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*** 279 高原商会設立 ***

 


 大地はドルジン総攬把に向き直った。


「総攬把殿、貴殿はこの中でどれが一番安いと思う?」


「そうだの、すべて安いとは思うが、特に麦や薪は安く思えるの。

 女や子らにとってはこの『かしぱん』だろうが」


「それが貨幣の役割である『価値の尺度』なんだがな。

 この価値の尺度はその国によって大きく異なっているんだ。

 俺にとっては、これら商品の銀貨10枚当たりの価値は同じなんだよ。

 でも特に安く感じるのが羊なんだ」


「貴殿の国では麦や薪が安く羊が高いのか」


「そうだ。

 故にこうして交易をさせて貰えば俺は十分に儲かるし、同時に高原の民にも喜んで欲しいと思っている。

 交易とは双方が儲かったと思うべきものだからな」


「なるほど。

 だが、貴殿はわしに商会を作れと言ったがの。

 わしの商会だけが一方的に儲かってしまわないか?

 なにしろ皆が羊を1000頭売れば、銀貨500枚もの差益が得られてしまうのだぞ」


(はは、毎日羊の数を数えて来ただけあって、高原の民は数字には強いんだな)



「総攬把殿はその利益で麦その他を買って、寡婦や子供たちを養えばいい」


「なんと……」


「羊を売りに来る民たちも、万が一自分が死んでしまって自分の家族が餓えることを思えば、総攬把殿という権威ある存在がそうした施設を運営してくれていると安心出来るのではないかな。

