*** 295 全てに見放されたアズジャー ***
翌日、ラインラント侯爵邸を国軍憲兵隊の将校が訪れた。
「ラインラント殿、あなたを勅令違反の罪で拘束させて頂きます」
「なんだとぉっ!
き、貴様平民の分際でこのラインラント侯爵に向かって何を言うかぁっ!」
「いえ、陛下の命に反してデスレルの地に侵攻した貴族家は、爵位剥奪になります。
ですから、今やあなたも平民です」
「無礼者ぉっ!
皆の者出合えぇっ!
こ奴を不敬罪で処刑せよぉっ!」
「お止めになられた方がよろしいかと。
今はまだ勅令違反の報いは爵位剥奪と幽閉だけですが、抵抗為さった場合にはそれに反乱罪が加わって死罪になりますぞ」
「!!!!
あ、あれは交易隊じゃ!
侵攻軍ではないっ!」
「いえ、侵攻軍の指揮官ボンクラーが全て白状しました。
あの軍はラインラント殿の命により、デスレルに残された財を略奪するための侵略軍であったと」
「あ、あの不忠者めがぁぁっ!」
「不忠者はあなたですよ。
なにしろ陛下の勅命に反したのですから。
それにしても、売る品も金貨も持たず自前の糧食と武器だけを持って交易などと言い張るとは」
「こ、こうなれば貴様らを成敗して国に反旗を翻してやるわ!
内乱を起こされたくなければ、帰隊してアマーゲに我が侯爵領の不可侵を命じよっ!」
「無駄です。
この邸は既にアマーゲ公爵領軍1000の兵に包囲されていますし、残留した貴殿の領兵隊も既に全員投降しています」
「!!!!!!!」
「さあ、大人しく捕縛されてください。
命だけは助かるかもしれません」
「ぁぅぅぅぅぅぅ……」
こうしてこの日、ゲゼルシャフト王国では略奪に参加した貴族家18家が全て改易処分となったのである。
既に設置されていた転移の輪によって、これら捕縛作業は実に迅速に行われていた。
ゲマインシャフト王国ではこうした事件は起こらなかったが、貴族家たちには第2第3のダイチの魔の手が襲い掛かることだろう。
国軍憲兵隊の将校たちは、お家が取り潰されて顔面蒼白になっている領兵や執事長や侍従侍女たちに説明を行った。
「みなさんもお聞きの通り、この貴族家は改易となりました」
「わ、私どもはいったいどうしたらいいのでしょうか……」
「みなさんの立場は一旦国の預かりになります。
当面の間は国が用意する施設で暮らしてください。
その間に国の『職業相談所』が開設されますので、そこで次の仕事を選んでください」
「ど、どのような仕事があるのでしょうか……」
「主に農民ですが、それ以外にも多くの仕事があります。
例えば国が新たに作る国営の『ゲゼル商会』の従業員などですね。
商会では読み書き計算が出来る人や接客の出来るひと、警備員などが必要とされますから。
そして、商会などに就職されれば、皆さんには日に銅貨20枚の賃金が支払われます」
「「「 えっ…… 」」」
「商会では従業員宿舎や無料の食堂も併設されますし、それだけの賃金があれば十分に暮らしていけるでしょう」
侍従侍女領兵たちは皆ほっとした顔をしている。
「あ、あの……
ご領主さまのご家族の方々はどうなるのでしょうか……」
「元領主ですね。
この貴族家の財は全て国に没収されますし、彼らも今は平民ですから、これからは自分で働いて暮らして行かなければなりません。
もちろん『職業相談所』も利用出来ますので、そこで仕事を探せばいいでしょう」
「「「 ……… 」」」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ラインラント侯爵の略奪隊が拘束された頃、高原では南からの風と共に雪が降り始めた。
ドルジン総攬把と数人の大攬把やその部下たちが、険しい表情でその雪を睨んでいる。
「もう雪が降り始めおったか……」
「まだ10月の下旬だというのに……」
「各氏族の避難状況はどうなっておるかな」
「はっ、すでに高原の民の半数は避難施設に収容されました。
残りの民も移動の途上にあり、殿を務めるのは中攬把殿たちの隊になります」
「途中の行程は順調かの」
「はい、雲が厚く太陽が見えなくとも、あの鮮やかな夕日色の道のおかげで迷うことはありませぬ。
それにあの赤い棒のおかげで、たとえ道が雪に埋まっても迷いませんでしょう。
そして、何より街道沿いのあの宿泊施設のおかげで民たちは安全に移動しております」
「それもこれも、すべてはダイチ殿のおかげよの……」
「は……」
そのころアズジャ氏族の本拠地では、アズジャルドルジのゲルに直系の中攬把たち8人が集まっていた。
「も、もう雪が降り始めおったか!
