*** 247 フォボシア下級総督閣下 ***
1週間後。
最初の村から集められた農民98名は大部屋に集められていた。
既に全員が遠征病から回復し、十分な食事を取ったことによりかなりの回復ぶりを見せている。
周囲には、ブリュンハルト隊5名に加えて傷痍退役軍人互助会のオルナンド曹長や数人の軍曹も立っていた。
ジョシュア少佐が壇上に上がった。
「それでは説明会を始めます。
まずはムムルくんとパパルちゃん、前に出て来てくれますか」
12歳ほどの少年と10歳ほどの少女が恐る恐る立ち上がり、前に出て来た。
充分な食事のおかげで顔色は良くなっていたものの、まだガリガリに痩せている。
「2人とも、もう大丈夫だよ。
この国では奴隷は許されていないんだ。
君たちはたった今村奴隷から解放されたからね」
「「 えっ…… 」」
「この国には王さまが作ってくださった孤児院というところがあるんだ。
これからはそこで暮らしながらお腹いっぱい食べて欲しい。
もう仕事はしなくてもいい代わりに、学校で読み書きを習ってもらうことになるからね」
「は、はい……」
「な、なんだとキサマっ!
わしの奴隷を勝手に解放するとは!」
「この2人はあなたの奴隷だったんですか?」
「む、村の孤児奴隷ならば村長であるわしの奴隷でもあるっ!」
「そうですか、あなたはどうしてもこの2人をあなたの奴隷のままにしておきたいのですね」
「あ、当たり前だっ!」
「それではワイズ王国法によりあなたを牢に入れなければなりません。
奴隷所有は重罪ですので、刑期は終身刑になるでしょう」
「な、ななな、なんじゃとぉっ!」
「どうされますか?
まだこの子たちを自分の奴隷だと主張されますか」
「がぎぐぐぐぐぐ……」
「イルス少尉、ミスカル少尉、この2人を王立孤児院に連れていってあげてくれ」
「「 はっ! 」」
若く優し気な顔をした少尉たちが、まだ少し足元がふらつく2人の子供を背負い、静かに話しかけながら退出していった。
「お兄ちゃんありがとう……」
「気にしないでいいよ。転ぶと痛いからね」
「あの…… パパルいつか村に帰ってもいいの?」
「もちろんだよ。
パパルちゃんはあの村に帰りたいの?」
「ううん、あの村は嫌いだけど、でもお父ちゃんとお母ちゃんのお墓があるの……
だからあたしたちが居なくなると、お父ちゃんもお母ちゃんも寂しがると思って」
「そうか……
ううっ、そ、それじゃあ2人がもう少し元気になったら、つ、連れて行ってあげるよ……」
「ほんと♪ お兄ちゃんどうもありがとう♪」
「うん…… うん……」
若い少尉たちは大粒の涙をダバダバ流しながら子供たちを連れて行った。
ブリュンハルト隊の将校は全員が元孤児奴隷である。
ジョシュア少佐が村人たちに向き直った。
「それではみなさん、この国で生活されるにあたっての決まり事をご説明します。
まず最初に、みなさんは今避難民として扱われており、原則としてこれから3か月はこのままこの施設で暮らして行くことが出来ます。
もちろん、今すぐに元の村へ帰りたい方がいらっしゃればお連れしますが、村に帰ることを希望される方はいらっしゃいますか?」
誰も手を挙げなかった。
まあ当然だろう。
今更食べ物も無い村に帰りたい者はいない。
「どなたもご希望されませんか。
それでは次の決まり事を申し上げます。
この国では犯罪者を受け入れることは出来ません。
まずはムスガル村長さん、あなたは殺人が4件と殺人教唆が6件もありますので、このままここで暮らしていただくわけにはいきません」
「な、なんじゃとおおぉぉっ!」
「この場合、あなたには2つの選択肢があります。
ひとつ目はこの国の牢に入って罪を償って頂くことです。
まあこの罪状ですとやはり終身刑、つまり死ぬまで牢にいて頂くことになります」
「う、嘘だっ! わしはヒトなど殺しておらんっ!」
「いいえ、我らにはそのひとの罪を見ることの出来る魔道具があります。
あなたは村長になる前に行商人を襲って殺し、その財を奪っていますね。
また、あなたに逆らった村人も2人殺して埋めています。
村長になってからは、自分の弟や息子、それから甥にやはり行商人を殺すように命じ、またさらに野獣に襲われたと偽って、先ほどの子供たちの両親も殺させています」
「あ、あの夫婦はやっぱり村長の命令で殺されていたのか……」
「なんてひどいことを……」
村人たちがざわついている。
「どうやらあなたは孤児奴隷が欲しかったから殺人を命じていたようですね。
ということで、あなたのような極悪人は放置出来ません」
「お、お前たち、こいつをぶちのめせっ!
