*** 214 サズルス王国の皮算用 ***
サイマルスが王都で父ボヘンバール侯爵家当主に報告した内容は、王国に衝撃を齎した。
侯爵は直ちに嫡男を伴って王城に出向き、国王や宰相など王国重鎮の前で報告を繰り返させたのである。
「な、なんだと!
ワイズ王国では、たったの3か月で金貨1万枚もの純利益があったというのか!」
「は、はい、ワイズ王国総合商会は、少なくとも金貨8000枚もの冥加金を国庫に納めました。
その功績で、かの商会の副会頭6人が法衣男爵に叙爵もされています……」
「ふむぅ、ということはそれら商会の金庫にも最低でも金貨2000枚が眠っているということか……
彼らが驚くのも無理はない。
それらは自らを大国と自負するサズルス王国王家の年収の実に3倍に匹敵していたのである。
しかも……
「なにっ!
ワイズ王国では今この3月に麦が青々と実っていると言うのか!」
「はい、しかとこの目で見てまいりました。
途中農民に問いただしましたところ、あと3週間もすれば収穫が始まるそうでございます……」
「な、なんということだ……
冬にも麦を育てられる秘法があったとは……」
「その秘法を我が手にすれば、この国の税は3倍に出来るぞ!」
彼らにはもちろんワイズ王国に頭を下げてその秘法を教えて貰おうという考えはない。
そうした国家の重大機密とは奪うものであるというのが彼らの常識である。
因みに……
このレベルの情報であれば、自国からも盛んに行商に出向いている商人たちに聞けば、すぐにでも齎されたはずのごく初歩的なものだろう。
ワイズ王国の収入にしても、商人たちが国内のワイズ総合商会支店で商品を贖った金額と、行商隊などがワイズ王国で購入した商品の金額をヒアリングすれば簡単に分ったはずである。
だが、彼らには、平民である商人に情報を頼るということは想像も出来なかったのだ。
下賤なる平民どもに教えを乞うなどという行為は、彼らの想像の埒外にあったのである。
仮にこの時代の研究者が貴族と平民の遺体を解剖し、両者の体には脳も含めて全く差異が認められなかったという研究結果を発表したとしよう。
間違いなくその研究者は直ちに処刑されるはずである。
罪状は死体損壊罪などではなく、貴族に対する不敬罪になる。
「そ、それで、そのワイズ王国総合商会の在庫はどうなっておるのだ……
それだけの利益を得るほど売ったとすれば、もう在庫は尽きているのではないのか。
特に綿織物などは作るのに大変な手間と時間がかかるのだぞ」
「これはわたくしの部下がワイズ総合商会の従業員から聞き出した情報なのですが……
ワイズの王城内の商品倉庫には、今まで売った商品量を上回る在庫があるそうなのでございます。
また、出荷された在庫については、数日のうちにすぐ補充されるそうでございまして……」
「どこだ…… いったいどこにそれほどまでの綿花畑があるというのだ……
それに綿糸や綿織物を作る工房も……」
「申し訳ございません、それについては全く不明でございます」
「ふむぅ……」
その場にいた国の重鎮たちは難しそうな顔をして考え込んでいた。
だが、彼らは侵攻のための軍を出すか否かを考えていたのではない。
侵攻はもはや決定事項であった。
なにしろ、金貨500枚の費用で、最低でもそれに20倍する利益が齎されるのである。
上手く綿製品製法の秘密や冬でも麦を育てられる秘法が手に入れば、その利益はさらに数倍になるだろう。
こんなボロい戦争は無かった。
彼らが考え込んでいたのは、誰が初期投資の金貨500枚を負担するか、そして利益配分をどうするかといったことのみだったのである……
3日間の激論の末に侵攻軍の編成が決まった。
主力はボヘンバール侯爵軍である。
これは地理的にワイズ王国に近いことと、情報を齎した功績を侯爵が声高に主張したためである。
また、ボヘンバール侯爵の寄子には、伯爵2家、子爵4家、男爵8家、准男爵家16家がいた。
