*** 276 総攬把 ***
大地は哨戒役の男たちに声をかけた。
「ところでみんな、デスレルの軍勢はいたかな」
「いえ、まったく見当たりません」
「そうか、それじゃあもう少し哨戒を続けてから戻ろうか」
帰りの円盤上では3人の中攬把たちで即席の会議が行われた。
そうして、翌日バドドルジ中攬把が大地を連れて総攬把のいる地へと向かうことになったのである。
大地は若い男たちを労い、各人に麦4斗と塩10キロを渡し、アイス王太子やノワール族長たちと共にワイズ王国に転移した。
「ダイチ殿、それにしてもあのように大きな羊をたった銀貨10枚ほどで買えるとは。
我が国では金貨3枚払っても買えないかもしれません……」
「はは、彼らも麦1石を銀貨100枚から150枚の値で買おうとしていたからな。
まあいい取引なんじゃないか」
「さすがです……
これで我が国の民も羊の肉が食べられるようになるのですね。
まあ年に1度のご馳走になるかもしれませんが」
「そう、そういう年に1度の贅沢っていうのが大事なんだよ。
そうすればみんな幸せを感じて、家族の笑顔を見た民たちはまた一生懸命働くだろうからな。
そうやって働いた結果、年に1度の贅沢を年に2度に出来るようになったらさらに幸せを感じるだろう」
「なるほど……」
「そうだシス、普通の銅貨や銀貨の5倍の重さで大銅貨と大銀貨を鋳造しておいてくれるか。
それぞれを銅貨10枚と銀貨10枚と同価値しよう。
銀貨50枚の買い物をするときに、じゃらじゃらと50枚の銀貨を数えるのも面倒だろうからな。
あと石貨も少し作ろう。
これは10枚で銅貨1枚に交換だな」
(畏まりました)
その日の夜。
「なあシス、あの高原の民が羊を連れて無事越冬出来るような避難所を作ろうと思うんだ。
水場やサイロ付きの。
中攬把のひとりが、冬の寒さが厳しいと羊の5分の1が死ぬって言ってたろ。
それはいくらなんでももったいないし、羊が死ぬぐらいだったらヒトも危ないだろうからな」
(冬の積雪を考えて、ドーム型でいいですか?)
「そうだな、その方がゲルと似ていて彼らには馴染み深いかもしらん。
天井の高さが最大8メートルほどになる低いドーム型にしてくれるか。
その内部外周にはロフトも作って寝場所にしよう。
ヒト用と羊や騎獣用の建物は分け、ドームは床を2重構造にしてオンドルも作ってやるか。
暖房用の焚口は外にすればいいだろうし。
羊が火傷をしないように、床には砂でも撒いてやろう」
(はい)
「ヒト用は中に『クリーンの魔道具』付きのトイレや竈も作ってやってくれ。
羊用のドームには周囲にサイロもつけようか」
(あの、ダイチさま。
サイロ内は乳酸菌などの微生物作用により、酸素濃度が低下した嫌気的条件の下で飼料の発酵が進みます。
そのおかげでpHが下がって黴などが発生せず、サイロ内のサイレージの長期保存が可能になるわけですが、そのために酸欠事故も多く、場合によっては一酸化炭素なども発生してしまうのです」
「そういえばそうだったか……」
(ですからサイロはストレーさんの中に作らせて頂いて、その日使う分だけを取り出して配達所に出し、毎日避難所に配達させたら如何でしょうか)
「なるほど、その方が配達員を雇えて雇用も増えるな。
ストレー、大丈夫か?」
(もちろん大丈夫です)
(また、反芻動物のげっぷにはメタンが含まれますので、万が一の火災や爆発事故を防ぐために、羊用避難所には十分な換気も必要かと)
「なるほどなぁ」
(ところで避難所のサイズはどうしましょうか)
「そうだな、直径60メートルのものを作って、内部をパーテーションで12世帯用に分けようか。
その周囲には12個の羊用宿舎を作ってやればいいだろう。
そうすれば世帯当たり面積は、ロフトも含めて400平米ぐらいになるな。
世帯当たり人数は多そうだし、道具なんかもたくさんあるだろうからそんなもんだろう。
羊用も直径60メートルのパーテーション無しにして、内部には水飲み場も作ってくれ。
あ、冬に凍らないような水場って出来るかな。
この高原の冬は随分寒いみたいだし」
(水場はオンドルの周囲に作りますし、水の魔道具には念のため温度検知装置付きの暖房の魔道具もつけましょう)
「それなら大丈夫そうだな」
(それでは建物の模型を作りましたのでご検分頂けませんでしょうか)
「早いな!」
(お話を伺いながら作っていました。
以前わたしの分位体が地球を訪れた際に買っていただいた、電子版の百科事典に載っていたオンドルを参考にしています。
