*** 281 越冬施設 ***
「あー、これだけの対戦希望者がいるんだ。
時間がもったいないから、名前や能書きは俺に勝ったら聞いてやるよ。
早くかかって来い」
「なんだとキサマぁ―――っ!」
ジグジドくんが大地に組み付こうとした。
だが……
ひゅん。
「うわあぁぁぁ―――っ!」
ジグジドくんは5メートルほど宙を飛んで、背中から砂地に落ちて行った。
どさっ。
「ぐはあぁぁっ!」
「勝負あり! ダイチ殿の勝ちっ!
次の対戦相手は前へ!」
「おりゃあぁぁ―――っ!」
ひゅん。
「うわあぁぁぁ―――っ!」
どさっ。
次の相手もジグジドくんの隣に背中から落下して呻いている。
「だ、ダイチ殿の勝ちっ!」
「次っ!
どんどんかかって来いっ!」
「おうりゃあぁぁぁ―――っ!」
ひゅん。
「ぐはあぁぁぁ―――っ!」
「次っ!」
「うわあぁぁぁ―――っ!」
ドルジン総攬把は仰け反っていた。
「こ、これは……
ダイチ殿の対戦相手が全て周囲に投げ飛ばされて行っている。
しかも全員が並んで砂地に横たわっているではないか……
そうか!
わざわざ回りが砂地になった試合場を作ったのは、対戦相手に怪我をさせないためだったのか!
しかもこのわしの目にも投げる姿が全く見えん!
強いだろうとは思っていたが、まさかこれほどまでとは……」
50人の兵たちはどうやら年齢順に並んでいるようだ。
20人ほどが飛ばされて砂地に並んで寝たあとは、20代前半に見える男が出て来た。
「これより貴殿には強相撲を申し込む!
よもや断るまいな!」
「なんでもいいからよ。さっさとかかって来いやぁ」
「こ、この野郎ぉ―――っ!」
男は拳を固めて殴りかかって来た。
だが……
ひゅん。
「ぐわあぁぁぁっ!」
今度の男は8メートルほどを飛び、既に出来ていた対戦相手の輪の外側に落下している。
「次っ」
次の男は走って来ると、飛び蹴りを放って来た。
ひゅん。
「うひゃあぁぁぁ―――っ!
どさっ!
「次っ!」
「おりゃあぁぁぁ―――っ!」
ひゅん。
どさっ。
「ぐはあぁぁぁ―――っ」
「み、見えん……」
「どのように投げているのか見ようとしても、まったく見えん……」
(そうか、もう少しゆっくり投げてやろうか……
その方がギャラリーも楽しいだろう)
「総攬把殿、次からはもう少しゆっくり投げるからよく見ておいてくれ」
「う、うむ……」
次の対戦相手は両手を広げて大地に掴みかかって来た。
大地の動きを止めてから料理しようというのだろう。
だが、瞬時に間を詰めた大地の手がその男の腕を取り、一本背負いで放り投げるのが見えている。
大地が激しく背中でカチ上げているために、男はよく飛んでいた。
「うわあぁぁぁ―――っ!」
どさっ。
蹴りを放って来た相手には、その足を取ってやはり背負って投げていた。
「うわあぁぁぁ―――っ!」
どさっ。
こうして大地は50人の男たちをことごとく投げ飛ばしていったのである。
大攬把のひとりが服を脱いで試合場に上がった。
昨日の見学には参加していなかった男である。
男の身長は約190センチ、体重は160キロほどもあるだろうか。
「小僧、去年の強相撲大会で3位だったこのビヤンバドルジ大攬把が相手になってやる」
「男の勝負の場に去年の実績だのなんだのを持ち出すやなおっさん」
「お、おっさ……」
「さあ、早くかかって来いってばよ」
「言わせておけばこの若造がぁ――っ!」
男はその体躯を生かして体当たりをかましてきた。
160キロの体で圧し潰そうというのだろう。
だが……
ひゅ―――ん!
「はうあぁぁぁ―――っ!」
その巨漢は空中でくるくると回っていた。
遠心力で短い手足が広がったまま廻っている姿は、どこかユーモラスである。
どーん!
