*** 211 第1王女の場合 ***
午餐会翌日以降。
【第1王女ミルシェリア&ヒグリーズ王国大使モルバール・ビブロス伯爵家嫡男の場合】
午餐会の翌日、第1王女は王国の東端にある自領に早々と引き上げていた。
「すぐに使いを出して配下の貴族家当主を集合させなさい!
わたしが王位に就き、この地を豊かにするための戦いを始めます!」
「はっ!」
「ところでわたしの領地の近衛兵は何人いるの!」
「下級騎士爵から上級騎士爵まで合計で120名でございます」
「それじゃあ少し足りないわね。
仕方が無いわ、領地の2つの村を廻って兵を徴発して来なさい。
ただし、あの薄汚い農民共を絶対にわたしに近づけないこと!
農民兵はどれほど用意出来るの!」
「村ひとつには100名ほどの農民がおりますので、戦える者は40名ほど、合計で80名でございます」
「あんな汚らわしい連中をまるで人みたいに『名』とか言わないで!
80匹で充分よ!」
「は……」
(この馬鹿女……
俺の見栄えがいいからって勝手に騎士に叙したが、その前は俺も農民だったっていうことを忘れたのか?)
「それから配下の辺境男爵と中立派貴族たちの戦力は?」
(反乱を目論んでいたのにそんなことも覚えてないのか……)
「ご存知の通り配下の辺境男爵は3家、中立派貴族家は1家でございます。
その下には合計で約320名の領軍がおりまして、農民兵を徴収させた場合には、その…… 240匹ほどになるかと」
「合わせてどれぐらいになるのよ!」
もちろんこの第1王女も読み書き計算は出来ない……
「はっ、領兵は合計440名、農民兵は320……匹になります」
「合計は!」
「は、760でございます」
(こんな簡単な計算も出来んか……)
「国軍の数は確か500だったわよね。
ちょっと足りないんじゃないの!」
「はい、ですから事前の検討では2つの戦略があるとされていました。
第1王子殿下か第2王子殿下と合流して倍ほどの兵力とするか、もしくはヒグリーズ王国のビブロス伯爵家に援軍を要請するかです」
「どちらと手を組んでもわたしの取り分が減るじゃない!」
(反乱が失敗して絞首刑になるよりはましだろ……)
「ええ、ですが今は、ワイズ総合商会のせいでビブロス伯爵は買い占めていた塩が全く売れなくなって困窮しています。
もちろんヒグリーズ王家も。
ですから、援軍の見返りは王家とワイズ総合商会の保有する塩全てと言えば、納得するのではないでしょうか」
「そうね、それならいいわ。
それじゃあ、あのブサイクなガマガエルにビブロス伯爵とヒグリーズ国王陛下への親書を持たせて送り出しなさい」
「それはモルバール・ビブロス大使閣下のことでしょうか……」
「当たり前でしょ!」
「失礼致しました。
ところで、親書の作成は如何致しましょうか」
「いつも通りあなたが代筆しなさい!」
「はっ」
(こいつは自分の名前ぐらいしか書けないからな……)
「そういえば、貴族家の息子たちを近衛に潜入させていたわよね」
「はい」
「そいつらに王族暗殺の指令を出しなさい。
ついでにあの生意気なダイチとかいうガキも始末するように命令すること!」
「あの、計画では暗殺指令は軍備が整って侵攻を開始すると同時に出すということになっていましたが……」
「国王暗殺が成功していれば、それだけヒグリーズ王国への援軍依頼が容易になるでしょ!」
「はっ」
(こういう悪知恵だけは回るんだな……)
その日の夕刻。
ヒグリーズ王国大使モルバール・ビブロスはようやく目を覚ました。
「ここは…… どこだ……」
「はっ、ワイズ王国王都内の大使公邸でございます」
「大きな声で怒鳴るな…… 頭に響く……」
「も、申し訳ございません……」
「なぜこんなに頭が痛むのだ……
俺は毒を盛られたのか?」
「それは…… 午餐会の場で酒飲み勝負をされたからでありまして……」
「そういえば微かにそのような記憶が……
それでその勝負はどうなったのだ」
「は…… ご武運拙く……」
因みにモルバールは12回リポップしている。
「だ、だが相手が毒を盛ったのだから勝負は無効だな!」
「で、ですが、敗北した場合には3週間以内に金貨300枚を払うという証文に閣下は署名されていらっしゃいまして……」
「な、なんだと……」
「しかも支払いが行われなかった場合には、ヒグリーズ王国内の寄子男爵領をひとつワイズ王国に割譲するというご誓約も……」
「そ、そんなことまで書いてあったと申すか!」
(あー、このおっさん、もうだいぶ酒でおかしくなってるな……
それとも忘れたふりをして無かったことにしようとしてるんか……
でもあんたが忘れたふりしても、みんな覚えてるぞ……)
「はい、このまま支払いが為されなければ、王都のご当主さまに賭けの証文が行ってしまうかと……
しかも、賭けの立会人として、証文にはあのゲゼルシャフト王国の虎将軍とゲマインシャフト王国の龍将軍の署名もございますれば……」
「か、賭けは無効だと言っただろうが!