模型は中ほどの高さで分割できるようにしてありますので、内部もご覧ください)
「ほほう、羊用もヒト用も見事なオンドル構造だな。
それに焚口が外にあるから中に煙も籠らないだろう。
その焚口まで行くためにドームの外周には屋根と壁に覆われた通路があるのか」
(はい)
「内部には照明の魔道具もあるんだな。
そう言えば羊は明るい方へ移動する習性があるそうだから、朝になったら照明の魔道具を消してドアを開けてやれば外に出るのか。
夕方になったら内部の照明をつけてやれば、自動的に帰って来そうだ。
それにしてもこの羊用ドームの換気用煙突は随分太いな」
(熱源は床になりますので換気重視でよろしいかと……)
「なるほど。
常に空気を入れ替えていても、すぐに床から温まるのか。
さすがはシスだ。よく考えているなぁ」
(お褒めに与り恐縮です……)
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
翌朝、ブラッキーくんの鬣は見事に編み込まれていた。
「やあブラッキー、さっそく鬣を編んでもらったのか。
なかなかクールじゃないか」
「それがダイチ殿、おかげでこ奴は女どもに取り囲まれてしまいましての。
わしも連れてゴブリン族たちのところに頭を下げにいくはめになったのですわ。
悪党捕獲部隊でわしの相棒であるゴブ郎が快く引き受けてくれましたが」
「ははは、女性たちも鬣を編んで欲しかったのか。
それじゃあ俺からもゴブ郎やゴブリン族たちに頼んでおくよ」
「忝のうございます……」
「そうか、みんなファッションにも興味を持ち始めたか。
今度地球からリボンなんかを持ち込んでやるかな……」
その後、ダンジョン国では大地が地球から持ち込んだリボンやネックレス、イアリングなどが大流行することになる。
モン村幼稚園年長組の2大巨頭、ゴーレム族のレム子ちゃんとラプトル族のプトルちゃんは、お揃いの赤いリボンをつけてご満悦だった。
因みに、この2人はその強さに反比例して実に優しい子達だった。
もし中型種族の男の子が小型種族の子をいじめようとしたりしていると、レム子ちゃんやプトルちゃんが出張って来るのである。
男の子たちは、プトルちゃんが『ビターン、ビターン』とシッポで地面を叩く音や、レム子ちゃんが歩く『ズシーン、ズシーン』という地響きを聞くと震え上がるらしい。
加えて彼女らの後輩たちもその薫陶を受けており、2人が幼稚園を卒業して小学校に入学しても、幼稚園の平和は守られるだろう。
そしてまた、小学校もさらに平和になっていくのである。
ヤンチャな男の子たちにとっての恐怖の象徴である赤リボン軍団が大増殖していくのだった……
大地とアイス王太子、ノワール親子はまた高原のバドドルジ中攬把のゲル付近に転移した。
一行はすぐに円盤に乗って出発し、まもなく総攬把の住む街の手前1キロに到着している。
バドドルジが先触れに行く間、大地たちはその場で待機していた。
中攬把バドドルジが齎した情報は高原の民の首脳陣に衝撃を齎した。
まずはデスレル帝国がワイズ王国なる国に攻め込み、逆に滅ぼされたこと。
もしこれが真であれば大慶事である。
さらに、そのワイズ王国の国政最高顧問と王太子が、高原の民との不戦の約定を求めて来訪していること。
昨日、西の地を監視する中攬把3名とその随員24名を連れて、宙に浮いて高速で移動する乗り物によって西の斜面をくまなく調査したが、デスレル勢の姿はどこにも見られなかったこと。
また、もし総攬把が希望すれば、その稀有なる乗り物に乗ってデスレル本国の調査に同行してくれるとのこと。
さらには不戦の誓いが為された後には交易の提案が為されており、その際にはなんと1石の麦が13歳以上の羊1頭と交換されるというのである。
総攬把は居合わせた大攬把5名と急遽会議を行い、そのワイズ王国からの使者と面談を行うことが決定されたのである。
バドドルジは急ぎ大地たちの下へ戻り、これを先導して総攬把のゲルに向かった。
そのゲルの前には総攬把と5人の大攬把が騎乗して並び、その後方には50名ほどの兵が槍を背に廻して控えている。
これは彼らにとって最高礼の出迎え態勢だった。
大地はノワール族長に騎乗し、アイス王太子はブラッキーくんに乗って、ゆっくりと近づいて行った。
因みに大地もアイス王太子も武装していない。
もちろんその必要も無いからである。
大地たちが200メートルほどに近づくと、50名の儀仗兵の内20歳ほどに見える男が声を上げた。
長めの髷に随分と派手な布を巻いている。
「なんでぇなんでぇ、随分と若くて小せえ男だなぁ!
