*** 278 貨幣と交易品 ***
大地と高原の民指導部を乗せた円盤は、やがて西の斜面を越えてデスレル平原に至った。
「さて、ここがデスレル帝国の第3方面軍総司令部跡だ。
誰もいないだろ」
「本当じゃわい。全く誰もおらん……」
大地は続けて第2方面軍団司令部跡と第1方面軍団司令部跡を見せ、その後は旧デスレル帝国皇宮に向かった。
「な、なんじゃこの巨大な建物は……」
「よく見てくれ。
10階建ての建物の壁面が全て牢になっているだろう。
あの小さな牢に旧デスレルの皇帝や貴族や兵たちを収監してあるんだ」
「何人いるのだろうか」
「今現在で約40万人になる」
「「「「 ………… 」」」」
「この中で比較的罪の軽い者は1年から5年経つと釈放される。
もちろん侵略戦争を主導した皇帝や上級貴族は終身刑だ」
「死刑にはせんのかの……」
「俺たちは殺しはしないんだ」
「そうか……
だが、こうした者共を喰わせてやるにも食料が……」
「だから今農民たちを集めて新しい農業方法を教えているところなんだ。
この農法を導入したおかげで農業生産が飛躍的に増えたからな。
おかげで麦を安く売ることも出来るようになったんだよ」
「そうだったのか……」
「それでは北の農業学校に向かおう」
「こ、ここにも巨大な建物がたくさん……」
「ここは旧デスレル領の農民と奴隷たちに読み書きや新しい農法を教えている学校だ。
500人用の教場と宿舎が全部で800ほどある」
「「「「 ………… 」」」」
「さて、次はゲゼルシャフト王国とゲマインシャフト王国に向かおうか」
「なんだこの長大な壁は……」
「これら2カ国は長年デスレルに攻め込まれようとしていたんで、こうした城壁を魔法で作ってやったんだよ。
もし高原の民が俺たちと不戦の約定を結んでくれ、その後にどこか他の国に攻め込まれそうになったら、高原全体をこうした城壁で覆ってやるつもりだ」
「凄まじいお力だの……」
「まあでも交易のためにはこうした壁は無い方がいい。
この2カ国も、デスレルが滅んだ今、城壁を取り除くかどうか検討しているところだ。
あと10年もしたら壁は無くなっているかもしれないな」
「そうか……」
「さて、これでもうデスレルは滅んだと納得して貰えたかな」
総攬把は周囲を見回した。
大攬把たちは全員が頷いている。
「高原に帰って残りの大攬把や中攬把たちを集めて評定を開かねばならんが……
我らは十分に納得申した」
「そうか、それじゃあもうゲルに帰ってもいいかな」
「よろしくお願い致す」
総攬把の本拠地である本部ゲル前に戻ると、大勢の女性や12歳から15歳ぐらいまでの子供たちがいた。
皆で力を合わせて30キロもある麦の2斗袋を2人掛かりや4人掛かりで羊の背に乗せ、倉庫らしきゲルに運び込んでいる。
中には背に重い荷物を載せられて不満そうな羊もいたが、「この麦があれば冬の間にお前たちを潰して喰わなくてもいいんだから、頼むよ」などと説得されている。
大量の食料を前にして女たちも子供たちも皆笑顔だった。
大地は8人掛けの大テーブルを出し、そこに総攬把や大攬把たちと共に座った。
テーブルには紅茶や茶菓子が用意されている。
「さて、もし俺たちと不戦の約定を立ててくれるとしたらだ。
それは、俺のダンジョン国、アイス王太子のワイズ王国、ゲゼルシャフト王国、ゲマインシャフト王国と高原の民の5者による共同誓約になるだろう。
実際には、これからデスレル平原の北側にある森の民も訪れて誓約に加えたいと考えてはいるが。
この約定を交わした国同士はお互いに戦わないことはもちろん、もし別の国々から侵攻を受けそうになった場合には援軍を出すこともあるかもしれない。
まあ実際には俺と仲間たちが出張るだけで済むだろうが」
「この周囲にデスレル以上の大国はあるまい。
そのデスレルをたった数人で滅ぼした貴殿が出張れば、我ら戦士たちの出番は無さそうだの……」
「だが、一時的な避難民の受け入れはお願いするかもしれないぞ。
もちろんその食料は俺が負担するが」
「差し支えなければ教えていただきたい。
ダイチ殿はどれほどの食料をお持ちなのだろうか」
「そうだな、俺個人で1000万石、ダンジョン国にもあと100万石の食料が備蓄してある」
「なんと……」
「それ以外にも農民50万人が新農法を勉強しているところだからな。
