*** 289 夕日色の道 ***
大地は説明を続けた。
「次に子供たちだが、まずは3歳以下の子達は『保育園』という施設で育てる。
まあ、今までと特に変わりは無いだろう。
4歳以上5歳までの子が暮らす施設は『幼稚園』と呼ぼう。
ここでは各種の遊びや簡単な文字も教えるとともに、社会性も学ばせることにする。
社会性とは、自分の親兄弟以外の者たちとも仲良く暮らしていくことだ。
6歳以上11歳までの子が通うのは小学校という場所になる。
このうち、6~7歳の子は初級クラス、8~9歳の子は中級クラス、10~11歳の子は上級クラスで文字の読み書きや計算を学ばせる。
12歳から14歳までの子が通う学校は中学校と呼ぼう。
ここでは週7日の内、勉強が3日、仕事3日、休みが1日になる。
そして、週3日の仕事の際には日に銅貨25枚の給金も支給される」
((( ……えっ…… )))
「君たちは15歳になると成人と見做され、総攬把殿や大攬把殿たちから羊を拝領して独立していたようだな。
だが、これからは、この施設には18歳になるまでいてもいいことにする。
15歳から17歳までの子は勉強が週1日、仕事が5日、休みが1日だ。
もちろん給金を遣って菓子パンなんかを買ってもいいが、銀貨をたくさん溜めて多くの羊を買ってもいいだろう。
そのときには総攬把殿たちが、若い羊を安く売ってくれると思うぞ」
「もちろんじゃ」
((( ……す、すごい…… )))
((( ……俺たちが/あたしたちが働いて得たお金で羊を買えるなんて…… )))
((( たくさんお金を貯めてたくさん羊を買ったら、女の子たちがお嫁さんに来てくれるかも…… )))
((( たくさん働いてたくさん羊を買った男の子のところなら、お嫁さんに行ってあげてもいいかな♪ )))
そう……
成人年齢や結婚年齢が低い社会に於いては、婚活開始年齢もまた低いのであった……
しかも、一夫多妻制ということは、あぶれて独身のままの男たちもまた多いのである。
がんばれ男の子たち!
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
翌朝には新たな越冬場が3つ完成していた。
(シスくんは、一度作ったことのあるものを複製するのは得意である。
作業のついでにマクロも作っているらしい)
これで本部を中心として、東西南北に円形の壁が建ち、その中にドームが点在する都市が出来上がったことになる。
上空から見ると、まるで月面基地の想像図のようだった。
中央棟の政府庁舎は2階建てであり、屋上にはさらに3階分の物見櫓も立っている。
都合5階建ての建物は、当時の高原の民が見たことも無い高層建築だった。
その物見櫓からは四方の越冬場がよく見え、ここを視察した攬把たちの口は開きっぱなしだった。
翌日以降、大攬把や中攬把たちからの命を受けて本拠地に戻って行った男たちは、早速に連絡網を駆使して氏族にその指示を伝えた。
今年の冬はかつて経験の無いほどに厳しくなることが予想され、最悪の場合には55年前の大寒波のときのように、ヒトは3割が死に、また羊も7割が死ぬかもしれないと報じたのである。
特に例年のように南の湖で越冬しようとした場合には被害が大きくなるかもしれないという。
だが、今年はあの総攬把さまが、その本拠地に越冬場を用意してくださったというのである。
そこには暖かい石造りの家があり、また水場も羊のエサもあるそうだ。
高原北部の氏族たちはこの知らせを喜んだ。
既に氷の張り始めた地に不安を覚えていたところに、越冬地までの移動距離が半分ほどで済みそうだというのである。
彼らは使者の語る越冬地の様子を楽しみにしながら移動の準備を始めていた。
高原南部の民たちも越冬場の知らせを喜んだ。
55年前の悲劇は氏族の中では代々語り継がれる教訓である。
普段であれば湖までの短い移動であり、高原中央部への移動は負担だったろう。
だが10月中旬にして湖で羽を休める渡り鳥の姿を見て、多くの家長たちは湖を迂回して南の斜面を降りて行くかどうか思案中だった。
そうすれば家族の命は助かるだろうが、羊は8割が死ぬだろう。
そこに高原中央部にあの総攬把殿の越冬場が出来たというのである。
大攬把さまからの使者が語る越冬場の様子は、あまりにも素晴らしすぎて半信半疑だったが、それでも総攬把殿と大攬把殿たち12人の決定であるという。
