*** 285 ダンジョン商会高原支店 ***
ドルジン総攬把が話を締めた。
「皆が言う通り、戦利品の要求は筋が通らん。
その件についての話はここまでとする」
「ぐぬぬぬぬ……」
「それで、『不戦の約定』を結んだ場合じゃが、我らの利は安全だけではないのじゃ。
平原の国々との交易も出来るようになる」
「どのような交易なのかの」
「我らが売る物は主に羊とその毛になる。
買える物はほとんどが麦などの食料や薪などだな」
「麦や薪を売って貰えるのか……」
またアズジャルドルジが大声を出した。
「そ、その交易は誰がするのじゃ!」
「わしは大攬把殿たちとの相談の末、この高原の地に『高原商会』という商会を設立することにした」
「わ、わしは聞いておらんぞ!」
「5人の大攬把はその場にいてくれたし、近隣の大攬把3人もすぐに来てくれた。
あとの3人も呼びかけに応じてすぐ来てくれたのでな。
協議はこの11人の大攬把殿たちと行ったのだ」
「な、なぜわしを待たなかったのじゃっ!」
「貴殿は一度もこの地に来て下さらなかった故に、今回もおみえにはならんと思うていたのだ」
「ぐうっ!!」
「さて、先程の質問じゃが、貴殿らから羊を買い取って銀貨と交換するのはこの高原商会で行い、皆はその銀貨をもって平原の商会で欲しい物と交換してもらいたい」
「商会というからには交易の利益も出るのじゃろう!
それはもちろん各氏族の代表である大攬把に分配されるのであろうの!」
「いや、高原商会の利益は全て高原の民のために使われる。
例えば冬でも凍ることの無い水場のある越冬地などの整備だ」
どよめきが起きた。
「な、なぜそのようなことに使う!」
「なぜなら高原の民から得た利益を高原の民に還流させるためだ」
「大攬把に分配しても高原の民に還流出来るじゃろう!」
「これは大攬把殿たち11人から合意を頂いた方法である」
「な、ならば総攬把の地位をわしと代われっ!
総攬把の地位は大攬把最長老のわしこそふさわしいぞ!」
「なあアズジャルドルジさんよ」
「こ、この無礼者めがぁっ!
ちゃんと大攬把と敬称をつけて呼べぇっ!」
「いや、もう誰もあんたのことを大攬把とは思っていないんだよ」
「な、なんじゃとぉぉぉっ!」
「そりゃあそうだろう。
先のデスレルとの大戦には、高原の男たちが全員参戦したが、あんただけは仮病を使って不参加だったからな」
「そんな高原の男の風上にも置けん奴は、総攬把どころか攬把ですらないんだよ」
「アズジャ氏族がこの会議に参加出来ているのは、戦に集まって勇敢に戦った中攬把殿や攬把殿たちのおかげだぞ」
「あんたも早く引退して大攬把の地位を譲ったらどうだ?」
「な、ななななな……」
「その大攬把ですらない卑怯者が総攬把になりたいとか言ってもな。
賛成する奴は誰もいないぞ。
たぶんあんた配下の中攬把たちもだ」
アズジャルドルジはその場の全員から睨まれて怯んだ。
「は、話にならんっ! わしは帰るっ!
