*** 284 ナチュラル釣り野伏 ***
アズジャルドルジ大攬把は、息子たちや近親の者たちから説得されていた。
「それにな、親父殿。
あのドルジン総攬把殿が戦争寡婦や子供たちを引き取られたときには、他の大攬把殿たちや中攬把たちがたくさんの羊やゲルを届けていたろ。
でも親父殿は1頭も届けなかったよな」
「さらに、他の氏族の者が総攬把殿の本部に行くときには、手土産として戦争寡婦や子供らのために羊を連れて行くっていう仕来りが出来たよな。
でも親父殿はそれを聞いて一度も本部に行かなかったろ。
ダワードルジ大攬把殿やビヤンバドルジ大攬把殿なんか、たくさんの羊を連れて毎月のように本部に来ているそうだぞ」
「しかも今回の来訪にも羊は連れて来ていないしな!」
「そのおかげで親父殿は陰でなんて呼ばれてるか知らないのか?」
「そ、そんなもの決まっておろう!
栄えあるアズジャ氏族の大攬把じゃっ!」
「いや、アズジャルドルジ大怯懦攬把、もしくは大吝嗇攬把だ」
「!!! な、なんじゃとぉうっ!」
「だからさ、明日はおとなしくしていてくれな」
「もし新しい総攬把を選ぶようなことがあっても、絶対に名乗りなど上げないでくれよ。
これ以上俺たちに恥をかかせないでくれ」
「な、なんだとこの親不孝者めがぁっ!」
「いやだから、このうえ子不孝や氏族不孝を重ねないでくれって頼んでるんだってば……」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
その日の宴席は大いに賑わっていた。
尚、料理も酒もほとんどが大地の提供である。
すべてダンジョン国の料理工場から転移の輪で運ばれたものであり、給仕担当は『異言語理解』のスキルを持ったダイチ総督隊の士官たちだった。
「な、なんじゃこの酒は! 羊乳酒ではないのか!」
「アズジャルドルジ殿、それは麦から作った酒だそうだぞ。
『えーる』というそうだ」
「ええい! アズジャルドルジ大攬把殿と呼ばんかぁっ!」
「へいへい……」
「旨い……」
「ああ旨い酒だな。
しかも麦から酒を造るなどとはなんと贅沢な」
「さすがは総攬把殿だな」
「ぐ、ぐぬぬぬぬぬぬ……
こ、この酒はなんだっ! このように小さな器で出しおってからに!」
「いやそれはものすごく強い酒だぞ。
とてもではないが大きな器で一気には飲めんわ」
「高原の男がそのようなセコい飲み方が出来るかぁっ!」
ごきゅごきゅ……
「ぶふぉぉぉぉぉぉ――っ!」
「あー、きったねぇな」
「いったん口に含んだ酒を吐き出すとは、それこそ高原の男の酒の飲み方ではないな」
「それにしてもこの酒は強いな」
「この喉が焼けるような強さが堪らん」
「うむ、素晴らしい酒だの!」
「この芋みたいなものを焼いたやつ旨いなぁ……」
「それは焼いたんじゃあなくって『あげた』ものらしいぞ」
「まさかそれは熱した油で料理したものか」
「そうらしい」
「なんと贅沢な……」
「ああ、『えーる』を飲みながら喰うともっと旨い。
そうか、これは塩がたっぷり使ってあるんだな」
「そんな貴重なものまで。さすがは総攬把殿だ」
「この麦を水で溶いたものを焼いたやつ、上に乗ってるのはチーズか?
この赤いソースはなんだ?」
「ああ、それ『ぴざ』っていうそうだ。
これも『えーる』に合うよなぁ」
「確かに旨いのう」
「なあ、あそこのスープに細長いものが入ってる奴、ありゃなんだ?」
「ああ、あれは『らあめん』っていう麦で作った食べ物だそうだ。
めちゃめちゃ旨いから喰ってみろよ」
「うおぉぉぉ―――っ!
な、なんだこの旨さはっ!」
「お、この細長い奴はスープに入ってないのか?」
「これは『やきそば』という食べ物です。
少しお試しになられませんか?」
「う、旨いっ! 旨いよこれっ!」
「この粥はなんの粥だ?
いろいろ入っているみたいだけど」
「それは穀物粥と言います。
10種類の穀物を炊いたものですね」
「これも旨いなぁ……
なんだかすっごく複雑な味がするし、この上に乗ってる黒い板みたいなものがまた旨い……」
「な、なんだこのパンはっ!