ひとりだけ試合場の北側に落下した男は、完全に白目になっていた……
「さて、これで終わりかな」
見学の男たちに寂として声は無い……
離れた場所にいたご婦人たちの目は皆ハート形になっており、大勢の子供たちからは大歓声が上がっている。
大地はご婦人と子供らに手を振ると、その場に現れた服を着込んだ。
「それじゃあ別の場所に移動して建物を披露しようか」
「あ、ああ……」
「と、ところでダイチ殿、先程の相撲では魔法を使われたのですかな」
「いや、使ってないな。純粋な体技だけだ」
「そうでしたか……」
「魔法を使うのは、相手が100人を超えてからだな。
その人数になると、体技だけでは時間がかかりすぎるんだよ」
「「「 ………… 」」」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
一行はドルジンの本拠地ゲルから西に200メートルほど離れた場所に移動した。
「それじゃあまずヒト用と羊用の越冬施設を出してみるが、ここで構わないかな。
しばらく建てたままにしておいて、みんなに見学して貰いたいんだ」
「もちろん構わん。よろしくお願い致す」
(ストレー、ここにヒト用と羊用の避難所を出してくれ)
(はい)
その場に2種類の建物が現れた。
それぞれ直径が60メートルのドーム型の建物である。
「「「 !!! 」」」
「こ、こんなに大きいのか……」
「もっと小屋に近いものだと思っていた……」
「それじゃあそれぞれよく見てもらおうか。
まずこのヒト用のドームだが、12世帯の家族用避難所になる」
「それにしても大きいな……」
「なるほど、この形なら建物の上に雪が積もっても大丈夫そうだな」
「台が地上から2メートル近くあるし、雪で入り口が塞がれることも無いのか……」
「それでは周りを見てみよう。
建物の周囲にはこうして屋根付きの通路が作ってある。
そして周囲の12か所には、一段下がったところに炉を作ってあるんだ」
「炉が建物の外側にあるのか?」
「それに通路にあるこの大きな棚は?」
「この棚は羊糞を置いて乾かしておくためのものだ。
羊舎で出た羊糞もここに置いて乾かし、風上方向のいくつかの炉で羊糞を燃やしてくれ。
入り口に近い棚には部屋の中用の薪を置いておくといいかな」
「だが何のために?」
「炉の中を見てくれ。
煙突が斜め上に伸びているだろう。
羊糞を燃やして出た熱い煙はこの煙突を通って建物中央部に流れ、そこで縦煙突から上に出て行くんだ。
一部は棚の近くを通っているから羊糞も乾きやすいぞ」
「そうか! 羊糞を燃やした熱気で床を暖めるのか!」
「これならば建物の中にあの羊糞の匂いが籠らないな!」
「炉に火をつけたときは、建物の中の炉に近い側で寝ると暖かそうだなぁ」
「いや、煙突もかなり熱くなるからな。
3つほどの炉に火を入れたらどの家も暖かくなるだろう」
「よく考えてあるのう……」
「それじゃあ建物の中を見て貰おうか。
まずは入り口だが、こうして確りと閉まるようになっている。
空気の取り入れ口は別にあるから戸は閉めても大丈夫だ。
入り口を入って左に白い石がある。
ここに触れると部屋に灯りが点くんだ」
「明るい……」
「これなら中でも料理がしやすいな」
「もう一度石に触れると灯りが小さくなる。
さらに触れると灯りは消える。
夜寝るときには小さな灯りで寝てくれ。
こちらのドアの中は倉庫だ。
冬の間ゲルを畳んで仕舞っておけるようにやや大きめになっている」
「この棒の先に板のようなものがついているのは何だ?」
「それは雪かき用のシャベルだ」
「なんと、これは便利そうだ」
「それからこちらのドアの中はトイレだ。
念のため2つ作っておいた。
中に同じような石があるので触れば灯りがつく」
「家の中にトイレがあるのか?」
「このトイレは匂わないんだ。
用を足した後にこの石に触れると便器も体も綺麗になる。
匂いも消えるぞ」
「便利だなぁ」
「これで吹雪の中でも外に出なくて済むのか……」
「子供や年寄りが吹雪で飛ばされずに済むな」
「それじゃあ部屋の中も見て貰おうか。
見ての通り中央部は吹き抜けになっているが、周囲は2階建てになっている。
いつもは中央で過ごして、寝るときは2階で寝たらどうだろうか。
2階へ昇るのには、あそこにある階段を使ってくれ。
かなり傾斜を緩やかにしてあるんで、小さな子や年寄りでも楽に昇れるだろう」
「なるほど、これなら部屋が広く使えるな」
「1階の奥は料理や食事をする場所になる」
「お、これはさっきの竈に似てるな。
上にある屋根のようなものはなんだ?」
「この竈で煮炊きをしてくれ。
良く乾いた薪を使えばあまり煙は出ないし、この屋根のようなものを通って煙は外に出て行く」
「これも便利そうだ」
「もし煙が中に籠ってしまったら、窓を開けて外の空気を入れればいい。
煙は天井に空いた屋根付きの穴から出て行くだろう」
「ゲルに窓をつけると隙間風が酷いことになるが、この窓はぴったりと閉められそうだな」
「それに空気を入れ替えても、部屋の中で一番暖かいのは床だろうから、それほど寒くはないのか」
「そうか!