 しかも、その寡婦や子らは、デスレルと戦って死んだ英雄たちの妻や子なのだから」


 周囲の大勢の男たちが重々しく頷いている。


「それだけではない。

 総攬把殿はその金を使って公共事業を行えばいいだろう」


「『こうきょうじぎょう』とな?」


「例えばだ。

 貴殿らは冬になると南に移動して湖沿いで越冬するそうだが、それは水を確保するためだよな」


「そうだ。なにせ厳しい寒さで高原の小川は皆凍ってしまうからの。

 その点湖ならば、表面が凍っても毎日石斧で割ってやれば、羊のための水も確保出来る」


「そのための移動もたいへんだろう。

 だが、俺は冬でも凍らない水場を作ることが出来る。

 総攬把殿は、商会の利益から俺に銀貨を払って、そうした水場をたくさん作らせればいい」


「なんと、冬でも凍らない水場とな。

 確かにそのような水場が多くあれば皆喜ぶであろうの……」


「それ以外にも冬場の羊のための囲い地や、家族のための石造りのゲルなどはどうだろうか。

 ところで冬の羊のエサはどうしているんだ?」


「秋に干し草を作って越冬地に運んでおる。

 だが干し草は羊共があまり好んで食べないのでな。

 羊は自分で雪を掘って地に残った草を食べたりしておるの」


「それならばサイロを建設してサイレージも作ろうか。

 サイロと言うのは草を刈って溜めておく倉庫のようなものだ。

 そうして、サイレージとは、そのサイロに草を入れて発酵させたものになる。

 羊は喜んで喰うぞ」


「『はっこう』とは?」


「あんた方はヨーグルトは作っているか?」


「ああ、生乳よりは多少日持ちがするからな」


「ヨーグルトは生乳を発酵させたものなんだ。

 サイロの中に少量のヨーグルトを入れておくと、ヨーグルトが草も発酵させて羊が喜ぶ滋養豊かなサイレージが出来る」


「そうか、吹雪を避ける囲い地があり、水場とその『さいれーじ』があれば、冬の寒さや飢えで羊が死なないようになるのか……」


「そうだ。

 羊が死ななければそれを商会に売ることが出来るだろう。

 だからみんな水場やサイレージに喜んで使用料を払ってくれるんじゃないか?」


「そうだの、たくさんの羊が死んでしまうことを思えば払うだろうの」


「だが、俺にカネを払ってそうした施設を建てるのは、さすがに個人では厳しいだろう。

 だから、総攬把殿が運営する商会が資金を出して水場や囲い地やサイロを買えばいい。

 これが公共事業だ。

 その使用料やサイレージの価格は高原商会で決めてくれ。

 まあ元手が商会の利益だから、かなり安くしてやればいいんじゃないか?」


「わしにそのような商会の運営が出来るかのう」


「いや総攬把殿は実際に運営する必要は無い。

 優秀な部下たちを育ててその部下たちに任せればいいんだ。

 大事なのは、その商会の主が総攬把殿だということだ。

 それならば誰も文句は言わないだろう」


 周囲の男たちがまた頷いている。


「優秀な部下が育つまでの間は、俺の部下を派遣してもいい。

 奴らはそうしたことにかなり慣れているからな。

 そうそう、言い忘れていたが、俺の商会では掛け売りはナシにする。

 例えば、『春になったら羊を売りに来て代金を払うから、今麦を売ってくれ』というような行為だな。


 もしもそのとき本当にカネが無くて麦が買えないのならば、高原商会に行って借りてくればいい。

 俺の商会ならば踏み倒してもいいと考えていても、まさか総攬把殿からの借金を踏み倒すようなことはしないだろう。

 その借金の利息はまた公共事業に使えばいい」


「なるほどのう。

 わしはお飾りの頭領で、単なる権威付けのみの存在だということか。

 それならば今と同じなので出来そうだの」


「ははは、この高原の民を初めて纏め、デスレルを追い払った総攬把殿の発言とは思えんな」


「いや、わしは確かに戦では多少役に立ったかもしらん。

 だが戦が終わった今となっては、引退して羊を追って静かに暮らそうかと思っていたのだ。

 戦上手が政上手とは限らんからの」


(さすがだなぁ……

 それに気づいていたか)


