*** 161 ワイズ王国宰相閣下 ***
「タマちゃん、これで昆布も砂糖も熱帯の果物も手に入るようになったね」
「みんな喜ぶにゃあ♪」
「これこそが貿易の醍醐味なんだろうね。
となると、あと必要なのは味噌と醤油と穀物か。
ジュンさん、静田さんに言って、味噌と醤油を大量に確保しておいてもらっていただけませんか」
「了解、味噌や醤油の醸造蔵を買収するか出資して設備投資させておこうか」
「えっ……」
「どっちもすぐに増産出来るものじゃあないからね。
それにアルスに醸造技術を持ち込むためにも、蔵の1つや2つ持っていてもいいかもしれないよ」
「そ、そうですか……」
「それにしても、南大陸の人たちが子供のころから慣れ親しんだ味噌や醤油の味を求めてるなんて、幸之助さんが聞いたら喜ぶだろうね」
「そうですね…… じいちゃんも喜ぶでしょうね……
そうそう、ついでに蒸留器も手に入れていただけませんか」
「お、とうとう蒸留酒造りを始めるのかい」
「ええ、ドワーフたちの畑も順調みたいですから、原理を教えて作らせてみようかと思いまして。
アルス独自の味噌蔵や醤油蔵はまだ先の話でしょうけど、アルス産の蒸留酒ならなんとかなるかと」
「それだったら、目標として地球最高の蒸留酒も買っておこうか」
「はは、あのスピリタスですか」
「そう、あの70回以上も蒸留を繰り返して96度までアルコール度数を高めた酒。
それに500ミリリットルで1500円ぐらいとそんなに高くないし」
「そんなもの飲ませて死人が出ませんかね。
あれって、消防法で第4種危険物に指定されていますよね。
車内でスピリタス飲みながら煙草に火をつけたら、引火して車が丸焼けになったこともあるっていう……」
「ダンジョンの中だったらリポップされるから大丈夫なんじゃないかな」
「あははは、それもそうですね。
それにしても、リポップ前提で飲む酒ですか。
凄まじいですねぇ。
それじゃあ少し多めに買っておいていただけますか」
「わかった」
「ところでスラさん、タイで配合飼料をもっと買えますか?
それともそろそろ限界でしょうか」
「申し訳ないのですけど、国内の穀物価格が上昇しないように買い付けるのはそろそろ限界かもしれません」
「そうですよね。
でも、デカン高原の農業生産が元に戻るには時間がかかるでしょうし……」
「あの、ダイチさん、いっそのことアメリカで買い付けませんか」
「アメリカですか……」
「ええ、アメリカ合衆愚国政府はあのカリカリフォルニアの山火事消火を相当に恩義に感じていたそうです。
それに、アメリカなら多少金塊を渡しても連邦準備銀行が外貨準備の一環として買い取ってくれるかもしれませんので」
「それでは試しに聞いてみていただけませんか」
「畏まりました。
タイ王国の外務省を通じてアメリカ政府にコンタクトしてみます。
如何ほど買われますか?」
「そうですね、金1000トン(≒500億ドル)分の穀物ということで打診してみてください」
「はは、米中貿易摩擦でアメリカが中華帝国政府に要求している穀物購入量に匹敵しますね」
「ははは、それでアメリカが喜んでくれるといいんですけど……」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
そのころワイズ王国の王宮では。
「本日はご面談賜り誠にありがとうございます、ビルトレン・シュナイドレ宰相閣下」
「ミルシュ会頭よ、そう固くなるな。
もうわしらも長い付き合いじゃ。
それにこの部屋にはわしらと執事しかおらんしの」
「はっ、ありがとうございます」
「それで、あの黒目黒髪の男が見つかったというのは本当かの」
「はい、確かに16歳ほどに見える黒目黒髪の男でございました。
その人物はダンジョン国の代表にしてダンジョン商会の会頭でもありました」
「ふむ、そのような人物が何故に1人で我が国の中を旅していたのであるか」
「本人の言いましたところによれば、興味を持った我が国を視察していたとのことでございます」
「供も護衛も連れずにか?」
「宰相閣下もご存知の通り、かの男は無手で武装した近衛9人を手玉に取れる実力者でございます。
しかも、『てんい』の魔法が使えましたので、いつでも自国に戻ることが出来るとのことでした」
「なんと…… それは真か……」
