*** 138 商業取引 ***
カメラが魔道具脇の堤防にパンした。
そのカメラが捉えたものは……
色彩豊かな法衣に身を包んだ、たいへんな数の僧侶たちだった。
近隣の寺はもちろん、かなり離れた場所からも続々と僧侶たちが集まって来ているらしい。
さらに堤防の下には、これも多くの市民たちがいた。
皆両手を合わせて頭を下げ、一心に僧侶たちの経に唱和している。
空は黒い雲に覆われて周囲は既に暗くなり始めていたが、光り輝く魔方陣はその中でもくっきりと浮かび上がっていた。
その光景は不思議な光景でもあった。
市民たちは、全員仏像の背中に向けて祈っていたからである……
画面が切り替わった。
今度の映像は、アユタヤ大工業団地の水門前に設置された梵天の像と、その前に展開された魔方陣を映し出している。
こちらにも多くの僧侶や市民が詰めかけていた。
さらにはナン川とピン川の合流点のすぐ下流にある帝釈天像も映し出された。
こちらは僧侶や市民の数こそ少なかったものの、渦巻く濁流が一気に魔方陣に吸い込まれて行っているだけあって、映像としては最も迫力があった。
そうして、更には4個所のダムの天部像も紹介されていったのである。
それはまるで、お釈迦様に率いられた天部の軍団が、タイ王国をお救い下さるためにご降臨下さっているかのように見えたのだった……
国王への報告を終えた大地は、途中で『変化』の魔法を解除してスラくんやタマちゃんと共にホテルに戻った。
そうして、また豪勢な夕食を頂いた後は、ホテルにスラくんを残してタマちゃんとストレーくんの時間停止収納庫に移り、入浴もしてぐっすりと寝たのである。
充分な休息を取った大地は、またアルスに戻って日常のルーティンを熟し、アルスが午後になるとまた地球に転移して行った。
山小屋からタイのホテルにいるスラくんに電話を入れて、すぐにタイのホテルのプレジデンシャルスイートに転移する。
「国王陛下よりの伝言がございます。
恐縮ですが、いつでも陛下の執務室においでくださいとのことでした」
大地は時計を見た。
タイの現地時間はまだ朝の7時である。
「それじゃあ朝食を頂いたらお邪魔しましょうか」
スラくんは2か所ほど電話を入れていた。
ホテルのフロントと王宮に連絡したのだろう。
まもなくスイートルームにはコンチネンタルスタイルの朝食が3人前届けられた。
実に美味しくかつボリューミーな朝食を頂くと、大地たちはまた歩いて王宮に向かう。
陛下の執務室に案内されると、敷物に正座した国王がまた深々と頭を下げていた。
「あの…… 陛下、もうそのような儀礼は……
ご無礼ながら我々はダンジョンマスター仲間でございますので」
国王陛下は晴れ晴れと微笑まれた。
「そうでしたな。
それでは失礼ながら、我々しかいないところでは、元ダンジョンマスターと現ダンジョンマスターということで……
わたしのことはワトラーとお呼びください」
皆はソファセットに移動した。
タマちゃんは大地の頭の上から降りて伸びをしている。
「台風15号プラピルーンが予想通りベトナムに上陸しました。
このまま行けば今夕には我が国の東北部に達して、そこで温帯低気圧になるでしょう。
ヨォン川の水量が増すために、上流のワトラー・ロンコーン第2ダムの放水を行わねばなりませんが、ダイチ殿のおかげで下流のワトラー・ロンコーン第1ダムの貯水量が80%まで低下しています。
さらにチャオプラヤー川の水位も決壊水位の60%にまで低下して、警戒水位すら下回っていますので、もはや大水害の危険は脱したと思われます」
「ですが念のためワトラー第2ダムや他のダムの吸水も始めましょう。
シス、昨日設置した5か所の魔道具を稼働させてくれ。
併せてダムの堰堤強化と浚渫もだ」
(畏まりました)
「なんと……
堰堤の強化と浚渫までしていて下さったのですか……」
「ええ、まあその方がいいでしょうから」
国王陛下が微笑んだ。
「これでますます貴殿のご功績が増えましたな。
ところで実はダイチ殿に重ねてのお願いがございます」
「なんでしょうか」
