*** 213 第1王子の場合 ***
【第1王子オルシリアンとニルヴァーナ王国の大使マイグルス・アグザム辺境伯爵家嫡男の場合】
第1王子も午餐会の翌日夕方に正気を取り戻した。
「誰かある……」
「はっ」
「こ、ここはどこだ……」
「配下のマズリス辺境男爵の王都邸でございます」
「そうか、俺は酒勝負の途中で意識を失ったのか……
ということは、賭けの勝敗は……」
「は…… 残念ながら……」
因みに第1王子のリポップ回数は8回である。
「そうか。
それではかねてからの予定通り、国王に譲位を迫るための兵を挙げる。
領兵150を動員して、まず我が領の農民を兵として集め、配下貴族家6家にも領主と嫡男はただちに我が領に集合せよと伝えよ。
各領地の領兵数はおよそ80名ずつだったな」
「はい」
「ということは、俺の兵と併せて正規兵は630で、6家と俺の領の農村数は合計13で、各村からの動員可能兵数は40ずつだったか。
それでは、極秘のうちに各貴族領の農民兵の動員も行わせろ。
ついでに街民からも各街40ずつ徴兵せよ。
合わせて約1500で、俺の進軍命令と共に王領西門前に集結する。
上手くすれば、国軍に3倍する兵力を見て、あの腰抜けたちはすぐにも俺に国王の座を譲るかもしれんぞ」
「ははっ」
翌日。
「なんだと! 領内の農村と街には誰もいないだと!
どこに行ったというのだ!」
「あの、冬の間炊き出しが行われた王都周辺の直轄領に避難したかと……」
(この王子領では炊き出しなんか考えてもいなかったからな……)
「ええい! すぐに呼び戻せ!」
「それには些か問題がございまして。
王子殿下が御動座される場合の護衛を除き、領境を超えての領軍の移動は禁止されております。
ですので王家直轄領に入ろうとしても、国軍の守備兵に阻止されてしまうかと……
これを打ち破って侵攻などしたら、奴らを警戒させるだけでなく、国軍兵が集結して領兵隊が包囲されてしまうかもしれません」
「なんだと!」
「また、もし領兵たちに武装させずに商人を装って越境させたとしても、農民共は避難先で冬にも麦を育てる秘法を伝授された模様で、もうすぐ収穫期を迎えます。
武装させずに領兵を行かせても、農民共を戻すことは困難かと……」
「な、ならば領兵50に命じ夜陰に乗じてあのちっぽけな壁を越えさせろ!
攻城用のはしごを持って行かせるのだ!
そして農民共には、戻らねば死罪だと伝えよ!」
「はっ!」
(ダイチさま、第1王子がこのような命令を発しまして、今晩第1王子軍の侵入が予想されます)
(それじゃあいつも通り、侵入した奴はすべて『収納』しておいてくれ)
(はい)
翌日。
「な、なんだと!
集合した貴族家が僅かに2家しかいないだと!」
「はい……」
「ほ、他の4家はどうした!」
「それが……
当主も嫡男も体調不良だそうでございまして……
また、どうやら王城に対して借財の申し入れをしている模様です」
「なぜ俺に申し入れをしないのだ!」
「………………」
「返事をしろっ!」
「それでは畏れながら……
殿下はあと20日足らずで金貨300枚のお支払いが控えていますので、貴族家への貸し出し余力は無いものと思われたのでございましょう。
ですが、城には現実に8000枚もの金貨があるわけですので……」
「なんという忠誠心の無い奴らだ!
そ、それにあの賭けは酒の席での座興だ!
支払いの必要など無いっ!」
「………………」
「よ、4家には今1日の猶予を与える!
