょうか」


 今度も全員が石の上で肉を焼いていった。


「この肉にもナイフは必要ありません。

 口に入れてそのまま噛み千切れますし、箸で裂くことも出来ますから」


「「「 えっ…… 」」」



 或る者は冗談だと思いながらも箸で肉を裂こうとした。

 また或る者は肉を箸で掴んでそのまま口に入れている。


「「「「「 !!!!!! 」」」」」


「なにこれなにこれなにこれ!」

「信じられない……」

「これが羊の肉!」

「それも13歳以上の羊の肉!」



「あ、あの…… これは『まほう』なんですか?」


「いいえ、これが『料理』です。

 教えた通りにすれば、誰でもこうした肉を焼くことが出来ます」


「「「「 ………… 」」」」


「なんでこんなことが起きたんでしょうか……」


「肉には筋繊維と筋内膜というものがあるんです。

 食べたときに固く感じるのは主に筋内膜ですね。

 皆さんにはまずテンダライザーでこの筋内膜を切ってもらいました。


 でも筋内膜はたくさんありますからそれだけでは十分ではないんです。

 そして、キウイフルーツのヘイワード種の果肉には、アクチニジンというタンパク質分解酵素が含まれているんですよ」


「「「「 ???? 」」」」


「ああ、まだ理解しなくても大丈夫です。

 そのうちまたゆっくり説明しますから。

 このアクチニジンのpHというものを5.5から6.0の間にしてやると、アクチニジンは筋内膜だけを溶かしてくれるんですよ。


 でも普通の状態ならばアクチニジンは筋繊維に邪魔されて筋内膜には届きません。

 ですから予めテンダライザーで肉にたくさん切れ込みを入れていたんです。

 キウイ液の中のアクチニジンは、この切れ込みを通って肉の中に沁み込んで行きますから」


「あ、あの……

 その『あくちにじん』を食べたりしたら、私たちの体の中の『きんないまく』というものも溶けてしまうのでは……」


「大丈夫ですよ。

 あなたがたはさっきキウイをそのまま食べましたけど、体は何ともないでしょ」


「そ、そういえば……」


「さっきのキウイ液のpHは5.5ですけど、キウイ単独ではpHは3.5です。

 そうして、このpHという数字は、7を中立にして7から離れるほど物を溶かす力が強いんです」


「「「「 ???? 」」」」


「すいません、まだ数字はお勉強されているところでしたね。

 それでは胃はわかりますか?」


「あの、羊の体の中に4つある袋みたいな場所ですよね」


「そうです、ヒトの胃は1つですけど。

 その中にも肉を溶かす液があるんですけど、その液はそのままのキウイよりもずっと物を溶かす力が強いんですよ」


「「「「 えっ…… 」」」」


「でも大丈夫です。

 胃はその液に自分が溶かされないように粘膜というものも作っていますから。

 それにこのキウイ液は熱を加えると肉を溶かす力が無くなるんです。

 具体的には、60℃以上になるまで熱を加えるとアクチニジンは壊れます」


「「「「 ………… 」」」」


「ああ、済みません。

 60℃というのは、お湯の場合でしたら、ヒトがかろうじて手を入れられるぐらいの温度ですね」


「は、はい。

 ということは、焼けばもう溶けないと……」


「そうです。

 先ほどは肉を4分の1刻の間キウイ液に漬けておきましたが、もっと長い時間漬けたままにしておくと、肉そのものも少し溶け始めてしまいますので気をつけてください。


 食堂でお客さまに出すために漬けておいたとして、もし注文が入らなかったら、さっきの時間停止倉庫に仕舞っておいてくださいね。

 さて、それでは別の焼き肉を試食してみましょう。

 みなさんもう一度お肉を切り出してください」




 因みにだが……

 以前民放のバラエティー番組で、『すき焼きの肉を柔らかくする裏ワザ』というものを見た。

 それは、すき焼き鍋にキウイを切った物を入れるというものだったのである。

 ディレクターはよほどネタに困ってこのようなアフォ~な裏ワザを紹介したのだろう。


 確かにキウイのヘイワード種(果肉が緑色のもの)にはタンパク質分解酵素が含まれている。

 だが、その酵素はたった60℃の熱で分解されてしまうのだ。

 すき焼きの肉が柔らかくなるはずがなかろうに。


 また、事前にすき焼き肉をキウイと一緒にビニール袋などに入れて漬け込んでおいたとしよう。

 もしそんなことをすれば、ものの数十分ほどで肉は全て溶けて無くなってしまうのだ。

 キウイの持つタンパク質分解酵素はそれほどまでに強力なのである。


(もし実行するならキウイ液を100倍に希釈して、時間も30分以内にすること!)


『ほんとだ! 肉が柔らかい!』などと言って旨そうに食べていた芸人たちは、何を考えていたのだろうか……

 やはりバラエティー番組などのネタは信用してはイケナイと思った次第である。



 さらに脱線するが、或る年の7月6日に民放の社員を名乗る女性から国立天文台に問い合わせの電話が来たそうだ。


『あの…… 7月7日の七夕に、織姫と彦星が最接近するのは何時ごろなんでしょうか』



 きっとまたバラエティーで使おうとしたネタなんだろうが……


 織姫ベガ彦星アルタイルの距離は15光年(≒150兆km)もあることを知っているのだろうか……

 それに、『恒星』とは、恒にそこにあって動かない星という意味であることを……


 やはり、民放の関係者にとっては視聴率こそが全てであって、中身はどアフォ~でもまるで気にしないものなのだと再認識した次第である。


 どアフォ~閑話休題。




 シェフィーちゃんは、今度はキウイ液から取り出した肉に、自分で作った特製のタレをつけてから焼き始めた。

 厨房には素晴らしい香りが漂っている。


 生徒たちも恐る恐るその焦げ茶色の液体をつけた肉を焼き、口に持って行った。


「「「「 !!!!!!!! 」」」」



「どうです、これも美味しいでしょう。

 固めに炊いた麦粥の上に乗せて頂いたらさらに美味しいでしょうね」


「これが『料理』……」


「この焼き肉なら、お客さまもおカネを払って下さるのではないでしょうか」


 生徒たちはコクコクと首を縦に振ることしか出来なかったようである……





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