*** 231 グルーミングサロン ***
「そんなに泣かないでタマちゃん。
湯船の近くにいれば、乾き過ぎちゃった毛もしっとりして来るだろうから」
「にゃーん、にゃーん……
こ、こんなみっともない姿をダイチに見られて恥ずかしいにゃ……」
(えっ…… 俺に見られて恥ずかしいから泣いてたのか……)
「そ、そんなことないよ」
「それに毛が濡れてガリガリの細い体も見られちゃったしにゃ……」
「いや、みっともなくなんかなかったぞ。
見たことも無いほどスリムで綺麗な子猫だったよ」
タマちゃんが顔を上げた。
まだその金色の目には涙がいっぱいに溜まっている。
「ほんとかにゃ……」
「ああ本当だよ、タマちゃんはあんなにスリムでカッコよかったんだね」
「で、でも毛がこんなになっちゃったにゃ……」
タマちゃんの目からまた涙が落ち始めた。
「それじゃあ後でブラッシングしてあげるから」
「ブラッシングしてくれるのかにゃ!」
「うん」
「グルーミングもしてくれるかにゃ?」
「もちろん」
安心したタマちゃんは、また大地に顔を押し付けたままころころと喉を鳴らし始めた。
分位体の皆は、そんなタマちゃんをほっこりしながら見ていたのである……
その日の就寝前。
大地はもう大分毛が元通りになって来ているタマちゃんを膝の上に乗せ、ペットショップで買って来ていたブラシとグルーミング用手袋を取り出した。
「それなんにゃ?」
「これは最高級ブラシとグルーミング用手袋だね。
この手袋の指の表面は猫の舌と同じようにざらざらになってるんだ。
いつかタマちゃんをグルーミングしてあげようと思って、地球で買っておいたんだよ」
「あ、ありがとうにゃ……」
「さあ膝の上においで。
まずはブラッシングからだね」
大地が優しくゆっくりとブラシを動かすと、タマちゃんは気持ち良さそうに目を瞑った。
小さくころころと喉も鳴り始めている。
(おお、さすがに9800円もした最高級猫用ブラシだ。
タマちゃんも気持ち良さそうだな……)
「ねぇタマちゃん、しっぽはどうする?」
「ブラシや手袋で触るからセーフにゃ……」
「さいでっか……」
一通りブラッシングが終わると大地はグルーミング用手袋を両手に嵌め、マッサージするようにタマちゃんを撫で始めた。
「にゃーん♪ にゃーん♪ にゃーん♪」
タマちゃんも最高に気持ち良さそうである。
そのうちに……
「すー…… すー…… すー……」
(あ、タマちゃん寝ちゃった。
でもせっかくだからもう少しグルーミングしてあげようか……
あれ?
なんかタマちゃんのしっぽの付け根辺りに小っちゃいハゲがあるな……
治癒系光魔法で治してないところを見ると、本人は気づいてないのかな?
まあいいや、教えてあげるのもなんだから、このまま黙っていてあげよう……)
寝入ったタマちゃんはそのとき夢を見ていた。
生まれたばかりのころ、毎晩寝る前にママに舐めてグルーミングしてもらっていたときの幸せな夢である。
「……ママ……」
(はは、タマちゃん寝言言ってるよ。
それにしても『ママ』か……
きっともっと小さいころに、ママにグルーミングして貰ってたときの夢でも見ているんだろう……
タマちゃんも、まだまだ子供だったんだなぁ……)
(うーん、やっぱりママのグルーミングは最高にゃぁ♡
でも…… なんでママ10人もいるんだろうにゃぁ?
