*** 212 第2王子の場合 ***
第1王女ミルシェリアの焦燥とヒステリーは続いていた。
「きいぃぃぃぃぃ―――っ!
農民共がみんな逃散したって言うのっ!
そ、それじゃあ兵がぜんぜん足りないでしょうに!
い、今兵は何人いるっていうのよ!」
「は、王女殿下配下の領軍が120と辺境男爵領の領軍が60の併せて180でございます」
「た、たったの180しかいないって言うのっ!」
「はい、残念ながら……」
「そ、それじゃあ国軍に負けちゃうじゃないの!」
「唯一の望みは配下の貴族たちが国軍に潜入させている刺客への暗殺指令だったのですが……」
「そ、そうだわ、それがあったんだわ!
それで暗殺は成功したのっ!」
「それが…… 刺客であった元近衛兵たちは、現在王城の敷地内に隔離されておりまして、まったく連絡を取ることが出来ないそうでございます」
「なんですって!
そ、それじゃあ、な、なんとかして兵を集めなさいっ!」
「あの、それではあの国軍最高顧問に就任したダイチ殿の命令によって国軍を馘になった司令官たちがおりまして。
その内の10人ほどが、王女殿下の軍への仕官を申し出て来ていましたが、彼らを採用してもよろしいでしょうか」
「あ、あの若造は国軍の最高顧問まで任命されていたっていうのっ!」
「はい」
(そういえば、こいつは国の布告も読めないんだったか……)
「そ、そいつらも平民よね」
「はい、ですが、旧国軍の司令官たちはいずれも貴族家の遠縁の者でございます」
「な、ならいいわ、そいつらをわたしの慈悲で全員採用してやると言いなさい!」
「はっ」
「それでも兵の数が全然足りないわ!
これも領兵長であるあんたの責任よっ!
どうするのよ!」
「それでは僭越ながら……
残念ながらすべてをヒグリーズ王国軍の援軍に頼るしかございません。
ですから、我が軍が勝利した暁には、このワイズ王国を全てヒグリーズ陛下に献上されたらいかがでしょうか。
その上で陛下のお慈悲を賜って、ヒグリーズ王国の辺境伯爵に叙爵して頂き、この地の総督となられればよろしいかと」
「そ、そうね……
それならあの生意気な第2王女も殺せるし、ヒグリーズ本国の王孫たちを跪かせることも出来るわ!
よし! そのように取り計らいなさい!」
「畏まりました……」
(ふう、結局こいつは劣等感からでしか行動していなかったのか……
それにしてもだ……
近衛軍の解体といい、冬の間の農民避難村での炊き出しといい、ワイズ総合商会の設立と大儲けといい、そして先日の午餐会といい……
まるで反乱を煽りながらその芽を潰す策の様だ。
まさかあのダイチという男が画策したとでもいうのであろうか。
いや…… いくらなんでも無理だろう。
そんなことは神の使徒でもなければ不可能だろうからの……)
その日の夜。
反乱のために集まった兵力が、たったの180しかいないことに気づいた兵たちは、数人ずつ集まって逃げ出し始めた。
中にはそれに気づいた若い指揮官もいたが、兵たちに同行して逃げるか制止しようとして袋叩きにされている。
結局翌朝残っていたのは、兵の中でも中級以上の指揮官たちばかりと元国軍司令官たちだけであった。
彼らは、たとえ逃げ出しても、いまさら農民になることはプライドが許さず、また農村に係累もいない。
そのために、全員が年寄りでありかつ皆ハラが出ている醜悪な30名ほどの集団になり果てていたのである……
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
【第2王子ノリンゲルトとキルストイ帝国大使メサイアス・ミシュングール伯爵家嫡男の場合】
午餐会の翌日、第2王子は昼過ぎに目を覚ました。
「こ、ここはどこだ……」
「王都のブロック辺境男爵邸でございます」
「そうか……
それにしても、なぜ頭が割れるように痛むのだ……」
「昨日の午餐会にて、酒飲み勝負を為されておられましたが、途中で意識を失われていらっしゃいましたので……」
「お、俺は賭けに負けたのか……」
「はい、残念ながら……」
「この俺が酒飲み勝負で負けるとはな……
そ、それにしても頭が痛むし手も震える……
む、迎え酒を持て……」
「はっ」
第2王子はさすがの大酒飲みだけあって、リポップは3回だけだった。
「だ、だめだ…… エールではいくら飲んでも手の震えが収まらん……
あの午餐会で出された強い酒を持て……」
「それではただいまワイズ総合商会に買いに行かせますので、少々お待ちくださいませ」
「は、早くしろ……
100瓶ほど買って来させるのだ」
「はっ」
1時間後。
「あ、あの…… 殿下……」
「あの強い酒は手に入ったか……」
「そ、それが……
あの強い酒は午餐会用の特別な酒であって、1瓶金貨3枚もするそうなのです。
今はお手持ちにあまり余裕が無く……」
「それがどうした!