お前たち、何をしておる!
早く支度して南の湖を目指すぞ!」
「いや、親父殿。
我らは総攬把殿の越冬場で冬を越す」
「な、なんじゃと!
あのような場所で暮らせば羊を差し出す必要があろうが!」
「そうだ、我ら中攬把以上の者は13歳以上の羊を全て差し出そうという話になっている」
「わ、わしの羊はわしの物だ!
お前たちもあのような場所に行かずに南の湖に行くのじゃ!」
「我らアズジャ氏族は全員で総攬把越冬場を目指すことにした」
「き、貴様大攬把であるアズジャルドルジの言うことが聞けんのかぁっ!
氏族から追放するぞぉっ!」
「いや……
残念ながら親父殿はもう大攬把ではないのだ……
中攬把と攬把全員の総意により、俺が大攬把になった。
だから今は俺がアズジャルドルジだ。
親父殿はもう攬把ですらなく、幼名のアズジャーに戻ったのだよ……」
「な、なんだとぉぉぉ―――っ!
き、貴様らわしの羊の半数を狙っておるな!」
「いや要らない。
我らはすでに親父殿より遥かに多くの羊を持っているしな」
「な、ならばよろしいっ!
勝手にせいっ!
わしはわしの羊と共に湖を目指す!」
「そうか……
途中で気が変わったら総攬把殿の越冬場に来てくれ」
「そんなことはありえんっ!」
「それじゃあまた春に会おう……
体に気をつけてな」
アズジャーの前に高齢者から中年までの5人のご婦人たちが立った。
「それではあなた、お体に気をつけてくださいね♪」
「な、ななな、なんじゃと!」
「わたしたち妻組も新たな大攬把と共に越冬場に行きます」
「ゆ、許さんっ! ぜ、絶対に許さんぞっ!」
「あら、高原の民は自分の行動は自分で決めますのよ。
あなたが湖に行きたいのならどうぞご勝手に。
わたしたちは越冬場に行きます」
「き、キサマらぁ~っ!
離縁じゃっ! お前ら全員離縁じゃぁぁっ!」
「ありがとうございます♪
これでみんな毎日あなたの文句を聞かずに済みますし、自分の子や孫と一緒に楽しく暮らせますわ♪」
「ぬががががが……」
「旦那様、長らくお世話になりました」
「げ、下男のお前たちまでもかぁっ!」
「へい、我らは大攬把様に仕える身。
全員新たな大攬把さまについて行きまする」
「か、かかか、勝手にしろぉぉ―――っ!」
「なあ兄貴、親父殿1人で大丈夫かな」
「干し肉も羊乳酒もたっぷりあるからな。
親父殿1人ならなんとかなるだろう」
「羊たちは……」
「羊たちは可哀そうだが、あれは親父殿の羊だ。
だがまあ雪が積もっても蹄で掘れば草はあるし、小川の氷も割れば中に少しは水も流れているかもしれん。
最悪雪を喰って渇きを癒すだろう」
「「「 ………… 」」」
中攬把たち、元大攬把の妻たち、下男たちが去って行くのをじっと見ていた一際大きな羊が立ち上がった。
首に幅広のベルトをつけているところを見ると、この群れのリーダー羊なのだろう。
「め゛え゛ぇぇぇぇぇぇぇ―――っ!」
すぐに群れの周囲にいた細いベルトを首に巻いたサブリーダー羊たちが呼応した。
「「「 め゛え゛ぇぇぇぇぇぇぇ―――っ! 」」」
その声を聞いて1000頭近い羊の群れが立ち上がった。
そうしてリーダー羊を先頭に、中攬把たちの後を追って歩き始めたのである。
このままここに留まれば、群れが全滅するかもしれないということに気づいたのだろう。
「き、貴様たちまでっ!
許さんっ! 絶対に許さんぞぉっ!」
アズジャルドルジ改めアズジャーは、石槍を掴むと走り出し、リーダー羊の前に立ち塞がって、リーダーの頭を打ち砕くべく石槍を振り上げた。
だが……
どがっ!