明日までに参集しなければ一族郎党全員縛り首だと伝えろっ!」
「はっ!」
被尊敬願望の異様に強い第1王子にとって、これは強烈な屈辱だった。
なにしろ自分の命令が無視されたのである。
元々王子という立場のボンボンであったが故に、今までの生涯でこれほどまでの屈辱を味わったことは無かったのだ。
彼の脳裏に、母の実家であるマグライザー辺境伯爵家の嫡孫が嘲り笑う姿が浮かんだ。
こうした時に、関係の無い顔が浮かぶこと自体に問題があることにはもちろん気づいていない。
翌日。
「貴族家4家はどうした!」
「は…… 未だ参集しておりませぬ……」
「くそっ! 俺が王位に就いたら真っ先に処刑してやる!」
「………………」
「そ、それで農民や街民共は連れ戻せたのか!」
「それが……
派遣した領兵が誰一人として帰って来ないのです」
「なんだと! 国軍と戦闘になったと申すか!」
「いえ、密偵に商人を装わせて派遣しましたが、戦闘の跡などは全く無く、直轄領は平穏なままだったと……」
「な、なんということだ……
これでは俺の配下の戦力が100しかいないということなのか。
集合した2家の戦力は!」
「それが……
それら貴族領の農村も街も、全て領民が行方不明になっているそうでございます……」
「な、なんだとぉっ!
ということは、貴族領の兵力は160しかいないというのか!」
「はい、残念ながら……」
「あ、合わせて260では国軍の数の半分しかいないではないか!
国軍に3倍する兵力をもって侵攻し、譲位を迫るという計画はどうなったのだ!」
(それはあなたの計画でしょうに……)
「そ、それでは各貴族家の近衛に潜入させていた子弟に王族暗殺指令を出せ!
ついでにあの生意気な若造も殺すのだ!」
「あの、貴族家の者が申すには、元近衛兵は全て王城内に隔離されておりまして、この3か月というものの全く連絡が取れないとのことでございます」
「な、なんだと!
挙兵と同時に王族暗殺指令を出すのは完璧な計画だとお前が進言したのだろうに!」
(いや、言ってないけど……)
「この上はもはやニルヴァーナ王国に援軍を求めるしかないかと……」
「こ、この俺にあのマグライザーのガキに頭を下げろと言うのか!」
「いえ、ニルヴァーナの大使の実家でありますアグザム辺境伯にご助勢をご依頼くださいませ。
かの家はワイズ王国に深い恨みを抱いておりますので」
「そ、そうであったな。
そういえばマイグルスはどうした!」
「まだ王都の大使館にて三日酔いに苦しんでいるものと……」
「すぐにここに連れて来い!
奴と連れ立って、ニルヴァーナ王都の辺境伯邸に乗り込むぞ!」
「はっ」
ニルヴァーナ王国アグザム辺境伯:
35年前まではニルヴァーナ王国でも最大の勢力を誇る侯爵の地位にあった貴族家である。
ニルヴァーナ王が自ら兵を率いてワイズ王国に攻め込んだ時は、アグザム侯爵は近衛将軍として親衛軍の指揮を執り、合わせて王を護衛する立場にあった。
だがしかし、若い王が勝機に逸って全軍に一斉侵攻を命じ、その先頭にて落馬して死んでしまったのである。
このため侵攻は中止され、ニルヴァーナ王国内では後継王位を巡って内乱が勃発した。
この内乱に勝利して王位に就いた元王弟はアグザム侯爵を疎み、前王を死なせた咎を持って、辺境伯爵に降爵の上、ワイズ王国と国境を接する地に転封を命じていたのである。
このためにアグザム辺境伯家はワイズ王国を恨み、再侵攻の機会を虎視眈々と狙っていたのだ。
まあ、勝手に武力侵攻して、さらに王が勝手に落馬して死んだのにワイズ王国を恨む辺りは、この時代のアルス貴族たちのメンタリティーを象徴していると言えよう。
彼らに自省という概念は無いのである……
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【サズルス王国大使、サイマルス・ボヘンバール侯爵家嫡男の場合】
ワイズ王国より見て南部に位置するサズルス王国の財政は逼迫していた。
