*** 242 デスレル帝国 ***
【デスレル帝国】
500年前にダンジョンに入って生き延び、レベル16まで上がった男が、6人の仲間と共に興した国家。
当時既にダンジョンの周りはダンジョンで力を得た者たちが国を興し始めていたため、遠く離れて周囲にダンジョン帰りの超人たちがいない地で建国を開始した。
当初の5年ほどで周辺の豪族たちを従え、あるいは殺戮して300平方キロほどの国を造り王を名乗る。
この国の軍は、当時周囲に多かった野生の馬を軍馬として慣らして騎馬戦闘を多用した。
そうした機動力により軍事的に優位に立ち、加えてデスレル王がダンジョンで得たアイテムボックスを駆使して親征を繰り返したのである。
アイテムボックスで水、飼葉、糧食を運べた為に、兵力の高速、長距離移動が可能になり、周囲の国々を次々に滅ぼして併呑。
20ほどの国を纏めてデスレル帝国を造り上げた。
その政治制度は、皇位継承も含めて徹底的な軍国主義、勲功主義であり、同じ皇子の中でも勲功によって上級皇爵、中級皇爵、下級皇爵と分かれている。
そして、皇帝の子である上級皇爵の中でも最も軍功のあった者が皇太子、つまり次期皇帝となる。
建国に功のあった6人の臣がそれぞれに譜代爵家を興し、その当主6名から成る元老院会議と皇帝の合議で次期皇帝が決定される制度になっていた。
ただし、その選定に不満のある上級皇爵は、元老院に届け出て皇太子に挑戦することが出来る。
デスレル帝国の中央部にある平原で皇太子軍と挑戦皇爵軍の戦闘が行われるのである。
この戦いに敗北した場合には、皇太子皇子はもとより、一族郎党が全て処刑されて根絶やしにされるために挑戦は滅多に行われないらしいが、それでも建国以来3回の挑戦戦闘が行われており、いずれも皇太子側が勝利していた。
まあ、皇太子に選ばれなかった場合でも、上級皇爵として広大な領地を与えられるために、余程のことが無ければ挑戦は行われない。
また、内乱に通じる無許可での皇爵同士の戦闘行為は固く禁じられており、先に攻め入った側は譜代爵家連合軍によってやはり一族が根絶やしにされるそうだ。
こうして戦闘国家として版図を拡大していったデスレル帝国だが、その領域が10万平方キロを越えた辺りから、獲得した占領国の統治政策を変えていった。
すなわち、帝国に取り込んで皇族領や貴族領にするのではなく、降伏した地に総督を送り込んで属国とするようになったのである。
むろん、当初総督はその国を攻めるにあたって軍功のあった者から選ばれていた。
時が過ぎてその属国が増えると、その属国もランク付けされるようになっていく。
まずはデスレル帝国本国に近い側6カ国は上級属国とされていて、上級総督が統治している。
その周囲の属国8カ国は中級属国とされて中級総督に統治されており、さらにその外側10か国は下級属国とされて下級総督が支配していた。
これらの総督たちも実は頻繁に入れ替えが行われている。
属国内での税は畑100反につき70石だが、その全ては上納税としてデスレル本国に送られる。
総督の給与はその中から下賜されていた。
帝国がここまで版図を広げられた要因はアイテムボックスを使用した兵站と騎兵による機動力であったために、この属国からの税収は兵糧として重視されている。
そのために、上納税が滞った総督は直ちに降格させられ、また3期連続で上納を果たせた総督には昇格と栄転が待っているのである。
ここでも非情な競争社会が形成されていたのだ。
それにしても、なぜこのような地位の細分化が起きていたか。
それはもはや類人猿出身のヒト族の業と言えよう。
類人猿の社会では常に序列が意識されている。
そうして必ずなんらかの組織に属して、その中での昇進を望んで努力してしまう生き物なのである。
現代社会に生きる読者諸兄も不思議に思われたことはないだろうか。
現代の会社組織には、大手企業ほどヤタラに多くの役職や階級がある。
例えば役職としては、主任、係長代理、係長、課長代理、課課長、課長、次長、部長代理、副部長、部部長、部長、執行役員などである。
その会社の人以外が聞けば、次長と部長代理と副部長では誰が一番偉いのか混乱することは必定である。
(これは会社によって違うことが多い)
また、『部長』と名の付く役職にも、部部長と部長の2種類があるのだ。
例えば『営業第1部部長』、『営業第2部部長』など、多くの営業部があってそれぞれに部長職がいるのである。
もちろん、それら多くの営業部を束ねる存在が『営業部長』である。
このように部部長と部長を混同してはイケナイのだ。
こうした混乱に拍車をかけるのが『階級名』である。
これは、『調査役代理』『調査役』『主任調査役』『上席調査役』『上級調査役』などである。
これはあくまで階級名であって役職名ではない。
つまり、『上席調査役(階級名)、営業第13部部長(役職名)』などという肩書も存在するのである。
これは何故か?