多くの家族や一族たちも大いに安堵しながら移動の準備を始めたのである。
彼らはまず大攬把の拠点に立ち寄って、説明を受けるように言われていた。
そして……
「な、なんだこの地面は……
なんで夕日色の線がずっと続いているんだ……」
「線が書いてあるだけじゃない。
この夕日色の場所だけまっ平だ……」
「こんな石みたいなところを歩かせたら、ヤーギや羊の蹄が削れてしまうかも」
「いや、この場所、なんだか柔らかいぞ……」
「本当だ。これなら羊の足も大丈夫かな……」
「ところであそこに見える馬鹿でかいゲルはなんだ?」
「いや、あれはゲルじゃないな。
どうやら石で作ってある建物のようだ……」
そのドームの前には、大攬把の配下である若者たちが2人立っていた。
「やあ、もう移動を始められたんですね。
それはよかった」
「な、なあ、この建物はなんなんだ?」
「こちらは皆さんに説明をさせて頂く場所です。
この『どうろ』をまっすぐ行くと、150キロほどで総攬把殿の越冬場に着きます。
また、この道沿いには、20キロおきにこの『どーむ』と同じような建物が建っていますのでご自由にお使いください」
「それはありがたい。
いちいちゲルを張るのは大変だからな。
でも勝手に休んでもいいのかい?」
「これも大攬把殿のご指示ですので大丈夫ですよ。
この周りに通路がある『どーむ』はヒト用です。
中にも外にも竈が作ってあり、周りの通路の棚には薪もたっぷり置いてありますのでお使いください」
「薪まで……」
「ただ、他のご家族もご利用になられるかもしれませんので、それはご了承ください」
「あ、ああもちろんだ」
「水場は建物の中にあります。
トイレもいくつか中にあるんですが、用を足し終えたら中にある箱の白い石に触れて下さい。
便器も体も綺麗になりますので」
「わ、わかった……」
「道路沿いに全部で7つあるこの宿舎には、すべて我ら大攬把殿の配下がおりますので、なにか分からないことがあれば聞いて下さいね。
この建物の裏にある『どーむ』は羊用です。
雨や雪が降ったり風が酷いときには、羊を中に入れてやってください」
「羊用の建物まであるのか……
ところで、あの『どうろ』沿いに立ってる赤い棒はなんなんだ?」
「あの棒は道沿いに20メートルおきに立っています。
霧が出たときや雪が降った時に道に迷わないための目印ですね」
「そうか、雪が積もっても道がどこにあるか分かるようにするためのものか……
それなら環状彷徨もしないで済むな」
「棒の表面に四角い印が20個ついていますでしょう。
1キロ進むとその四角が1つ減って19個になります。
それで次の『ど-む』までの距離がわかります」
「至れり尽くせりだね……
でも今はまだ朝だから、次の建物まで行ってみるよ」
「あまりご無理をなさらずに、1日20キロの行程でよろしいかと」
「そうだね。
まだ10月中旬だし、そうすることにするよ。
どうもありがとう」
「道中お気をつけて。
また越冬場でお会いしましょう……」
「なあシス、ところで何故に道がオレンジ色なんだ?」
(黒くすると上に雪が降ってもすぐ溶けるのでしょうが、羊の目は奥行きを認識するのが苦手なんです。
ですから黒い場所は穴だと思って近づきません。
同じ理由で青も川と思うのでだめなんです。
赤は自然の中だと埋没してしまう色ですし、緑だと草と似ていてわかりにくいでしょう。
黄色や茶色は冬に草が枯れたときに見分けがつきにくいですし、白は雪が降るとすぐに見えなくなります。
残るのはオレンジ色とピンク色ぐらいですけど、ピンクは自然界にあまり見られない馴染みの無い色だと思いまして、消去法でオレンジにしました)
「な、なるほど……
それにしても、よくこれだけの塗料があったな」
(実はこの色は構造色なんで塗料は使っていないんです)
「さ、さすが……」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
しばらくして、子供たちの学校での授業が始まった。
まずは保育園だが、これは今までとあまり変わらない。
さすがにもう乳児はいないため、離乳食やトイレトレーニング中心の育児になる。
まあ、『クリーンの魔道具』が導入されたことによって、だいぶ楽にはなっていただろうが。
幼稚園にはダンジョン国でも使われているおもちゃが持ち込まれた。
主に積み木や木で作られた食べ物の模型やぬいぐるみなどである。
