*** 256 惑星総督就任祝い ***
4日後にチキンダス中級総督が護衛をほぼ全員引き連れて出発した後は、互助会の退役軍人たちが街民にも避難を勧め始めた。
あのワイズ総合商会の支店は閉鎖されて、商会は別の国に移動すると聞いた街民たちは、僅かな家財道具を抱えて避難勧告に応じたのである。
もちろん、総督の間者たちは総督に知らせに走らないよう、ストレーくんの完全時間停止倉庫に収容されていた。
この3人の間者も街民たちの避難終了後には解放される予定である。
彼らも1週間後に帰って来るチキンダス総督も、街民が全員いなくなっていることにさぞや驚くことだろう……
その後は、中級属国の街民たちへの避難勧告も始まった。
近くに木の実が生っていない街の民たちの遠征病は重く、また農民と同様酷く餓えていたために、街民たちの避難も予想以上に順調に進んだのである。
さすがに街民までいなくなると、各総督府街の護衛兵たちも気づき始めた。
その報告が為されると、総督たちは驚愕し、国内の他の街の確認も行わせ始めたようだ。
だがしかし、護衛兵たちが街々を廻ってもそこは既に無人になっていた。
しかも途中で見かけた農村も全て無人となっていたのである。
この知らせを受けた総督たちは更に驚愕し、国内全域の捜索を命じたが、これには少々時間がかかることだろう……
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
南大陸のサバノくんと北大陸のミンナさんとヘンナさんが大地の下へお祝いを持って来た。
もちろんジージくんとミウミウちゃんも一緒である。
「ダイチ閣下、惑星総督へのご就任おめでとうございます!」
「「 おめでとうございます! 」」
「い、いやみんな、今まで通りに話してくれよ」
「それにしてもすごいですね、ヒト族出身の惑星総督とは。
なんでも500万年ぶりだとか」
「まあその分責任が重くなっただけとも言うけどな」
大地は皆をストレーくんの時間停止倉庫の海辺の空間でもてなした。
この空間もだいぶ拡張されていて、大地の小屋の近くには来客が宿泊出来る迎賓館も建てられている。
砂浜ではバーベキューパーティーが行われ、分位体の皆も集まっていた。
アルコールも振舞われてサバノ君とミンナ嬢とヘンナ嬢は少し赤くなっている。
ミンナ嬢とヘンナ嬢は、この場所に来るのは2度目であり、どうやら泳ぐつもりだったらしく、水着も持参していた。
やはり北欧のひとびとは日光浴が好きらしい。
大地はサバノくんに新品の水着をプレゼントし、自分も水着を身に着けていた。
(な、なんだお嬢さんたちのあの胸部装甲は……
ミサイルでも搭載しているのか……
万が一乳首信管に触れたら炸裂したりして……)
なぜかサバノくんが前屈みになっている。
ミンナ嬢がにこやかに話しかけて来た。
「ダイチさん、ところであそこにある池のようなものはなんですか?」
「ああ、あれは露天風呂なんですよ」
「まあ♪」
「ステキ♪」
「あの、わたしたちも入っていいですか?」
「も、もちろんかまいませんよ」
「みなさんも一緒に入りませんか?」
(まあ水着着てるからいいかな……)
「それじゃあみんなで入りましょうか」
「「「 わぁ~い♪ 」」」
分位体たちは自分たちにクリーンの魔法を掛けた後、ぽいぽい服を脱いで風呂に入って行った。
ダンジョンマスターたちも、同じように自分にクリーンの魔法を掛けて湯船に入って行っている。
(あ、ジージくんとミウミウちゃんも湯船に入ってる……
なんか目を瞑ってころころ喉を鳴らしていて気持ち良さそうだな。
そうか、風呂に入るのが嫌いなのは種族特性じゃあなくってタマちゃんだけだったんだ……)
そのタマちゃんはワーキャット形態になり、目をくわっと見開いてぷるぷるしながら湯に浸かっていた。
どうやら一瞬たりとも気を抜かない覚悟らしい。
ミンナ嬢とヘンナ嬢がアイコンタクトした。
すると2人はビキニの上を外して湯船の外にポイしてしまったのである。
「せっかくの屋外のお風呂だから、こっちの方がいいわね♪」
「そうね、素晴らしい解放感だわ♪」
大地とサバノくんが硬直した。
体全体が硬直したと同時に、一部は更に硬直しようとしている。
大地は般若心経のおかげでなんとか堪えたが、サバノくんは湯船の中で体育座りになった。
(さ、流石は北欧の女性だ……