類人猿出身のサルリーマン、い、いやサラリーマンが年功序列制の会社で努力をしていた場合、数年に1度は昇進(役職)や昇格(階級)を望むのである。
だが、会社としても野放図に彼らを昇進昇格させてしまうと人件費が嵩み過ぎてしまう。
ならば、役職名か階級名のどちらかを1つだけ上げてやり、年俸は1万円だけ上げてやればよい。
それで彼らは『少しでもヒエラルキーが上がった♪』と満足してまた働いてくれるのである。
2000年代初頭のITバブル崩壊後、日本を代表する電機メーカー3社がその半導体製造部門を分社化し、それらを合併させて巨大半導体メーカーを発足させたことがある。
まあ、日本の半導体産業の中核として『大きすぎて潰せない会社』を政府主導で作った試みであり、後に産業革新機構からの資本注入も行われている。
このとき、発足当初の新会社の従業員数は約2万5000人。
そして……
そのうち、肩書に『部長』と名がつく人は8000人もいたそうである(本当!)。
ならば課長や次長や部長代理や副部長なども1万6000人はいたことだろう。
いったい誰が半導体を作っていたのだろうか?
残りの1000人の平社員で作っていたとしたら大変だっただろうに。
たった1000人で、口だけは出してヤタラに部下を『管理』したがる2万4000もの管理職たちを養っていたとは……
これこそが、ITバブル期に儲かった論功行賞でヤタラに社員を昇格させていた弊害だったのである。
バブルが崩壊すれば会社が立ち行かなくなるのは当然だっただろう。
経営陣の無能さを象徴する話である。
また、サラリーマンを引退した老人たちも、地域に於いて『老人会』を作って役職を求めるのである。
すなわち、平会員、世話役補佐、副世話役、世話役、役員補佐、副役員、役員、会長補佐、副会長、会長などである。
また、これら老人会連合の会長たちは、その勢力に応じて連合会会長を選出することもある。
この連合会会長は、場合によっては村会議員や市会議員に成れる可能性があるために、老人たちは血眼になって勢力拡大を図ろうとするのである。
ヒエラルキーを求める類人猿の本能は、ジジババになっても命尽きるまで消えないのだ。
サル閑話休題。
話をデスレル帝国に戻そう。
デスレル帝国の属国には兵の供出も求められていた。
各総督の治める属国には、その国土の広さや人口に応じて徴兵の義務が課せられていたのである。
総督たちには反乱防止のために独自の軍を持つことは許されておらず、せいぜい300人ほどの護衛部隊を保有するだけであるが、こうした徴兵を受けた者たちは、全部で8つあるデスレル帝国の方面軍団に配属される。
そうして、各属国にある軍団駐屯地にて訓練を受けた後に実戦に狩り出されていた。
このように軍事政策では極めて優秀なデスレル帝国上層部ではあったが、農業に関する知識は全くと言っていいほど無かった。
つまり、税収を確保するための手段は農民からの過酷な収奪しか知らなかったのである。
このため、不作のときの帝国は脆かった。
人口に占める常設軍の割合は、通常5%が上限とされる。
無理をしても10%であり、それ以上になると兵糧や武器の生産が追い付かなくなるのである。
もちろん、大規模な侵攻を受けたとか逆に大規模な侵攻を企図した場合には農民も兵として動員するが、平常時に職業軍人として擁することが出来る常設軍の割合はその程度が限界だった。
だが、現状のデスレル帝国では、この常設軍の割合が奴隷兵も入れれば人口の35%にも達していたのである。
もちろん、このように肥大化した軍事国家では、そのアンバランスさを解消する方法は3つしかない。
1つめはもちろん軍の縮小である。
常設軍の割合をせめて10%にまで削減し、その削減兵力を農業生産に回せば問題のかなりの部分は解決するだろう。
