*** 139 第2形態 ***
国王陛下が真剣な表情になった。
「それからもうひとつお願いがございまして、わたしにアルスのビャクダンを売って頂けませんでしょうか」
「もちろん構いませんが」
「わたくしの父であり、国民にも非常に敬愛されていた前国王のラーム9世プミポン陛下は実に質素な生活をされていらっしゃいました。
ですが、唯一のご趣味が仏像彫刻でして、我が国最高の仏師に弟子入りされて彫刻を学んでおられたのです。
中でもビャクダンの木を使った彫刻がお好きでした。
ですが、この国でももうビャクダンの木は非常に希少かつ高価になっていますので、いつも小さな木片で御仏を彫っておられたのです。
今、前陛下の霊をお慰めするために、王宮の敷地内に寺院を建立する計画があるのですか、その内部をビャクダンの木で装飾させて頂きたいと思いまして……」
「畏まりました。
今度試しにビャクダンをお持ちしますのでご覧になっていただけますでしょうか」
「よろしくお願いいたします……」
(シス、例の銘木地帯を探して、3番目ぐらいに大きなビャクダンの木を見つけておいてくれるかな)
(伐採致しますか?
それとも根の周りの土ごと採取しておきましょうか)
(そうだな、取り敢えず土ごと採取してストレーの倉庫に保管しておいてくれ)
(畏まりました)
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
3つの台風は無事過ぎ去っていった。
チャオプラヤー川の水位も9つの大型ダムの水位も、完全に安全域に戻って安定している。
タイ王国政府は公式に『洪水危機終息宣言』を出し、避難していたバンコク市民たちも続々と自宅に戻っているそうだ。
「ところでストレー、今お前の収納庫にはどのぐらいの量の水があるんだ?」
(およそ330憶立方メートルでございますね)
「マジかよ……
それって日本最大の徳山ダムの総貯水量の50倍以上だぞ……」
(あの9つのダムの総貯水量だけで約250億立方メートルございましたし、それ以外にもチャオプラヤー川の水もございましたので)
「ま、まさかストレー、お腹壊したりしてないよね……」
(あははは、大丈夫でございますよ)
「そ、そうか……」
(現在『クリーンの魔道具』によって水と土砂などを分離していますので、最終的に水の量は300憶立方メートルほどになるでしょう)
「さ、300億トンの水か……
これでもうダンジョン村も当面水には困らないな」
(アルスの河川からも200億トンほど水を汲み上げておきましょうか?)
「ま、まあ生態系を壊さないようにゆっくりな」
(畏まりました)
「ところでシス、金の精錬はどれぐらい終わったんだ?」
(今は1万トンほどでございます)
「それじゃあそれ、ストレーの収納庫に入れておいてくれ」
(はい、ところでインゴットの大きさは皆5キロでよろしいですか?)
「ん? なんでだ?」
(タイ王国で一般国民に売り出すには、1キロインゴットの方が売りやすいかと思いまして)
「なるほど、確かにそうだな。
それじゃあ半分は1キロインゴットにしてくれ。
それから仏像の刻印も頼む」
(畏まりました)
「ナイスアイデアをありがとう」
(お褒めに与り恐縮です)
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
数日後、アスラ姿になった大地はタマちゃんやスラくんと共にまた王宮の謁見室を訪れた。
部屋には4人の男たちが座っている。
国王陛下は大地を台座に座らせ、自らは台座から降りて端に座った。
大地は結跏趺坐を組んで中央に座る。
(こういうとき『柔軟』のスキルは便利だな♪)
「それではアスラさま、我が国の首脳たちをご紹介させて頂きます。
まずは首相のオーナント・ガーナンでございます」
「首相を務めさせていただいております、オーナント・ガーナンでございます。
この度は我が国をお救いくださり、誠にありがとうございました」
首相が平伏した。
(略すと『オーガ』かよ……
そういやあ角が無いだけでオーガ族みたいな体格だな……)
「次は国防相のゴルーシー・ブリンワットでございます」
「ご拝謁の栄誉を賜り恐悦至極にございます、アスラさま」
(略すとゴブリン……)
「次は国軍総司令官のライル・プトルーロンでございます」
「このたびは本当にありがとうございました」
(こんどはラプトルか……