まあ気持ちいいから気にしないことにするにゃ……)
こうして、大地は毎晩寝る前にタマちゃんをグルーミングしてあげることになったのである。
大地が寝ようとしてベッドに行くと、そこには仰向けに寝転がって目をキラキラさせながらお腹を見せているタマちゃんがいる。
そうしてブラッシングとグルーミングをしてあげているうちに、タマちゃんが寝入るのが日課になっていった。
ところがある日、大地がベッドに行くと……
そこには、タマちゃんの隣に、体長1メートル以上はあろうかという巨大な白猫がお腹を見せて寝ていたのである。
その目はやはり期待にキラキラしながら大地を見ており、長いしっぽがぱたこんぱたこんと振られていた。
(ねえタマちゃん、この巨猫ってまさかツバサさま……)
(しぃっ! 気の毒にゃから何もツッコまないでグルーミングしてあげてにゃ)
(へいへい……)
その巨猫は、大地がブラッシングを始めると嬉しそうに「にゃぉぉ~ん♡」と鳴いた。
そうしてグルーミングに移ると、大地に頭を押し付けて盛大にごろごろと喉を鳴らし、そのまま寝入ってしまったのである……
神界の神さまたち:
「やるのうツバサ……」
「そうか、あ奴が変化するのはいつも猫系種族だったか……」
「な、なんじゃこの微妙な気分は……」
「こ、これが『羨ましい』という感情なのか……」
「わし…… 虎になら変化出来るのだがの……」
「わしも獅子になら……」
その後、地球でペット用ブラシとグルーミング手袋が密かに大量購入され、天使ツバサによって神界に運ばれた。
大勢のインフェルノ・キャット族が雇われて働く『グルーミングサロンつばさ』は、神界最高の癒しスポットとして大繁盛したとのことである……
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ゲゼルシャフト王国とゲマインシャフト王国からの留学生たちは頑張っていた。
彼らは座学も農村での実習も熱心に参加する一方で、その授業内容や実習内容を報告書にして週1便の本国への連絡使に渡している。
その報告書はアマーゲ将軍閣下とケーニッヒ将軍閣下の幕僚たちによって手書きで複写され、大勢が閲覧出来るようになっていた。
報告書の内容は、読む者全てを戦慄させる驚くべきものだった。
ワイズ王国の昨年時点での耕地面積は約8500反であり、昨年度の収穫高は不作の影響で僅か4300石でしかなかった。
ところが、新農法を採用した結果、昨年秋から先月までの農産物生産が、麦で7万5000石、芋で2万5000石にも上ったのだという。
たったの半年で昨年の20倍以上の収穫。
これは、当時のアルスに於いては到底信じられるものではなかったのである。
あの2人の将軍ですら半信半疑だった。
このため、最前線の砦と王宮の間では頻繁に文がやり取りされ、ワイズ王国に対して正式な視察団の派遣を要請することが決まったのだ。
城壁によって国の防衛体制が確保されていたことから、この視察団はかなり大掛かりなものになった。
両将軍閣下はもちろんのこと、なんと両国とも国王も参加するというのである。
それ以外にも上級貴族家当主たちも軒並み参加するらしい。
そうして、シスくんを通じてワイズ王国とダンジョン国代表に対し、正式に視察要請が為されたのである。
この要請を受けて、大地はワイズ国王とアイシリアス王太子、宰相閣下と会合を持った。
「さて陛下、どうやらゲゼルシャフト王国もゲマインシャフト王国も本気なようだな」
「うむ、如何に若く真面目だというにしても、両国とも国王までが来訪するとはの」
「それで、この際だから対応を擦り合わせしておきたいと思ったんだ。
まず、この国の実情は全て見せてやっても構わないか?」
「そうだの、もう既に留学生を受け入れている以上、全て見せてやってよかろう」
「それでだ、その後の大まかな方針も決めておきたいと思うんだ」
「具体的にはどのようなことかな」
「まず、この視察の目的は、ワイズ王国の実態が留学生の報告通りかどうかということを確認することだろう」
「うむ、まあ俄かには信じがたいことが多いだろうからの」
「それで、もし彼らが報告書と実際に齟齬が無いということを理解すれば、さらなる要請を持ち出して来ると思うんだ」
「やはり食料援助などかのう」
