*** 274 言葉のわかる馬 ***
ツェンドは訝し気に塩の袋を見ていた。
「こ、この袋は……」
「それは塩が10キロ入った袋だ」
「ふう、ひと財産だな……」
「なあ、あんた方は麦や塩が欲しいときには何と交換しているんだ?」
「もちろん羊だ。
ここから東にヤーギで2日ばかり行ったところに総攬把殿のバザールが出来たんだが、そこまで羊を連れて行って麦や塩なんかと交換するんだ」
「そうか。
この麦と塩はもちろん案内の礼だが、もしこれをバザールで交換するとしたら、どれぐらいの羊と交換して貰えるんだ?」
「そうだな……
これほどの量の麦や塩だったら、羊6頭、いや7頭と交換だろうか。
今年は野生の麦の実りが悪かったからな」
(マジかよ! そんなに高く売れるんか!)
「なあ、野生の麦を集めたり塩を取りに行って暮らしている連中っているのか?」
「いや、俺たちは羊を放牧しながら野生の麦があると集めているだけだ。
ダイチも知ってるだろうが、麦はどれも成熟して食べられるようになると、実がすぐに風に吹かれて飛んで行ってしまうからな」
(やはり原種に近い麦か……)
「だから集めて廻るのは難しいんで、麦集めを専門にしてるような奴はいないし、塩も各氏族が必要なだけ取りに行っている」
「それなら俺がいくら麦や塩を売っても困る奴はいないか」
「いないな。
それどころかみんな塩を入れた麦粥が食べられて喜ぶぞ。
ということはダイチは麦をたくさん持っているのか?」
「ああ、たくさんある」
「そ、それってどのぐらいあるんだ?」
「そうだな、この袋で1万や2万はあるぞ」
「そ、そんなに……」
「俺はここにいるから、その麦と塩はゲルに持って行ったらどうだ?」
「いや、応援に来てくれる兄弟たちにも分けなけりゃあならないからな。
俺たち一族は総攬把殿の命で、デスレルの奴らがまた攻めて来ないか見張っているんだ。
これは名誉な仕事だからな。
最前線の俺が持ち場を離れてダイチを中攬把殿のところに連れて行くわけにはいかないんだ」
「その応援の兄弟たちの分の麦なら同じだけ渡すぞ」
「本当か!
そ、それならこの麦と塩はゲルに運ばせてもらおうかな……」
ツェンドは騎獣から降りてその背に麦袋と塩袋を乗せている。
「なあ、ツェンドの家族は7人でいいんだよな?」
「あ、ああ……」
「そうか」
(ストレー、菓子パンが10個入った袋を出してくれ)
(はい)
「な、なんだこれは」
「これは菓子パンっていうパンだ。
その袋の中には10個入っているが、念のため1つ選んでくれ。
俺が毒見をしよう」
「わかった……」
ツェンドは大地が袋を開けてパンを食べるのを見ていた。
その後は残りのパンが入った袋を持ち、ゲルに戻って行っている。
「なあシス(の本体)、俺たちが羊を食べたら羊人族たちは悲しむかな」
(あの…… 羊人族たちは、世話をしている羊が歳を取ると屠畜して肉に捌き、ダンジョン国に持ち帰ってレストラン街に提供していますが……
まあ、子羊や子を生める若い羊は食べないようですけど、貴重な食材としてレストラン街では抽選制で食べることが出来ます)
「あ、ああ、そうなんだ……」
(牛人族も野生の牛を食べているようですし、オーク族もボアを食べていましたので、あまりお気にされる必要は無いかと……)
「そうだったのね……」
(以前、その点について彼らに聞いてみたことがあるんですが、不思議そうな顔をして、『ヒト族が野生の猿を食べるのと同じですよ?』と言われてしまいました……)
(お、俺、食べないけど……)
しばらくするとゲルの中から歓声が聞こえて来た。
どうやら女性たちがお礼の品を気に入ってくれたらしい。
ツェンドも少し嬉しげな顔をして戻って来た。
「なあダイチ、あの麦の実は俺たちの集めるものと違うよな」
「そうだな。
どうやらこの高原にある麦は、『燕麦』と『ライムギ』っていう種類のようだ。
一方で俺が持って来たのは『小麦』っていう麦だ」
「そうか、麦にもいろいろ種類があるんだな。
あんな真っ白い麦の実は初めて見たよ」
「そうか」
「それに、あの『かしぱん』って柔らかくって旨いな。
あれも売り物の中にあるのか?」
「あるぞ」
「うちのヨメたちから出来れば年に1度は食べさせて欲しいって頼まれたよ」
「はは、そのうち本格的に交易が始まったら、もっと喰えるようになるんじゃないか」
「そうか……
そうなるといいな。