「昨日コボイル・ルトローン司令官から報告を受けたのですが、ダイチ殿は台風が全て通過した数日後には、あの魔道具を撤去されるとのこと」
「ええまあ、あんな堤防の上やダム横に置いておいても邪魔でしょうから」
「邪魔などとはとんでもない。
もはやあの仏像と天部像はわが国民たちの最高の信仰対象になっております」
「は、はあ……」
「もしもよろしければ、あの像はあのまま安置してやって頂けませんでしょうか。
我が国の最高国宝として指定させて頂きたいのです」
「それはまあ構いませんが。
それにまた洪水の危険が迫ったときに再度設置する手間も省けますね。
わかりました、あの魔道具はそのままにしておきましょう」
「ありがとうございます。
あの像の周囲にはすぐに像を囲む寺も建立されることでしょう」
「も、もう少し通行の邪魔にならないところに置けば良かったですかね」
「いえいえ、周囲に新たに道を作り直せばいいだけのことですから」
「そ、そうですか……
あ、ところで川やダム湖から吸い上げた水はどうしましょうか。
今収納庫内で土砂を取り除いて、飲用に適した水にしているところなんですが」
国王陛下が微笑んだ。
「それはダイチ殿がご自由にお使いくださいませ。
棄ててしまわれるのもよいでしょうし、アルスでご任務に使われるのもよいでしょう」
「ありがとうございます」
「ところでダイチ殿。
貴殿は私共王族の一員の命をお救い下されたのみならず、我がタイ王国を大災害からもお救い下されました。
もしも大洪水が起こっていれば、その被害額は2011年の水害を超えて800憶ドル(≒8兆8000億円)に達していたとの試算もございます。
これほどまでの御恩をどのようにしたらお返し出来るものなのでしょうか……」
「いえまあ、あまりお気になさらずに。
わたしにはたまたま優秀な仲間たちがいただけのことですから」
(( えへへへへ…… ))
「それにしても、なにか私共でお役に立てることはございませんでしょうか」
「ありがとうございます。
それでは僭越ながら、もし御迷惑でなければご助力を頂戴出来ないかと考えていることがございます」
「おお、是非とも教えてくだされ」
「まず、我々はアルス中央大陸のダンジョンの一部を『モンスターの出てこない村』にしまして、現在村民を集めているところなんです。
もちろんそれに合わせて農地も拡大しているのですが、農業生産が軌道に乗るまでの食料を必要としているのですよ」
「ということは、食料のご提供ということですかな」
「いえ、実はアルス中央大陸で砂金の採掘に成功したんです。
それで、その金を売ったお金で食料を買わせて頂けないかと思いまして」
「参考までにお聞かせください。
ダイチ殿は如何ほどの量の金を手にされたのですか」
「今現在で20万トンほどになります」
「な、なんと……
人類が今まで数千年かけて採掘して来た金の総量を上回ったと仰られますか!」
「ええ、夢中で採掘していたらいつの間にか」
「た、確かアルスには金属資源が少なかったはずなのですが……」
「確かに通常の地殻中には少ないんですけど、マントル層には地球と同じ比率で金属があるんです。
それで1億年ほど前に大噴火を起こして形成された火成岩性山脈が、急流で削られて自然金の沖積鉱床を作っていたのを発見しました。
後は海水中の金を採取する魔道具も開発しましたし」
「ふう、それはそれは……」
「ところがですね、今の日本では大量の金を売却しようとすると、脱税容疑で税務当局の査察が入ってしまうんです。
さらに、場合によっては反社会的勢力のマネーロンダリングを疑われて、警察当局の査察まで入ってしまうそうですし。
それにこれはあくまでアルスで得た金ですし、その売却によって得た資金はアルスのために使いたいですからね。
日本で税金を払いたくなかったんです」
「なるほど」
「それから、今手に入る単位価格辺りもっとも栄養価の高い食料は、養豚肥育用の配合飼料なんですけど、日本ではこの飼料が国策によって補助金の出る統制価格制度の下にあるんです。