「そうだ、カネで買いたいと言うか貸してくれというかは分からんが、彼らの国も不作に苦しんでいるからな」
「それで、ダイチ殿は如何お考えか」
「我々は食料を固定価格制にし、誰もが好きなだけ買えるようにした。
例外は作りたくない。
よって、もしゲゼルシャフト王国とゲマインシャフト王国が食料を買いたいと言えば応じてやりたいと思う。
その際にワイズ王国に納められた税だけで足りなければ、俺の国の食料も売ってやろう」
「そうだな、現在城には5万石を超える食料が備蓄されているが、大半は民たちから預かったものや税の前納分だからの。
それを売ってしまうわけにはいかんので、不足分は貴殿にお願いしたいと思う。
いつもすまんの」
「いや、彼らはこれから始めるデスレル帝国討伐で重要な役割を果たすだろう。
ということは、これも俺の任務の内なので気にしないでくれ」
「なるほど」
「ただ、問題なのは、彼らが食料を借りたいと言った場合に、その借主が誰かということなんだ」
「というと?」
「国として借りたいとか、アマーゲ公爵やケーニッヒ侯爵が借りたいと言うのならば問題は無いだろう。
だが、同伴する個別貴族家がそれぞれに借りたいと言い出したら問題だ。
その場合には返す気はほとんど無いだろうからな」
「そうか、王や将軍が一括して麦を借りてそれを貴族家に分配した場合には、返済が滞れば大問題となろうな。
場合によっては降爵や改易などもありうるか」
「だが、各貴族家が個別に俺から借りた場合には、当然のごとく返済はしないだろう。
俺たちでは制裁の権限も能力も無いと思っているだろうから。
そこで、貸し麦を行う際には両将軍の立会の下、国家相手の貸し出しにしようと思っている。
構わないか?」
「それはもちろん構わんが……
各貴族家は個別貸し出しを強く申し出て来るのではないか?」
「それに対する対抗策は考えてある。
その策のための準備として、今日は進物を持参した。
ストレー、用意した腕時計を4つ出してくれ」
(はい)
その場に小さめの箱が4つ出て来た。
「これは小型の時間の魔道具だ。
陛下と殿下と宰相閣下と、エルメリア姫の分がある。
箱を開けて、このように手首に巻いてもらえるか」
「こ、これは……
時間の魔道具を小さくして腕に巻くものか……」
「短い針と長い針は時間の魔道具とおなじ時刻を表しているが、動いている細長い針は『秒』を表している」
「この4つの魔道具の誤差はどれぐらいなのか?」
「そうだな、1か月当たり1秒以内だろう」
「そこまで……」
「俺の策にその『腕時計』をどう使うかは後で説明しよう。
同じものは両将軍と両陛下にも渡すつもりだ」
「はは、ダイチ殿の策を楽しみにしておくとするか……」
ワイズ王国から両国に向けて視察団受け入れ受諾の連絡が行くと、両国の将軍閣下たちから極秘で連絡が来た。
それは、両国国王に大地が神界からの使徒であり、その使命を伝えてもいいかというお伺いだった。
大地は両国陛下に限るという条件でこれを了承している。
1週間後、ゲゼルシャフト王国とゲマインシャフト王国の合同視察団が到着した。
ゲゼルシャフト王国の陣容は、まず国王のアウグスト・フォン・ゲゼルシャフト陛下にグスタフ・フォン・アマーゲ公爵将軍。
その寄子の侯爵1名に伯爵が2名。
更には公爵将軍の寄子でない侯爵が1名と伯爵が2名いた。
ゲマインシャフト王国側は、ジュリアス・フォン・ゲマインシャフト国王とルドルフ・フォン・ケーニッヒ侯爵将軍。
その寄子の伯爵2名に加えて、ケーニッヒ侯爵の寄子ではない伯爵が4名。
両国とも、貴族家当主が高齢になって戦場に出られなくなると後継者に当主の座を譲る慣習があるために、全員が頑健であった。
これら王族貴族に加えて、その随行員が20名、侍従が20名、さらにその護衛の精鋭部隊が50名ずつ同行している。
彼らのうちほとんどの者は自国を取り囲む城壁を見たことは無く、南西側に設けられた城門を通過する際には、全員の口があんぐりと開いていた。
その後は警戒しつつキルストイ帝国領内を進んだのだが、そこには見事なまでに人影が見られなかったのである。
非戦闘員の乗った馬車もあるために一行はゆっくりと移動し、途中2泊の野営を行って3日目の午前中には無事ワイズ王国の北門に到着した。
因みに、王族も含めて全員が従軍経験者であるために、移動も野営も実にスムーズに行われている。