これら貴族家の領兵に侯爵領軍を足せば約2000名になる。
さらに加えてこれら31家の貴族領には合わせて50の村があり、それぞれから40名ずつの徴兵を行えば、これも合計で2000になる。
これで合計4000。
総大将にはブサメーン19世王太孫が任命され、さらに近衛軍が100騎同行することとなった。
これはまだ若い王太孫にとっては初陣となるが、戦勝の経験を積ませることで箔付けをしようという狙いがある。
ブサメーン19世とその護衛である近衛100騎は戦闘には参加せず、名ばかりの後方司令部での見学となるだろう。
国軍がたったの500しかいないワイズ王国相手では、些か過剰戦力とも思われたが、これには4000を超える兵で王城を包囲し、商品の在庫や綿織物の製造装置を毀損することなく降伏させようという狙いがあってのことだった。
これら軍編成の審議はすぐに終わっている。
時間がかかったのは戦利品の分配についてだった。
まず、綿製品とその製造法については全て王家のものになる。
これは、綿製品産業を全て王家が独占していることから渋々受け入れられた。
それ以外の戦利品は全て侵攻に参加した貴族家内での配分になるが、金貨については王家と貴族家で折半にすることに落ち着いた。
肝心の費用負担についてであるが、これについては全て参加する貴族家の負担になる。
だがまあ、准男爵家であっても金貨10枚の費用負担で最低でも金貨100枚の収益にはなるだろう。
商品在庫の量によっては金貨200枚になるかもしれない。
こうして……
サズルス王国の王宮では、タヌキを獲る方法よりも、その皮を分配して売る皮算用について多くの議論が為されていたのであった……
もちろん、それ以外の周辺3か国についても事情は同じである。
大使が齎した情報に加えて、当のワイズ王国の王子王女の援軍要請もあった。
また、分かっているだけで莫大な戦利品も見込まれる。
加えて東のヒグリーズ王国では買い占めた塩が全く売れずに困窮しており、北のキルストイ帝国では羊毛製品と羊皮紙が全く売れなくなってしまっていた。
西のニルヴァーナ王国は、これといった特産品が無かったためにそうした事情も無かったが、その分アグザム辺境伯爵家はワイズ王国への憎悪を募らせている。
こうして、周辺4か国では短期間のうちに侵攻計画が策定され、実際に軍の動員が始まったのである。
どの国も、王家の王太子、第2王子、王太孫や皇太孫などが形だけの総司令官として同行することも決まっていた。
これはもちろん、侵攻軍の箔付けと同時に王家の取り分を確保するためのものである。
だが……
東のヒグリーズ王国ビブロス辺境伯は、嫡男モルバールの報告を聞いて愕然としていたのである。
「な、なんだと……
領地の運営を任せていた2男ヒルガスが領兵ともども行方不明だと!」
「そ、それだけではありません。
領主館の宝物庫と食糧庫も空になっており、農民兵を集めても奴らに喰わせる糧食も無いそうです」
「な、ななな、なんだと……
ええい! それでは侵攻軍の中核たる我が領の軍に、野戦指揮官がいないということではないか!」
「はい……」
この時代のアルスの軍事では、大規模な侵攻や防衛の際にはもちろん農民兵も徴用される。
そうして、その際には職業軍人たる領兵がそれぞれの階級に応じて小隊長から大隊長までを務めることになるのだ。
もちろん実際に敵と戦うのは兵となった農民たちだった。
「そ、それではここに金貨が10枚ある!
これで兵糧と武具をなんとかしろ!
そして、農民兵の中から見栄えのいい者を臨時の領兵として、軍の体裁を取り繕え!」
「はい……」
「あと2週間もしないうちに動員された貴族軍とその農民兵が我が領に集結して来るのだぞ!
王都からはアスペルガ王太孫殿下も、総司令官として近衛ともどもお出ましになるのだ!
よいか!
お前が領地に戻り、各軍を迎え入れる準備をせよ!