「ぎゃっ!」
リーダー羊がアズジャーに体当たりした。
200キロ近い羊の全力の体当たりを受けては、枯れ枝のような体躯のアズジャーはひとたまりもない。
5メートルも弾き飛ばされて草地に転がった。
「ぐうううううっ……」
アズジャーが槍を杖代わりにして立ち上がろうとするたびに、リーダー羊が体当たりで弾き飛ばして行く。
ついにアズジャーは草地に横たわったまま立ち上がらなくなった。
その周囲は体の大きな雄の羊たち8頭が取り囲んで睨みつけている。
「あぅぅぅぅぅ……」
群は悔し涙を流すアズジャーの横を静かに通り過ぎて行ったのである……
「なあ兄者、親父殿の羊たちが後をついて来るぞ」
「そうか、とうとう羊にも見放されたか……
まあ、羊たちもここにいては危険だと本能で気付いたのだろうな。
春になったらまたここに連れてきて、親父殿に返してやればよかろう」
「そうだな」
その日、中攬把たちは自分たちの家族や自分の羊たちと合流し、一路越冬場を目指して歩き始めたのである。
次の宿泊所まではおよそ20キロの行程だった。
だが……
10キロほども進むと、春に生まれたばかりの乳羊たちが、その場に座り込み始めてしまったのである。
やはりまだ母羊の乳を飲んでいるような乳羊では、日に20キロの行程は厳しかったのだろう。
その乳羊は涙目で母羊を見ていた。
「め……」
(意訳:ボクもう歩けないの……
ぼ、ボクこのまま置いていかれちゃうの?)
「めぇめぇ!」
(意訳:旦那さん旦那さん、うちの子が!)
「おお、子が歩けなくなったか。
そうだな、もう10キロも歩いたもんな。
よし、ちょっと待ってろ」
男はヤーギから降りると、荷を積んでいないヤーギに子羊を乗せ、皮ベルトで固定した。
母羊がヤーギの前に行って頭を下げた。
「めぇめぇ」
(意訳:ヤーギさん、本当にありがとうございます……)
「べぇ」
(意訳:気にするな。これも俺の仕事の内だしいつものことだ)
どうやらこうして子供のころに世話になったおかげで、羊たちは牧羊犬ならぬ牧羊ヤーギには従うようである。
「べ……」
(意訳:おお、お前は乳羊の頃、わしの背で寝小便をした子羊ではないか。
大きくなったのう。
さあさあ、早く群れに戻りなさい)
「め!」
(意訳:あ、あのときのヤーギさんっ!
は、はいっ! すぐ戻りますっ!)
みたいな会話が為される関係らしい。
乳羊たちが脱落するたびにヤーギの背の羊が増えていった。
とうとう男たちもヤーギの背から降り、代わりに乳羊を乗せている。
どうやら大きなヤーギの背には乳羊を2頭ずつ乗せられるらしい。
「大攬把殿、後ろの羊たちの様子を見て参ります」
「ああ、最悪戻って回収しなければならんしな。
俺も行こう」
そして、そこで2人の男が見たものは……
歩けなくなって座り込んだ乳羊の横で母羊が鳴いていた。
「めえめえめえ!」
(意訳:父ちゃんじいちゃん、ちょっと来て!)
「「 めえ! 」」
(意訳:今行く!)
大きな雄羊が乳羊の前で腹ばいになった。
すると、乳羊の前足の裏側に別の2頭が頭を突っ込んで持ち上げ、子を雄羊の背に乗せたのである。
乳羊を乗せて立ち上がった雄羊の左右にはやはり大きな雄たちが寄り添い、乳羊が落ちないように支えていた。
「めぇ……」
(意訳:お父ちゃんおじいちゃんおじちゃん、あいがと……)
「「「 めえめえ 」」」
(意訳:お前も大きくなったらこうして子供たちを乗せてやるんだぞ)
「め……」
(意訳:うん……)
こうして、歩けなくなった乳羊たちは、次々に大人の羊たちの背に乗せられて行ったのである。
「こいつらすげぇな……」
「はは、大攬把殿。
ヤーギに乗せて貰えなかったために、自分たちで子を運ぶようになりました」
「そうか、飼い主がしょーもなかった分、羊たちは立派だな……
親父殿は自分が乗れれば充分だと言って、1番を除いてヤーギは全て麦と交換してしまっていたしな。
ところで湖に移動していた時は落伍した乳羊はどうしていたんだ?」
「わしら下男が背に乗せて運んでいました」
「そ、それはたいへんだったな……」
「おかげで乳羊たちにはずいぶんと懐かれましたが。
それでも落伍する乳羊が増えて我らの背に乗りきらなくなると、母羊と共にその場に放置し、後でわしらは回収に行かされたのです」
「…………」
「いやぁ、1頭でも見つからないと、後で槍で酷く叩かれたもんですわ。
それで大きな羊の背に乗せることを思いついて教えてみたところ、ありがたいことに覚えてくれたようです」
「そうだったのか……
やはり飼い主がしょーもないと、その配下たちは賢くなるのか……」