それにしても、噂には聞いていたけど、あの胸部装甲ってほんとに浮くんだ……)
その浮いている胸部装甲は、分位体たちがわちゃわちゃ動いて湯も動くたびに揺れていた。
サバノくんは、体育座りの足をさらに引き寄せてなにやらぶつぶつ呟いている。
どうやらキリスト教の聖句をラテン語で暗唱しているらしい。
シェフィーちゃんは自分の胸を見てちょっと残念そうな顔をしている。
イタイ子は大地が水着を着ているのでもっと残念そうな顔をしていた。
仰向けでぷかぷか湯に浮かんでいたジージくんが、流れて行ってミンナさんに流れ着いた。
今度はその肩にあごを乗せてもっと大きくころころ喉を鳴らしている。
ミンナさんはジージくんに甘えられて嬉しそうだ。
(ジージくん……
ちょうどいい場所にあるのはわかるんだが……
その……
ミンナさんのおっぱいに跨って座るのは如何なものでしょうか……)
そのジージくんが目を開けて大地を見た。
そうして大地の頭の中にジージくんからの念話が届いたのである。
どうやら2人だけの限定通信のようだ。
(あにょ、ダイチさん)
(ん? なんだいジージくん)
(タマ姉ちゃんのしっぽの付け根にある小さにゃハゲにはお気づきでしょうかにゃ……)
(うん、小さいのがあるね)
(アレが見えてしまうんで、タマ姉ちゃんはお風呂に入って毛が濡れるのが嫌いなんですにゃ)
(そうだったのか……)
(それであにょ、どうかあれを指摘しないでやっていただけますでしょうか……)
(もちろん言わないけど……
それにしても、なんで光魔法で治さないんだ?)
(あの傷にはボクたちの祖母でもある族長が魔法を掛けていて、治らないようになっているんですにゃ……)
(族長さんはなんでそんなことをしたんだ?)
(むかし、もっとタマ姉ちゃんが小さかった頃、ミユシャ姉ちゃんとじゃれ合って遊んでいたんですにゃ。
そしたらそれがだんだんエスカレートして……
タマ姉ちゃんがミユシャ姉ちゃんのおしりに思い切り噛みついて、悲鳴を上げたミユシャ姉ちゃんがタマ姉ちゃんのしっぽに噛みついて……
2人とも血を流しながらぐるぐる廻ってたんですにゃ)
(ウロボロスみたい……)
(それでとうとう2人とも戦闘形態になって、火魔法Lv8の乱打戦が始まって……)
(うっわー)
(それでインフェルノ・キャット族の里が半壊して、族長が激怒して……
罰として傷が治らないような魔法をかけられちゃったんですにゃ……)
(な、なるほど……
それにしてもなんてキケンな種族なんだ……
たかが子猫の姉妹喧嘩で里が半壊するとか)
(ま、まあ2人とも族長の血を引いていますからにゃ)
(そ、そうか……)
(それからもどっちかが『尻っパゲ』とか『しっぽハゲ』とか言うと、またハルマゲドンが始まって……)
(ハルマゲドンて……)
(それで、流れ弾から小さな子を守ろうとした族長のおしりの毛が丸焦げになって……
里中に『ぎにゃああぁぁぁ―――っ!』って族長の叫び声が響いて……)
(うっわわー)
(更に激怒した族長の命令で2人とも里を追い出されて、ミュシャ姉ちゃんは神界の使徒学校の幼年部に留学、タマ姉ちゃんはツバサさまのところに預けられて使徒見習いににゃったんですにゃ)
(そ、そうだったのか……)
(にゃから、万が一にもタマ姉ちゃんに『しっぽハゲ』とか言うと、アルス中央大陸の国がいくつか灰ににゃるかも……)
(な、なんて危険なタブーワードなんだ……)
(はい、危険ですにゃ)
(ジージくん、教えてくれてありがとうね……)
(どういたしましてにゃ……)
(ところでジージくん……)
(にゃ?)
(キミが座ってる場所……
い、いやなんでもないよ……)
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1週間後。
デスレル帝国第5方面軍団副司令官、カリオスタ・マーズラー下級侯爵は、執務室の窓からシノーペルの中級総督が帰って行くのを見ていた。
執務室内の家具はすべて木で作られており、アルスの基準では実に豪勢なものである。
室内には副官がひとり座っていた。
マーズラー副司令官閣下は窓から外を見たまま声を発した。
「メギデウス大尉よ。
あの臆病者の言を何と見る」
「はっ、些か不審な点はございますが、得るところ大であったかと」
副司令官閣下は副官を振り返り、ゆっくりと歩いて行ってソファに腰を下ろした。
「そうか?
