*** 216 観戦武官 ***
城壁に昇った階段の上部で将軍の幕僚たちが口を開いた。
「そ、それにしても、魔法の力とは恐ろしいものなのですな……」
「あ、あの円盤はどのぐらいの大きさの物まで造れるのでしょうか……」
「そうですねえ、実際に作ったことは無いのですが、直径300メートルぐらいまでなら作れるでしょう」
「そ、それでは兵1万を乗せたままデスレルの王都まで運べるのですか!」
「はは、王城の庭まででも運べますね」
「あ、あの…… ダイチ閣下は攻撃に使える魔法もお持ちなのですか?」
「シス、ここから東北側半径10キロ以内に人はいるか?」
(いえ、無人です)
「それではちょっと火球を出してみましょう」
大地が斜め上方に伸ばした手の前方100メートルに直径5メートルの火球が出現し、その火球がみるみる大きくなって、直径30メートルほどになった。
辺りには轟轟という音も聞こえ始め、その高熱が肌にも感じられるようになっている。
大地が上下左右に手を振ると、火球もそれに合わせて動いた。
「火球はこのように動かせます。
ですからわざわざ兵を運んで行かなくても、敵の城や野営地ぐらいならこの火球で焼いてやることも出来ますね」
「「「「 …………… 」」」」
「ということは……
貴殿が出陣されれば、味方の兵を一兵も損なわずに敵を全滅させられると……」
「ええ出来ますね。やりませんけど。
わたしは神界との約束で人は殺せないんですよ。
出来るのは攻め込んで来た敵を捕獲することぐらいです」
「「「「 ……………………… 」」」」
「さて、そろそろ砦に戻りましょう。
この城壁があれば、みなさん相当にゆとりが出来て、安心して飴やジュースを配って歩けるようになったのではないでしょうか」
数日後、城壁のことを聞きつけた両国の国王陛下が視察にやってきた。
両陛下たちは、自国の安全を超強固なものにしてくれた城壁を見ながら静かに涙を流され、しばらくするとワイズ王国の方向を向いて深く頭を下げておられたという……
大地は20歳前後とみられる若者2人を紹介された。
「ダイチ殿、この2名が観戦武官としてワイズ王国に派遣させて頂く我々の息子たちであります」
「この度観戦武官を拝命したカール・アマーゲ軍曹であります!」
「同じく観戦武官に任命されましたパンツァー・ケーニッヒ曹長であります!」
「「 よろしくお願いいたします! 」」
「ダンジョン国代表のダイチ・ホクトです。
こちらこそよろしくお願い申し上げます」
(はは、公爵や侯爵の息子でも軍曹と曹長か。
やはりこの軍は相当な実力主義なんだろうな……)
この2名の観戦武官は実に熱心だった。
戦争時の見学だけでなく、平時のワイズ王国国軍の訓練にも見学を願い出て来たのである。
練兵場では国軍の兵たちが10名ずつの小隊に分かれ、互いに模擬戦をしていた。
それを見ながら2人は小声で会話をしている。
(なあカール卿、兵たちは思ったほど強くはないな)
(そうだなパンツァー卿、これなら我が軍の兵たちの方が強いな)
(だが、一撃貰った兵が、痛みに行動不能になる前の2秒間に反撃してから倒れているぞ)
(残心の心得はあるのか……)
(お、どうやら第1小隊の勝ちの様だな。
ん? 負傷者が担架に乗せられて小屋に運ばれて行くぞ。
あの小屋が救護室なのかな?)
(あ! 兵が出て来た!
あ奴は確か先ほど腕を折られていたぞ!
それがなぜ笑顔で小屋から歩いて出て来ているのだ!
ああ、木剣の素振りまでしている……)
(ま、まさかあの小屋には魔法がかかっているとでもいうのか!)
(もしもそのような魔法があれば……
兵は死なない限り何度でも戦場に復帰出来るではないか!)
