*** 291 ゲゼルシャフトの越冬対策 ***
「やあドルジン殿、貴殿の氏族の入居も順調かな」
「いやわしには家族はおりますが、もう率いる氏族はおりませんのですじゃ」
「えっ、そ、そうなのかい?」
「わしは元々ダワー氏族の大攬把だったのですがの。
5年前に総攬把に選出されたときに、同じ氏族のダワードルジに大攬把の地位を譲ったのですじゃ。
わしが総攬把になったことで、万が一にもダワー氏族が増長してはいかんと思いましてな。
ですから今は一族100名ほどと暮らしておるだけなのですよ」
(さすがだわ……)
「当時のわしは2000頭ほどの羊を飼っていたのですが、大攬把がその地位を譲って引退するときには、その羊の半分を氏族に分配するという仕来りがありますのです。
それで1000頭ほどを皆に譲って兵糧の一部にしていたのですが……
デスレルめを追い払った後に、戦死した英雄たちの寡婦や子供らを引き取って暮らし始めたところ、各氏族の攬把たちが次々に羊を連れて来てしまいましての。
とうとう今では3000頭もの羊を追って暮らしておりますのですよ」
「そうだったのか……」
「まあ氏族や兵を率いる重圧から解放されて、今では子供たちの成長を見守ることが楽しみになっております。
その子供たちを見ながら、大寒波が来るかもしれないと知って暗澹たる気持ちになっておりましたが……
貴殿のおかげで子供たちはおろか、全ての高原の民が生き延びられるやもしれませぬ。
改めて厚く御礼を申し上げまする……」
高原の民の越冬場への収容は実に順調に進んでいた。
ところがある日……
本部にいた大地の前に、草刈り監督の総督隊将校、大攬把3人、中攬把15人、50人の子供たちと何故か見慣れぬ若い男たちが、ボコボコに壊された芝刈り機を持ってやってきたのである。
(芝刈り機がしばかれとる……)
子供たちは皆涙目になっていた。
いや半分ほどは完全に大泣きしている。
ビヤンバドルジ大攬把が大地の前でその巨体を小さくして膝をつき、頭を下げた。
「だ、ダイチ殿……
ま、誠に申し訳ござらん。
貴重な『しばかりき』をこのように壊してしもうた……」
見れば全員が跪いて頭を下げていた。
「皆さんどうか頭を上げて下さい。
それで誰か怪我はしていませんか?」
「いや、幸いなことに誰も怪我はしておらん……
壊れたのはこの『しばかりき』だけじゃ……」
「も、申し訳ございませんでしたぁぁぁ―――っ!」
若い男たちがまた頭を下げた。
「誰も怪我をしてなくてよかったです。
それで、何が起きたのか教えていただけませんか?」
「もちろん包み隠さずご報告させて頂く。
わしらはいつものように交代で牧草を刈っておったのだ。
いやあの作業小屋の周辺はもう見事に牧草が短くなっておっての。
まるで絨毯のようになっておったのじゃ。
そこへこの男たちが羊を連れて通りかかったのじゃが……
草があらかた無くなっておるのに気づいた羊共が辺りをきょろきょろと見まわし始めての。
そのうち『しばかりき』に気づいた大きな羊たちが、突進して来おったのだ。
きっと、自分たちが食べようと思うていた牧草を、この見慣れぬ獣が皆食べてしまったと思ったのじゃろう。
わしは思わず運転していた子に『しばかりき』から降りて逃げろ!と叫んだのじゃ。
もちろんその場にいた全員も逃げさせた。
そうして、皆が見ている前で、『しばかりき』が100頭ほどの羊に襲われてこのように壊され、箱の中の牧草が全て食べられてしまったのじゃ。
誠に申し訳ない……」
「いえ、そういうことでしたら皆さんに責任は全くありません。
このようなことを予想していなかったわたしの責任です。
それにしても、羊たちはけっこう縄張り意識が強いんですね」
「いやまあおなじ羊ならば全く攻撃的にはならんのじゃが……
初めて見る獣だと思うて興奮してしまったのじゃろう」
「なるほど。
それではもうすぐ追加の芝刈り機が届きますので、対策を考えてみましょう」
「よろしくお願い致す……」
「なあシス、何かいい方法はないかな」
(それではまた試作品を作ってみますので、お任せいただけませんでしょうか♪)
「あ、ああ任せた……」
(なぜシスは嬉しそうなんだ?)
