*** 219 迫る大侵攻軍 ***
そして……
ワイズ王国に行商人を装って侵入していた密偵たちが、急いで国元に報告に戻ろうとしていたころ、周辺4か国の国王と宰相の執務室の机の上には、『主な捕虜一覧表』が届けられていたのである。
その一覧には、王族と貴族捕虜の姿を写したカラー写真と罪状、保釈金の額が書かれていた。
これを見た国王陛下や皇帝陛下はもちろん壮烈に激怒したのである。
「ゆ、許すまじワイズ王国め!
よいか! すぐに密偵を派遣して事実の確認をせよ!
そしてこのことは断じて貴族家や平民どもに知られてはならんっ!」
「ははっ!」
だが……
この『主な捕虜一覧表』は、国内全ての貴族家当主の執務机の上にも届けられていた。
王城前広場や平民街には、いつの間にか大きな掲示板が建てられており、そこにも大きく拡大された『主な捕虜一覧表』が張り出されていたのである。
もちろんすぐに国軍兵が掲示板を押収しに来たが、その板にはレベル3の結界が張られていて、手を触れることすら出来なかった。
国軍は仕方なしにその掲示板を柵で取り囲み、衛兵を配置して民を遠ざけようとしたが、いつの間にか掲示板が10か所に増えてしまっている。
最も増えたサズルス王国では、最終的に実に80か所もの場所に掲示板が現れていたそうだ。
こうした光景をワイズ王国作戦指令室で見せられた観戦武官たちは、またもや盛大に仰け反っていた……
この報告を受けた周辺4か国の国王や皇帝は更に激怒した。
怒りのあまり、皆の机に如何にして『捕虜一覧表』が届けられたのかという重大な事柄には思いが至らなかったのである。
やはり彼らは少々脳味噌が足りなかったらしい。
そして……
「な、なんじゃと!
あれほどの軍勢を差し向けたのに、ワイズ王国内は平穏無事だと申すのかっ!」
「は……
王都はもとより、直轄領の村も静かなものでした……
農民のほとんども戦があったことすら知らないようでございます……」
「な、なんということじゃ!
それでワイズ王国側の兵の損耗はっ!」
「わかっております限りゼロかと……」
「ええい、今一度詳しく調べよっ!」
「ははっ!」
「宰相!」
「はっ」
「国内全ての貴族に触れを出せ!
一族郎党のみならず、全ての農民兵も引き連れてこの王都に集合するよう伝えよ!
この重大勅令に従わぬ者は、貴族位剥奪の上一族全員縛り首とするっ!」
「ははっ!」
国王や皇帝がこれだけ激怒するのは、もちろん捕虜になった子や孫が可愛いからではない。
例えばキルストイ帝国では、妾妃も含めて正妃や側妃が合わせて32人もいる。
その妃たちが生んだ子は35人おり、その子らが為した孫も56人もいるのである。
もはや子や孫の名前も顔も覚えていられるものではなかったのだ。
それではなぜこれほどまでに激怒しているのか。
それはもちろん自分の一族が虜囚として晒し者になっているからである。
彼らはこれを自分のメンツを潰されたと捉えていた。
古来メンツを重んじる連中に碌な者はいなかった。
既に自分の地位を確立して久しい者は、メンツなどに拘らなくとも十分な権威を持っていたのだ。
故にメンツに拘る者は、自分の地位に不安を抱えている者が多かったのである。
古くは下克上により伸し上がった戦国武将や中世ヨーロッパの新興貴族家であり、新しくはマフィアやギャング、日本のヤクザ屋さんや中華人民共和帝国指導部などである。
『最近の若い者は礼儀(=自分への尊敬)がなっとらん!』とかいつもホザいているジジイも同様であろう。
(まあ彼らには元々権威は無かったが……)
このため、いつ滅ぼされるか内乱を起されるかと常に不安を抱えていたアルスの王や皇帝も、やはりメンツを潰されたとして怒り狂っていたのであった。
こうしてワイズ王国の周辺4か国では、国を挙げてワイズ王国への大侵攻軍が組織され始めたのである。
大地のヘイト稼ぎが実を結ぼうとしていた……
そのころワイズ王国内のヒグリーズ王国捕虜展示場では……
「お父ちゃん!」
「メルル!」
「あなた……」
「メルナも……
どうしてこんなところに……」
「あのねお父ちゃん、村に『わいずそーごーしょうかい』っていうひとたちが来てくれて、それでお父ちゃんがここにいるって教えてくれたの♪」
「そ、そうか……」
「それでね、村のみんなと一緒に『わいずしょうかい』のお店から『てんいのまほう』でここまで連れて来てもらったんだよ♪」
「ま、魔法か……」
「それからね、そのひとたちが、このわいず王国に出来る新しい村で、お母ちゃんに働かないかって誘ってくれてるの♪」
「そ、そんなことをして…… だ、大丈夫なのか……」
「それがねあなた、他にご主人たちが捕虜になってる家の方たちと一緒に働かないかって言って下さってるの。
なんでも大勢の捕虜の方々のために食事を作るお仕事だそうで。
少しだけ職場を見せてもらったんだけど、広くて清潔で素晴らしいところだったわ」
「で、でもお前、住むところや食事は……」
「あのねお父ちゃん、住むお家は『じゅうぎょういんしゅくしゃ』っていうところを貸してもらえるの♪
広くって暖かくって、とっても素敵なお家♪」
「それに、そこでは従業員食堂っていう所もあって、食事は食べ放題なのよ。
それにお給金は1日8時間働いて銅貨20枚も貰えるの」
「わたしはまだ子供だから働かせるわけにはいかないって言われちゃったんだ。
わたしもう8歳なのに、ぶう!
