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タイムスリップ――
真っ先に頭に浮かんだのはそんな言葉だった。
……。
いや、そんな映画みたいなことがーー
起きるんだよ。
あの化物女がそう言っている気がした。
客が一人二人と、俺に気付かずに俺の体をすり抜けていく。
そうだ。今の俺には、化物女と関わってしまった俺にはなんでも起きるんだ。
「はっ……はは……」
乾いた笑いがこみ上げてくる。
……ああ、はいはい、タイムスリップね。あのタイムスリップだろ。分かるよ、分かる分かる……
「分かるわけねえだろっ」
これ以上ないくらいの大声で、俺はそう叫んだ。もちろん、誰にも聞こえない。
この世に絶望した自殺志願者が、透明人間になって過去にタイムスリップ?
こんな設定小説でも書かないぞ。
ダメだ。今日一日色々ありすぎた。次から次へと非現実が畳み掛けてくる。驚きの連続すぎて、自分が死にたいと思っていたことすら今忘れていた。
そうだ、そうだった。俺は死にたいんだよ。元々死ぬために、あの丘の上の木を訪ねたんだ。それなのになんでこんな邪魔ばかり入るんだ。
――自殺はさせませーん。
女の子供のような声が脳裏に蘇る。
「クソがっ」また、叫んだ。
雑誌が立ち並ぶ前で、俺はさっきから一人で喋っている。透明じゃなければ間違いなく通報ものだろう。
だが、今は誰も俺を見ていない。
怒りに任せて商品棚を蹴っても、
スカッ
立ち読みしているオヤジを叩いても、
スカッ
「おいっ。化物っ」
俺はなんとなく、上を見てそう叫んだ。
化物の形相を思い浮かべると、敬語を使わないのは少し怖かったが、今は恐怖よりも怒りがまさっていた。
「どうせお前の仕業だろ。なんとかしろってんだっ」
しーん……
「あぁ、もうっ。なんでこんなことになってんだよっ」
そう、天に向かって叫んでいる途中、閃いたことがあった。
「そうだ。そうだよ。あの木に戻ればいいんじゃないか? そうだ。あそこに行けば何か解決する気がする。なんで気づかなかったんだ」
思い立った時には、本棚をすり抜けそのまま外に出ていた。
思えばこの身体、空腹も感じない。疲れも感じない。寒さも暑さも。しかも、なんでもすり抜けられる。
考え方を変えれば、こんなに便利な身体はない。
金がなくても、俺の存在が認識されなくても、移動はできる。
とりあえずあの木まで行こう。そうすれば何かしら起きるはずだ。
がーー、
「なんでだよっ」
コンビニの敷地内から出ようとすると、やはり身体が動かないのだ。そこに壁があるみたいに、前に進めないのだ。
「こんな設定いらねえんだよっ」独り言のレベルではない声量で言う。自然と言葉が漏れる。
「俺はこんなことしてる場合じゃないんだよっ。早く死なせてくれよっ。おいっ。化物女」
しかしいくら騒いでも何も解決しない。
俺は踵を返して、コンビニに戻った。
雪が降りしきる薄闇の中で、コンビニは強い光を放っている。俺はさながら、光に誘われる虫だ。
胸中には、昨日までとは別の絶望感が滲むように広がっている。
このままじゃ俺、このコンビニの地縛霊みたいになってしまう。一生ここで暮らすのか?