何があっても領主代行や領軍の大半が行方不明だということは気取られぬようにな!」
「はっ!」
実は、こうした事態はヒグリーズ王国で動員された貴族家全てで起こっていた。
もちろん、ワイズ王国総合商会の支店が営業を行った際に、襲撃して来た領兵を捕獲していた結果である。
それ以外にもモンスター軍団の街道掃除部隊により、国内のほぼ全ての貴族領領兵と領主代行たちが行方不明になっていたのだ。
ヒグリーズ王国に於いては、2つの伯爵家を中核とする貴族領兵軍1800と、農民・街民兵2100が動員される予定になっていた。
だが、実際に集められたのは、領兵軍80と農・街民兵2100だったのである。
どの貴族軍も急遽農民兵の一部を領兵として偽装したために、領兵1000と農民兵1180にはなったが、その総数は変わらなかった。
王都にいた侵攻軍の中核たる2人の伯爵は苦悩した。
領兵の失踪を隠蔽したままで侵攻を開始するか、国に現状を説明して増援を要請するか……
だが、貴族の義務とは、農民から納められた税の内の3割を上納金として国に納付することと、有事の際に軍事力を提供することである。
つまり、現状ではその義務の内の一方を怠っていたことになってしまう。
これは降爵処分に匹敵する怠慢と見做されかねなかった。
2人の伯爵は、それでもワイズ王国国軍に4倍する兵力があることで、現状のままで事実を隠蔽することを選んだのである。
いざとなれば総司令官であるアスペルガ王太孫をおだて、その直衛軍である近衛隊100騎も貸してもらえばいいだろう。
こうして、ヒグリーズ王国のワイズ王国侵攻軍は、動員予定数3800のところ実動員数2180で進撃を開始することになったのである。
もちろん他の3カ国でも事情は同じだった。
北のキルストイ帝国軍は動員予定4200に対し実動員数2100、西のニルヴァーナ王国軍は動員予定4000に対し実動員数2050、南のサズルス王国軍は動員予定3900のところ実動員数2000で侵攻を開始することになったのだ。
元々の侵攻計画では、4カ国合わせて1万6000もの動員が計画されていた。
それも実戦訓練を積んだ下級から上級までの野戦指揮官が半数と、農民兵が半数という極めてバランスの取れた構成であった。
それが実際には、兵力は約8300と半減に近い状態になり、5%の職業軍人と訓練もしていない95%の素人徴集兵というお粗末な構成になってしまっていたのである。
大地の深謀遠慮と、ワイズ総合商会やモンスター部隊の努力が実を結んだ結果であった……
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
そのころ大地は何をしていたかというと……
(ダイチさま、ゲゼルシャフト王国のアマーゲ公爵閣下から準備が整ったとの連絡がございました)
「そうか、それじゃあ今から5分後に第1砦の正面入り口前に転移すると伝えてくれ」
(はい)
砦の入り口前にはアマーゲ公爵とその幕僚10名ほどが待機していた。
5分後、彼らの目の前に大地が現れる。
全員が驚愕に体を硬直させ、将軍の護衛の何人かは剣の柄に手を当てていた。
「アマーゲ公爵閣下、3日ぶりですね」
「あ、ああ、ダイチ殿、本当に何もないところに急に現れるのだな……」
「はは、まあそうですね。
それではまず倉庫に案内して頂けますでしょうか。
我々が『サプリ飴』と呼んでいる『貴族病』と『遠征病』の特効薬を置いて行きましょう」
「かたじけない。
それではどうぞこちらへ」
「それでは、よろしければこちらの倉庫に出していただけますか」
「はい」
「ストレー、ここに『サプリ飴』9万5000錠の入った段ボール箱を出してくれ」
(はい)
その場に大きな箱が積み重なっていった。
「「「 おお! 」」」
大地がそのうちの1つの箱を指さすと、その箱がふわふわと浮かんで将軍の前までやって来た。
すぐに箱が開くと、中には飴の詰まった小箱がぎっしりと入っている。
「これが特効薬ですか……」
「ええ、ひとり1日1錠を3日間服用すれば、取り敢えず病気の症状は治まります。
3か月ほど経つと、また病気の症状が出て来るでしょうけど、それまでに野菜が作れるようになっていればいいですね。
ですが、もし野菜が間に合わないようでしたら、またこのサプリ飴を持ってきますのでご安心を」
「本当になんと御礼を申し上げたらいいのか……
第1砦守備隊長」
「はっ」
「今朝方説明したように、この飴を第1砦守備隊全員に1個ずつ配ってその場で服用させろ。
よいか、保存などさせずに必ずその場で1個食べさせるのだぞ。
その後は第2から第4までの砦にも輸送し、全員に服用させろ」
「ははっ!」
「それでは軍属のご婦人部隊をご紹介頂けますでしょうか」
「あちらの建物に集めさせておりますので、お越しくださいませ……」