でもその代り、がっこうっていうところに通ってべんきょうっていうものをしたら、毎日甘いお菓子をくれるんだって!」
「それで、6日働いたら1日休まなきゃならないそうなんですけど、だから明日から60日ぐらいしたら、あなたの『ほしゃくきん』が払えるようになるのよ。
そうしたらまた親子3人で暮らしましょ♡」
「そ、そんな……
お前たちだって生きて行くのにカネは必要だろうに」
「でも家も食事も無料なのよ。
そりゃああの素晴らしいお店で服も買いたいけれど、それはあなたが釈放されてからでいいわ」
「お、俺が釈放されてからでもその家で暮らせるのかい?」
「ええ、元の村に帰ってもいいし、この国の村で暮らしてもいいそうなの。
わたしたちが自由に決めていいんですって」
「そうか……」
そのとき隣の檻から怒鳴り声が聞こえて来た。
声の主はモルバール・ビブロスである。
「ゴルアぁぁぁ―――っ!
お前は俺の領地の農民だろうがぁっ!
なぜ、まず伯爵家嫡男であるこのわしの保釈金を払わないのだぁぁぁ―――っ!
お、お前たちの稼ぐ金なぞ大したことは無いが、村中の者に命じて金を稼がせろ!
そうしてまずはこの俺様を釈放するのだぁ―――っ!」
女の子は怯えて母親の後ろに隠れてしまった。
だが、若い母親は気丈にも顔を上げてモルバールを直視している。
「あの……
ビブロス伯爵家は、この度の戦の大敗の責任を取らされて、改易となりました……」
「な、なんだと……」
「もちろんモルバールさまも廃嫡の上貴族籍を剥奪されています。
ですから今はもう、あなたもわたしたちとおなじ平民なんです」
「な、ななな、なんだと……」
「ご当主様は隠居の上閉門蟄居を命じられています。
ですが、弟君のマスボルさまがご当主となられ、伯爵家の全財産を差し出して、准男爵の地位には留まれたそうです」
「なに! まだ7歳のマスボルを当主にしたというのか!」
「はい、家令さまが隠居された前御当主様と相談の上、マスボルさまを立ててビブロス家を継がせました。
なにしろビブロス家にはもう他に御子息がいらっしゃいませんから」
「な、ならば3男のマスボルに言って、嫡男である俺の保釈金を用意させてだな……」
「今全財産を差し出してと申し上げました。
ですからもうビブロス准男爵家には財産は残っていないんです。
それにあなたはもう、貴族籍を剥奪されていますからモルバール・ビブロスさまではなく、ただのモルバールさんなんです。
ですから仮に保釈金が払えたとしても、貴族家御当主にはなれません。
平民ですから」
「……な、なんだと……」
「ですからもうわたしたちに命令なんかしないでください、モルバールさん」
「あうぅぅぅぅぅぅぅぅ―――っ」
ワイズ王国迎賓館内の中央作戦室では……
こうした会話の録画を見せられた国王と王子と宰相、そして観戦武官2人は蒼ざめていた。
(敵兵や指揮官を殺すのではなく、すべて生け捕りにするとは随分と無駄で手ぬるいことをされると思っていたが……
こうして生かしておいてその罪を償わせる方が、よほどに厳しい刑罰だったのだな……)
(こ、この屈辱を抱えたまま、死ぬまで牢で過ごすのか……
な、なんという恐ろしい罰だろうか……)
(こ、これがダンジョン国の戦争か……
わ、我が国がダンジョン国と平和条約を結んでいて本当に良かった……)
顔の皺を深くしたワイズ国王が口を開いた。
「のう…… ダイチ殿……」
「なんだい陛下」
「オルシリアンとノリンゲルトとミルシェリアのことなのだが……
やはり死ぬまで幽閉ということになるであろうか……」
「ああ、3人とも殺人教唆がけっこうあってな。
神界の法によりやはり終身刑にするしかないようだ」
国王の目から涙が落ち始めた。
「ま、まことに恥ずかしい申し出だが、なるべく寛大な扱いをお願い出来ないものだろうか……
育て方を間違えて3人ともあのようになってしまったが、あ奴らが生まれたときにはわたしも実に嬉しかったのだ……
