*** 258 間者隊の調査報告 ***
国境を抜けたところで大城壁は途切れていたが、ワイズ王国の領土と思われる地域を囲って、左右には高さ6メートルほどの壁が左右に果てしなく続いていた。
国境から先の道は、やはり平坦で広い道だったが、その左右には何もない平原が広がっている。
さらに10キロほども進むとまた低い城壁が見えて来た。
そこにはさすがに城門もあって、衛兵が2人ほど立っていたが、城門は大きく開かれている。
「行商隊の方々ですか。
ワイズ王国にようこそ。
あと18キロほどでワイズ王国総合商会です」
間者隊一行は荷を調べられることもなく門の通過を許された。
衛兵は袖の下すら要求しなかったのである。
「壁の厚さは1メートルか。堀も無いな……
それにしても、なんでこっちの壁だけこんなに低いんだ?」
「お頭、たぶんでやすが、この低い壁は最初に作られて、あの大城壁は最近作られたもんなんじゃないでしょうか」
「なんでそう思ったんだ」
「あの大城壁とこの低い壁では色が違いやす」
「色か……」
「へい、あの大城壁の色はそこらの石に近い灰色でやした。
ですが、この低い壁の色は真っ白でやす。
ということは、最初に白い綺麗な石でこれらの低い壁を作り、あの大城壁は後からそこいらの石を使って作ったんじゃないでしょうか」
「なるほどな。
だがそこいらの石を使って、なぜあれほど滑らかで巨大な繋目の無い城壁を造れたのかはまだわからんな」
「へい」
「まあそれを知っている者に会えるとも思わんが、怪しまれん程度には聞きまわってみるか」
「「「 へい 」」」
500メートルほど先にはまた壁と門が見えて来た。
そこにも衛兵は2人しかおらずになんなく通過する。
このころになると国に戻ろうとする商隊らしき連中とすれ違うようになっていた。
商隊の荷馬車には荷物が満載されている。
「なんか村っぽい建物もありやすし、畑らしきものもあるけど誰もいませんな」
「…………」
一行がまたしばらく進み、【ワイズ総合商会まであと3キロ】という看板を過ぎるころになるとようやく村が見えて来た。
そして……
「な、なんだこの村の麦は……
なんでこんなにぎっしりと生えているんだ……」
それらの村の畑では、150人近い農民たちが働いていた。
畑の中の雑草を抜き、水をやり、茎や葉を調べて害虫がいないかを確認している。
もし蛾や蝶の幼虫などが見つかれば人海戦術で駆除されていくだろうが、なぜかこの国の畑には全く見られなかった。
残りの150人は村に残って麦藁で麦袋を編む仕事などをしている。
一行が進む道は間もなく東西と南から来る道と合流し、ワイズ総合商会に至った。
「こ、これは……
これが本当に商会の建物なのか……」
それは大国の王城と言われてもおかしくないほどの建物だった。
その入り口付近には各国から来たとみられる商隊が10組ほども並んでいる。
だが、商会の窓口は5つもあり、商隊たちも慣れているらしく、列はスムーズに進んだ。
「いらっしゃいませ、ワイズ総合商会にようこそ♪
ご利用は初めてでいらっしゃいますか?」
「ああ、初めて来たんでいろいろ教えてくれ」
「畏まりました。
まずはこちらの飴をどうぞ。
『遠征病』の特効薬になります。
1日1錠、3日間の服用で『遠征病』も『貴族病』も完治いたしますので」
「おお、ありがとう」
「みなさま馬と馬車はお預けになられますか?」
「あ、ああ。よろしく」
「馬車1台と馬6頭ですね。
1日銅貨60枚になりますが、私どもの商会で銀貨10枚以上お買い上げいただいた場合には無料になります。
皆さまのご宿泊は如何されますか。
2人部屋と6人部屋があり、どちらもお1人様1泊銅貨20枚ですが、こちらも商会で銀貨10枚以上お買い上げいただくと無料になります」
