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*** 129 王太子 ***

 


 数日後、王宮の謁見室には5人の大商会会頭たちの姿があった。


 正面のきざはしの上の玉座は空だったが、その前のソファにはぶくぶくに太った男が座っている。

 この壮年に差し掛かりつつある男こそが、ミハイオール・ゲム・カルマフィリア王太子だった。


 表向きは未だ王太子であるという理由で、実際にはその超肥満体が玉座に収まりきらないために、巨大なソファに座っている。

 さすがに身長よりも腹回りの方が大きい体では、普通の椅子には座れないのだろう。

 実はそのソファには4本の丈夫な棒が付いていて、王太子は8人の召使に担がれて城内を移動していた。



 王太子の両脇には、近衛部隊の将軍である伯爵と宰相である法衣侯爵が立ち、謁見室の両側には2人の領地伯爵と7人の子爵が立っている。

 あと2人ほど伯爵と子爵がいたはずだが、何故か今はいない。


 王太子は皿に山盛りにされた〇コナッツサブレをボリボリと食べていた。

 その手を休めて横に上げると、侍従がその指を布で拭き、侍女が大きなスプーンで掬った紅茶にふーふー息を吹いて冷ましてから飲ませてやっている。

 どうやら指が太すぎてカップの取っ手に入らないらしい。


 侍従長である法衣伯爵が王太子の口元に耳を寄せた。


「苦しゅうない、もそっと近こう寄れ」


 伯爵が背筋を伸ばし、5人の商会会頭に向き直った。


「畏れ多くも王太子殿下におかせられては、『苦しゅうない、もそっと近こう寄れ』と仰せである」


「「「「「 うははぁ―――っ! 」」」」」



 もちろん王太子が言った言葉は全員に聞こえていた。

 だが、それには決して返事をしてはならないのである。

 なぜなら、王族たる貴顕は決して平民などとは会話をしないのだから。

 これぞ神聖にして厳かなる究極の宮廷作法であった。


 尊敬を求め過ぎた馬鹿が極まると、こういう作法が生まれるのである。

 そういえば、日本でも平安時代からつい最近まで似たような宮中作法があったらしい。

 上位貴族以外とは直接会話しないのはもちろん、御簾越しにしか面談せずに顔を見せないとか。

 対人恐怖症か?