あのような出来損ないの戯言を容れるというのか?」
「はい」
ここで初めてマーズラーは微笑んだ。
「ほう、理由を述べよ」
「まずは奴が虚言を弄するメリットがございませぬ。
仮にあの情報が虚偽だった場合には奴は身の破滅です。
如何に中級伯爵家の出とはいえ、デスレル第5軍団の副司令官殿を欺いたとあっては、平民落ちどころか処刑の可能性すらあるのですから。
もちろん奴の間者が虚偽情報を掴まされた可能性はございますが、その可能性については奴自身が触れておりました。
そして、この情報は得られるメリットがあまりに大きい割に、失うものがほとんどありませぬ」
「ふふ、相変わらず直截に物を言う奴よ。
我らのメリットとはなんだ」
「あの言が真実であれば、あのゲゼルシャフト王国とゲマインシャフト王国に煩わされることなくワイズ王国に侵攻出来るでしょう。
そしてかの地を征服出来れば『遠征病』の特効薬が手に入ります。
加えて膨大な量の小麦もございますので、マーズラー閣下の軍功は果てしなきものとなりましょう」
「デメリットは?」
「無視していいほどの矮小なものでございますな。
行商人に扮した間者20名ほどと、斥候兵1個小隊の労力もしくは命だけになります。
その程度のものであれば、通常の哨戒行動の範疇を出ませんので、閣下のご裁量の範囲内かと」
「はは、総司令官には知らせず、まず俺の裁量で動けと申すか」
「御意」
「だが、間者はともかくとして、斥候兵は1個小隊でいいのか?」
「はい。
まずはあの両国を囲む城壁があるのか否かの確認をし、その城壁がどの程度続いているかを数日ほど調べさせ、両国軍との交戦を禁止してすぐに報告に戻らせるがよろしいでしょう。
それで城壁と通路の存在が事実であれば、そのときは司令官閣下にご報告の上、斥候兵1個大隊を投入して通路の安全を確認すべきと愚考致します」
「うむ、それでいいだろう。
なにせゲゼルシャフト王国とゲマインシャフト王国相手には手酷い敗戦が続いていたからな。
おかげでこの第5方面軍も司令官が10年間で5回も交代させられた上に、本国の軍司令部より西南戦線での対ゲゼルシャフト、ゲマインシャフト王国両国への戦闘停止を命じられてしまっていたからの。
おかげで第5方面軍団の威信も地に落ちておる」
「ですが今や『遠征病』蔓延のために、全軍が戦闘行動の停止を余儀なくされております。
ここで特効薬を入手すれば、この第5軍団の威信は全軍最高のものとなりましょう」
「お前はワイズ王国への侵攻は第5方面軍団のみで行うべきだというのか?」
「お戯れを。
閣下もそのようにお考えでしょうに」
「わはははは、この様に旨い話はもちろんそうするべきだろうの。
よし!
まずは俺の幕僚たちに指示して間者の派遣と哨戒隊1個小隊を組織させろ!」
「はっ」
翌日、間者20名は5人ずつ4組に分かれて出発した。
各組は2頭曳きの荷馬車1台と御者、騎乗した男たち4名から成り、その荷は食料と水樽や馬の飼葉以外には金貨や銀貨のみであった。
どの隊にも手練れのベテラン間者が配置されている。
また、偵察兵1個小隊は、2週間分の食料を積んだ荷駄とともに最前線のフォボシア砦を目指して進発した。
砦からは目立たぬように徒歩でゲゼルシャフト、ゲマインシャフト両国方面に偵察を敢行し、10日間の偵察に1日の予備日を持って行動する予定になっている。
尚、敵兵の姿を見たときには直ちに砦に撤退し、報告に戻るよう厳命されていた。
間者たち4組は、相次いでゲゼルシャフト王国、ゲマインシャフト王国との国境地帯に到達した。
その国境線から10キロほど手前からは異様に整備された道が続いていて、彼らの馬車の速度も上がり、小高い丘を登ったところで眼前にあの城壁が姿を現したのである。
「な、なんだこの巨大な城壁は……
いったいどこまで続いているというのだ……」
「お頭、すこし壁沿いに調べてみやすか?」
「いや、それは哨戒隊の任務だ。
我らは両国の間にあるという通路を探すぞ」
「あ、あれじゃないですかね。
ほら、この道をまっすぐ行った先に城壁の切れ目のようなところがありますぜ」
「通路か、それとも城門か……
いいかお前たち、ゲゼルシャフトかゲマインシャフトの兵に誰何されたら行商人だと答えるのだぞ」
「へへ、いつものようにですね。
この馬車には武器も積んでありやせんし、俺たちも行商人の持つような剣しか持ってませんからね」
「そうだ、ワイズ王国総合商会の噂を聞いて行商に行こうとする行商隊だと答えるのだ」
「あ、お頭、やっぱりあの切れ目は城門じゃあないようですぜ。
2カ国の国境沿いに同じような城壁が続いてますね。
お、なんか切れ目のところに大きな看板がありやすな」
「敵兵の姿は見えるか?」
「いえ、ひとっこひとりいませんや……」