「そうかい、それじゃあ6人部屋をお願いしようかな。
3泊の予定だ」
「ありがとうございます。
それでは係の者がご案内いたしますので、まずは馬房にどうぞ」
その馬房は馬を10頭は入れられるほど広く、藁や飼葉や水も新しいものが置かれていた。
馬房の隅には大きな棚もある。
「私どもの商会でお買い上げいただいた品は、ご指示があればこちらの棚に運んでおきます。
もちろん警備の者もおりますし、この馬舎にはこちらの通行証が無ければ入れませんので無くさないようにお持ちください。
それではお部屋にご案内致しましょう」
「あ、ああ、頼む」
「この廊下をまっすぐ行った突き当りの右側が大浴場でございまして、左側が食堂になります。
みなさまのお部屋はこちらでございますね。
こちらが部屋の鍵になりますので、無くさないようにお持ちください」
「お頭、ここはとんでもねぇところですな。
俺、板張りの廊下なんか初めて見ましたよ。
それにこの部屋だって床は板張りだし」
「ベッドや椅子も木で出来てるし、柔らかいマットまであるのか。
まるで貴族の邸ですな」
「よっぽど儲かってるんだろうな。
さて、まずは風呂とやらに行って、それからメシでも喰おうか」
その日の夜。
「この『灯りの魔道具』ってすごいですねぇ。
まるで昼間みてぇだ。
それにあの『ふろ』とかいうもんにもおったまげましたよ。
湯に入れるなんて、まるで上級お貴族さまだ」
「メシも酒も旨かったなぁ。
特にあの『ぴざ』や『がれっと』は最高だったわ。
一緒にエールを飲むとさらに旨ぇし」
「さて、明日は商会の中を見て回るか。
珍しいものがあったら全部少しずつ買うぞ」
「「「 へい 」」」
もちろん彼ら間者隊は全部で4組いる。
だが建前は全て別の国から来たことになっているため、風呂や食堂ですれ違っても目も合わせていなかった。
翌日。
一行は商会の入り口でまた飴を渡された。
入り口が混みあっていたためにそのまま建物に入ったが、間者たちはその場で立ちつくしたのである。
((( な、なんだこの店は…… )))
隊長は「珍しいものがあったら買う」と言っていたが、そこにあるものは全てが珍しかった。
見慣れたものがあるとすればそれは小麦の袋だけである。
彼らはほぼ全ての商品を少しずつ購入していった。
午後からは王都の見物である。
その王都は大勢の人が行きかい、たいへんな賑わいだった。
また、貧民街も無いし道端に物乞いも孤児もいない。
多くの国軍兵が街を歩いていたが、皆街民たちと親し気に話をしている。
夕刻になると、間者たちはそこかしこにある酒場に入って行った。
酒場は情報収集の基本である。
そこでは酔いの廻り始めた男たちに酒を奢り、初めてワイズ王国に来たのでいろいろと教えて欲しいと頼んだのである。
翌日。
一行はまた店に行き、手の空いてそうな店員を見つけて隊長が話しかけた。
「なあ、俺たちはこの国に初めて来た者なんだけどな」
「ご来訪誠にありがとうございます」
「それでさ、一昨日昨日とあの特効薬の飴を貰って舐めてみたんだけど、今まで浮腫んでいた脚や手がすっかり元通りになって来たんだよ」
「それはようございました」
「でもあの飴って売り物じゃあないんだろ」
「はい、あくまでサービス品でございまして、おひとりさま1日1粒しかお渡し出来ないことになっております」
「そ、それ、なんとかならんもんかな。
いや、国では女房と子供が遠征病で寝込んでいるんだ。
あと歳とった両親も。
それで家族にもこの飴を舐めさせてやりたいんだ……
なあ、頼むよ」
隊長は店員の手に銀貨を握らせた。
その店員はやや小声になって言う。
「皆さまのご家族も『遠征病』で苦しんでいらっしゃるのですね」
間者たちが頷いた。
「それでは恐縮ですがあちらの小部屋にお越しください」
