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*** 296 英雄羊 ***

 


 アズジャ氏族一行はまもなく最初の宿泊施設に着いた。

 ヒト用宿舎の中には大勢のアズジャ氏族の者たちがいて、竈で温めたスープを飲んでいる。


 そして、羊用宿舎では……

 風雪がやや強まって来た中、大きな羊たちは宿舎に入ろうとはせずに、外に留まって牧草を食んでいた。

 その前をリーダー羊に促された母羊と乳羊が建物に入って行っている。


「めめぇ……」

(意訳:みなさんすみません……)


「めぇめぇ」

(意訳:そんなことより中で乳羊にたっぷりと乳を飲ませてやってくれ。

 明日の行程も長いぞ)


「めぇ……」

(意訳:はい……)



 大勢の母羊と乳羊が建物に入って行くと、中にいた群れのリーダーが立ち上がった。


「め゛え」

(意訳:他の群れが乳羊を連れて来たようだ。

 食事を終えた雄羊は外へ出るぞ)


「「「 め゛えめ゛え 」」」

(意訳:はいおやっさん)



 外に出たリーダー羊は大きく鳴いた。


「め゛ぇぇぇ―――っ!」

(意訳:中には水場と旨い草がたくさんありまする。

 みなさんも交代で中に入って食事をして下され)


「め゛え」

(意訳:かたじけない)



 夜が深まると、南からの風も雪も酷くなってきた。

 大きな雄たちは建物の北側に固まって風雪を凌いでいる。


(シス、建物とこの素晴らしい羊たちを覆う大きな結界を張ってやってくれ)


(はい)



「め?」

「め?」「め?」「め?」「め?」「め?」


 羊たちに吹く風や雪が突然止んだ。

 いや上を見れば相変わらず酷い吹雪が吹き荒れている。

 だが、まるで透明な何かに守られているように、羊たちには風も雪も当たらなくなったのだ。


 羊たちはしばらく不思議そうに上を見ていたが、そのうちに安心したように目を瞑って眠りについたのである……




 そのころアズジャーは……

 外では激しい風雪が吹き荒れているにも関わらず、羊乳酒を浴びるように飲んで泥酔していた。

 通常であればゲルの張り綱を増やすか、または中央部の柱を短いものに代えてゲルを低くしなければならないのにである。

 泥酔していた上に、そのようなことは普段下男に任せていたために、気づきもしなかったのかもしれない。


 そして……


 ごおおおぉぉぉぉ―――っ!


 一際強い風がゲルを吹き飛ばした。

 同時に羊の毛皮も干し肉も羊乳酒の入った壺も吹き飛ばす。


「な、なんじゃっ!

 ええい下男共!

 なぜゲルを低くしなかったのだっ!

 は、早くわしの干し肉と酒を集めて参れっ!」


 ひゅぅぅぅぅぅ……


 だがもちろん、アズジャーの叫びに応える者は誰もいなかったのである……



 翌朝、ようやく明るくなって風雪も小康状態になったために、アズジャーは外に出て毛皮や食料や酒壺を探し始めた。

 だが、全ては強風に吹き飛ばされ、また一晩で50センチも積もった雪に埋もれてしまっていたのである。

 残されたのは、一晩中手で抱えていた毛皮と干し肉一袋、そして割れた壺の底に残っていた僅かな羊乳酒だけだった……


 翌朝、低体温症で死にかけたアズジャーは、ストレーくんの完全時間停止倉庫に収納された。

 たぶん、春になったらまた高原の地に戻されることだろう。


 アズジャ氏族の元大攬把は、まだ冬が始まったばかりだというのに、ひとりではたった一晩しか生き延びることが出来なかったのであった……




 越冬場に向けて移動中のアズジャ氏族の攬把たちも、早朝から建物の外に出て来た。


「ひどいなこれは…」

「一晩で50センチも雪が積もったか」

「外にいた羊たちは大丈夫だったかな」


「お、おい見ろ! 『どうろ』の雪が!」


 そう、朝早くストレーくんが道路上の雪を全て収納してくれていたのである。


「なんでここだけ雪が無いんだ……」


「理由はわからんが、これで大分助かるな」


「ああ、雪が深いと歩くのには普段の何倍も時間がかかるからな」


「あ、大人の羊たちが寝ていたところにも雪が無い!」


「おかげで全頭無事だったか……」



 こうして、アズジャ氏族最後の集団も無事に出発して行ったのである。

 雪混じりの風は強かったが、美味しいサイレージを充分に食べてぐっすりと寝た羊たちは元気だった。

 母羊の乳をたっぷり飲んで、やはりぐっすりと寝た乳羊たちもである。


 また、大人の羊たちの顔や背には冷たい風が当たっていたが、まだ背の低い乳羊や幼羊たちは、道路の風上側を歩けば雪の壁に遮られて風は当たらなかった。

 道路の右端を1列になって懸命に歩く子供たちの姿は実に微笑ましい。



 その日、乳羊たちは頑張った。

 昨日は10キロ過ぎから歩けなくなった子が出たが、今日は12キロ歩けたのだ。

 やはり十分な食事と睡眠と運動は、乳羊たちを日々成長させているらしい。



 一行はその日も無事に宿泊所に到着することが出来た。

 羊用ドームでは今日も交代で羊たちがサイレージを食べている。

 サイレージを美味しそうに食べている母羊に乳羊が話しかけた。


「め?」

(意訳:おかあちゃん、それおいちいの?)