だが、この方策を採用するにはデスレル帝国の成功体験があまりにも大き過ぎた。
帝国の中枢部には軍事的能力はあっても、内政方面の知識はまるで無かった。
中にはこうした軍縮を考える者もいたかもしれないが、彼らは軍事的な成功体験に乏しく、従って帝国内での地位も低かったのである。
2つ目の方策はもちろん農業生産性の拡大であるが、これについてはそもそも『研究』という概念が存在しないために不可能であった。
そう、彼らは脳味噌から骨の髄まで筋肉だったのである。
したがって、3つ目の方策である更なる拡張主義政策に傾斜せざるを得なかったのであった。
だが、建国から500年、24カ国の属国群を含めれば25万平方キロもの版図を持つに至ったデスレル帝国にも限界が見え始めていた。
その限界とは、取りも直さず地理的・地形的な限界である。
外郭の下級属国群の南には広大な岩稜地帯が広がっていた。
ここは植物も水源地もほとんど無く、農業には全く向かない土地である。
その更に南には肥沃な土地もあったが、200キロにも及ぶ岩稜地帯を越えて行くのは並大抵のことではない。
しかもデスレル帝国の主力軍は騎馬兵であり、馬の足を痛める岩石と、草や水といった馬にとっての必需品の無い地域での活動は大変な困難を伴っていたのである。
また、東方の外郭属国群のさらに東には山岳地帯が広がっていた。
その山岳地帯を登った高原地域には多少の農業適地もあったが、多くは大きな山羊のような騎獣に乗った民族が遊牧を行っている土地である。
この騎乗民族は山岳戦に滅法強かった。
しかも、最初に高原に橋頭保を確保したデスレル帝国勢に対し、各地の豪族が連合軍を作ってこれを撃破してしまったのである。
やはり山地では馬の機動力が生かせなかったことがデスレル帝国の敗因であった。
そして、北部には深い森林地帯が広がっていた。
もちろんここでもデスレル勢の得意とする騎馬機動戦は生かせず、森の民たちのゲリラ戦に手を焼いている。
よって、最後の侵略候補であった帝国西南部のゲゼルシャフト王国とゲマインシャフト王国に軍事力が集中されていたのだが、ここでも精強無比な両国軍の見事な連携戦闘により、侵略の手が阻まれてしまっていた。
こうして、彼らがデスレル平野と呼ぶ広い農業適地は帝国主義政策の下で飽和状態に陥り、帝国の落日が始まっていたのである。
これに追い打ちをかけたのが帝国中枢部の兵糧政策である。
軍の兵糧として最も適しているものは、干し肉と麦などの穀物であり、野菜類は日持ちがしないために軽視されていた
また、デスレル平野は森林に乏しく、すでに森の獣は狩り尽くしていて絶滅寸前である。
唯一北の森林民族との交戦地帯ではボアなどの獣がいたが、これらの肉はたいへんな貴重品であって、皇族爵や上級貴族の口にしか入らなかった。
このために軍では麦が重視されており、この麦を確保する必要性から、デスレル本国の皇帝府によって麦以外の畑作を禁止する命令が出されてしまったのである。
そこへ来てのここ数年の麦の不作により、各属国の総督も麦以外の作付けを厳重に禁止してしまったのであった。
そのために、デスレル帝国とその属国群83万人の貴族や民や兵の間には、急速に『遠征病』が蔓延し始めていたのである。
因みに、東部山岳地帯の騎馬民族は、ヨーグルトを作り、騎獣の乳を乳酸発酵させた乳酒を好んで飲んでいたために、『遠征病』とは無縁であった。
(乳酸発酵はその過程でアスコルビン酸(ビタミンC)を作り出す)
もちろん北部森林民族も森の果実を主食の一部としていたために『遠征病』は広がっていない。
この遠征病のために、ここ2年ほどはデスレル帝国といえども全ての侵略行動を停止し、打開策を見出す努力が行われていたのであった……