たしかにちょっと爬虫類っぽい顔だわ……)
「最後は財務大臣のアライル・クネルーランでございます」
「数百億ドルにも及ぶ被害の可能性があった大災害を防いで頂き、御礼の言葉もございません……」
(アラクネかよ……
いったいどうなってるんだタイ人の名前は……)
全員が大地の前で平伏していた。
「皆の者、こちらにおわすお方さまこそが、天界よりの御使いさまであらせられるアスラさまである」
「「「 ははぁっ! 」」」
「みなさまどうか面をお上げください。
国王陛下、失礼して楽な姿勢にさせていただいてもよろしいでしょうか」
国王が微かに微笑んだ。
「御意のままに……」
大地は結跏趺坐の姿勢のまま30センチほど宙に浮いた。
背中にも少し力を入れて後光を発し、さらに第2形態に移行する。
その場に、光りながら浮く阿修羅の姿が現れた。
目の前の人物たちの目が真ん丸になり、手が震え始めている。
「失礼ながら、この本来の姿の方が楽なものですから」
「「「 うははぁぁぁぁぁぁぁ―――――っ! 」」」
(うーん、これまるでみんなの信仰心を利用した詐欺みたいだよなぁ。
でも迷惑はかけてないし、水害を防いだのも事実だし、まいっか……)
「実はアスラさまは、今回大水害を防いでくださっただけではないのだ。
死の床に臥していた我が孫シリンスーン姫をお救い下さるために、天の妙薬までお持ち下さったのである」
「「「 おおおおお…… 」」」
「そして、誠に有難いことに、アスラさまは我らにご要望を下された。
そのご要望とは、お釈迦さまの命によりアスラさまが衆中をお救いになろうとされていらっしゃる別の世界のために、光栄にも我がタイ王国で食料を調達なされたいとのことなのである。
この際に、代金として天界より金塊が下賜されるそうである」
「「「 !!! 」」」
「わたしは、サイアムグループを使い、このご要望に全力で応えたいと考えているが、そなたたちにも全面的な協力を要請したい」
「「「 ははぁっ! 」」」
「まずは財務大臣、アスラさまが天界から持ち込まれる金について、よもや税などかけまいな」
「はっ! そもそも我が国では宗教法人はその業務の範囲内であれば非課税でございます!
ましてや天部のお方様であらせられれば、非課税は当然かと!」
「うむ。
それから首相よ」
「ははっ!」
「アスラさまはその食料のご購入に当たり、我が国の食料価格を高騰させることはお望みではない。
豊作によって価格が下落傾向にある農産物のみを、野菜や乳製品なども含めていくらでもご購入下さるそうだ。
もちろん、天界に於いては食物は腐ることがない。
そなたには、政府の食料価格管理局に対し、アスラさまのご要望に出来るだけ沿えるよう指示を出すことを期待する」
「ははっ、畏まりましたっ!」
「また、天がお救いになられようとしている異世界の銘木のご売却の御意向もあるそうだ。
林業調整局に命じて、アスラさまのご意向に沿ってほしい」
「ははぁっ!」
「アスラさまとの連絡係として、こちらにいるスラークン・イムチャンロンを任命した。
なにか相談事があれば、この者に連絡せよ」
「「「 ははっ! 」」」
「以上、我が国が今回天より受けた御恩を、少しだけでもお返し出来ることを期待する」
「「「 うははぁぁぁぁぁぁぁ―――――っ! 」」」
(な、なんかすげぇことになってきたぞぉ……)
政府首脳たちが退出すると、サイアムグループの首脳たちが入室してきた。
40代から60代の男性4人と女性1人である。
その全員が、謁見室に入ったところで、宙に浮く第2形態の大地を見て硬直している。
執事に促されて皆が座るころには、5人とも手を震わせながら泣いていた。
「皆も噂は聞いておるだろう。
こちらにおわすのが、天界より我がタイ王国を救われるためにおいでくださったアスラさまである」
「「「「 うははぁぁぁぁぁぁ―――っ! 」」」」
その後は5人の紹介が行われた。
サイアムグループ総裁、ミノタールン・ウロスポン
サイアムグループ金取引部門長、リザードパック・マンムオルン
サイアム食料部門長、ハーレイルン・ピーコッタ
サイアム木材部門長、フォレストイーチ・ウルフンぺン
そして最後に、
サイアム銀行の女性頭取、サキューシック・バスカオルン
である。
(ミノタウロスにリザードマンにハーピーにフォレストウルフにサキュバスかよ……
このタイじゃ、こういうモンスター系の名前じゃないと出世出来ないんか?)