最近はずっと不作が続いていたが、この2年間の作柄はさらに壊滅的である。
唯一光明が見えていたのが、特産の綿花を使った綿織物の輸出であった。
もちろんこの時代のアルスのこととて、その製糸技術は完全に手工業であり製品の出来も不揃いだった。
現代地球人が見たらドンゴロスと勘違いしそうな布地である。
そこへワイズ総合商会というあの弱小国の御用商会が、とんでもない商品を売り出してしまったのである。
織りムラも色ムラも全く無い服を、わずか銀貨10枚で売り出したのだ。
おかげで品質が遥かに劣り、また値段も高いサズルス王国の布地は全く売れなくなってしまっていた。
そのために、サズルス王国の王宮では連日のように会合が開かれ、ワイズ王国への侵攻計画が着々と練られていたのである。
35年前のワイズ王国への侵攻作戦が失敗したのは、当時の王が親征を行った際にあの湿地帯を通って熱病に罹ってしまったからであったが、幸いにも現在では湿地帯を迂回する経路が確保されていた。
その道を通りさえすればあの小国を一気に占領出来るであろう。
ただ、問題だったのは、今までは単にその収益性だったのだ。
3000もの軍を動かすのには途方もないカネがかかる。
軍事行動の期間を移動も含めて半年と見積もれば、その食料だけで1500石、金貨300枚ものカネが必要になり、加えて武器防具や馬匹による輸送の費用も加えれば、優に金貨500枚のコストがかかるのである。
要は、ワイズ王国を占領したとして、その投資に見合う収益が確保出来るのかという点が問題だったのだ。
このために、大使としてワイズ王国に駐在しているサイマルスには、ワイズ王国総合商会の収益と、そこから王家に献上された冥加金の徹底調査が命じられていたのである。
つまりまあ、武装強盗の計画のために、相手がどれほどの財を持っているのかという予備調査であった。
35年前に単なる領土欲からワイズ王国に侵攻した前国王と違い、今の状況はそれだけ切実だったのだ。
ということで、サイマルス・ボヘンバールが午餐会の酒飲み勝負で負けた金貨300枚がいかに大金かがよくわかるだろう。
サズルス王国が躊躇っていた軍事行動費の半額以上に達していたのである。
サイマルスが正気に戻ったのはやはり午餐会の2日後だった。
そうして彼は、取るものも取り敢えず借金から逃れるようにして本国に逃げ帰って行ったのである。
リポップ回数は16回であった。
帰国の途中、サイマルスは急遽帰国した言い訳を必死で考えていた。
「そ、そうだ、やはり王都の父上にワイズ王国についてわかったことを報告に来たと言おう。
な、なにしろ、たったの3か月で金貨8000枚もの冥加金を納めた功績で、6人もの法衣男爵が叙爵されていたのだからな!」
彼ら貴族連中の常識からすれば、ワイズ王国の名を冠した商会ならば、納める冥加金は純利益の8割に達していると考えるだろう。
つまり、かの国の6大商会にも金貨2000枚もの財があるはずなのである。
実際には、彼らも同じく金貨8000枚を手にしていたのだが、あまりの金額の大きさに夜も眠れなくなった会頭たちは、その金貨を王城の宝物庫に預けていた。
ついでにもちろん国庫の金貨もほとんどがストレーくんの中にある。
まあ、あそこ以上に安全な保管場所は有り得ないだろう。
そして、これこそがアルス中央大陸最初の銀行業務となったのである。
因みに……
日本でも江戸時代には既にこうした預金制度はあった。
両替商などが護衛付きの地下土蔵で富裕層から金銀を預かる制度である。
それではこの時の利息はどうなっていたか。
実際には預け入れには年に5%ほどの保管手数料を取られていたそうだ。
つまり100両預けると、1年後には95両に減ってしまっていたのである。
マイナス金利の元祖は江戸時代にあったのだ!
まあ、江戸時代に於いてはそれだけ火事や盗賊の危険が大きかったということなのだろう。
その辺りの事情はここアルスでも同じである。
一切の手数料も取らずに金貨を預かる大地には、皆が更に感謝していたのであった……