*** 207 龍虎将軍の来訪 ***
午餐会の翌朝、国王陛下の執務室にいた大地の下へ、第2王女殿下から来訪をお許しいただけないかという連絡が来た。
大地はもちろんすぐに了承したが、国王と宰相は内心で小躍りしていたのである。
(何をどう考えても、エルメリアの嫁入り先としてはこのダイチ殿が大陸最高の人物であろう……)
(もしもメリア姫さまがダイチ殿の下へ嫁いで下されば、このワイズ王国も永遠に安泰だの……)
だが、当のエルメリア姫は執務室にやってきて、大地に面談の礼を言うなり切り出したのである。
「あの、わたくし陛下から宰相補佐としてこの国の農政を司るように言われましたの。
それで、もしよろしければ、ダイチさまが直轄領でお作りになられた農学校にわたくしも入学させて頂けませんでしょうか」
「それはもちろん構いませんが……
教師には一代男爵もおりますけれど、多くは平民の農政官見習いが講師をしておりますし、生徒は全員農民ですよ」
「当然ですね。
畑や作物には爵位は関係ありませんもの」
「それに、王城から通うとなれば、一番近い農学校でも30分以上かかりますが」
「あの、ダイチさまは毎日美味しい物ばかり食べていて運動をしないと却って不健康になってしまうと教えて下さいましたよね。
しかも健康でなければ何を食べても美味しく感じられないと。
ですからわたくし、毎日美味しい物を食べられるように、農学校まで歩いていきたいんです。
そのうち慣れたら国軍の皆さんのように走っても行きたいですし」
(はは、『毎日美味しい物を食べられるように』か……)
「畏まりました。
それでは農学校にもそのように伝えておきましょう」
「ありがとうございます!
あ、あの……
それからですね、お城の料理人さんたちにも交代で農学校への通学を認めてあげて欲しいんです。
だって、ダイチさまも美味しいお料理を作るには、まず素材を知ることが大事だって仰られていらっしゃいましたし」
「そ、それもまあ構いませんが……」
「それでダイチさま、農学校だけでなく、お料理学校も作って頂けませんでしょうか。
わたし、お料理をお勉強したいんです。
もちろんお城の料理人さんたちも通わせてあげて。
料理長さんなんか、ダイチさまのことを神さまだと思われていますし」
「ははは、わたしは神さまではないですけど、料理学校も作りましょうか」
「嬉しいです!
それから、そこでお勉強した料理人さんたちに、王都でお店を出させてあげたら如何でしょうか。
今、周り中の国からたくさんの商人さんたちがワイズ総合商会に買い付けに来られていますよね。
ですから、そうした方々に、あの素晴らしいお料理の中でもそれほどお高くないものを食べさせてあげたいんです。
そうすれば、もっとたくさんのひとに来て頂けて、この国も賑わいますもの♪」
「なるほど。
それでは料理学校で一通り料理を勉強してもらった料理人は、交代で街のレストランでも働いてもらいましょうか。
収益は国と折半ということで。
開業資金はわたしが出しましょう」
「あ、ありがとうございます♪」
因みに……
国王陛下と宰相閣下はエルメリア姫の話が進むにつれて、がっくりと肩を落としていた。
もちろん、その会話の中には色恋の要素が皆無だったからであり、ハート形になっていたのは王女の目ではなく口だったからである……
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そのころ、天界のツバサさまとタマちゃんはツバサさまの私室でサブレを食べながら寛いでいた。
「ねえタマちゃん、もし将来このお姫さまがダイチさんのお嫁さんになりたいって言い出したらどうしましょうか」
「そうですにゃあ、第5夫人でなら構わないんじゃないですかにゃ」
「うふふふ、そうね、それがいいわ♪」
「それに、あちしたちの子の弟や妹が王子さまや王女さまなのって、なんかカッコいいですにゃ♪」
「あらタマちゃん、あなたのおばあさまって、インフェルノ・キャット族の族長さんよね」
「にゃ」
「ということは、もしインフェルノ・キャット族が王制に切り替えたら、あなたもお姫さまになるのよ」
「にゃはははは!