子供か!」
高原の男は随分と目がいいらしい。
周囲の儀仗兵は眉を顰め、大攬把の何人かは振り返ってその若い男を睨みつけた。
因みにこの時の大地の身長は188センチ、体重は105キロ(体脂肪率は5%)である。
だが、なにしろ跨っているのはノワール族長であり、その背高は180センチもあった。
まあデスレルの馬はさほど大きくはなかったし、遠目には大地が随分と小さく見えたのであろう。
「ふん!」
男は後ろに走り、騎獣に跨ると大地に向けて走らせ始めた。
「俺様がその使者とやらの男を試してやるぜ!」
「お、お待ちください若っ!」
「仮にも相手は一国の使者ですぞっ!」
「イヤァァァ――っ! ハァァ――っ!」
男は騎獣の腹を蹴り、槍で尻を叩いて掛け声と共に駆け出して行った。
もちろんその向きは大地と正面衝突する方向である。
「はは、チキンレースか、若いねぇ。
だが、こういうのも嫌いじゃねぇな。
手出し無用っ!」
大地はその前に立ち塞がろうとしたバドドルジを制した。
(ノワール、奴が30メートルまで近づいたら戦闘形態に。
同時に『防御』を掛けて20メートル前に出ろ。
ぶちかましをくれてやれ!)
(御意っ!)
(シス、奴と騎獣が死なないようにエフェクト無しの『光魔法』を頼む)
(はいっ!)
若い男の乗った騎獣は素晴らしい速度で近づいて来た。
その顔にはニタニタと笑みが浮かんでいる。
遠国よりの使者をその武威で怯えさせ、マウントを取ろうとしたのだろう。
だが……
彼我の距離が30メートルになったとき、ノワール族長が戦闘形態になって巨大化した。
今度の背高は3メートルを超える。
族長は同時に20メートルを1歩で詰めて騎獣にブチ当たった。
衝突の瞬間、その若い男の目は驚愕に見開かれていた。
ザシュッ!
「んぎょぇぇぇぇ―――っ!」
「へ゛え゛ぇぇぇ―――っ!」
騎獣と男は絶叫と共に宙を舞った。
何故かその髷も切られて一緒に飛んでいる。
ノワール族長は大地を乗せたまま、何事も無かったかのように悠然と歩き続けた。
まあ、ヤーギの体重はせいぜい400キロだろう。
これに対してノワール族長の体重は6トン近く、しかも戦闘形態になっているために、筋肉で盛り上がった胸の硬さも鋼鉄並みである。
ヤーギと男が弾き飛ばされるのも当然であった。
「ち、違う! あれは男が小さいんじゃなくって、馬がデカいんだっ!」
「な、なんという巨大な馬だ!」
「化け物だ……」
何人かの兵たちが地に落ちてピクリとも動かない男に向けて走って行った。
男の鼻は完全に潰れてまっ平になっており、髷も切られて筆の穂先のようになっている。
男は黒目を上に向けて気絶していた。
大地はそのまま総攬把一行の手前20メートルほどまで行ったところで停止した。
数秒の間睨み合いが続く。
(確かこういう時って、目下側から先に馬を降りるんだよな……)
今の大地の目の高さは4メートルを超えていよう。
大地はその高さから目の前の総攬把と兵たちを睥睨していた。
と、総攬把が騎獣を降りた。
5人の大攬把もすぐそれに追随したため、大地もノワール族長の背から降りる。
「わしがこの高原の総攬把であるドルジンだ」
「俺はダンジョン国代表大地だ。
そしてこちらが」
「ワイズ王国王太子のアイシリアス・フォン・ワイズです」
総攬把が大地の目を見つめている。
(この男……
この若さでなんという落ち着きようだ。
それに加えてこの強者の風格……
いったいどのような生を送って来たというのだろう……)
大地も総攬把を見つめ返した。
(この顔や胸や手の傷、この王は自らも戦ったんだな……
それにしても凄ぇツラ構えだ。
親から王位を継いだ男ではなく、自ら王になった男の顔だな。
それも武力による強制ではなく、威厳と実績によってか……)
「ダイチ殿、先程は我が愚孫が大変に失礼な真似をした。
どうかお許し下され」
(おー、このおっさん頭下げたよ)
「いや、羽虫が当たって来たようなものだ。
気にしないでくれ」
「き、貴様、若を羽虫だと言うかぁっ!」
後ろに控える兵の内の1人が叫んだ。
同時に総攬把の隣に立っていた2メートル近い大男が後ろを振り返り、10メートルの距離を一気に縮めてそ奴を殴り飛ばした。
「どぎゃげぶぅっ――っ!」
その男も地に飛んで動かなくなったが、誰も助けようとはしていなかった。
きっと若と呼ばれた男の取り巻きだったのだろう。
「重ね重ね失礼した」
総攬把が手を叩くと、女たちが敷物を8つ運んで来た。
それぞれを各人の前に敷いている。
「どうぞお座り下され」
「ありがとう」
明日元日も投稿させていただきます。
みなさま良いお年を♪