細やか乍ら園庭には砂場や滑り台もあった。
因みに、3~5歳の年齢というのは、初めて社会性が芽生える時期である。
新生児のころは1人称時代と言われ、自分以外の物は存在しない。
乳を与えてくれる母親も自分の一部なのである。
これが離乳食前になると、2人称時代に入り、世界には自分と母親という2者の存在があるのだと認識する。
それが3歳を過ぎるようになると、どうやらこの世の中には自分と母親以外にも別の存在がいると分かり始めるのであり、これが3人称時代となる。
この3人称時代の訪れの時期は個人差が大きい。
僻地で暮らす一人っ子の中には、5歳になっても他者の存在を認識出来ない子もいる。
この3人称時代前の過渡期に於いては、他者に配慮するといった意識は無く、他の子が遊んでいる遊具を平気で取り上げて遊ぼうとする。
(つまりE階梯はゼロである)
この際に、保育士などが『他の人が遊んでいるおもちゃを取ってはいけませんよ』『みんなで一緒に遊びましょう♪』と諭してやることによって、世の中には自分と似たような存在が多数いるということを認識するのである。
つまり、幼稚園とは単なる共働き夫婦のための託児所ではなく、3人称を経験させて社会性を学ばせる重要な施設なのだ。
だが、現代では自分は全くもって平凡なヒト族なのに、ナゼか『自分の子は特別である!』と思い込みたがるアホ親も多い。
主に幼稚園のお遊戯会や運動会に、バカでかい撮影機材と脚立を持って朝3時から並ぶような親たちであり、ビンボーなせいかほとんどが一人っ子である。
こうしたモンペが極まると、幼稚園で自分の子が他の子供と同列に遇されているのが我慢出来ないらしく、すぐに退園させて自分で育てようとする。
そうした2人称期を抜けきっていない子が、義務教育年齢に達して小学校に通い始めるとどうなるか。
一般的には協調性が全く無い子として扱われるが、特に教師という他者の存在を認識出来ないことが致命傷になる。
母親のいない場所では常に自己しか存在しないため、その行動規範も常に自己中心になってしまうのである。
こうした子の行動はADHDとの区別がつかない上、突然奇声を上げて走り回ったりするために、その多くが隔離授業か特別支援学級への編入を提案されてモンペたちを愕然とさせることになるのだ。
こうして、モンスターペアレンツの下では、見事なモンスターチャイルドが育っていくことになるのである。
まあ、アルスの王侯貴族の子弟が小さいころから乳母や侍女としか接しないために、夜郎自大野郎に育って行くのと同じであろう。
上級貴族や王族になるほどそれぞれの子に専用の侍女や家庭教師がつくのであり、これこそがアスペや自己中を量産する方法でもあった。
こうした貴族や王族の子弟たちが成長した後、次期当主の座を巡って内乱を起こすのは蓋し当然と言えよう。
高原の子供たちはその多くが家族ごとに移動して暮らしているが、幸いなことに兄弟も多い。
また、一夫多妻制のために母親の異なる兄弟も多かった。
おかげで比較的早い時期に3人称時代を迎えられているようである。
こうした社会性をさらに育むために大地が持ち込んだおもちゃは、幼児たちを魅了した。
特にカラフルな積み木や羊のぬいぐるみなどは、幼児たちみんなの宝物となっていったのである。
さらに、淳が地球から持ち込み、ダンジョン国の幼稚園や小学校の児童たちを席捲した『紙芝居』は、ここでも大人気となった。
この紙芝居が始まると、幼児たちや児童たちの集中は凄まじい。
悲しい場面では皆が泣き、楽しい場面では歓声を上げ、ハラハラさせる場面では皆手に汗握っているのである。
幼稚園では、15分ほどの上演が終わると幼児たちが皆ぐったりして寝入ってしまうほどだった。
いや、子供たちばかりではない。
幼稚園や小学校を視察していた攬把たちもが、子供たちと一緒になって夢中になって主人公に声援を送っているのである。
まるでアメリカの映画館の反応のようだった。
今までの遊牧生活でも、主に長老たちによる昔語りはあった。
だがしかし、彼らの間では『創作話』という文化は皆無だったのである。
「のう先生……
わし、一族の者たちがこの越冬場に入る世話をしていて、『こひつじチャッピーのぼうけん』の第3話を見とらんのじゃが……
いつかまた見せてもらえんかのう……」
「それではいつか、第1話から第5話まで通しで上演しましょうか」
「ありがとうの♪」