こっ恥ずかしいから王制導入には断固反対にゃ♪」
「まあ♪」
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【エルメリア・フォン・ワイズ (487~575)】
中世ワイズ王国期の第2王女。
かのワイズ王国中興の祖と呼ばれるアイシリアス国王の妹。
成人と同時にワイズ王国に於ける農政担当の宰相補佐となり、ワイズ王国農学校及び料理学校の校長を勤めた後に宰相に就任。
同時に、当時アルス中央大陸で活動を始めた伝説のダンジョンマスター・ダイチの薫陶を受け、その天才的な料理センスを開花させた。
ワイズ王国をその服飾技術と共に大陸の農業技術、料理技術に於けるリーダーとしての地位に押し上げた中心的人物。
現在でも中央大陸最高峰の料理の名称であるエルメリア料理として名が残されている。
国軍の迷彩服を着て、軍の護衛たちと王城から農学校までジョギングで通う姿は当時大変な人気を博し、現代にも受け継がれる迷彩柄ファッションの原型となった。
別名はアルスのエスコフィエ。
座右の銘は『色気より喰気』
(『ワイズ共和国1500年史』より抜粋)
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昼過ぎ。
約束の時刻になると、迎賓館にある大地の執務室にアマーゲ公爵とケーニッヒ侯爵がやってきた。
その場には国王陛下、宰相閣下、アイシリアス王子の3人も同席している。
因みに、昨日飲み比べの賭けに負けた7人は、未だ意識不明のままであった。
一通りの挨拶と礼が交換されると、アマーゲ公爵がワイズ国王と大地に向き直った。
「いやそれにしても昨日の午餐会は素晴らしかった。
あの料理に酒、そして魔法に加えて実に愉快な余興。
国の豊かさというのは国土の広さや軍事力だけではないということを思い知らされましたわい。
心より礼を言わせて頂きますぞ」
「こちらこそ御礼申し上げますアマーゲ公爵閣下。
閣下とケーニッヒ侯爵閣下にご来臨賜りましたおかげで、午餐会が実に引き締まったものになりました。
厚く御礼申し上げます」
「わたくしからも御礼申し上げます。
立会人をお引き受け下さって誠にありがとうございました、両閣下」
(それにしてもアルス語の敬語表現が英語型で助かったよ。
文末に陛下、閣下、殿下ってつければいいだけだもんな、もしくはサーとかマムとか。
それに、最初の方で何回か使っておけば、後は省略してもいいみたいだし。
『言語理解』があるとはいえ、おかげでラクチンでいいわ。
それにしても、日本語ってなんであんなに敬語が多いんかね?
尊敬語だ謙譲語だ丁寧語だって。
昔はよっぽど尊敬して貰いたい奴が多かったんか?
尊敬して貰えないと自我が崩壊しそうになっちゃうジジイばっかりだったんか?
まあ、今でもそうなんだろうけど……)
「それでですの、今日はちとお願いがありましてご面談を申し入れさせて頂いたのですよ」
「是非お聞かせくださいませ閣下」
「あまり回りくどいことを言うのは性に合わんので単刀直入に言わせていただくが、我らにあの『遠征病』と『貴族病』の特効薬を売って頂けないものだろうか」
大地は2人の閣下を見ながら問うた。
「参考までにお聞かせください。
何錠ほどご入用ですか」
「あの薬は1人1日1錠を服用して3日で病が治るそうだが」
「はい、そのようですね。
ですが、あれらの病の原因は野菜を食べる量が減ってしまったことだったのです。
各地とも不作のために野菜畑を小麦畑にしてしまっていますからね」
「なんと…… そうだったのか……」
「ですから、例え3日で病が治ったとしても、3か月もすればまた病が再発してしまいます。
ですから、その3か月で野菜を育てて食べなければなりません」
「それでも3か月の猶予は得られるのですな。
それでは、余裕を見て9万5000錠ほど買わせて頂きたい」
「わたくしは11万錠ほど」
「それは両閣下のお国の人口が3万人と3万5000人だからですか」
「その通りだ。
我が国の民は3万人ほどおるので、その3日分になる」