そして……
シスくんが作った試作品とは……
ボディの形がまんま羊の芝刈り機だったのである……
ご丁寧に要所要所に羊の毛皮まで貼ってある上に、クラクションを鳴らすと『めへえぇぇぇ~♪』という鳴き声まで出るのであった。
また、前方にはハリボテの羊の頭もついていて、これが『こひつじチャッピーのぼうけん』のチャッピーくんにそっくりだったのである……
どうやらシスくんの分位体が、日本の公園で幼児が乗って遊ぶ遊具を見てヒントを得たらしい……
念のため新型試作品の試乗は大地が行い、敢えて羊の群れに近づいて行ったのだが、これが羊たちにも大人気になってしまった。
やはり動物は体が大きい方がエラいらしい。
操縦者が芝刈り機を止めて一息入れていると、羊たちに取り囲まれてスリスリされるようになっていた。
クラクションを鳴らすと前方の羊は退いてくれるのだが、もちろん後ろには羊がぞろぞろとついて来ている。
まあ、リーダーに従う習性を持った生き物なので仕方が無いだろう……
もちろん子供たちや攬把たちにも大ウケだった。
試作品の大成功を受けて、地球から輸入した芝刈り機2種類600台をシスくんが全て魔改造した。
このころになると、越冬場に入居した若い者たちも大勢雇われ始めていたために、高原では合計12か所の作業小屋を拠点にして、牧草備蓄作業が大々的に始まったのである。
広大な高原では、大きな羊型芝刈り機が群れを成して移動し、その後ろを本物の羊とヒトたちが追いかけているという異様な光景が見られるようになった。
まあまだ草を噛み千切る力の弱い幼羊たちが、箱から零れた小さな草を喜んで食べていたので良しとされているようだった……
総督隊の将校が大地の下へやってきた。
「ダイチさま、草刈り作業は順調なのですが、作業小屋の周囲の牧草をあらかた刈り尽くしてしまったために、刈った牧草を小屋の『転送ぼっくす』に運ぶのが大変になって来まして。
恐縮ですが『ねんどうまほう』で小屋を移動させていただけませんでしょうか」
「そういえば忘れてたわ。
シス、小屋を移動させておいてくれ」
(畏まりました♪)
(なぜシスはまた嬉しそうなんだろう?)
その日……
作業員たちが作業小屋に転移して草刈りを始めようとしたとき、皆の目の前で小屋の下部からにょきにょきと脚が4本生えて来たのである。
皆が驚愕にフリーズしているうちに小屋は立ち上がり、またその表面には羊の毛のようなものがみるみる生えて来た。
最後に巨大なチャッピーくんのアタマが生えて来て、「めへぇぇぇ―――っ♪」と楽しそうに一声鳴くと、その小屋はドヤ顔でスタスタと歩き始めたのである。
完全にフリーズしていた子供たちは、我に返ると大歓声を上げながら巨大チャッピーくんを追いかけ始めた。
そうして、チャッピーくんは1キロほど離れた牧草の豊富な場所で、またどっかりと腹ばいになったのである……
小屋の形はそのままだったために、通りすがりの羊たちの口は皆開いて目はまん丸になり、その後はスリスリして来るらしい。
この行動見たさに、周囲の草は普段に倍する熱心さで刈られるようになった。
そうして、そろそろ次の移動が始まりそうになると、避難所の各中央棟の掲示板にはその日程が貼り出され、小屋の周囲には多くのギャラリーの姿も見られるようになったのである……
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
(さて、高原の民の越冬場への入居は順調だし、そろそろゲゼルシャフト王国とゲマインシャフト王国で貴族会議も始まるから、少し早めに行って陛下や将軍たちと打ち合わせでもしておくかな……)
「ダイチ殿、ご足労誠にありがとうございます。
行程書は陛下ともども熟読させて頂きました」
「陛下、アマーゲ閣下、ご無沙汰しておりましてすみません」
「いえいえ、緊急の連絡については、いつでもシスさんの『れんらくのまどうぐ』がありますので。
それにしてもあの行程書には大いに勉強させて頂きました。