来年には追加であと200万石を備蓄出来るように努力するつもりだ」
「畑や水はどうされるのかの……」
「俺たちには魔法の力がある。
ワイズ王国には既に農民10万人用の畑と水場が用意してあるし、この冬の間に残り40万人用の村や畑も用意しよう」
「魔法の力とはいよいよ凄まじいものなのだのう……」
「さて、不戦の約定が為された後の交易の話に移ってもいいかな」
「よろしくお願いいたす」
テーブルの上に6種類の貨幣が出て来た。
「これらはこちらから順に、石貨、銅貨、大銅貨、銀貨、大銀貨、金貨になる。
石貨10枚と銅貨1枚は等しく、銅貨10枚は大銅貨1枚、大銅貨10枚は銀貨1枚、銀貨10枚は大銀貨1枚、大銀貨10枚は金貨1枚になる。
ここまではいいかな」
大攬把の1人が手を挙げた。
「どうぞ」
「我らは今まで物々交換でやってきたが……
それではいかんのかの?」
「もちろん貴殿ら同士の交換では貨幣を使う必要は無いだろう。
今まで通り物々交換でも構わない。
だが、貨幣を導入すると便利だぞ」
「そうなのか?」
「たとえば貴殿が羊を売って土鍋と交換したかったとしよう。
そのときは、土鍋を売って羊と交換したがっている男を探して来なければならなかったはずだ」
「そうだな、それがバザールの役割だからな」
「だが、もしそういう男が見つからなかったら、また羊を連れて帰らなければならなかったはずだ」
「なるほど」
「俺は総攬把殿に商会を作って欲しいと思っているんだ。
そうだな、商会の名は『高原商会』とでもしようか。
そしてみんなが13歳以上の羊をその商会に連れて来れば、商会はその羊を銀貨10枚で買い取ることにしたらどうだろうか。
俺のダンジョン商会は、高原商会からいつでもその羊を銀貨10枚と大銅貨5枚で買い取るだろう。
そうして、貴殿らはその銀貨10枚を持ってバザールや俺のダンジョン商会に買い物に行けばいい。
そこで気に入った商品が無ければ銀貨だけ持って帰ればいいからな。
その方が楽だろう」
「それもそうだな」
「これが貨幣の役割の一つ、『価値の保存』だ。
また、土鍋を持ち、羊を欲しがっている男を見つけたとしよう。
だが、その男が土鍋を一つしか持っていなければ困るだろう。
いくら何でも羊1頭と土鍋ひとつを交換するわけにはいかないし、羊を捌いて肉の一部と交換しても、残りの肉が腐ってしまったら何にもならないからな。
だが、貨幣があれば、あんた方は羊1頭を銀貨10枚で売り、土鍋を銀貨1枚で買えばいい。
土鍋を売って銀貨1枚を手にした男は、バザールで羊を捌いて肉を売っている場所に行き、銀貨1枚分の肉を買えばいいだろう。
もしくは麦を買ってもいいな。
これが貨幣の2つ目の役割である『価値の分割』もしくは『価値の尺度』だ」
「なるほどなぁ……」
「羊の毛はどうするんだ?
毛の長い羊と毛を刈ったばかりの羊を同じ値で売るのか?」
「今の話は毛を刈った後の羊の話だ。
毛の長い羊を連れて来たら、高原商会に作る毛狩場で毛を刈ればいい。
その毛は高原商会が10キロにつき銀貨1枚で買い取ることにして、俺はその毛を銀貨1枚と銅貨5枚で買い取ろう」
「ふむ」
「それから貨幣を使うもう一つのメリットだが、あんた方が羊の毛を売るときは冬が終わって春になったときだろう。
寒い冬に羊の毛は相当に長くなっているだろうから。
だが春以降は遊牧で忙しいだろうから、あまり荷物になる商品は買いたくないはずだ。
例えば薪などだな」
「薪を売ってくれるのか!」
「ああ売るぞ。
そうだな、よく乾いた薪10キロを大銅貨1枚でどうだ?」
「ということは、羊を1頭売ると薪は……」
「1000キロ買えるな」
「そんなに買えるのかっ!」
(まあ大森林の木を切って畑を作ったから、薪は100万トンぐらいあるし……)
「だから薪を買いに来るのは秋の方がいいだろう。
つまり春に羊を売って銀貨に換え、その銀貨を取っておいて秋になったら薪を買って越冬地に運べばいい。
これも貨幣の役割である『価値の保存』だ」
「なるほど、それは確かに便利だ」
「そうか、貨幣を使えば売りたい時期と買いたい時期を別に出来るのか……」
「買い取ってもらえる羊は13歳以上なのか?」
「そうだ。
それ以下の若い羊はまだ子を作れるからな。
そんな貴重な羊を売っていたら、すぐに羊がいなくなってしまうぞ」
「それもそうか……」
「と、ところで薪はたくさんあるのか?