「はい、わたくしと息子の目の前でその魔法を見せてもらえました。
応接室で消えた後一瞬の後に中庭に移動しており、また次の瞬間には応接室の中に戻って来たのです」
「ふぅーむ、建国王伝説にある『てんい』の魔法が使えたとな……」
「『てんい』の魔法だけではございません、かの男は『あいてむぼっくす』も持っておりました」
「あのデスレル王国に伝わる『あいてむぼっくす』と同じものか?」
「いえ、どうやらあれよりも遥かに収納量が多いとのことです。
なにしろこの王都内に購入した土地に、一夜にして巨大な建物が建ちましたので。
本国より建物を『あいてむぼっくす』に入れて持って来たそうでございます」
「うーむ……」
「あの……
閣下は、2か月ほど前に西のカルマフィリア王国が滅んだという話をお聞き及びでしょうか」
「なんでも近衛や国軍や貴族軍の兵が次々に行方不明になり、周辺国に攻め込まれたときには、住民すらいなくなっていたという奇怪な出来事であったそうだな」
「それが、どうやらその男の行動によるものだったそうなのです」
「なんと……」
「かの男がカルマフィリア王国王都で商いを始めたところ、その財物を狙って近衛や国軍が襲撃をかけて来たそうなのですが、それをことごとく『てんい』の魔法で捕縛してダンジョン国の牢に入れたとか。
また、その隙を狙って周辺国が侵攻して来た際には、やはり『てんい』の魔法で住民をダンジョン国に避難させたそうです」
「そのダンジョン国の規模は如何か」
「は、面積は我が国の100倍、人口は9万と申しておりました……」
「そ、そのような大国の王が我が国に興味を持ったと申すか!」
「はい……
ですがかの男はこうも申しておりました。
ダンジョン王国は自ら他国を攻めることは決してしないと。
ただ、攻められたときは容赦はしないそうでして、我が国が栄えるか滅ぶかは我が国次第と……」
「そなたの判断を問おう。
そなたはその男が申すことを真だと思うたか」
「はい、間違いなく……」
「それは何故か」
「まずはあの魔法の力でございます。
その男は商業ギルドからの依頼による冬の炊き出しのための食料供出を即座に了承したばかりか、私共の倉庫に100石もの穀物を置いていきました。
それも何もないところから取り出して」
「なんと……」
「さらにはかの国の財を見せつけられたからにございます」
「どのような財であったのか」
「それではお許しを頂いて、控室にある特別献上品をお持ちしてもよろしいでしょうか」
「もちろん許す」
宰相が執事を見やると、執事はすぐにドアを開け、大きなワゴンに乗せられた品々が運び込まれて来た。
「まずはこの『おーるどぐらす』をこのようにお試しください。
3種類のうち、どれかはお目に合うはずでございます」
「な、なんだこれは!
なぜこのように近くの物がはっきり見えるのか!」
「理由については皆目見当がつきませぬ。
ただ、細かい字も鮮明に見えるのは事実でございます」
「わかった。
それからこれはなんだ?」
「そちらは植物から作られた『かみ』というものだそうです。
そちらの『ぼーるぺん』を使うと実に細かい字が書けます」
「お、おお……
なんと書きやすい……」
「それからこの茶器をご覧ください。
わたくしも長年茶を喫して参りましたが、このように美しい茶器は初めて目に致しました……」
「ふむぅ……
この茶器はなぜこれほどまでに薄く出来ておるのだ。
それに内側が真っ白ではないか。
しかも外側には色絵や金銀の装飾まで……」
「あの、わたくしの長男を呼び、この部屋で茶を淹れさせて頂いてもよろしいでしょうか」
「ん? もちろん構わんが、湯を持たせるのか?」
「いえ、この箱は『まどうぐ』でありまして、水を出すことと湯を沸かすことが出来ます」
「なんと…… 伝説の『まどうぐ』までもか……」
執事に呼ばれて会頭の長男が入室して来た。
宰相に目礼した後は部屋の隅で紅茶を淹れ始めている。
かなり練習したのか、その手つきは慣れたものだった。
宰相閣下は時折その様子をチラ見している。
「このように、かの国には凄まじいばかりの財がございました。
そして、何よりも驚かされたのは、その男が『遠征病』と『貴族病』の原因と治療法を知っていたことだったのです。
特効薬すら所持しておりました」
「な、なんだと!