なんでこんなに柔らかいんだ!」
「それは特別な焼き方をしたパンでございます」
「これならうちの爺さんや婆さんでも食べられるな……」
そう……
この日饗された料理は(ラーメンスープに使われた醤油と味噌以外)ほぼ全てアルス産の食材で作られたものであった。
この宴席に参加している者は、言ってみれば高原の富裕層であり、羊も大量に飼っている男たちである。
大地の商品宣伝戦略は大成功を収めつつあった……
旨い喰い物と旨い酒がふんだんに有り、腹もいっぱいになって酔いも回り始めると、上機嫌になった男たちは大声で話を始めた。
彼らはいつもは氏族ごとに放牧生活をしているため、普段顔を合わせることも滅多に無かったのである。
こうした場合の常として、つい2年前のデスレルとの大戦が話題になることが多かった。
「おお! 貴殿はドルゴドルジ殿ではござらんか!」
「これはサランドルジ殿! お久しぶりでございます!」
「あの大戦でドルジン隊でご一緒して以来だのう」
「ご健勝なご様子、なによりでございます」
「貴殿もな!
それもこれも、あの戦で我が身を省みずにデスレルに突撃して行った同胞のおかげよのう……」
「仰る通りです。
特にあの最長老のエンフドルジ大攬把殿のお指図には涙が出ました」
「そうよのう……
『小童共は後ろから来い!』と仰せになって、70歳以上の老人だけで一番槍隊をお作りになられておられた……
ご本人は騎獣に体を縛り付けさせたのみならず、腕と背に3本もの石槍も縛り付けられて……
そうしてデスレルの隊列に突撃されて行かれたよのう……」
「あの老人ばかりの隊100名が、大声で笑われながら突撃されていかれては、デスレルの奴らめもさぞかし肝を潰したでしょうな……」
「その後ろにはドルジン殿の隊がいて、我らもその中におったの」
「いやあのお指図には最初は驚いたものです。
なにしろ一番槍隊が接敵した後は、敵に一撃だけ入れてすぐに反転して引き返せというご指示でしたから」
「わしもあのときは躊躇ったわ。
だが、南の丘の陰にダワードルジ大攬把殿が率いる別働隊が見えたからの。
これは何か策が御有りになると思うて従ったのよ」
「わたしは北の丘の陰にビヤンバドルジ大攬把殿の隊が伏せておられるのを目にしまして、やはり策があるものと思って従ったのです。
いや、敵に背を見せて逃げるのはむしろ勇気が要るものですな」
「じゃが、我らが一当てして反転したのを見て、デスレルの騎馬兵共が5000ほども追って来おったのう……」
「奴らの馬は荒れ地では足が遅いですからの。
我らには追い付けませんでしたな」
「いやお二方、わしはそのときビヤンバドルジ隊におったのですが、敵の騎兵の隊列が伸び切ったのを見て、今か今かと大攬把殿のお指図を待って居ったのですわ。
そしてとうとう、ビヤンバドルジ殿が大号令を発せられて、敵騎兵の側面を突いたときには胸が熱くなりましたぞ!」
「あのときには驚いたのう。
なんせビヤンバドルジ殿は2頭のヤーギに跨って先陣を切られていたからの。
確かにあの巨体ならば1頭ではすぐ潰れてしまうじゃろう」
「わたしはそのときダワードルジ隊にいたのですが、ダワードルジ殿の厳命により伏せたままでしたのです。
もうお味方が敵に突っ込んでおられるのに、気が気ではありませんでした」
「だが、ようやくに敵の歩兵共が追い付いて、背を見せているところにダワードルジ隊は突っ込んで行かれたであろう。
あれには感動したわ!」
「そうして南北から挟撃された敵が大混乱しているところに、東から反転して来たドルジン総攬把隊が参戦されて……
おかげでデスレルの奴らめも、総崩れになっておりましたの!」
「そうよな、あのお三方の策のおかげで我ら高原兵は数で倍するデスレル軍を散々に打ちのめすことが出来たのよ!」
「誠にお見事なお指図でしたな!」
「だが、それもこれも、一番槍隊やその他の兵の勇気と突撃があってのことじゃ。