 どうも地球の王族皇族は、収奪者としての側面が強いほどこうした『作法』に拘るようだ。

 きっと、深層心理の恐怖や自己嫌悪の裏返しなのだろう。


 閑話休題。


 5人の会頭たちが膝立ちのまま王太子ににじり寄ると、その10メートル手前で近衛の将軍が手で制し、会頭たちはぴたりと停止した。


 また王太子が侍従長に語る。


「この美味なる菓子と茶の献上、大義であった」


「王太子殿下におかれては、『この美味なる菓子と茶の献上、大義であった』と仰せである」


「「「「 あ、ありがたき幸せにござりまするぅ! 」」」」



「奏上の儀を申せ」


「王太子殿下におかれては、『奏上の儀を申せ』と仰せである」


「「「「 ははぁぁっ! 」」」」


「さ、先ごろダンジョン国のダンジョン商会なるものが、王太子殿下のしろしめすこの王都内にて商品を販売いたしました!」


「その中には、このたび献上申し上げました『水の魔道具』もございましたのです!」


「やつらめが法外な値を付けましたのでございますが、我ら一同がどうにか買い取り、殿下に献上させて頂いた次第にございます!」


 侍従長が会頭たちの話を繰り返して殿下に伝えている。



「ふむ、水の魔道具とやらか。

 水など侍女に申しつければいくらでも持ってくるのではないか?」


「王太子殿下、殿下のような貴顕の方にはまったく必要のないものでございますが、領地持ち貴族の一部にとっては垂涎の品かと。

 なにしろ水無き荒れ地を農地に出来ますれば」


「そういうものか」


「これを領地貴族に貸し出せば、さらなる税を献上して参りますことは間違いございません。

 また、魔道具なるものは、旧ミドランド王国の宝物庫にもございまして、現在は唯一ノザリア帝国の宝物庫に保管されております。

 我が国も魔道具を手に入れたと分かれば、イスタリア王もウエスタリア王も、さぞや口惜しがることでございましょう」


「あいわかった。続けよ」


 さすがは侍従長である。

 万が一にも平民共が殿下をご不快にせぬよう、上手く切り抜けている。

 もっと平たく言えば馬鹿の扱いが上手い。


「王太子殿下におかれては、『続けよ』と仰せである」


「ははぁっ!」


「ところが、その魔道具以外にもその商会は『アイテムボックス』を所持しておりまして、金貨1000万枚などという法外な値をつけていたのでございます」


「この魔道具は実に危険な品でございまして、巨大な倉庫に匹敵するほどの品を収納出来るのみならず、兵士1万もの軍勢も収納出来るのであります!」


「もしも万が一この品をノザリア帝国などに売られてしまえば……

 かの国の密偵がそのアイテムボックスに兵1万を潜ませたまま我が国に侵入し、卑怯にも奇襲攻撃をかけてくることが懸念されるのでございます!」


「この上は、どうか王太子殿下さまのお力でかの商会を接取し、併せて危険な商品も没収下さいますよう、伏してお願い申し上げる所存でございまする!」


 侍従長がまた商会長たちの話を繰り返した。


「あいわかった。

 それではその商会の保有する魔道具を余が全て禁制品に指定する。

 ところで侍従長よ。この焼き菓子や茶もその商会が齎した物か?」


「そのようでございます」


「よし、この焼き菓子も茶も禁制品に指定せよ」


「ははっ!」


「近衛将軍」


「ははぁっ!」


「近衛軍に命じてその商会を接取し、禁制品を没収せよ。

 特に焼き菓子を優先するのだ」


「うはははぁっ!」


「平民どもよ、奏上大義であった」


「王太子殿下におかれては、『平民どもよ、奏上大義であった』と仰せである」


「「「「 うはははぁ―――っ! 」」」」




 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 翌日。


「侍従長を呼べ」


「ははっ!」


「ただいま参上いたしました」


「侍従長よ、焼き菓子はまだか」


「そ、それが……

 昨日かの商会接取のために派遣した近衛大隊300名が、未だに誰一人として帰還していないのであります……」


「なんと、まさか近衛どもがあの焼き菓子を喰ろうておるのではあるまいな!」


「そ、それは……」


「今一度、近衛の残り全軍と王都衛兵隊を派遣して、焼き菓子を接取させるのだ!」


「ははっ!」



 その日の夕方。


「侍従長よ! 焼き菓子はまだか!」


「そ、それが……

 近衛隊の残存200名と王都警備の衛兵250を向かわせたのですが……

 やはり誰一人として帰ってこないのでございます……」


「ええい!

 各貴族家に命じて領兵を出させろ!

 一刻も早く焼き菓子を持って来させるのだっ!」


「は、ははっ!」




 翌朝。


「菓子は…… 焼き菓子はまだか……」


「各貴族領兵合計200も行方不明となりました……

 中には男爵4名、子爵2名も含まれている模様でございます」


「な、なんだと……」


「各貴族家からも、領兵の所在を求める問い合わせが殺到しておりまして、殿下へのご面談を待つ者が12名ほど……」


「よ、余は気塞ぎの病で寝込むぞ!

 き、貴族共は追い返せっ!」


「仰せの通りに……」



 その晩、シスくんによって王城内の宝物庫と食糧倉庫が空になった。

 もちろん襲撃の賠償金の徴収である。


 城内は大騒ぎになったが、無論王太子殿下にこのことが伝えられることは無かった。

 唯一この事実を伝えられる者がいたとすれば、それは近衛将軍と侍従長の法衣伯爵のみであっただろうが、近衛将軍は既にダンジョン商会で行方不明になっており、侍従長も責を問われるのを恐れて、既に逐電していたからである……



 そうして、この騒ぎこそが、後の世に『焼き菓子に滅ぼされた国』と伝えられるカルマフィリア王国消滅の序曲であった……




<現在のダンジョン村の人口>

 1万8335人


<犯罪者収容数>

 1552人(内貴族家当主8人)