デスレルの奴らさえいなくなれば、俺たちもこんな辺境じゃあなくってもっとバザールに近いところで放牧が出来るんだが……」
「なあ、そのデスレルのことなんだがな。
実はワイズ王国に攻め込んで来たんで返り討ちにして滅ぼしたんだよ」
「な ん だ と ……」
「だからもう心配は要らないぞ」
「ワイズ王国とはそんなに強い国だったのか……
ま、まさかこの高原にも攻めて来る気か!」
「いや、それは絶対に無いな。
それどころか、総攬把さんと交渉して不戦の約定を結ばせてもらいたいと思っているんだ」
「不戦の約定だと……」
「そうだ。
俺たちは絶対にこの高原に攻め込まない代わりに、この高原の民も平原に攻め込んで来ないで欲しい。
その約定と同時に交易を始めたいと思う」
「ダイチはそんな約定を総攬把殿と結べるほどの立場なのか?」
「俺はそのワイズ王国の内政・外交最高顧問だし、こちらのアイシリアスは王太子だ。
まあ、高原の言葉で言えば総攬把の息子で次期総攬把に内定している」
突然ツェンドが跪いた。
「そのような貴人方に対し、数々のご無礼をば誠に失礼いたしました!」
「いやあまあ気にしないでくれよ。
その中攬把さんや総攬把さんにも、デスレルが本当に滅んだかどうか確認してもらいたいんだ」
「そうですか…… これでもうデスレルを警戒せずとも済むのですな……」
「それにしても、あんたらも大したもんだよな。
あのデスレルを追い返すとは」
「はは、まあ各地の攬把が集まって総攬把を選出し、その指揮の下で共同戦線を張りましたので。
それに奴らの乗る馬はこの高原のような荒れ地を走るのが苦手なようでしたし」
「そうか、それでも凄いと思うよ。
ところでツェンド、羊ってこの高原にある草ならどれも食べるのか?」
「そうですな、子羊は短い草を好んで食べますが、大人の羊はどの草も食べます」
(はは、羊たちにとっては平原の植物が全て食料か。
野原にパンやおにぎりが生えてるように見えてるのかもしらん。
もしヒト族もセルロースを消化吸収出来る能力を持っていれば、飢えとかとは無縁だったろうに。
いや、その前に葉緑素を持ってたら自分で光合成するか……)
「ん?
なんかあそこの場所だけ羊が草を食べていないな。
丸く草が残ってるぞ」
「ああ、たぶん黒い麦の実が生っているからでしょう。
あとで探して抜いておかなければ」
(黒い実……
『麦角』か……
すごいな、麦角が有害だっていうことも知っているのか……
それにしても、羊の群れが通り過ぎた跡は見事にどの草も短くなってるよ。
もう何が生えてたのかわからんぐらいに。
はは、ゴルフ場のフェアウェイみたいだな。
まだ食べてない場所がラフか。
そういえば、スコットランドでゴルフが広まったときには、羊が草を食べた場所がフェアウェイだったっていう伝承が残ってたし。
まるで生物芝刈り機だな……)
「なあ、羊たちが草を食べ尽くしたりしないのか?」
「ですから1月に1度はゲルを移動させなければならんのです。
まあひと雨降ってくれればまた草も生えて来ますが」
「なるほど」
「平原の民は住居を移すことなく、畑を作って麦を食べていると聞いたことがあるんですけど、本当ですか」
「ああ本当だ。
だがそのせいで問題も多いんだよ。
例えばさっきの黒い実の生った麦だけど、あんなのが広まったら麦は全滅してしまうからな」
「それは恐ろしいですね……」
(俺もアイスもノワールたちも、帰る前に入念に『クリーン』をかけておこう。
万が一にも平原に麦角菌を持ち込むわけにはいかないし)
しばらくすると先ほどの男の子が3人の男たちを連れて戻って来た。
「ご無礼ながら、ダイチ殿はこちらでお待ちいただけませんでしょうか」
「わかった」
ツェンドは騎獣に乗って男たちの下に向かった。
どうやら大地たちのことや状況を説明しているらしい。
しばらくすると男たちが大地の近くまでやって来た。
「お待たせいたしました。
それでは中攬把のところまでご案内させて頂きます」
どうやらツェンドの弟らしき男がこの場に残り、後の3人で大地たちを中攬把のところに案内してくれるらしい。
ツェンドの兄弟たちは半信半疑ながらも、大地の説明が本当だった場合のことを考えているようだった。
「なあツェンド、その中攬把さんのところはここからどれぐらい離れているんだ?」
「そうですな、我らのヤーギの脚で半日ほどでしょうか。
念のためただいま野営の装備も持ちますので、少々お待ちください」
「そうか、それなら俺の乗り物で行かないか?
