*** 267 初等学校 ***
スクリーン上のテミスちゃんの説明は続いていた。
「農業以外の職に就いた場合には、基本的に納税の義務はありません。
荷車人足会社や商会の会頭などが代わりに納税しますので。
ついでに国家の義務もいくつかお教え致しましょう
国家の義務とは、まずは『防衛の義務』になります。
これは、言うまでも無く他国からの侵略などから国を守る義務になります。
次は『治安維持』の義務ですね。
ワイズ王国では、暴力や暴力を匂わす強迫によって他人を従えるという行為が厳重に禁止されていますが、これには盗みや奴隷所持売買などを禁止して取り締まるという行為も含まれます。
それ以外には『国民に教育を受けさせる義務』『国民の健康を維持する義務』『国の文化を発展させる義務』などもありますが、ここでは詳しく説明しません。
もしご興味があれば、字が読めるようになった後に、国の法律一覧をお読みになって下さい」
ほとんどの人々が困惑している。
国の義務という概念を初めて聞いたからだろう。
「ワイズ王国に移住を認められる方々は、これら国民の義務と、ワイズ王国の法律を守ることを誓われた方だけになります。
それ以外の方は元の村にお送りさせて頂くことになるでしょう。
まあ今着ていらっしゃる支給品の衣服ぐらいはお持ちいただいても構いませんが。
ということで、まずこのワイズ王国に移住を希望されずに元の村に帰ることを選択される方はいらっしゃいますか?」
誰も手を挙げなかった。
まあ食べ物も無い村に帰りたくないのは当然だろう。
「それではみなさんワイズ王国への移住を希望されるということで、移住のための説明を続けます。
このワイズ王国国民の義務の内、勤労と納税の義務は皆さんがワイズ国に移住されてからのものになりますが、教育を受ける義務だけは今から始められますね。
ということで、体力の回復した皆さんには、まずこの学校で読み書きと簡単な計算を学んでいただきます。
ワイズ王国の布告はほとんど文字の形で掲示板に張り出されますし、みなさんが農民として新しい村に入植される際に受ける農業研修に於いても、その教本を読めるようになるためですね。
農民以外でも商店の従業員はもちろん、人足や工場などで働くためにも読み書きは必要ですので努力してください」
「「「「 ………… 」」」」
「この学校で学び、修了試験に合格したひとから移住が認められるようになります。
その後は職業紹介所で各職業の説明を受け、それぞれの業態に分かれて専門知識を学んだ後に各仕事の見習いに就いて頂いて働くことになりますが、このときから賃金が支払われるようになります。
また、修了試験に於いて優秀な成績を修められ、さらに希望された場合には『ワイズ王国農業・健康学校』の初等科への入学が認められます。
ここでもご優秀な成績を修めると『農業・健康指導員』の資格が与えられ、各入植村に村長見習いとして派遣されます。
その後は、正規村長、代官見習い、代官として出世していくことも可能ですので是非頑張ってください。
もちろんこの資格を持っていなければ村長になることは出来ません」
「な、なんじゃとぉぉっ!
わ、わしは代々続く村長の家系ぞっ!
そのわしを村長にせんと言うのかっ!」
これはもちろん、村の収穫の配分をほとんど自分のものにすることを考えていた村長の発言である。
「それは旧デスレル帝国属国群での話ですね。
ここワイズ王国では『農業・健康指導員』の資格を持っていなければ、村長になることは出来ないのです」
「よ、読み書きが出来るだけで知識も経験もない若造に村長をさせると言うのか!」
「はい。
『農業・健康指導員』の資格を得るためには実地授業や実地試験もありますので、知識も経験も得られますから」
「そ、そのようなことをして、未熟な若造が大凶作を招いたらなんとするっ!」
「あの……
あなたはあなたの村の農民の方々に代々続く農法を行わせて来たのですか?」
「当たり前じゃ!
曾祖父や遥かそれ以前のご先祖様から伝えられた伝統農法を守って来たのじゃ!」
「それで去年の収穫は畑1反当たり麦何石だったのですか?」
「き、去年は国中が大凶作だったために5斗ほどの収穫しかなかったが……
だが、5年前には1反当たり1石、村中で200石もの収穫があったのだぞ!」
「そうですか。
このワイズ王国では、去年の10月から今年の4月にかけて、1反当たり6石の収穫がありましたよ?」
「う、嘘をつけっ!