おい! お前たちも帰るぞっ!」
「いや、親父殿。
我らは中攬把としてこの話に賛同している。
帰るならひとりで帰ってくれ……
これ以上俺たち氏族の恥を晒さないで欲しい」
「な、なんじゃとおぉぉぉ―――っ!」
激怒したアズジャルドルジは、足音も荒く評定の間を出て行った。
「ドルジン総攬把殿、お集りの攬把殿方。
我らの氏族長がたいへんな失礼を申し上げた。
どうかお許し下され」
8人の男たちが深く頭を下げている。
「アズジャ氏族の方々、どうか頭をお上げくだされ。
我らはもとより各家族の集合体。
氏族の中で意見が合わぬこともあろうて」
「お言葉誠に忝い……」
「じゃが、早急に次の大攬把をお決めになられた方がよいかもしれんの……」
「ご助言誠にありがとうございます……」
「さて、それでは話を続けよう。
まずは平原の国々との『不戦の約定』にご質問が御有りの方はおられるか」
何本かの手が挙がった。
「どうぞ」
「わしは賛成したいとは思うておるのじゃが、念のため聞かせて欲しい。
もし平原の国々が他の国に攻め込まれたら、我らも援軍を出すことになるのかの」
「いや、この辺りにデスレル以上の大国はあるまい。
その大国を滅ぼしたダイチ殿とその重臣方がおられればその必要は無いだろう。
ただ、攻め込まれた国の民をこの高原の地に一時的に避難させることは有るかもしれんそうじゃ。
もちろん、その際の食料は平原の国が負担する」
「どうもわからないのだが……
この話は我らに利が有り過ぎないだろうか……
そもそも我らは平原に降りる気は全く無かったのだからの。
大昔に親父殿から聞いた話じゃと、平原には羊が好んで食べる草が少ないそうじゃ」
「実はわしもそのことが気になってダイチ殿に聞いてみたのだがな。
ダイチ殿にとっての利もあるそうなのじゃ。
まず平原の国々は今避難して来ている旧デスレルの農民39万に新農法を教え、デスレルの地に争いの無い国を造ろうとされておられる。
この国に我らが攻め込まぬことだけでも十分に利があるとのことじゃ」
「まさか……
我らのうちの誰ぞやが平原に略奪などに行ってしまえば……
それは約定を違えたことになるのかの!」
「いや、それは無いそうじゃ。
我ら全体の意思による侵攻でない限り、単なる盗賊と見做すとのことじゃ。
まあ、罪の重さによっては一生牢から出られないだろうが」
「…………」
「それに、彼らにとっての利がもうひとつある。
それは我らにとっても利であるがの」
「それはどのような利なのかの……」
「平原では羊などの家畜の肉が非常に高いそうなのじゃ。
一方で麦や薪の値が安い」
「と、いうことは……」
「我が高原商会では13歳以上の羊を銀貨10枚で買い取る。
羊の毛は10キロで銀貨1枚じゃ。
春にこれらを売って銀貨を貯めて置けばよい。
そうして、冬になる前に麦や薪を買えばよいだろう。
麦は1石銀貨10枚で、薪は100キロが銀貨1枚だそうじゃ……」
「「「「 !!!! 」」」」
「羊1頭を麦1石と交換出来ると仰られるか!」
「羊の毛10キロで薪100キロを贖えるじゃと!」
「そうだ。
それでも平原の民にとっては儲かるとのことじゃ」
「なんと……」
「それからの、昨夜は皆に平原の料理を食べてもろうたが、あの料理は全てこの地に作られる平原の商会の食堂で出されるそうじゃ」
「あ、あの『えーる』や『ういすきー』や柔らかいパンもか!」
「それから『ぽてとふらい』や『ぴざ』や『らあめん』もか!」
「そうじゃ。
それも皆安い。
あのパンなどは銅貨2枚だそうじゃの……」
「と、いうことは、羊を1頭売ると……」
「500個買えるの……」
「「「「 !!!! 」」」」
「今日の評定で皆に『不戦の誓い』について了承を頂いた場合、2日後から平原の商会である『だんじょん商会』が店を開く。
その食堂では昨晩の料理が全て供されるが、麦や薪やパンなどは店で買って帰ることも出来る。
また、今日の午後より、商会では売り出される予定の各商品の見本も置かれるそうじゃ。
値段も明らかにされておるそうだし、皆、ご自身の目で見て商品を吟味されたら如何だろうか」
「こ、こうしてはおられん!」
「す、すぐにも我らの地に戻って羊を連れて来なければ!」
「み、皆がそのようなことをすれば、その商会の商品が無くなってしまうぞ!」
「その懸念は無用だそうじゃ。
かのダイチ殿は強大な魔法を使えるのでな。
平原の本部とこの地の商会を魔法でつないで、いくらでも商品を補充出来るそうなのだ……」
「ということは…… 兵も運べたのか……」
「そうじゃ……
肝心なことは、ダイチ殿が兵を運ばずに商品を運んで我らとの交易を望まれたということだの……」
「「「「 ………… 」」」」
「さて、皆恐縮だが、平原の民との『不戦の約定』にご賛同を頂ける方は、挙手を願えないだろうか」
全ての手が挙がった。