だ、だが、その証文が父上に届けられるのはまずいな……」
「………」
「よ、よし!
明日は国元に帰るぞ!
そして3週間以内にワイズ王国に侵攻してこれを滅ぼすのだ!
ついでにもちろんあの生意気な若造も殺すぞ!」
「………」
(自分が賭けに負けたのをチャラにするために戦争始めるんかよ……)
「途中領地に寄って代官の弟ヒルガスに軍備を整えるよう命じ、その足で王都の父上の下に行くぞ!」
「あの、第1王女殿下より使いが参りまして、伯爵閣下と国王陛下への親書をお預かりしております。
国を正すために王位簒奪の兵を挙げるので、ご助勢を依頼する内容だそうでございます」
「な、なんだと! あの馬鹿女が陛下に親書を書いただと!
そのような僭越な真似が許されるとでも思っているのか!」
「あの……
第1王女殿下の母君は、妾腹とはいえ陛下の第9番目の王女殿下でございます。
ですから、この国の第1王女殿下は、畏れ多くもヒグリーズ国王陛下のお孫様にあたり……」
「そ、そういえばそうだったな……
まてよ…… 確かあの馬鹿王女も賭けに参加していたな」
「はい、代理人を立てて参加しておりましたが、やはり敗北していました」
「わははは、馬鹿女め!
賭けの負けをチャラにするために簒奪の兵を挙げるか!」
「………」
(あんただってそうするつもりだったろうが……)
翌日、ようやく頭痛の収まったモルバールは、自国ビブロス伯爵領に向けて馬車で出発した。
伯爵領の居館までは1日半ほどの道のりである。
邸に到着し、執事長の出迎えを受けたモルバールは吼えた。
「なぜヒルガスは俺を出迎えんのだ!
帰国の先触れは出しておったろうが!
しかも領兵も3人しかおらんとは!」
「じ、実はヒルガスさまは行方不明でございます……」
「なんだと……」
「領兵隊が次々に行方不明になったために、最後には御自ら20騎を引き連れて捜索に向かわれたのですが、そのままお戻りになられず……」
もちろんワイズ総合商会の支店に強盗に来たために、今は全員がダンジョン村の牢に収監されている。
「そ、そのことは王都の父上に報告したのか!」
「いえ、ヒルガスさまよりそれは固く禁じられておりまして……」
「それでは今いる領兵は!」
「は、ここにいる邸護衛の3名のみでございます」
「なんということだ……
そっ、それではその方ら、領内の農村を廻って農民兵を集めて来い!
3週間以内にワイズ王国へ侵攻する!
王都の国王一族を皆殺しにして、奴らの持つ塩を全て押収するのだ!」
「あの…… 邸には農民兵のための兵糧がございません……」
「なんだと!」
「ヒルガスさまがお戻りになられなかったために、念のため邸内を捜索したのですが、食糧庫と宝物庫が空になっておりました」
「な、ななな、なんだと!
ま、まさかヒルガスの奴め、食料と宝物を盗んで逃亡しおったか!」
「…………」
もちろん、武装強盗の賠償金として、ビブロス領主館にあった食料と宝物は全てストレーくんが押収済みである。
「し、仕方ない、領都の商人に命じて年末払いで食料を購入しておけ!
小麦だけでなく安い雑穀も納入させるのだ!