半刻もしないうちに行けるぞ」
「?」
(ストレー(の本体)、直径20メートルほどの手すりだけの円盤を出してくれ)
(はい)
その場に白い円盤が出て来た。
「「「 !!! 」」」
「これに乗ってくれ。
ヤーギに騎乗したままでも降りてもどちらでもいい。
水も食料も俺が持っているからな」
アイス王太子とブラッキーくんが円盤に乗り込んで行き、円盤の奥で王太子はブラッキーくんの背から降りた。
王太子が丁寧に礼を言ったので、ブラッキーくんがテレている。
ノワール族長は済ました顔をして1人で乗り込んで行って、中央奥に座っていた。
高原の男たちは顔を見合わせた後、恐る恐る乗り込んで行っている。
「ツェンド、ヤーギを座らせてこっちに来てくれるか。
攬把のいる場所までのだいたいの方向を示してくれ」
「はい……」
「みんないいか?
大丈夫だとは思うが、ヤーギが暴れないようによく宥めておいてくれな。
それじゃあ出発しよう」
円盤がゆっくりと宙に浮いて行った。
「「「 !!! 」」」
円盤はそのまま高度100メートルほどまで上昇し、ツェンドが必死に指し示す方向に向けて発進した。
徐々に速度を速めて時速500キロほどに達している。
(シス、この方向にヒトが固まっている場所は確認出来るか?)
(はい、あと5分ほどで到着する見込みです)
(その場所まで500メートルほどの地点に到着したら、ゆっくり着地させてくれ。
あとの操縦は任せる。
ユーハブ)
(はい。アイハブ)
「だ、ダイチ殿、こ、この乗り物は……」
「ああツェンド、これは魔法で飛んでいるんだよ」
「こ、これも魔法ですか……」
あと2人の男たちも恐る恐る手摺のところまで来て下を見下ろしていた。
ツェンドはノワール族長を見ている。
「それにしてもダイチ殿の馬はご立派な馬ですな。
デスレルの連中の馬とは格が違う」
ノワール族長がツェンドを見て微笑み、ツェンドが仰け反った。
「こ、この馬は言葉がわかるのですか!」
「わかるぞ。
ノワール、すまんが前足を1本上にあげてくれるか」
ノワール族長がドヤ顔で前足を上に上げた。
「っ!」
「ブヒヒヒヒ」
族長が堪えきれずに笑い出している。
間もなく前方にゲルの群れが見えて来たところで円盤は停止し、ゆっくりと下降を始めた。
「あ、あれは確かに中攬把殿のゲルだ……」
「も、もう着いたのか……」
「さてツェンド、すまないが中攬把さんのところに先触れに行ってくれ。
俺はここで待っているから」
「は、はい……」
ツェンドとその兄弟たちが中攬把のゲルに走って行った。
そのゲルの後方では500頭近い羊たちが草を食んでいる。
大平原の中に羊の群れがいて、いくつかのゲルが並んでいるという実に雄大な光景が広がっていた。
大地とアイス王太子はその場にソファとテーブルを出し、景色を眺めながら紅茶を飲み始めた。
「ノワール族長たちもなんか飲むかい?」
「いえ、我らは結構です」
「ようやくわかりましたよダイチ殿」
「なにがだいアイス?」
「ダイチ殿がどこに行かれても落ち着いておられる理由です。
レベルが20を超えると、このように心のゆとりが生まれるのですね……」
「ははは、まあこのアルス中央大陸のヒト族の最高レベルは11だからな。
そう思えば落ち着いていられるだろう」
「はい」
ブラッキーくんがノワール族長に小声で話しかけ始めた。
「父上、あのヤーギとかいう騎獣の鬣、なんか編み込んであってクールでしたね……」
「むう」
「我らも小柄で器用な種族に頼んであのようにしてもらいませんか?」
「だが頼めるものかの……」
「ゴブリン族はよく背に乗せて遊んでやっているので頼んでみましょうか」
「うむ、試しにそなたがやってみてもらえ」
「はい」
(はは、こいつらはレベル30を超えているから、さらにリラックスしているか。
シス、後でヤーギの鬣の編み込みの写真を撮って、ブラッキー君に渡しておいてくれ)
(はい)