「だが貴殿の仰る通り、単なる権威付けならば出来るかもしらん」


「いや、俺が思うに総攬把殿と大攬把殿たちにはまだまだ重大な役割がある」


「重大な役割とな」


「俺の商会が売る商品は高原の民に大きな変革を齎すだろう。

 あんた方が育てるのが得意な羊を増やし、その羊を俺に売ることによって潤沢な食料や薪を得て餓える者や凍える者はいなくなるだろう。

 また、俺が作る越冬用の避難所ならば誰も凍えず羊も死なない。


 だが、俺はこの高原で暮らしたことは無いんだ。

 故に高原の民にとっての幸福や矜持を理解しているわけではない。


 よって総攬把殿や大攬把殿たちには、これからの民の暮らしをよく見てやってもらいたい。

 それで民の暮らしに好ましからぬ変化が見られたら、俺に助言して欲しい。


 例えば料理や羊を捌くのに便利なこのナイフだが、今後はこれを武器にして争う者が出てこないとも限らないだろう。

 そのときには俺は貴殿らの助言を聞き入れて、このナイフを販売停止とする。

 また、このナイフは魔法で土や石を固めて作ったものだ。

 最悪の場合にはその魔法を解いて元の土や石に戻すことも出来る」


「そうか、我らの役割は民を見守ることでもあるのか。

 それにしても魔法とはほんに便利なものよの……」



「ところで貴殿らは麦はどうやって喰っているんだ?」


「ほとんど粥にして喰うておるの」


「パンにはしないのか?」


「あれは麦に比べて保存も効かず、固いからのう……

 特にわしら歯の弱った年寄りには辛いのだ。

 スープと一緒でなければ喰えんしの」


「それじゃあ試しに明日の朝柔らかいパンを焼いてみようか。

 料理の得意な女性を20人ばかり呼んでおいてくれ」


「それは楽しみだ」


「それからな、麦粥も確かに旨いが、それだけだと滋養が偏るんだ。

 それで俺の国では麦に10種類ほどの穀物を混ぜた『穀物粥』という物も作っているんだが、試しに食べてみてくれないか?」


「ぜひお願いしたい」



 商品を置いたテーブルに熱い穀物粥が入った大型の寸胴が出て来た。

 脇には塩昆布の入った皿があり、空の椀とスプーンも置いてある。

 大知はみんなの前でレードルで粥を掬って椀に入れ、昆布を乗せて総攬把の前に置いた。


「さあ、みんなも喰ってみてくれ」



「旨い……」

「旨い上に香りも素晴らしい……」

「これは塩だけではなく他にも多くの物が入っておるの」

「粥も旨いがこの上に乗っている黒い板のようなものがまた旨い……」


「どうかなみんな。

 これは塩やその他の調味料とセットで1石銀貨12枚で売ろうと思うんだが」


「そうですか……」


「だが見慣れぬものを銀貨12枚で買うより、皆見慣れた麦を銀貨10枚で買うのではないですかのう」


「そこでだ。

 高原商会では食堂も作ればいい。

 穀物粥1石銀貨12枚ということは、1合で銅貨1枚と石貨2枚だろ。

 それを温かい粥にして1杯銅貨2枚で売るんだ。

 羊の肉を焼いたものをつけて銅貨3枚にしてもいいな。

 商会に買い物に来た客も腹は減るだろう。

 この匂いを嗅いで銅貨2枚なら試してみる奴も多いんじゃないか?」


「なるほど。

 確かに銀貨12枚の買い物なら躊躇うが、銅貨2枚なら試しに食べてみる気になるか……」


「だが1000食売れたら銀貨にして20枚分の売り上げになってしまうぞ。

 薪代を引いてもかなりの儲けになってしまうが、それは誰のものになるんだ?」


「それに誰がその穀物粥を調理するというのだ?」


 大地は微笑んだ。


「それこそ総攬把が養っている寡婦や子供たちが調理すればいい。

 そうして、儲けの中から彼らに給料を払えばいいな。

 そうすれば彼らも菓子パンを買って食べられるだろう」


「そうか!」

「なるほどよく考えておられる……」


「そうしてその食堂が繁盛して十分な利益が出たとしたら。

 貯めておいたカネで成人した後に子羊を買って、独立する子らも出て来るんじゃないか?」


「うーむ…… なんという素晴らしいお考え……」

「我らや総攬把殿から拝領する羊ではなく、自分で稼いだカネで羊を買うのか」

「それでこそ高原の男たちだ!」

「同じ境遇の女たちも放ってはおくまいな」

「だが、大勢の女たちや子らがその食堂で働きたがるぞ。

 そこまで客が来るものかの」


「仕事なら作ってやればいい。

 例えば俺が銀貨10枚と大銅貨5枚で買った羊だが、これを屠畜して肉や皮や内臓や骨に分けてくれる人手を雇おうと思っている。

 その働き手には日に銅貨25枚払ってもいいな」


「なんと……

 それなら40日働けば銀貨10枚の稼ぎになって羊が1頭買えるのか……」


「いや子羊ならば半額の銀貨5枚だろう。

 2頭買えるぞ」


「1年働けば18頭だの」


「許嫁と2人で働けば36頭か」


「その時はここにおられる総攬把殿や大攬把殿たちは、頑張った若い子達に子羊を安く売ってやってくれ。

 そうして大いに褒めてやれば、彼らも誇りに思うだろう」


「「「「 うむ! 」」」」


「他にもまだまだ仕事はあるぞ。

 例えば先ほど言ったサイレージ作りだ。

 そのためにはあちこち歩き回って草を刈って来る必要がある。

 冬の間の羊の食料になるのだから、たいへんな量が必要になるために、大勢の人手がいる。

 今の寡婦や子供らでは足りないぐらいだな」


「ううむ…… 素晴らしい……」


「養ってやるのではなく、仕事と給金を与えて自立させるとは……」


「それで出来たサイレージは、貴殿らがなるべく高く買ってやればいい」


「その『さいれーじ』にカネを払えば、冬の間に羊が飢え死にしないのだな。

 さらにダイチ殿がお作りになる越冬用の建物があれば、凍死もしないのか」


「毎年冬には多くの羊が死んでおるからの。

『さいれーじ』とやらを買っても釣りが来そうだのう」


「その分春には多くの羊を売ることが出来るわけだ」


「そうすれば、さらに寡婦や子らが銀貨を貯められるのか」


「わかった! わしは納得したぞ!

 毎日食堂でメシを喰い、冬には必ずや『さいれーじ』を買おうではないか!」


「という具合にだ。

 総攬把殿や大攬把殿たちにはこうした事業の音頭を取り、監督していく仕事があるんだよ。

 引退しているヒマは無いぞ」


「仰る通りだの!」


「それにしても素晴らしいお智慧をお持ちじゃ!」



「それではそろそろ日が暮れて来たから俺は国に帰ろう。

 ここの商品はこのまま置いて行くからみんなで吟味してくれ。

 明日朝また来るから、そのときはまず柔らかいパンを作って、それから水場やサイロや冬の避難所を見てもらおうか。

 料理が得意な女性20人と羊乳とバターを多めに用意しておいてくれ」


「お待ち申し上げておりますじゃ」



 大地たちが消えた。

 男たちは大地が消えた跡をずっと見つめている。


「のうダワードルジ、大した男であったの……」


「そうだなドルジン、俺たちがあの男ぐらいの歳だったころに比べて、力も頭も遥かに先を行っているの」


「いや、今の我々よりも遥かに先だ」


「そうだな、その通りだ。

 いったいどのような生を送ればあのような男が出来上がるのだろうか……」




 いやだからダンジョンのおかげだってば!





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