我らは生き延びてしもうたが、この上はまたいつでも死せるよう覚悟を決めておくかの……」
「「「 応っ!!! 」」」
(すげぇなこいつら……
ナチュラルに『釣り野伏』やってたんか……
それも時間差で3方向から突っ込む形で。
そりゃあデスレル軍も壊滅するわなぁ。
まるでワールシュタットの戦いだわ……
でもまあ、デスレル軍3万って言っても騎兵は5000しかいなかったのか。
それに比べて高原の民の兵力は1万5000だったけど、全員が騎兵だもんな。
しかも速度で勝る騎獣に乗って。
しかも一番槍は高齢の大攬把か。
大攬把と言えば平原の国なら侯爵か伯爵相当だろうに……
それが文字通り先頭に立って敵に突っ込んで行くとは……
ああそうか、それを見てデスレルの指揮官はこいつ等突撃しか能が無いと思い込んで釣り野伏にハマったんか。
我が身を顧みずに突撃出来る兵に優秀な指揮官がいたら勝つのは当然だな……
こんな奴らが平原に侵攻して来たとしたら、ゲゼルシャフトやゲマインシャフトですら危ういわ……)
翌日。
前夜に彼らにとっては超豪勢な食べ物で満腹していた男たちは、アズジャルドルジ大攬把を除いて皆上機嫌だった。
壇上に立って説明をしているドルジン総攬把の話も熱心に聞いている。
会場には大攬把から攬把まで500人以上が集まっていた。
「……ということでだ。
あのデスレルの奴らめは、ワイズ王国という国の財を狙って30万もの軍勢で侵攻したのだが、ダイチ殿というお方とその重臣たちによって全員が捕縛されてしまったのだ。
また、貴族を名乗る者共も14万人が捕縛され、餓えていた農民39万もダイチ殿の庇護下に入っている。
つまり、あのデスレル帝国は完全に滅んでしまったのじゃよ」
「それは凄まじい武功だな……」
「ああ、恐ろしいほどの強さだ……」
「それでの、そのダイチ殿はそもそもダンジョン国という国の代表であらせられるのだ。
まあ、我ら高原の民で言うところの総攬把だの。
だが、それだけでなく、ワイズ王国とゲゼルシャフト王国とゲマインシャフト王国という3国の顧問も兼ねておられる。
そのダイチ殿がこの高原の地にみえられて、我らと『不戦の約定』を結ばれたいと仰っておられるのだ」
「『不戦の約定』ですかの……」
「そう、我らは決して平原の4カ国に攻め込まぬと誓う代わりに、平原の4カ国も決して高原に攻め込まぬと誓い合うものじゃ」
「なるほど……」
「それだけではない。
もしこの約定を結んだのなら、万が一他の国がこの高原の地に攻め込んで来た場合にも、これら4か国が援軍を送って下さるとのことだ。
まあ実際にはダイチ殿とその親衛軍だけで十分であろうが」
「そうだの。
この辺りにはデスレル以上の大国は無いそうだからの……」
「わしは居合わせた11人の大攬把殿たちや多くの中攬把殿たちと協議を行い、この約定を結ばせて頂くことにご賛同を頂いた。
この場の方々にも是非ご賛同を頂きたいのじゃ」
アズジャルドルジが立ち上がった。
「待てっ!
デスレルの財の分配はどうなっておるっ!」
アズジャルドルジ配下の中攬把たちは『あちゃー』という顔をして天を仰いでいる。
「財の分配だと?」
「そうじゃ!
デスレルには多くの財や食料があったはずじゃ!
そのデスレルが滅んだのなら、デスレルと戦った高原の民にも戦利品の分配があってしかるべきじゃ!
もちろんそれは各氏族の代表である大攬把にまず分配されるべきでもあるぞ!」
この発言に対し、多くの声が上がった。
「なあアズジャルドルジ大攬把さんよ。
戦利品っていうもんは、勝った者が負けた者から取るもんなんだよ」
「我ら高原の民は確かにデスレルの派遣軍に勝ち、これを追い返したが、かの国を滅ぼしたのではなかろう」
「あの時の戦利品の分配は既に終わっているぞ?」
「だいいちあんた、あの戦には出陣していなかったろうに。
そのあんたがどうして戦利品の分配を要求出来るんだ?」
「わはははは。さすがは大吝嗇攬把殿だの!」
「な、ななな、なんじゃとぉぉぉっ!」