「私共の国の民は3万5000人でございますので、その3日分でございますね」
「不躾なことをお聞きしますがお許しいただけますか?」
「もちろんだ」
「何故兵だけでなく、民全員の分なのでしょうか」
「はは、兵とは民であり、民は兵でもあるからな」
「我らの国では、麦で税を納める以外にも、交代で国境での兵役に就くことも税として扱われるのですよ。
成人男子だけでなく、食事作りや雑務を熟す等の軍属の仕事は老人やご婦人にも出来ますし」
「故に我らの国では、15歳以上の男女はほとんど皆従軍経験があるのだ」
(なるほど。
そこまでしないとデスレル帝国の侵攻は防げなかったということか……
それにしても、さすがはこの2人だよな。
E階梯は3.3と3.2もあるし……)
「ひとつお約束を賜りたいことがございます」
「如何なることかの」
「お渡しした薬は商人や他国に転売されること無く、必ず民全員の口に入るようにして頂きたいのです」
(この男……
何を言いだすかと思えば、民のことを心配しておったか……)
「はは、そのようなことか。
了解した。
それではそのように勅令を出させよう。
その禁を破り、例え1錠でも民から薬を取り上げて売った領主は改易の上お家断絶、その他にも武威で薬を奪おうとした者は死罪としようか」
「失礼ですが、本当にその勅令は守られるでしょうか」
「私共の国では、貴族も民も全て従軍経験があると申し上げました。
つまり、成人のほぼ全員が我らの部下だった経験を持つのです。
我が軍の軍規は全国民に徹底されていますからね」
「それにの、我が国には200ほどの村と50ほどの街があるが、それら村や街には村長や街長以外にも『最先任兵』という者がおるのだ。
まあ、従軍経験が最も長い者がそう呼ばれるのだが。
この者たちに、我らの最高軍令書を届ければ、必ずや命令は守られるだろう」
「わかりました。
それではあの特効薬を9万5000錠と11万錠ご用意させて頂きます」
「うむ、それは誠に有難い。
して、対価は如何ほどになろうか。
恥ずかしい話だが、ここ2年の不作によってわが公爵家からは大分持ち出しが増えておっての……」
(やはり公爵家から持ち出しをしてまで民を喰わせていたのか……)
「いえ、対価は要りません。
全て無償でお渡しさせて頂きます」
両閣下の口が開いた。
ワイズ国王と宰相とアイス王子は微かに微笑んでいる。
「わたくしの国には、人の命に関わる物で利益を上げてはならないという法があります。
その法を作った本人である私が法を破るわけにはいきませんからね」
「な、なんと…… 無償と仰られるか……」
「はい」
「「 忝ない…… 」」
公爵閣下と侯爵閣下が深々と頭を下げた。
「両閣下、どうか頭をお上げください。
その代りにと言ってはなんですが、いくつかのお願い事もございます」
「お聞かせ下され」
「まずは細かい話ですが大事なことですので。
あの薬は飴という形をしておりますので、実は乳幼児には危険なものなのです」
「それはそうだの。喉につかえてしまうかもしれんし」
「ですから、幼児にはこちらのジュースを用意させていただきます。
この中には飴と同じ薬効成分が含まれていますので。
また、乳児用にはこちらをお使いください」
テーブルの上に粉ミルクと哺乳瓶が出て来た。
「これは粉ミルクというもので、こちらの瓶は人工的に作られた乳を乳児に飲ませるためのものです。
こちらの缶に入っている粉を清潔な湯で溶けば、薬効成分の入った母乳と同じものになりますので。
もしよろしければ軍属のご婦人部隊の方々に使い方を説明させて頂きますので、その方たちに村や街を回らせて頂けますでしょうか」
「な、なんと…… 人工的に作られた乳ですと……」
「ということは、この『こなみるく』さえあれば、乳が出ないご婦人でも赤子を育てられるということなのですか!」
「はい」
「「 ………… 」」
最近初孫が生まれたばかりの両閣下は感動していた。
(この男は、途轍もない技術の力を持っているだろうとは思っていましたが……
ここまで途方もないものでしたか……
技術とは戦争の道具ばかりではないと思い知らされましたね……)