年末払いで買えばよかろう!」
「そ、それが、『賭けの負け分金貨300枚を払った後で、現金と引き換えでなければ売るに能わず』という王命が出ているそうでございます……」
「なんだと!
この俺が、第2王子である俺が欲していると言ってもか!」
「はい、残念ながら……」
「ならば俺が王位に就けばいいのだな。
よし、すぐに領地に帰るぞ。
配下の貴族家当主に領地に集まるように伝えろ。
領兵は後でも構わんので当主と嫡男だけは急がせろ」
「はっ」
「俺の領兵の数は120で、動員可能な農民兵は80だったな……」
「はい」
「子飼いの貴族共の領兵の人数と、動員出来る農民兵の数は」
「辺境男爵家3家と旧中立派貴族家2家の合計で、領兵の数は400、農民兵の数は320でございます」
「合わせて920か……
街民も徴兵したとして何人になるか」
「は、240ほどかと」
「それでも1160か。
国軍の500を圧倒するにはちと足りんの……
そうそう、配下の貴族の息子たちを刺客として近衛に潜入させておったよの」
「はい」
「そやつらに暗殺実行指令も出せ。
あの酒を独り占めするような王は許せん……」
(こいつ…… 強い酒が飲みたいがためだけの理由で反乱を起こす気か……)
「それに暗殺が成功すれば国軍も混乱しよう。
ならば1160の兵で攻め寄せれば降伏させられるだろうの……」
翌日。
「何故だ…… 何故貴族家当主が2人しか来ていないのだ……」
「は…… 殿下の飼い犬であった貴族家は、あと辺境男爵家が1家と旧中立派貴族家が2家ございましたが、いずれも当主、当主嫡男とも体調不良ということで、参集出来ないそうでございます……」
「俺が即位した暁には、そやつらは一族郎党全員縛り首だと書状に書いて送り付けておけ……」
「はっ」
「これで俺の領軍と貴族家の領兵を合わせて正規兵は280か……
農民と街民の徴兵を急がせろ」
「そ、それが……
殿下の領内の街と村、加えて辺境男爵家2家の街と村の民が、全員いなくなっておりまして……」
「な、なんだと!
それだけの人数がいったいどこへ行ったというのだ!」
「それが、どうやら王家直轄領では冬の間に炊き出しをしていたらしく、そちらに避難したとか」
「す、すぐに呼び戻せ!
戻らなければ縛り首にすると言え!」
「あ、あの……
殿下が移動される際の護衛以外は、領兵が領域を超えて移動することは禁じられておりまして……」
「そ、そんなもの……
夜陰に乗じて避難場所に潜入すればよかろうが!」
「兵があの直轄領を取り囲む城壁を超えられたとしても、農民共を集めて帰郷を命じるのには時間がかかります。
その間に国軍に通報されれば派遣した兵が捕縛されてしまうかと……」
「な、なんだと!
直轄領全てを囲む城壁があると申すか!」
「はい、総延長100キロ近い高さ6メートルの城壁でございます」
「い、いつの間にそのようなものを!」
(そういえばこいつ、行き返りの馬車では泥酔していて何も見ていなかったか……)
「それに直轄領内では麦が青々と茂っておりまして、あと数週間で収穫が出来るかと思われます。
ですから、農民共も食料の無い元の村には帰りたがらないかと……」
「な、なんと!
冬にも麦を育てられたと申すか!」
「はい、どうやらダンジョン国から齎された秘法だそうでございます」
「そ、その秘法があれば、酒が造り放題ではないか!」
「…………」
「これでますます俺が国王になる必要が出来たわ。
暗殺指令は出してあるな」
「それが……
子弟を近衛に潜入させていた貴族家の申すところによれば、近衛を廃して発足した新国軍では、旧近衛兵は全員城内から出ることは出来ず、暗殺指令も届けることが出来なかったと……」
「そ、そのようなこと、貴族家の者が城内に行けばいいだろうに!」
「今までも何度も連絡を試みたそうなのですが、子弟との接触は出来ず、また文も届いていないとのことでございまして……」
「うぐぐぐぐぐ……
暗殺も出来ず、兵も280しかおらんのか!