「めえ」

(ええ、柔らかくってとってもおいしいわよ)


「めめ?」

(意訳:あたちも食べてみていい?)


「めえめえめえ」

(意訳:そうね、あなたもそろそろ離乳食の時期ね。

 この短い草を食べてごらんなさい)


「めーえ!」

(意訳:これおいちい!)


「めえええ♡」

(意訳:そう、よかったわね♡)



 しばらくして。


「めえ……」

(意訳:おかあちゃん、さっき食べた草がお腹の中からお口に出て来ちゃうの……)


「めえめえめえ」

(意訳:それは反芻って言うのよ。

 もう一度草をよく噛んでから飲み込みなさいね」


「め!」

(意訳:おかあちゃんがいつもお口をもぐもぐしてたのって、これだったんだ!)


「めへええ♡」

(意訳:そうよ、あなたも反芻が出来るようになってきたのね♡)


「もぐもぐ」

(意訳:もぐもぐ)


「めへー、めぇめぇめ♡」

(意訳:えへへ、おかあちゃんといっしょ♡)




 翌朝はさらに30センチ雪が積もっていた。

 だがやはり道の上は完全に除雪されており、おかげでもう大人の羊も頭を低くしていれば風は当たらなくなっている。

 ヤーギの子供たちにも。

 おかげで行程はさらに捗り、乳羊たちも14キロ近くを歩けたのである。



 こうして移動を続け、アズジャ氏族最後の一団も無事に越冬場に到着した。

 最後には日に20キロを歩き通せてドヤ顔になっていた乳羊もいたようだ。



 だが……

 西の越冬場に入るときには政務棟方向からの風が吹いていたのである。

 この風は屠畜場からの血の匂いも運んで来ていた。

 このために乳羊や幼羊たちは訳も分からないながらに怯えたが、母羊たちに優しく押されて越冬場に入って行った。


 年とった羊たちは達観した顔をしている。

 彼らはどうやら、雪が降っても自分が発情しないことで、自分の死期が近づいて来たことを悟るようだった。



 越冬場が増築されていたために、ヒトも羊も十分な余裕を持って建物に入ることが出来た。

 ヒト用も羊用もオンドルには火が焚かれており、また羊舎ではたっぷりとサイレージも置かれていたのである。


 アズジャーの羊たち1000頭も、2つの群れに分かれて無事ドームに収まった。


 と、群れのほとんどの羊が建物に入るのを見守っていたリーダー羊とサブリーダー羊たちが、お互いの首輪を噛み千切り始めたのである。

 リーダー羊は自分の首についていた皮の首輪を咥え、一際大きな雄羊の前に置いた。


「めえ」

(意訳:これからはお前がリーダーだ)


「め、めぇぇ……」

(意訳:お、おやっさん……)


 サブリーダー羊たちも自分の首輪を大きな雄たちの前に置いている。


「め゛ぇ……」

(意訳:さて、最後のお勤めに行くとするか……)


「「「 め゛ 」」」

(意訳:おう)



 リーダー羊とサブリーダー羊たちは、アズジャルドルジ新大攬把たちを軽く押して促すと出口に向かって歩き始め、そのまま屠畜場に向かって行った。

 そうして、屠畜を待つ羊たちの後ろに端然と並んだのである。

 その姿は、まるで自分たちの子孫のためのサイレージと引き換えに屠畜されようとしているように見えたのだ。


「お、おまえたち……」


 アズジャ氏族の男たちは号泣している。


「俺たちはとてもじゃないがお前たちみたいな英雄羊を屠畜なんか出来んよ」


「め?」

(意訳:ん?)


「あのな、このまま皆のところに戻って、寿命が尽きるまで生きてみないか」


「めめ?」

(意訳:いいんですかい?)