殺しても構わんっ!」
3人の男たちが少佐に殴り掛かって行った。
だが……
ドガバキグシャッ!
「「「 ぐげぇぇぇぇ―――っ 」」」
少佐から5メートルも離れた位置で3人が崩れ落ちた。
3人とも鼻骨を折られて鼻が45度横を向いている。
ブリュンハルト隊の者以外には、誰にも何が起こったのかわからなかった。
「あー、また始末書を書かなければ……
たぶんダイチ閣下は許して下さるとは思うのですが……
ところでムスガル村長さん、どうされますか?
この国の牢で暮らしますか、それともフォボシア王国の村に帰りますか?」
「ぬがががが……」
「もしお返事が無いようでしたら、村の皆さんに決めていただくことになりますが?」
「お、お前たち! こ、こ奴をぶち殺せっ!
喰い物を持って逃げるぞっ!」
だが、村人たちは動かなかった。
村長を睨みつけているのみである。
「き、きさまら村長の命令が聞けんのかっ!」
「ああ聞けねぇな」
「孤児奴隷欲しさに村人を殺させるような奴は村長じゃねぇな」
「な、ななな、なんじゃとおぉぉぉ―――っ!」
「それではみなさん、こちらの元村長さんとここに倒れている3人の強制帰還に賛成される方は手を挙げて頂けますでしょうか」
全員の手が挙がった。
「それでは強制帰還に決まりました」
ジョシュア少佐が手を挙げると、その場から4人の姿が消えた。
「それでは説明会を続けましょう。
まずみなさんには……」
説明会の後。
「ということでオルナンド曹長殿、説明会のやり方はおわかりいただけたでしょうか」
「あ、ああ……」
「あと数回はわたしが説明しますが、その後は曹長殿や軍曹殿たちに説明をお願いすることになりますので、よろしくお願いします。
また、もし暴力を振るおうとする者がいても、われわれブリュンハルト隊の護衛が相手をしますのでご心配は要りません」
「わかった……」
因みに元村長とその係累たちはストレーくんの完全時間停止倉庫の中にいた。
もちろん総督府などに通報されて避難勧告の邪魔をされないためである。
フォボシア王国の92の全ての村から村人が避難した後に、元の村に帰されるだろう……
まあ、『帰還させる』とは言ったが『いつ』とは言っていないので特に問題は無い。
さらに言えばあの45度曲がった奇怪な鼻は治療されない予定である。
きっと皆お互いの鼻を見るたびに腸が煮えくり返る思いをすることと思われる……
こうして、わずか1か月ほどの間にフォボシア王国の92の村からは総勢9000人を超える村人たちがワイズ王国に避難して来たのである。
やはり、空腹は行動の最大の動機になる様だった。
幸いにもストレーくんの倉庫の中に入れられている村長やその係累たちは300人弱ほどでおさまったそうである。
途中、偶然見回り途中の総督府護衛兵に出くわして妨害や脅迫を受けることもあったが、その都度『転送』の魔法により護衛兵たちはストレーくんの中に収監されていた。
何故か見回りたちは20人近い大人数の編成であったために、6回ほどの遭遇で120人ほどの護衛兵が捕獲されている。
現在テミスちゃんにより量刑判断が行われているが、過去の犯罪歴により半数以上が終身刑になる見込みであり、それ以外の者も、最低でも禁固5年の判決が言い渡されるそうだった。
また、フォボシアの傷痍退役軍人は、近隣のダイモシア王国やイオリア王国の同じ互助会に赴き、指揮官らを説得して避難勧告部隊に引き入れることに成功している。
そうして、遠征病を治療してもらい、脚を復活させ、また腹いっぱい食べて健康を取り戻した傷痍退役軍人たちは、その手を更に伸ばして行った。
当面の目標はデスレル属国群の最外廓10の下級属国にある980の村の農民避難であったが、たぶんあと1か月ほどで終了する見込みである。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
時間は少々遡る。
フォボシアの傷痍退役軍人互助会が、農村を廻って農民に避難勧告を始めたころ、フォボシアの総督府では下級総督閣下の怒声が響いていた。
「なんだこのメシは!