(そうだな、100の兵が1000の兵の働きが出来るようになるな……)
(( ……………… ))
2人は恐る恐る教導士官に救護室の見学を依頼してみた。
そのような重大な軍事機密を見せて貰えるか不安ではあったが、あっさりと許可が下りている。
救護室には、続けて行われた模擬戦で負傷した兵が次々に運び込まれて来た。
負傷兵が5人ほど溜まると、救護兵が箱に付いた白い石に触れる。
その途端に室内が白い光に2回満たされるのである。
もちろん1回目は『治癒系光魔法』の光であり、2回目は『心の平穏魔法』の光だった。
その光が収まると、傷ついて呻いていた兵たちが笑顔でむくむくと起き上がり、談笑しながら退出して行くのである。
2人はその光景を目の当たりにして完全に硬直していた。
小隊同士の模擬戦が終わると、兵2人と教導士官1人との模擬戦が始まった。
ここでもほとんどの兵が教官に打ち倒されて救護小屋に運ばれて行き、数分後にはまた元気になって出て来るのである。
観戦武官の2人はこの模擬戦への参加を申し出たが、これもすぐに許可が下りた。
そして……
ひゅんひゅんひゅんひゅん……
バキボキドガグシャ!
「ぐおうっ!」
「がぁっ!」
カンカン……
(ほう、こやつら手足を折られても行動不能になる前に反撃して来おったか……
さすがはレベル9だな……)
こうして若い観戦武官たちも、身をもって救護室の魔法を体験することになったのである。
(なあカール卿……
本当にすぐ怪我が治ったな……
(ああパンツァー卿、魔法の力というのは素晴らしいものだな)
(ところで、あの教官はなんであんなに強いんだ?)
(剣筋が全く見えなかったな……)
(あの教官なら兵10人が相手でも瞬殺しそうだ……)
(それがな、昨晩宿舎付きの護衛兵から聞いたのだが……
どうやらあの教官たちはワイズ王国の兵ではなく、ダンジョン国から派遣されて来た者だというのだ。
それで、ブリュンハルト部隊という隊の所属だそうなのだが、その200名の隊員の中では弱い方だそうだ……)
(ダンジョン国とは恐ろしいところなのだな……)
(しかもブリュンハルト部隊より遥かに強いモンスター部隊という隊もあって、こちらは1500人以上いる上に、ダイチ殿の為ならいつなんどきでも死地に向かうと宣言しているそうだ)
(ああ、父上がダンジョン国と平和条約を結んでくれていて本当に良かった……)
(同感だ……)
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ヒグリーズ王国のビブロス伯爵は、自領に集結するワイズ王国侵攻軍の総司令官であるアスペルガ王太孫に同道していた。
王太孫の乗った馬車の周囲は騎乗の近衛兵100が護衛していたが、その後方には馬や人足が大変な量の荷を持って続いている。
「のうビブロス伯爵よ。
何故にあのような多くの荷駄がいるのであるか」
「はっ、王都にて買い付けました、侵攻軍の領兵や農民兵の兵糧の麦を運ばせておりまする」
「それは異なことを聞く。
領兵はともかく農民兵に麦など必要なのか?」
「は?」
「これは曾お爺さま、つまり先代陛下から教えて頂いたことなのだが……
農民共は我ら王侯貴族とは異なる生き物なので、土や草や木の根なども食して生きていけるそうなのだ。
故に麦など不要であろう」
「さ、流石のご賢察でございます。
で、ですがそれは実は平時のことでございまして……
戦時のように力を必要とするときには、麦を食さねばならないのです」
「ふむ、そういうものか……
まあよかろう、良きに計らえ」
「ははっ! あ、ありがとうございます!」
(ふう……
王族とはここまで阿呆であったか……
まあいい、王族が阿呆であればあるほど我ら貴族が操縦しやすくなるだろうからの……)
因みに……
『直江津捕虜収容所事件』というものをご存じだろうか。
これは第2次世界大戦後に行われた極東国際軍事裁判で、直江津にあった捕虜収容所の職員8名が欧米人捕虜に対して虐待を行った罪でA級戦犯とされて死刑になったという事件である。