こうして、高原の地では正式に『不戦の約定』が承認されたのである……
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
その日の午後。
ダンジョン商会高原支店は攬把たち(=富裕層)で大賑わいだった。
説明役の店員はすべて『異言語理解』のスキルを持ったダイチ総督隊のメンバーであり、それ以外にも店員見習いとして寡婦や子供たちが小奇麗な服を着て控えている。
最も人気のある場所は、『羊1頭(銀貨10枚)均一コーナー』だった。
そこには麦の2斗袋が5つ積み上げられている。
また薪1000キロの山や塩10キロの袋もあり、大きな金属の鍋2個にレードルのついたセット、鞘付きナイフ2本のセットもあった。
また、隅の方には黒糖1キロやティーセットも置いてある。
「羊を1頭売れば、このように多くの麦が買えるのか……」
「この薪の山もすごいな……」
「塩もこんなにたくさん……」
「金属の鍋に同じく金属の料理道具か。このようなものは初めて見たわ……」
「このナイフ、我らの石包丁とは比べ物にならんな」
「これは茶かの?」
「はい、紅茶の葉の5キロセットです。
試しにお飲みになられてはいかがですか」
「ほう、これは旨い茶だのう」
「この茶器5客セットも銀貨10枚になります」
「美しい茶器じゃのう……
このような真っ白な器があるとは。
これは土器ではないのか?」
「これも土を焼いて作られたものですが、特別な製法で高温で焼かれたものでございますね」
「落として割ってしまうことを思えばおいそれとは使えんのう」
「いえ、この器には魔法がかけてありまして、このように石の床に落としても割れません」
店員の手から離されたカップが床に落ちて、小さくぽんと撥ねた。
「このように器には傷もついておりません。
まあ石に叩きつけたら割れるかもしれませんが」
「ということは、一生使えるのか……」
「はい、あちらで売っております白い皿や器も同様でして、落としても割れません」
「あの棚にある器はいくらかの」
「すべて1つ大銅貨2枚でございます」
「ということは、銀貨1枚で5つ買えるのか」
「はい」
「ふむ、孫たちに一つずつ買ってやろうかの……」
「お、これは昨晩喰わせてもらった『こくもつがゆ』の素じゃな。
ほう、1石を銀貨12枚で買えるのか。
あのように旨い物なら孫たちにも喰わせてやりたいの」
「これはあの柔らかいパンじゃの。
ひとつたったの銅貨2枚か……
ん? このパンは銅貨4枚か。
何が違うんじゃの?」
「こちらは『じゃむぱん』になります。
おひとつ如何ですか?」
「うおっ!
中になんぞ入っておるぞ!」
「それは果実を潰して砂糖で煮込んだものでございますね」
「旨い…… なんという旨さじゃ……」
「これは焼き菓子かの?」
「はい、お試しになっていただけませんか?」
「これも旨い!
これは茶請けに最高じゃの。
孫たちも喜ぶであろう。
そこに大銅貨1枚が置いてあるが、それはこの焼き菓子1枚の値段かな?」
「いえ、こちらの焼き菓子20枚入りセットでの価格になります」
「そんなに安いのか……」
彼ら攬把たちは、多くの家族を束ねる家長たちである。
もちろん皆春から秋の終わりにかけては各地を放牧して羊を育てているが、その範囲は氏族によっておおよそ決まっていた。
そして、一般の家族は攬把に、攬把は中攬把に、そして中攬把は大攬把に、放牧の間最低1回は家族全員を連れて近況報告に行く慣わしがあった。
もちろん大攬把直系の孫などがいれば、その家族も大攬把を訪れる。
こうした際に、如何に子や孫やその嫁たちをもてなすか。
これこそが大攬把や中攬把たちの甲斐性でもあった。
また、冬の間は南の湖沿いの地に氏族が固まって越冬するが、天候がいい日には各家族が頻繁に上位者の下を訪れてご馳走になることもまた習わしであった。
加えて、子が生まれれば祝いの品も贈らねばならない。
所謂富者の義務というものである。
まあ、日本で盆や正月に帰省する息子夫婦や孫に、ご馳走を用意して歓待する老夫婦と変らない。
出産祝いも同じである。
どの世界でもおじいちゃんおばあちゃんは大変なのだ。
しかし、今までは祝いの品ももてなしも、その種類が限られていた。
茶や羊乳酒以外はほとんど羊料理しか無かったのである。
故に量でもてなすか、羊を贈ることしか出来なかった。
だが……
出産祝いにこの器は喜ばれるだろう。
この菓子があれば、孫や曾孫たちももっと頻繁に自分のゲルに来てくれるかもしれない。
なによりも自分の嫁たちが喜ぶであろう。
因みに、地球では遊牧民は定住農民よりも遥かに女性の地位が高かったそうだ。
これは、農業と違って遊牧にはあまり力仕事が無かったためだと考えられている。
また、遊牧生活では育児の負担も大きく、その分だけ奥さんたちの発言力も強かったのだろう。