なぜそれを早く言わん!
そなたもエルメリア第2王女殿下のご病気のことは知っておろうが!」
「どうかお待ちくださいませ閣下。
何分にも、治療院の医官たちですら知らなかった治療法でございます。
その原因と特効薬の効き目もまだ定かではございませぬ」
「だがそなたのことだ。
すでに試しておるのだろう」
「はい、実は昨日私自身が特効薬を飲みましたし、私共の従業員が『遠征病』と『貴族病』で10名ほど臥せっていたものですから、彼らにも薬を与えました」
「そ、それでどうだったのだ」
「かの男が申すところによれば、その薬は毎日1錠、7日に渡って服用せよとのことだったのですが……
昨日は身動きすらままならず、脚も腫れ上がっていた重篤患者が、今日は歩けるまでに回復しておりました」
「なんと……」
「わたくし自身も、『遠征病』と『貴族病』の初期症状を覚えておりましたが、今ではすっかり無くなっておりまして、脚も元通りの状態に戻っております」
「ま、真か!」
「ただ、その男は我ら全員に治療魔法もかけております。
その魔法の効果もあったのかもしれませぬ」
会頭の長男が紅茶を淹れ終わり、宰相閣下と会頭の前に運んで来た。
「よろしければ、お好きな方をお取りください」
「なんという素晴らしい香りだ……
それにまるで宝石のような色でもある。
う、旨い……
こ、このような茶が存在したのか……」
「こちらの砂糖と牛の乳も入れてみていただけませんか。
また違った味わいが楽しめます故」
「これは砂糖か。
なぜこのように白いのか……」
「これもかの国の特産だそうでございます」
「こ、これも旨い……
かような飲物があったとはのう……
ところでミルシュよ。
その特効薬は如何ほどで贖ったのか」
「それが…… 特効薬は無償だったのです」
「なんだと……」
「かの男が申すには、ダンジョン国では人の命に関わるもので利益を上げることは禁じているとのことでした」
「な、なんと……
一粒金貨1枚と言われても大陸中の王侯貴族が競って買い求めるはずであろうに……
そ、その特効薬は持って来ておるのか!」
「はい、こちらに……」
「これほどまでにたくさんの妙薬が……
よし、わしも一つ試してみようぞ」
「そ、そのようなこと……
毒味役を呼ばれたらいかがでしょうか」
「なに、どうせ老い先短い命よ。
姫様の毒味役が出来るとあらば恐悦至極。
それにしても不思議な紙に包まれておるの……」
「お試しになられる際は、噛まずに口中で舐めていただけますでしょうか」
「な、なんだこれは!
なぜ甘いのだ!」
「薬効成分だけだと飲みにくいそうで、砂糖も混ぜて固めてあるそうでございます」
「なんという贅沢な……
これを無料で渡したと申すか……」
「はい……
先ほど『何故その男の申すことを信じたのか』という御下問を頂戴いたしましたが、あの魔法とこれらの財を見て信じましたのでございます」
「こ、こうしてはおられん!
そなたはここでしばし待てっ!」
「はっ」
しばらくの後、宰相の執務室にワイズ国王ウンゲラルト・フォン・ワイズその人が護衛を一人だけ連れて入室してきた。
その護衛はかなりの高齢であり、また左腕の肘から先を欠いているようだ。
ミルシュ会頭は跪いて深く頭を垂れた。
「苦しゅうない、面を上げてその椅子に座るがよい」
「ははぁっ!」
「ミルシュ会頭、宰相に語った話をもう一度最初からわしに語ってくれ。
その茶も頼む」
「はっ!」
国王は会頭の語る話を黙って聞いていた。
表情が変わったのは、紅茶を口に含んだときのみである。
30分ほどで会頭の説明は終わったが、そこからの王の質問は長かった。
途中の軽食も挟みながら、王は2時間近くも微に入り細を穿って話を聞いていたのである……