そしてその虐待と主張された事案の中には、『捕虜に木の根を喰わせた』というものがあったのだ。
これは当時大変に食料が不足している中で、職員たちがたまには捕虜にもご馳走を食べさせてやりたいと、大豆などよりも遥かに高価だったゴボウを食べさせたというものだったのである。
食習慣の違いというものは想像以上に恐ろしいものである。
戦犯閑話休題。
アスペルガ王太孫は無事ビブロス伯爵領都に到着し、ビブロス軍と既に合流していたもう一人の伯爵の軍とを閲兵した。
そこに集結していた軍は合わせて2180。
しかし、そのうち正規軍である領兵は僅かに80名、残りは農民兵2100というかなり歪な構成であった。
もちろん農民兵の半数には、急遽購入した領兵の革鎧と革兜を着せて領兵に偽装してある。
王太孫も近衛兵も戦場経験はなく、そうした欺瞞には気づかなかった。
まあ、領兵もそのほとんどが農民出身であったので無理はないが……
初めての戦時遠征に気が逸っているアスペルガ王太孫は、ビブロス伯爵の歓待の申し出を断り、兵たちの指揮官であるモルバール・ビブロス伯爵嫡男と共に、すぐにワイズ王国に向けて進発したのである。
この時のアスペルガ王太孫の馬車は3台で構成されていた。
1台はリビング用馬車、1台はダイニング用の馬車、あと1台は寝室用の馬車である。
休息時にはこれらが連結して使用された。
世にも珍しい1LDの馬車である。
これに侍従10名と料理人10名、侍女が20名も搭乗した馬車10台が続いていた。
もちろん侍従侍女の護衛は領軍兵が行うこととなり、ビブロスの兵はさらに150名削られたのである。
この侵攻軍も国境を超える際には些か緊張した。
だが、ワイズ王国内には誰もいない。
僅かに第1王女配下の兵5名が出迎えているのみである。
侵攻軍はそのまま第1王女の居館に入って行った。
この際にはさすがの第1王女も正装に身を包んで出迎えている。
「おお、ワイズ王国第1王女ミルシェリア殿下、お出迎え誠にありがとうございます。
そして祖父ヒグリーズ国王陛下を共に戴く王孫同士として、お会い出来たことを大変嬉しく存じ上げます」
「こちらこそありがとうございますアスペルガ・フォン・ヒグリーズ殿下。
遠路遥々ようこそお越しくださいました……」
喋っている内容はまともだったが、ミルシェリアの内心は嫉妬で煮えくり返っていた。
(な、なによこの華美な軍服は!
そ、それに兵を2000も引き連れて、近衛が100人もいて、馬車も13台も……
あ、あたしだって、この国の総督になったら!)
アスペルガ王太子は眉を顰めた。
「それにしても、王女殿下がこのような辺境の陋屋に追いやられておられるとは……
しかもドレスも粗末なもので、護衛の兵すら30名しかおられないとは……」
第1王女の顔が引き攣った。
「これは明らかにヒグリーズ国王陛下の王孫、ひいては国王陛下への侮辱であります!
そのような不逞の輩であるワイズ王は、必ずやこのアスペルガが討ち取ってご覧に入れましょう!
貴女には速やかに王城に遷座していただきます!」
「あ、ありがとうございます……」
さすがは一国の王族である。
相手の心情を思い遣るスキルは全く持っていなかった。
今の自分の発言がどれほど相手のプライドを傷つけているのか……
そのような些事を一切気にせずアスペ的発言をすることが、王族の証であり優越なのである。
王子は饗応の申し出を辞退して自分の馬車に戻った。
もちろん自分の連れて来た料理人の方が旨い食事を出すと思ったからである。
戦地に於いては、司令官はいかなる場合でも自軍の用意した糧食のみを取るという常識に依るものではない。
もちろんこれも、王女に対する侮辱的なアスペ行動である。
翌日、侵攻軍は早朝に行軍を開始した。
別に王孫殿下が早起きしたわけではない。
前夜の内にそう指示していただけで、軍が進発しても殿下自身は寝室用馬車で寝ていたのである。
その日の夕刻、ヒグリーズ王国の軍はワイズ王国直轄領を囲む城壁の東側500メートルに布陣した。
城門前にも城壁上にもワイズ王国軍の動きは見られない。
ヒグリーズ軍は、少数の見張りを除いて安心して就寝したのであった……