ですからあまり大量に買うことも出来ないんですよ」
「よくわかりました。
アルスの金を地球で税金を払うことなく売却し、その売却代金で穀物をお買いになりたいということですな」
「はい。
あ、あともう一つ。
アルス中央大陸で銘木の原生林を見つけたんです。
ですが、日本ではもはや巨木の伐採は認められていないものですから、『収納の魔道具』で持ち込んでも売れないんです」
「ふむ、どのような銘木ですかな」
「ウォールナット、チーク、マホガニー、タガヤサン、ビャクダンなどですね」
「そ、それもたいへんな財産ですな……」
「ですから、ここタイに持ち込んで、タイ国内で伐採させて頂いたことにして売りたいんです。
もちろんその売却資金で食料を買わせて頂き、アルス中央大陸の住民たちに食べさせてやるためですが」
「ところで、そうした金や木材の売却代金ですが、やはりドルでのお支払いをご希望でしょうか」
「いえ、ドルでもタイ・バーツでもどちらでも構いません。
ですから、バーツ高にお困りの際はドルでお支払いいただいて、逆にバーツ安でお困りの際はバーツで頂戴するというのは如何でしょうか。
そのときにはドルをバーツに換金しても構いませんし」
「なんと…… まるで中央銀行の為替安定化基金のようですな……」
「はは、同じようなものですね。
それから、食料を売っていただく際も、常に一定量でなくとも結構です。
豊作の農産物は値崩れしないように大量に買わせて頂いて、価格が高騰している作物は購入を控えましょう。
なにしろ我々には『時間停止収納庫』がありますので、例え生鮮食品でもいくらでも保存出来ますから」
「ははは、それもまるで政府の食料価格安定化基金のようですな」
「まあ、出来るだけご迷惑が掛からないように取引をさせて頂きたいですから」
「それではまずわたくし個人の資金で金を10トンほど買わせて頂けませんでしょうか。
お支払いはドルとバーツ半々ということで」
「よ、よろしいのですか?」
(時価で550憶円かよ……)
「もちろんですよ」
(さ、さすがは全世界の王族で最も裕福と言われるタイ王室だわ……
なんせ、土地も含めれば総資産は4兆円近いそうだし……)
「それから、わたくしからもお願いがございます」
「お聞かせください」
「手始めに1億ドル(≒108憶円)、ゆくゆくは10億ドル相当の農産物を寄付させて頂きたいのですが、それらをアルス北大陸のダンジョンマスターに届けてやって欲しいのです……」
「!!」
「今のわたしには、あの大陸にしてやれることはそれぐらいしかありませんので……」
「ねえタマちゃん、中央大陸担当の俺が北大陸を助けてやることって出来るかな?」
「にゃ、もうこうやって地球でも活動してるからにゃあ。
ツバサさまも反対はしにゃいにゃろうし、神さまも許してくれると思うにゃ」
「それもそうだね」
「『毒を喰らわば皿まで』だにゃあ♪」
「タマちゃん……
それって、元々は、『いったん悪事に手を染めた者は、どんどんと悪にのめり込んでいく』っていう意味だからね。
俺、悪事を働いてるわけじゃないから」
「にゃはははは、それもそうだにゃ♪」
「ははは。
それではわたしからいくつかご提案がございます」
「是非お聞かせください」
「まずは台風がすべて過ぎ去った後に、我が国の政府首脳たちとご面談頂けませんでしょうか。
実は、あの仏像や天部像を下された天の御使いさまに会わせてくれと、首相を始めとする大臣たちから矢の催促でして。
まあ、今は国難が過ぎ去るまで待てと言って抑えているのですが」
「もちろん構いませんよ。
これから取引でもお世話になるでしょうから」
「その際にですな。
…………という行動はいかがでしょうか」
「はは、なるほど」
「その後はサイアムグループの幹部たちもご紹介させて頂きたく思います。
サイアムはほとんどが王室の出資で作られた国策会社でして、金の取引から食料の取引まで幅広く行っていますので」
「よろしくお願いします……」
(さすがはタイ王室だわ……)