これでは俺が王位に就くための兵を挙げても勝てんではないか!」
「…………」
「や、やむを得ん、キルストイ帝国のミシュンゲール伯爵に援軍を要請するぞ。
かの国も伯爵も、ワイズ総合商会の売る紙と羊毛製品のせいで自国製品が全く売れずに困っておるだろう。
俺が即位した暁には、植物紙の販売を全廃し、併せてあの羊毛製品の製造上の秘密を全て渡すと言えば大軍を率いて援軍に来るに違いない。
早速そのように書状を書け!」
「はっ!」
(なんで自分で書かないんだ?
ああそうか、手が震えてもう字が書けなくなっているのか……)
「そ、その手紙をあの大使のメサイアスに持たせて、王都の伯爵邸に届けさせろ。
奴がもし断るなら、金貨300枚を賭けた勝負に負けて、支払いが為されなかった場合には男爵領を一つ割譲するという証文に署名したことを伯爵に密告すると脅せ」
「はっ」
(自分もあと20日ほどでこの王子領を明け渡さなきゃなんないのは気づいてるのか?
領の歳入は全て酒に代えて飲んじまってるんで、金貨3枚も持ってないのを忘れたんか?)
午餐会の翌日夕方、キルストイ帝国大使、メサイアス・ミシュングール伯爵家嫡男はようやく目を覚ました。
だがもちろん、あまりの二日酔いの酷さにまた酒を呷ってすぐに寝てしまっている。
彼が正気を取り戻したのは午餐会の日から数えて2日後だった。
彼のリポップ回数は12回である。
「ご気分は如何でしょうか閣下」
「最悪だ。
なぜこんなに頭が痛むのだ……」
「それは…… 午餐会の余興に酒勝負を挑まれたからでございましょう」
「そ、そういえばそんなこともしたような……
だが途中で記憶が無くなっておるのだ。
ま、まさか俺は賭けに負けたのか!」
「はい、残念ながら……」
「あ、あれはただの座興だ!
よって賭けも無効だっ!」
「ですが閣下は、酒勝負に負けた場合には3週間以内に金貨300枚を払うという証文にご署名為されていらっしゃいました。
また、支払いが為されなければ寄子の男爵領を一つ割譲するとの文言もございましたぞ」
「だ、だから賭けなど無効だと言っておるだろうっ!」
「その証文には、見届け人として、かのゲゼルシャフト王国のアマーゲ公爵さまご本人と、ゲマインシャフト王国のケーニッヒ侯爵さまのご署名もございましたが……」
「な、なんだと……」
(やれやれ、自分が忘れたフリをすれば約定は無かったことに出来るとでも思っているのかの……)
「それに、3週間以内に支払いが行われない場合には、本国の伯爵閣下に直接請求が行くとのことでございます」
「な、ななな、なんだとぉっ!
そ、そんなことになれば、あの父上のことだ、お、俺を廃嫡して勘当し、ミシュングール伯爵家は一切関係が無いと言い出しかねんぞ!」
「はい、間違いなくそうなるでしょうな……」
「ど、どどど、どうすればいいと言うのだっ!」
「こうなりましたら致し方ございません。
至急本国にお戻りになり、王都伯爵邸にて伯爵閣下にワイズ王国侵攻のご許可を頂いたら如何でしょうか。
幸いにも、こちらに第2王子より国王に即位するための兵を挙げるので、援軍を要請するとの書状もございますれば」
「そ、そのような許可が下りると思うか?」
「はい、ミシュングール伯爵家は、あのワイズ総合商会のせいで領内の特産であります羊毛製品が売れなくなって困窮し始めています。
また、寄子の子爵領でも羊皮紙が全く売れなくなっているとのこと。
ですから、第2王子よりの救援要請を好機として、必ずや挙兵の許可が得られるかと。
というよりもむしろ、メサイアスさまを総司令官とした侵攻軍を組織するよう命令が出るかもしれません」
「そ、そうか!
よ、よし、それでは早速明日王都に戻ろうぞ!」
「はい」