空気は入れ替えるとすぐ寒くなるが、石を焼くとなかなか冷めないよな。
だからこの石の床は暖かさが長持ちするんだな!」
「この床に羊の毛皮を敷いて寝たら暖かそうだ」
「あの壁から出ている短い棒のようなものはなんだ?」
「あの棒にロープを渡して濡れた服を乾かしてくれ」
「なるほど!」
「そしてこちらが水場だ。
ここから綺麗な水が出てここに溜まり、余った水はこの穴から出て行く」
「なあ、この水はどこから来てどこに行っているんだ?」
「俺の魔法の倉庫から来て、また倉庫に戻って行っているんだ。
出て来る水は少し温めてあるから、外がどんなに寒くても凍ることはない」
「素晴らしい……
水瓶の水が凍って瓶が割れてしまうことも無くなるのか」
「日に1回湯を沸かして水瓶の中に入れ、凍らないようにする手間も省けるな!」
「もう湖から水を汲んで来なくともよいのか」
「あの水は藻の匂いがキツイからなあ。
これからはスープも匂わなくなるな!」
大地はドルジン総攬把を振り返った。
「この家で何人ぐらいが冬を越せるだろうか」
「そうだの。40人は余裕で暮らせるの」
「そんなにか?
それじゃあちょっと狭くないか?」
「いや、ゲルで暮らせばもっと狭いぞ」
「イグルーを作ってもさらに狭いしな」
「そうか……
ところで何か要望はあるかな」
比較的若い男たちが顔を見合わせた。
その中のひとりがやや顔を赤らめて口を開いた。
「な、なあ、小部屋のようなものがあるとありがたいんだが……
その…… 冬は俺たちの子づくりの季節でもあるんでな……」
「そうか」
(シス、部屋の2階部分に8畳ほどの広さの部屋を作ってやってくれるか。
壁やドアは少し厚めにしてやって、ダブルベッドもひとつ置いて)
(はい)
すぐにその場にロフト部屋が出来た。
「これでいいか?」
「す、すごい…… 寝台までついてる……」
(な、なあ。あの扉についてる変な記号はなんだ?)
(さあ、平原の民の言葉かな)
(なんか変わった文字だな……)
いやそれ、単に♡マークだから……
そして……
このシスくんの些細なイタズラのせいで、高原の地では♡マークが『子作り』を意味する記号になってしまうのである……
「それじゃあ羊用の越冬ドームも見て貰おうか。
これは中に間仕切りが無く、丸い部屋になっている」
全員がぞろぞろと羊用のドームに移動した。
「こちらが羊用のドームだ。
周囲の廊下も棚も炉も同じだが、こちらにはサイレージの塊を中に落としてやるための窓が8つほどついている」
「なるほど、この窓から中に『さいれーじ』を落としてやるのだな」
「その『さいれーじ』はどこにあるんだ?」
「それは越冬地に作るサイレージ配送所から毎日届けられる」
「この羊用の建物に『さいれーじ』用の倉庫は作らないのか?」
「実はサイレージは十分に発酵することで羊が好んで食べるようになり、おかげで羊も太るんだが、その際に毒になる空気が出来ることがあるんだ。
だから取り扱いに慣れた者が扱う必要があるんでな」
「そうか。
だが、その毒は羊には害は無いのか?」
「換気を充分にしてやれば大丈夫だ。
サイレージそのものに毒は無いからな。
だから羊用ドームの換気孔や煙突は大きく作ってあるんだよ」
「なるほどの」
「ドームの中にはほとんど何もない。
羊が寝やすいように砂を敷き詰めてあるだけだ」
「ここでも外の炉で羊糞を燃やしてやれば、羊は凍死しないで済むのか……」
「いや、こんな確りした建物ならば吹雪も入り込まないし、羊たちだけでも十分に暖かいかもしらん」
「はは、ここで羊に囲まれて寝ても暖かそうだな」
「この羊小屋の水場は常時水が流れるようにしてある。
羊たちは好きな時に好きなだけ水が飲めるだろう」
「すごいな」
「ああ、すごい……」
「朝になったらこの扉を開けてやれば羊たちは明るい戸外に出て行くだろう。
夜にはこの石に触れて灯りをつけてやり、サイレージを出してやれば勝手に帰って来るんじゃないか」
「そうだな、羊たちも冬に雪を掘って地の草を食べることを忘れないようにさせないとな」
「だが、猛吹雪の日には、中で『さいれーじ』を喰わせてやればいいのか……」
「吹雪が激しいと、成獣の羊でも立ち上がると飛ばされるからな」
(そんなに酷い風が吹くのか……)