5人が部屋に入ると店員が飴の入った袋を取り出した。
その箱から飴を12個ずつ取り出して、買った商品を包む袋に入れている。
その袋が5つ出来上がった。
「こちらに特効薬が12個入った袋が5つあります。
こちらを皆さまに差し上げますが、ここで薬を受け取ったことは、絶対に誰にも言わないでください」
間者たちはコクコクと頷いている。
「それからこの銀貨はお返しいたします」
「いいのか?」
店員は微笑んだ。
「その代わり、是非またお越しくださいませ」
「あ、ありがとうよ……」
もちろんこのデスレルの間者隊は、あの通路に入る前からシスくんに補足されていて常時監視下にあった。
それに合わせてワイズ総合商会の従業員も店員もすべてブリュンハルト隊の者たちと入れ替わっていたのである。
大地からの指示は、『もしサプリ飴をもっと欲しがるようだったら、他には誰にも言うなと念を押して少しくれてやるように』だった……
4日目の朝、間者隊は荷を満載した馬車と共に帰って行った。
帰りの道中では5人はほぼ喋りっぱなしである。
もちろん全てがワイズ王国に関することで、例え誰かが聞いていても、初めてワイズ王国を訪れた商隊が興奮して語り合っているとしか思わなかっただろう。
だが……
これは間者としてのいつもの行動だった。
彼らは例え敵国に捕らえられたとしても、あくまで行商隊だと言い逃れるつもりでいる。
従って、現地についてのメモや報告書を所持するなどもっての外だったのだ。
つまり、帰隊してすぐに報告書を書き始めるために、その観察の結果を忘れないように何度も話していたのである。
また、こうして語り合うことで、1人では気づかなかったことを全員で共有出来るというメリットもあった。
彼らは間者としては一流だったのである。
内心では、あの素晴らしい商会と施設がデスレル貴族のものになってしまうのを残念には思っていたが……
デスレル第5方面軍団駐屯地に帰隊した間者隊は、指揮官への帰還報告もそこそこに部屋に籠ったが、これもいつものことである。
そこでは全員の手で報告書が作られていった。
その報告書は、もちろんワイズ総合商会で購入した植物紙にボールペンで書かれていて、購入した品々と共に翌日副司令官の副官であるメギデウス・フェーペル大尉に渡されたのである。
マーズラー副司令官とフェーペル大尉は4つの間者隊が作成した報告書を熟読し、持ち帰られた商品を吟味した。
そうして、一際遠征病の重い兵2人に特効薬を投与し、3日間の経過観察の間に、フェーペル大尉が第5方面軍団司令官に提出する最終報告書を作成したのであった。
特効薬が投与された兵が完治し、走れるまでに回復したのを確認した副司令官閣下は、司令官である中級皇族爵、プルートー・フォン・デスレル閣下に面談を申し入れた。
「なんだと!
遠征病の特効薬を見つけただと!」
「はい。
あのゲゼルシャフト王国とゲマインシャフト王国がそれぞれの国を城壁で囲んだことを偵察小隊が通常哨戒中に発見致しました。
その両国の城壁の間には幅200メートルもある間隙がございまして、そこにはワイズ王国という地への近道だという看板が出ていたのでございます。
その看板にはワイズ王国には『遠征病』の特効薬が有るとの記載があったために、間者隊を派遣いたしまして確認と同時に200錠ほど入手させました」
「たった200錠しか手に入らなかったのか……」
「この特効薬は売り物でなく、ワイズ王国総合商会を訪れた商人に1人に付き1日1錠配られるものなのだそうなのです。
間者隊は無理を言ってこれだけの数を入手したのですが、これ以上の要求は疑いを招くために出来なかったと」
「そうか、ところでこの薬の薬効は確かめたのか?」
「はい、重篤な遠征病患者2名に与えたところ、効能通り3日で完治致しました」
「そうか!」