そんなに安いんだったらみんなが買いに来るぞ。
なにしろ冬の間ゲル内を暖めたり料理するのに薪は最高だからな」
「いつもは羊糞を乾かしたものを燃やしているのか?」
「そうだ。乾いた羊糞は長くよく燃えるんだ」
「どれぐらいの時間燃えているんだ?」
「そうだな、塊りを大きくすれば4刻近く燃えるな」
(練炭みたいなものか……)
「だが羊糞は燃やしたときの匂いが酷いんだ。
毎年春になると、ゲルに染みついた羊糞の匂いを落とすために一家総出でゲルを洗うんだが、これが大変なんだよ」
「ところでダイチ殿はいいのか?
春先には皆が大量に羊を売りに来ることになるぞ」
「問題ない。
俺は『収納』の魔法が使えるんでな。
その中では時間が経過しないんで、生の肉を10年入れておいても腐らないんだ」
「すごいな……」
「だが、本当にいいのか?
春にみんなが売りに来る羊は、1000頭や2000頭ではきかないかもしれん」
「それも問題ない。
俺の国や仲間の国には今120万近い人がいる」
「そ、そんなにいるのか……」
「これからももっと増えるだろうしな。
だが、俺たちの国には羊やその他の獣の数が少ないんだ。
10万頭買ってもすぐに喰い尽くしてしまうだろう」
「そ、そんなに……」
「さて、それでは俺のダンジョン商会で他に売るものも紹介しようか。
今言ったように薪は10キロで大銅貨1枚だが、麦は1石(≒150キロ)で銀貨10枚だ」
「「「「 !!!! 」」」」
「む、麦もそんなに安いのか……」
「羊を1頭売ると麦を1石も買えるとは……」
「あと、塩10キロも銀貨10枚だ。
それから今皆が紅茶を飲んでいるティーカップは5客セットでやはり銀貨10枚、紅茶5キロも銀貨10枚、黒糖も1キロ銀貨10枚だ。
それらの品を並べてみようか」
男たちがみなコクコクと頷いている。
大地の後ろに細長い台が出て来た。
その上には、麦1石、薪1000キロ、塩10キロ、ティーセット、紅茶5キロ、黒糖1キロが並んでいる。
それ以外にもアルミ合金製の大鍋と中鍋、レードルのセットもあった。
刃渡り15センチの土製ナイフ2本セットもある。
「さあ、これら商品は全て銀貨10枚で売る予定だ。
みんなじっくり検分してくれ」
「これが皆羊1頭分の銀貨と交換出来るのか……」
「この麦……
羊1頭を潰して喰うよりも喰いでがあるぞ……」
「日持ちもするしな……」
「な、なあ、この黒い石みたいなもんはなんなんだ?」
「それは黒糖っていうものだ。
そうだな、今皿に出すからみんなで少し試食してみてくれ」
その場にまたテーブルが出て来た。
その上には黒糖の乗った皿と菓子パンが50個ほど乗っている。
男たちは南大陸産の黒糖の塊を口にして目を丸くした。
「な、なんだこの味はっ!」
「それは『甘い』っていう味なんだよ。
どうだい、結構旨いだろ。
その茶を飲んで口の中の甘さを消したら、ついでにそっちの菓子パンも喰ってみてくれ」
「こ、これはパンか? なんでこんなに柔らかいんだ?」
「うおっ! 中に何か入ってるぞ!」
「この中身も甘くて旨い……」
「なあ、この菓子パンは1ついくらなんだ?」
「それは1つ銅貨4枚にしようか」
「ということは、羊を1頭売ると……」
「そうだな、その菓子パンが250個買えるな」
「そんなに!」
「だがそのパンはせいぜい2日しか日持ちしないから、いっぺんにたくさん買わない方がいいぞ」
「そうか……
持ち帰って子供たちに喰わせてやりたかったんだが……」
「年に2回ほど高原商会に羊を売りに来るときと薪を買いに来るときには、家族も連れて来たらどうだい?」
「そうだな、そうしよう……
みんな喜ぶだろうな……」