農民共には雑穀で充分だろう!」
「あの、実は既に限度枠一杯まで食料の購入は終わっておりまして。
それが納入された後すぐに食糧庫が空になったのでございます。
これ以上の掛けでの購入は、ご当主様ご本人の署名の入った命令書が必要かと……」
「お、俺の命令書では買えんというのか!」
「はい、残念ながら……」
「し、塩倉庫はどうなっておる!」
「は、ご当主様が買い占められておられました塩10トンは無事でございます」
「な、ならばその塩を領都の商人に売って、食料を買って来い!」
「よろしいのですか?
あの塩は、北の国の商隊が持ち込んで来た分を全て1キロ銀貨20枚で買い占めておりました。
それをワイズ王国を始めとする周辺各国に銀貨30枚で売って儲けておりましたのですが、今やワイズ王国が塩を1キロ銀貨8枚で売っておりますのです。
ですから領都の商人たちも銀貨8枚でしか買い取らないでしょう。
そうなると、損が確定してしまいます。
そのような取引は王都におられるご当主様のご承認が必要となりましょうが……」
「な、ならば、20枚で買い取らねば家族ともども皆殺しにすると脅せ!」
「それは国法で固く禁じられております行為になります。
万が一王家に知られた場合には、良くて当家は降爵、モルバールさまは貴族位剥奪の上追放処分となってしまいますが……」
「な、なんだと!」
(そんな基本的な法も知らんのか……
読み書きが出来ぬということは道を誤るもとだの……」
「そ、それでは明日王都の父上の下に向かう!
だが、食料購入が為されて農民兵を集めた時の準備はしておけ!」
「畏まりました……」
そのころ第1王女ミルシェリア王女はまたヒステリーを起していた。
「なんでよ! なんで辺境男爵が1人しか来てないのよっ!
他にも子飼いの貴族はいたはずでしょ!」
「は、旧中立派貴族が1家、辺境男爵家があと2家ございましたが……」
「何でそいつらは来ないのよ!」
「3家の当主はいずれも体調不良と申しておりまして……」
「だったら、当主嫡男でも誰でも代理でよこせばいいでしょ!」
「代理権限を持つ者も体調不良だということでございます……」
「なんですって!」
(まあ、あんたの人望が無かったっていうことだな……)
「噂では、領内財政困窮のために、3家の当主はワイズ総合商会に借り入れを申し込みに行ったそうなのですが……
貴族向け貸し出しは内政特別顧問であるダイチ殿に一本化されているそうでございまして、現在借り入れ当否の審査を受けているそうでございます。
ですから、招集には応じなかったものと……」
「なんでよ! なんで私に申し込まないのよ!」
「それは……
あの午餐会の賭けで金貨300枚もの負債を負った殿下には、貸し出し余力が無いものと思われたとしか……」
「あ、あんなもの払うわけ無いでしょっ!」
「ですが、現実に王城の国庫には8000枚もの金貨が集まっているわけでございまして……」
「わ、わたしが王座に就いたら、あいつらみんな縛り首にしてやるっ!」
「…………」
「そ、それで農民共は集めたの!」
「それが……
ご領地にある2つの村と、馳せ参じた辺境男爵領の2つの村の農民はいずれも行方不明でございまして、ひとりもおりませんでした」
「な、なんですって!」
「これも噂ではございますが、冬の間は王家直轄領で困窮農民のために炊き出しが行われていたために、全員そちらに避難しているとのことでございます。
この領では王城から炊き出しを命じられていても、そのような布告は致しませんでしたので……」
「だったら連れ戻してくればいいでしょ!」
「あの…… 殿下が午餐会などで参内されるときの護衛などを別にして、領兵が領境を超えて移動することは禁じられております。
ですから連れ戻すのも難しいかと」
「なんで農民共は避難出来たのに、領兵は領境を超えられないのよ!」
「国法でございます」
(そんな基本的な法も知らんのか……
読み書きが出来ないと言うのは道を誤るもとだの……)
「だ、だだだ、だったら農民や街民に変装して直轄領に潜入して農民共を連行すればいいでしょ!」
「それでは武器を携行することが出来ません。
ですから連行も難しいかと」
「そ、その農民共は領主である私への忠誠心は無いのっ!」
「残念ながら、農民とは元々忠誠心などは持たない下賤なる者でございますので……」
(まあ農民の数を『匹』とか数える領主に忠誠心は持たんわな……)