これが貴族の喰うものか!」
食卓の上に乗っているのは白い麦粥と白いパンのみである。
傍らの執事長とみられる男が口を開いた。
「申し訳ございません、総督閣下。
ですが農民に麦しか作るなとの厳命を下した結果、もはや野菜はございませんので……」
「野菜などはどうでもいい!
肉とワインは無いのかと言っておるのだ!
貴族の食事と言えばまず肉だろうし、必ずワインも付けよとあれほど言ったであろうが!」
「この辺りの野獣はすべて狩り尽くしておるようでして、干し肉は遥か北方から来る商隊より買うしかないのです。
また、ワインも全て飲み尽くしてしまいました(あんたがな)」
「ならばなぜ買わんのだ!」
「残念ながら……
昨年の税収が未達に終わりそうになったために、総督閣下のご指示で宝物庫の金銀を全て費やして小麦を買って上納税に充てたからでございます。
それでも足りずに各村より出させた奴隷を売ったカネで小麦を買い、なんとか上納を果たすことは出来ましたが、もはや肉やワインを購入するカネが無いのでございます」
「俺は貴族なのだぞ!
その貴族に肉や酒を献上するのだから、商会へのカネの下賜は年末が当たり前だろう!」
(この男は、デスレル本国出身のくせに、30年も軍務に就いてようやく下級男爵になれたせいか、ずいぶんと貴族らしさに拘るようだの)
「いえ、既に掛けでの購入は限度いっぱいまで行っております。
これ以上の売り掛けは出来ないと商隊の長に言われました」
「そのような無礼者は不敬罪で処刑すると脅せっ!」
「よろしいのですか?
あの商隊の属する商会の会頭は、デスレル本国軍務省次官であらせられる上級伯爵閣下の遠縁の者でございますが」
「なっ、なんだと……
な、ならばこの総督邸の家具調度品を売り払って肉と酒を買えっ!」
「総督閣下の異動転勤は頻繁です。
その際に身一つで異動出来るように、総督府の調度品はすべてデスレル本国政府の所有物なのですが……」
「そ、そんなもの!
今年の税収で買い戻せばよかろうっ!」
「はぁ……」
因みに総督が異動しても、総督府の執事たちは異動しない。
執事長の異動もあるにはあるが、それは10年単位のことになる。
そして、彼ら執事長の役割はもちろん総督たる貴族の面倒を見ることだが、それ以外にも総督の行状について3月に1度デスレル本国宛ての報告書を送るという密命も帯びていた。
(ここ10年ほどで上納金が払えずに15人もの下級男爵が総督を馘になって平民に落とされているが……
この男はその中でも最低だの……
『貴族に相応しい暮らし』ということ以外は何も考えておらんようだ……
だいたい去年の収穫ですら全く足りなかったのに、どうやって今年の収穫で家具調度を買い戻すつもりなのだろうか)
「それでは総督閣下、畏れ入りますが荷駄隊を組織して頂いて、北の中級属国であるシノーペル王国への派遣をお願い致します」
「何故だ!」
「もはやこの総督府には商隊が訪れなくなっているからです」
「何故商隊が来ないのだ!」
「掛け売りが限度額いっぱいになり、総督府の蔵も空ともなっていれば、もはや商売不能と思われているからでしょうね」
「ぐぬぬぬぬ……
へ、平民のくせに生意気なっ!」
(あんただってつい1年前までは平民だっただろうに……)
「どうされますか総督閣下。
荷駄隊の派遣はお止めになられますか?」
「護衛隊長を呼べ!
なんとしてでも、わしに相応しい食事を用意させるために肉と酒を買わせて来るのだ!」
「仰せの通りに……」
(それにしてもこの男……
兵も民も遠征病に苦しんでいるということがわからんのか。
自身は遠征病に加えて貴族病の症状まで出始めているというのに)
もちろん、この総督閣下は貴族に相応しい食事を要求し、パンも粥も全て小麦の胚乳のみで白いものを作らせていた上に野菜も食べていない。
これにより、貴族病(脚気)すらも発症していたのである。