冬に麦を育てられるわけが無かろうっ!」
「いいえ育ちました。
5月に作付けした麦の生育も順調ですので、もうすぐまた1反当たり6石の収穫が得られるでしょう。
つまり、年当たりでは1反当たり収穫は12石になり、あなたの教えた農法の12倍の収穫量が得られることになります。
去年と比べれば24倍ですね」
「!!!」
「その村には100人の村人と、手伝いの人足の方々が200人いました。
その300人が400反の畑で作物を育てていたのですが、村の総収穫は2400石もあったのです。
それも半年で」
「「「 !!! 」」」」
「国の税率は1反当たり2斗ですので、この村の税は年当たり80石になります。
このワイズ王国では税の前納が認められますので、彼らは国に20年分の税を払いました。
つまりこれから19年間は納税の必要がありません。
それでも残った作物は800石もありました。
そして、200人の人足は国に雇われた賃金労働者ですので、この800石を分配する必要も無いのです。
つまり、村人1人当たり8石もの収入になったわけですね」
「「「 ………… 」」」
「ということで、あなたの村に比べて、この国の農業は20倍を超える生産性があることになります。
つまり、この国の農法は、あなた方の旧態依然たる農法に比べて20倍以上優れているのですよ。
そうした農法を使った農業を行うに当たって、『ご先祖様から伝えられて来た農法』など邪魔にしかなりません。
つまり今までの無能な村長さんは特に邪魔なんです」
「ぐうっ!」
「要はあなたは、自分では何の工夫も努力もせずに、単に先祖と同じ無知で無能な農業を繰り返してしていただけだったのです。
このワイズ王国ではそのような農業は行われません。
従って、村長などの指導者にはきちんと農業を勉強した方が就くことになります。
だいたいあなたが村長になりたがる理由は、威張りたいからと自分は働かなくていいからでしょ?」
「こ、こここ、この……」
村長は真っ赤になって怒っていたが、その周囲の同じ村の村人と思しき人たちは皆頷いている。
「もし村長が旧デスレル領での古い農法を村民に押し付けた場合には、代官によって即座に罷免されます。
あなたが祖先のやり方を村民に押し付けていたのは、単に努力や工夫をすることが面倒だったという怠慢と、自分の言う通りに村民が動くことで矮小な自己満足を得ていたというだけのことなのです。
そして、同じ村の農民の方々は、それに何の疑問も持たずになにも考えずにただ従って来ただけだったのです。
これがあなた方が餓えていた最大の原因であり、村長も村の方々も同罪ですね。
同じことを続けようとしてもワイズ王国では許されないのです。
もしどうしても旧来の農業を行いたいのであれば、元の村に帰って勝手にやって下さい」
「「「「 ……………… 」」」」
「それでは明日から授業を始めるに当たって注意事項をご説明いたしましょう……」
翌日。
まず始まったアルス語のアルファベットの授業では、元村長やその家族たちはあからさまに反抗的だった。
彼らは集合時間になっても教室に現れなかったのである。
授業ボイコットをした生徒たちは、ストレーくんの時間停止倉庫に収納され、テミスちゃんから説諭を受けた。
「なぜみなさんは授業が始まったのに教室に来られなかったのでしょうか?」
「ふん! 字など読めずとも麦は作れるわいっ!」
「そうですか、それでは元の村に帰って麦を作って下さい」
「なっ!」
村長らしき男が消えた。
「そ、村長をどこにやった!」
「元の村に帰っていただいただけです。
あなたは確か村長の息子さんですよね。
あなたも授業を受ける気は無いんですか?」
「当たり前だろう!
そんなことより早く俺たちを新しい村に移住させろ!
喰い物がたっぷり置いてある村にな!」
「あなたはそこで自分が村長になるつもりですか?」
「もちろんだ! 俺は村長の長男だからな!」
「そうですか。
それではあなたも元の村に帰って村長でもなんでもやってください」
「なっ!」
その男も消えた。
「村長やその長男は元の村に帰りました。
皆さんの中で一緒に帰りたい方はいらっしゃいますか?」
誰も手を上げない。
村長の家族たちですらも。
「それでもどうしても授業を受けたくないという方はいらっしゃいますか?」
何本かの手が挙がった。
「そうですか。
それでは残念ながら、その方たちも元の村に帰って頂きましょうか」
「ま、待てっ!
なんで字を読む練習をしないと元の村に返されるんだ!」
「それは昨日説明した通り、教育を受けることがこの国の国民の義務だからです。
説明も聞かずに移住だけ認めて貰えるとでも思っていたんですか?
移住を認められる前から国民の義務を放棄するような方に移住を認めるわけにはいかないのです。
そんなこともわかりませんか?」
「「「「 ………… 」」」」
「それではワイズ王国への移住を希望される方は教室に行って下さい」
大半の民たちは不承不承教室に向かった。
だがそれでもスクリーンのテミスちゃんを睨みつけながら部屋に残っていた者もいたのである。
「それではみなさんさようなら。
お元気でお過ごしください」
部屋の中の人々が消えた。
その日。
それでもまだ反抗的なものたちがいた。
ある者は床に寝そべり、またある者は大声を出して授業の妨害をしている。
「みなさん椅子に座って静かに授業を聞いてください」
「うるせえ!
俺に指図するんじゃねぇっ!」
男たちが消えた。
また翌日。
男たちのうち何人かは教室の机に突っ伏して寝ていた。
中には大きな鼾をかいている者もいる。
その男たちが消えるとともに、中庭から「ドボーン」という音が聞こえて来た。
それはもちろん、眠気覚まし用特別プールの上空1メートルに転移させられた男たちが、水に落下する音だったのである……
当初この音は1分に1回ほどの割合で繰り返されていたようだ。
もちろんプールに落とされた者たちは溺れる前に魔法で掬い上げられ、『ドライの魔道具』が置かれている部屋に転移させられた後に特別教室に集められる。
念のためナルコレプシーかどうかのチェックや治療も行われた後、ここでもプール転移は続けられ、これが5回に達したものはすべて元の村に送り返されて行ったのである。
嗚呼、もしこの制度が地球の中学高校にも導入されたら……
教師たちは最高のザマァ気分を得られることでしょう♪
残された9割ほどの人々は真面目に読み書きを教わっていた。
だが次第に能力差が明らかになり始めたために、習熟度別クラス編成も行われるようになっていったのである……