「アスラさまは、わがタイ王国をお救い下さったのみならず、また別の世界も大々的に救われようとしておられる。
そこで、天界より下賜される金塊にて、食料などをお買いになられたいとのご意向である。
また、その異世界産の銘木も売られたいとのご要望もお持ちだ。
アスラさまは、その際に、金価格の下落や食料品価格の高騰が起きることはお望みではない。
それら不必要な価格の上下が起きぬようにしつつ、出来るだけアスラさまのご意向に沿うことを国王として要請する」
「「「「 ははぁっ! 」」」」
「尚、そなたたちは、こちらのアスラさま担当のスラークン・イムチャンロンの指示に従い、必要とあらば連絡を取るように。
スラークンの事務所はこの王宮内に準備する」
「「「「 ははっ! 」」」」
「みなさんありがとうございます、これからよろしくお願いいたします」
「「「 こちらこそよろしくお願いいたしますっ! 」」」
「それではまず最初に金塊をお預けさせて頂きたいのですが、どちらかに金庫のご準備をお願いいたします」
「畏れながら、それでは私共サイアム銀行に王族様ご専用の金庫室がございますので、そちらでよろしいでしょうか」
「ありがとうございます。
それでは今からお伺いしてもよろしいでしょうか」
「もちろんでございます。
その金庫室は王宮の敷地内にございますので」
ということで、大地は第1形態に戻り、皆と一緒に金庫室に向かうことになったのである。
驚いたことににこにこした国王陛下もついて来た。
その建物は国軍によって厳重に警備された建物の中にあった。
どう見ても1メートル近い厚さの鉄筋コンクリートに囲まれた建造物である。
3重のセキュリティチェックを潜った後の出納場の奥にその金庫室はあった。
今回大地に割り当てられた広大な区画は、どうやら前国王ラーム9世の区画のようである。
「それでは金はここに出せばよろしいのですね?」
「は、はい……」
皆、大地が何も持っていないために不思議そうな顔をしている。
(ストレー、ここにまず1キロインゴットの棚を出してくれ)
(はい)
大地が指さした場所に、大きな棚がいくつも現れた。
そこには実に100万本の金の1キロインゴットが納められていたのである。
「「「「「 !!!!!!!! 」」」」」
さらには、20万本の5キロインゴットが納められた棚が出現した。
もはや国王陛下以外の全員が腰を抜かしている。
陛下はドヤ顔をしていて嬉しそうだ。
「えー、こちらには1キロインゴットが100万本と、5キロインゴットが20万本、併せて2000トンの金がございます。
よろしければ、実際の取引が始まるまでに数量や重量、純度などの確認をお願い出来ませんでしょうか」
「い、1000憶ドル相当の金……」
「世界の年間採掘量の半分以上の金……」
「わはははは、もしもこの金を一気に食料に換えたとしたら、国民がみな飢え死にしてしまうの。
皆の者、御取引は急がず慎重にの」
「「「「 は、はい…… 」」」」
1か月後、タイ国内に於いて、ありがたい仏様の刻印が付いた天界産の金の1キロインゴットが発売された。
その際にはタイの富裕層がどっかんどっかん押し寄せて来たそうである。
皆、資産というよりはお守りとして買ったらしい。
ありがたいお守りであると同時に、イザというときには換金も出来る最高の品だけあって、その売れ行きは凄まじかったそうだ。
また、どうやら世界中の研究機関から、あの仏像を調査させて欲しいという要望が殺到しているようだ。
だがもちろん、タイ王国政府の回答は、『我が国の最高国宝をどのように調査されるというのですか? まさか分解されるとでも仰られるのですか?』だった。
おかげで、12の魔道具にはそれぞれ1個分隊の国軍の護衛が付くらしい。
兵たちにとって、これは最高に名誉な任務であり、この仕事は各師団で奪い合いになっているそうである。
そして、その後すぐに1つの仏像と11の天部像を巡るツアーが大流行することになる。
それらの像の上にはすぐに壮麗な屋根が建設され始め、周囲の土地も整備されて王室直轄の寺院とされていった。
また、各地を繋ぐ道路の建設も始まり、宿泊施設なども完備されていくことになる。
そのうち、バスによるツアーでなく、これらの寺院を徒歩で巡るお遍路さんのような行いも大流行していく。
タイ国民が生涯に一度は参加すべき巡礼行事となるようだ……
静田物産は木材運搬専用船を購入し、タイ王国から日本へ主に檜の巨木を運んで行った。
これらの木はもちろん大地が出資した製材会社を通じて売られ、日本中の神社仏閣の修理に使われて行ったのである……