「さあ、皆のところに帰ろう……」


「めえ……」

(意訳:それじゃあお言葉に甘えて……)



 こうして、英雄羊たちは最後の一冬を暖かい羊舎で過ごすことになったのである。

 3頭ずつに分かれてドームに入った大きな羊たちは、中央にどっかりと座り込んだ。

 その周りには常に彼らの曾孫や玄孫たちが纏わりついていたという……




(参ったなぁシス。

 こんなの見ちゃったら俺もう羊料理食べられないよ)


(羊料理の指導はシェフィーさんに任せたら如何でしょうか)


(そうしよう……)




 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




「なあシス、予想より雪が降るのが早かったけど、サイレージは足りるかな」


(羊たちの喰いっぷりがすごい上に、滞在予想期間も伸びましたので、このままでは足りなくなりそうです。

 なにしろ羊たちは日に体重の5%ものサイレージを食べますので。

 平均体重120キロの羊たち150万頭が5か月滞在するとして、ざっと135万トンの草が必要になります」


「す、すごい量だな……」


(あの、ストレーさんに雪を収納して頂いた後に、牧草も収納して頂いたらいかがでしょうか)


「まあ最後はその手段しかないが。

 そういえば、ワイズ王国に用意した新しい村には雑草がいっぱい生えていたよな。

 ストレー、すまんがそれを少し収納してヨーグルト液をまぶし、時間加速収納庫でサイレージを作ってみてくれるか」


(はい、出来上がりました)


「早いな!」


(おかげさまでレベル12になっていますので)


「それじゃあそれを羊たちにやってみよう……」



 その結果……

 羊たちは最初少し首を傾げたが、それでもすぐに旨そうにもりもりと平原製のサイレージを食べ始めたのである。



「やっぱりサイレージにしてやればどんな草でも食べるんだな。

 ところでシス、平原には羊にとって害になりそうな毒草もけっこうありそうだよなあ」


(はい、ざっと調べたところ16種類ほどございますね。

 主に、アヤメ、イラクサ、オシロイバナ、ケシ、野生のジャガイモ、トリカブト、ハシリドコロ、ヒガンバナ、レンゲツツジ、ワラビとあとユリ科の植物などの類縁種です)


「そんなにあるんか……」


(まあ多くの植物は、動物に食べられてしまわないように、防衛機構としてアルカロイドなどを自家合成するよう進化して来ましたし)


「その中でも特にケシはヤバそうだよな。

 将来の禍根になるかもしれん。

 まあケシのおかげでモルヒネが作れて外科手術を可能にした超有用植物でもあるが、このアルスではまだ早いだろう。

 なあストレー、それらの植物を選択的に収納して分別することって出来るか」


(シスさんに図鑑を見せていただいて、しばらくの間チェックして頂ければ可能です)


「それじゃあ2人とも作業を始めておいてくれ。

 最初はワイズ王国内だけでいいだろう。

 あ、今は地面に種子がいっぱい落ちてしまってるだろうけど、そこまでは収納しなくていいからな。

 今年のサイレージ用の草刈りだから、残っている毒草だけ分けておいてくれ」


(それならば容易です)



「テミス、ワイズ王国にいる難民研修生たちって、読み書き計算の中級試験には合格出来てるかな」


(はい、各村200名ずつ配置した研修生8400人のうち約8000人は合格しています)


「やっぱり実際に新農法を経験させるとやる気が違うんだな。

 その他の待機中の難民は?」


(約7万8000の難民の内、2万人弱が合格しました)


「そうか、それじゃあ約束の6か月よりも1月早いが、研修生たちを100人ずつ80の村に入植させよう。

 研修待機中の難民たちは、合格者を250人ずつに分けて研修生として新農村に行かせる。

 ワイズ王国民で『農業・健康指導員資格』を取得した村長候補は何人いるかな?」


(現在50人ほどおります)


「互助会隊の資格取得者は?」


(約500名ほどですね)


「もうそんなにいるんか。

 それじゃあ、ワイズ王国民の指導員50名と、互助会隊の指導員のうち志願者30名を村長候補として派遣しよう。

 代官見習いたち20人も代官に昇格させて、村4つにつき1人派遣する。

 これは年齢順に人選して上級代官たちに指示を出してくれ」


(はい)


「これ以降、同様な新農村への入植は全てテミスに任せる。

 いつでも入植出来る村はあと670か所用意してあるから、合格者が出るたびに入植させていってくれ。

 何か判断に困ったことがあったら相談するように」


(あの、研修生の中で学習も仕事もサボっている者がいるのですが、元の村に強制帰還させてもよろしいでしょうか)


「そういう判断は俺よりもテミスの方が得意だろう。

 全て任せる」


(ありがとうございます……)



「それから、デスレルの農民や元奴隷たち47万の中から草刈要員を募集する。

 日給は銅貨20枚で、雇用期間は2か月とするか。

 テミスは希望者を募っておいてくれ」


(たぶん成人はほとんど全員が希望すると思いますが……)


「そうか。

 シス、土魔法で安全鎌とレッグガードを40万人分作ってくれ。

 滑り止め付き軍手は俺がまた地球で買って来よう」


(はい)





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