ようやくわたしも子を持てるようになったと思ってな……」
「わかった。
あまり贅沢な暮らしはさせられないが、それでも最善は尽くそう」
「かたじけない……」
その後、第1王子と第1王女は、昼は独房で寂しく暮らすものの、夜は心の平穏の魔道具のおかげで楽しい夢を見て過ごすことが出来るようになった。
2人とも数千の貴族や侍女侍従に傅かれてちやほやされ、尊敬されまくる夢である。
まあその分、目が覚めたときの落胆は大きかったようだが……
第2王子のような重度アルコール中毒患者は、実は強制的に禁酒をさせてはいけないとされている。
これは、アルコールの抜けた虚脱期に鬱状態となり自死を試みる者が多いからである。
だがダンジョン国の牢はもちろんダンジョンの中にあった。
このため、自死してもすぐにリポップされてしまうのである。
こうして強制的に禁酒状態にされた第2王子は、徐々に健康も正気も取り戻しつつあるようだった。
まあ本人は日に何千回も『酒を持てぇっ!』と喚き散らしていたが……
どうやらハイレベルの治癒系光魔法ではなく、ダンジョンのリポップ機能では、アルコールの過剰摂取により破壊された脳細胞は修復されないようである……
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
周辺4か国の侵攻軍編成が整った。
それぞれの国が持てる戦力をすべて結集した結果、その軍勢は膨大なものになっている。
ヒグリーズ王国のワイズ王国懲罰軍は、最高司令官パニクリ9世王太子が1万6000の将兵を率いて出陣した。
ニルヴァーナ王国ではハゲチョロン12世王太子が将兵1万8000を率い、サズルス王国ではブサメーン18世王太子が2万の兵を率いている。
最も人口の多いキルストイ帝国では、ドザエモーン21世皇太子が2万4000もの将兵を率いて侵攻を開始した。
各国とも総司令官の皇太子や王太子だけでなく、乳幼児や国王や皇帝本人以外の王族皇族の全員が参加している。
また、街民男性も城の侍従も全員徴兵となり、農民兵もかなりの高齢者まで徴用されていて、果ては調理要員として農村部の女性や侍女までもが動員されてた。
まさに総力戦、いや総力武装強盗である。
だが……
悲しいかな、これら4か国軍は連携を取ることが出来なかったのである。
もしも4か国軍が一斉に攻撃を開始していたとしたら、ほんの僅かではあるが勝機は見い出せていたかもしれない。
だが、各国軍の将軍は国王皇帝の檄を受けて逸り立っていた。
5日間ほどの間に独自に攻撃を始めるより他に術はなかったのである。
さらに、前回の大敗の反省も全く為されていなかった。
負け戦とは忌むべきものであり、誰も追体験したいと思うようなものではないのだ。
しかも、前回戦場にいた者は全て捕虜になっている。
あの戦い(?)を実際に自分の目で見た者は侵攻軍にはいなかった。
中には気の利いた間諜が捕虜に質問したりもしていたが、捕虜交換所では誰に聞いても『気が付いたら檻の中にいた』という答えしか返って来なかったのである。
どうも『短期記憶消去』の魔法すら使用されていたらしい。
4カ国の武装強盗軍がその準備を整え始めると、大地も準備を始めた。
「それではシス、俺たちも予定通り準備を始めよう。
といっても、捕虜展示場の外側にもう1枚城壁を造るだけだけどな」
(畏まりました)
こうして……
ワイズ王国軍、いや大地軍は、前回と同じ方法で全ての将兵を捕えていったのである……
その中にはもちろん亡命した元ワイズ王国貴族たちもいた。
それら亡命貴族家の当主も一族も戦場に狩り出されてしまったのである。
まあ4か国軍も、それぞれの貴族家当主が戦力として狩り出されていたのだから当然のことだったのだが。
こうした亡命貴族も、戦場でガクブルになったまま捕らえられるか、さらに逃亡して外郭国で平民として暮らすことになったのであった……