 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




 ブリュンハルト商会によるオークションは、カルマフィリア王国内での開催は終了し、その外側の国に移っている。

 特に東に位置するイスタリア王国内がまず標的になり、上級貴族家の領地での開催が終わった後は、王都でも開かれる予定になっている。

 イスタリア王国内でのオークションが終われば、次はノザリア帝国全土で開催されるだろう。



 そのころ、カルマフィリア王国の西に位置するウエスタリア王国では、東部に広大な領地を持つバリウス侯爵家で報告会が催されていた。

 バリウス侯爵の実益を兼ねた趣味である、各地に放った『草』たちによる報告会である。



「侯爵閣下に申し上げます。

 カルマフィリア王国西部の領地から、王都に向けて領兵や衛兵の部隊が移動を開始しております」


「何故だ」


「どうやら王都での各貴族家の領兵たちが王家に召し上げられたために、貴族王都邸の警備が手薄になり、その補充要因である模様にございます」


「ふむ、その召し上げられた貴族領兵はどこにいる」


「行方はわからないのですが、かの国の西部にいないことは間違いないかと」


「そうか、東のイスタリア王国とでも事を構えるつもりかの。

 それではカルマフィリア王国西部への侵攻の好機であるが、ビビス辺境伯は準備しておるのか」


 別の『草』が答えた。


「それが、ビビス辺境伯閣下はどうやら行方不明になられている模様です」


「なに? 謀反か?」


「いえ、お邸の侍従の話だと、ご就寝中に突然消えられたと」


「面妖な……

 それで嫡男は東侵の準備をしておらんのか?」


「ビビス伯爵閣下が未だ後継者を指名していなかったために、現在ご子息3名による跡目争いの睨み合いが続いております。

 その中で東方への侵攻などを図れば、間違いなく後背を取られて殺されかねないために、そのようなことは不可能かと」


「ふむ、それでは我が侯爵家にとっての好機よの。

 領兵長」


「はっ!」


「至急東方侵攻軍1000を用意せよ。

 総大将は我が2男のブルビルに命じる」


「ははっ!」


「ブルビルよ、首尾よくカルマフィリア王国西部を切り取れば、そなたも男爵に叙爵されて貴族家を興せよう。励め」


「ははぁっ!」



 こうしてビビス侯爵家の領軍1000は、東方への侵攻を開始したのであった。

 まだ若いブルビルは後方にて近衛に守られ、先遣隊の報告を聞くのみである。


「ブルビル総司令官さまにご報告申し上げます!

 ミミグル大隊長の部隊が、カルマフィリア王国最西端の村2か所を制圧致しました!」


「ミミグル大隊長に勲章を用意せよ」


「ははっ!」


「ところで、その村を治めていた准男爵はどうした」


「我が軍の威容を目にして、一族郎党ともども東の男爵領に逃げました!」


「ふん、腰抜けめ!

 その男爵領都も制圧せよ」


「現在ミミグル大隊が向かっております!」


「よし!」



「総大将閣下にご報告申し上げます!

 マグルス大隊長率いる部隊が、村2つを制圧し、現在准男爵領を包囲しつつあります!」


「よし!

 マグルスに勲章を用意せよ!」


「はっ!」


「ところで兵の損耗はいかほどか」


「はっ! 准男爵領軍は村を守るどころか、男爵領都に向けて撤退したために戦闘は行われませんでした!」


「よいぞ、このまま周囲の村や准男爵領都の制圧を続けよ!」


「ははっ!」




 因みに、カルマフィリア王国では、子爵以上の上級貴族家当主はほぼ全員が王都に在住している上に、男爵家もその当主は多くが王都にて暮らしていた。

 その当主たちを守る領軍が王太子にレンタルされた後に行方不明となったため、各貴族家とも領内に残る領軍の大半と、衛兵隊の半数近くを王都に呼んでいる。

 このために、男爵領以上ではその防備が相当に手薄になっていたのである。


 准男爵には当主の王都在住が許されていなかったために、当主たちは当初領軍と共に大半がその領地にいた。


 だが、子爵領や伯爵領ではブリュンハルト商会のオークション後に、領軍と衛兵隊の多くが行方不明になっている。

 また王都の当主より警備兵増強のために残りの兵も王都派遣を命じられていたため、伯爵領や子爵領を預かる領主嫡男や親族は、寄子の男爵や准男爵に命じて、当主ともども領軍を率いて自領の警備のために呼びつけていたのである。


 最低限の治安維持要員を残して領軍や衛兵が寄親の貴族家に召し上げられていた男爵領や准男爵領は、ウエスタリア王国の侵攻の前にひとたまりもなかった。

 たった10名の治安維持要員で10倍以上の敵軍を迎え撃つなど狂気の沙汰である。

 このため、准男爵領都や男爵領都に残された兵力も、報告と称してより上級の貴族家領都に逃げ出しており、村や町を守る兵など皆無だったのだ。



 こうして、男爵領都や准男爵領都はブルビル率いるウエスタリア王国軍に降伏し、無血開城が為されていったのである。


 もちろん街内の物資の略奪は行われたものの、この大陸の常識から見ればかなり緩やかなものだった。

 ブルビル軍が戦闘らしい戦闘を行っておらず、負傷兵すら出さずに快進撃を続けていたためでもある。

 無条件降伏した街の富など、後でいくらでも挑発出来るのだ。

 このため、カルマフィリア王国の民にもほとんど犠牲者は出ていなかったのである。

 徴収された富のうち、多くが戦利品としてバリウス侯爵家に献上されていた。


 また、不思議なことにこれらの街では、街長やギルド長を始めとするギルド員や衛兵たちまでもが行方不明になっていた。

 もちろん、ゴブ郎やノワール族長たちの仕事の成果であるが、このために、組織的な抵抗が全く無かったことも幸いだったのである。

 領民にとっては、誰が領主になろうが違いはなかったのだ。

 仮に暴力を伴う略奪が行われたとしても、シスくんが全員転移させていただろうが……





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