特に国王の財と国家財政を分けて考えるという概念は斬新でした」
「ダイチ殿は領地貴族を全て法衣貴族に変えて行かれるおつもりのようですが、ダイチ殿の母世界では、言ってみれば国王も法衣国王になっているのですな」
「まあそんなところです。
皆さんが統治為されている間はいいでしょうが、100年後200年後を考えれば貴族は全て領地を持たない法衣貴族にしてしまった方がいいでしょう」
「なるほど。
将来に渡って有力貴族の独断と専横を排除して行かれる方策であると」
「ええ」
「ところでダイチ殿は何をされていたのでしょうか」
「実は東の高原に行って、そこの民5万と『不戦の約定』を結んで来ました」
「おお!」
「さ、さすが!」
「それで、ワイズ王国や貴国など3カ国とも約定を結びたいということで、皆さんが落ち着いたら5か国の首脳で集まって調印式をしませんか」
「素晴らしいことですな。
これでこの一帯がますます安全になり申す」
「ところでですね、彼らの経験則によると、どうやら今年の冬は相当に寒さが厳しいものになりそうなんです。
なんでも55年前の大寒波よりも酷くなりそうでして、そのときは高原の民の3割が亡くなられたそうです。
まあ、この辺りならそこまでの寒さにはならないでしょうけど、民の薪の準備は大丈夫ですかね」
「そうですか……
残念ながら民の家々にはさほどの備蓄は無いでしょうが、それでも天候が酷いようでしたら、様子を見て街長や村長に命じて避難所に民を集めさせましょう。
厳冬期はそこで過ごさせれば大丈夫と思われます」
「避難所があるんですか?」
「各街や村には50年前から石造りの小規模な砦を少しずつ造って来ていました。
万が一にもデスレルが侵入して来たときには、そこに籠って国軍の到着を待つためのものです。
あそこならば民が2か月は暮らせますでしょう」
「そんなものまで造られていたんですね。
ところで、貴族領内のそうした避難所は貴族の所有ですか?」
「いえ、全て軍が作った軍の施設です。
土地もそこだけ軍の所有になっています」
「そうですか。
そうした街や村の避難所は何か所あるんでしょうか」
「全部で220か所になります」
「シス、それらの避難所を特定してマークしておいてくれ」
(はい)
「それではこの王城に近い場所に土地を貸して頂けませんでしょうか。
そこに本部ドームを建てて、全ての避難所や模範村を転移の輪で繋ぎたいと思います。
そうすれば各街や村から模範村に見学に行くのも楽になるでしょう。
ついでに避難所に食料や薪を配ることも出来るようになります」
「よ、よろしいのですか?」
「もちろんです。
これは人命に関わることなので、わたしの任務の内ですから」
「あ、ありがとうございます……」
「転移の輪の使用は平時には制限することとします。
そうしないと今後流通が発達していきませんからね」
「その『本部どーむ』を建てる場所はどのような土地がよろしいのでしょうか」
「そうですね、出来れば軍本部から近いところで、100メートル四方ほどの土地を貸してください。
あ、整地はされていなくても大丈夫です。
もちろん水場も自前で作りますので必要ありません」
「さすがですな。
それでは王城の後背地に軍司令部と練兵場がございますので、そこはいかがでしょう。
司令部には伝えておきます」
「ありがとうございます。
シス、念のため各街避難所の修繕と換気のチェックも頼む。
内部には暖房用の竈と料理用の竈もな」
(あの、今いくつか避難所を拝見させていただいたのですが、やはり街民や村民が数か月暮らすのには些か狭いかと。
敵が攻めて来た時の籠城用にはいいのかもしれませんが)
「そうか。
陛下、閣下、民が暮らしやすいように避難所を拡張してもいいですかね」
「それはもちろん構いませんが……」
「春以降はその建物はいくつか宿屋にしようと思っているんです。
そうすれば行商人なんかも旅が楽になるでしょうから。
ということでシス、避難所の1階はクロークと食堂と厨房にして、2階と3階は客室にしようか」
(畏まりました)