壁をすり抜け、コンビニの休憩スペースの椅子に腰を下ろす。座ることはできた。椅子だって透けるはずだから本当に座っているのかは分からないが、そんなことはどうでもいい。
そうして、少しの間呆然としていた。もう俺は、ほとんど投げやりになっている。
どれくらい時が経ったのか分からない。十分のようにも三時間のようにも感じる時の流れを俺が掴んだのは、周囲を憚らない声で話す男女の会話が聞こえてきたからだった。
「トラマル君ってさぁ、彼女いるの?」
「いないですよ」
「えー、以外っ。絶対モテるでしょ。だって、高二とは思えないくらい大人っぽいもん」
辺りを見回すと、いつのまにか店内には客が一人もいなくなっていた。
今何時だろう? この世界に来てから初めて時計を見た気がする。時刻は午後七時を回ったところだった。
トラマル。
その名前に聞き覚えがある。
俺は立ち上がりレジに回った。二人の男女がレジの奥で並んで話している。どちらも店員だ。
俺は男の正面に立った。男の方の名札には、『虎丸健太』と書かれている。
間違いない。
珍しい苗字だからよく覚えている。
俺が昔ここに通っていた時に、毎回のようにいた店員だ。
俺が目の前にいることなどおかまいなしに、二人の会話は続く。
女の甘えた声にも虎丸ほどではないが聞き覚えがあった。多分、当時何度か目にしたのだろう。名札には『内藤美和』とある。そんな名前だったか。
「ねえねえ、なんで彼女つくんないの?」
「学校終わったら一日中バイトなんで、遊ぶ暇ないんですよ。休日もバイトですし」
「えー。虎丸くんってさ、高一の時からこのバイトやってんでしょ?」
「そうですけど」
「高校生、青春しなきゃー」
「美和さんこそ。大学生、青春しなきゃですよ」
「あー、じゃあ、虎丸くんと青春しようかなぁ」
「何言ってんですか。いっておきますけどここでは、僕の方が一年先輩なんですからね。はい、仕事してください」
「はぁーい」
虎丸は、さっきまでいなかった。様子から察するに、休憩あけなのかもしれない。
その後も客は店内には入って来ず、二人の会話だけが店内に響いていた。
俺は二人のやりとりををずっと目の前で見ていた。
チッ。客がいないと思って、いちゃつきやがって。俺は目の前にいるんだぞ。気に食わねえ。
この虎丸という奴は、昔からいけ好かない奴だった。別に何かを直接されたというわけではない。
俺が苦しんで苦しんで死ぬ気で小説家になるという夢を追っている時に、こいつはヘラヘラとこうやって誰にでもできるコンビニのバイトをのらりくらりとしていた。おまけに女とこうしていちゃつく始末。
レジで会計の時に会うだけだったが、俺のことを馬鹿にしているように見えた。こいつはよく、俺のバイト先のラーメン屋にもきた。まるでなにかの当てつけのように。
ふん。こういう優男に限って裏で老人を虐待したりしてるんだ。女も見る目がない。
気に食わなくなって、俺は思いっきり唾を吐いた。奴の顔に。透明な唾を。
なんで俺がこんな目にあって、お前みたいなのが楽しそうにしてんだよ。
腹いせに腕や足をぶん回して、タコ殴りにする。その整った顔をめちゃくちゃにしてやる。
スカッ、スカッ、スカッ……
……。
虚しくなってやめた。
もう一度椅子に戻って座る。
「はあ……」
ため息が出た。頭をかきむしる。どちらも、あくまでしている感覚なのだが。
どうすりゃいいんだ、これから。
それから、また何十分もそうしていた。眠くもならないし、疲れない。でもやれることはない。
俺は、小説を書く以外に出来ることがない。
そういえば、俺は高校を出てから小説を書くということしかやってこなかった。特技も趣味もない。ずっとこれだけってやってきた。
眠って、飯食って、トイレに行って、シャワーを浴びて、たまに浴槽に浸かって。
それ以外は全部小説。
唯一のそれさえも奪われた俺は、今、なにものでもない。
ん?
その時、何か俺の頭に引っかかることがあった。弱いライトがぼんやりつくようなそんな感覚。
今、俺は過去の世界にいる。ということは、過去の俺は、今どこにいるんだ?
透明じゃない、普通の生身の俺。死ぬ気で小説を書いている二十七歳の俺は、どうなっているんだ?
確かこの時期は、あの小説の選考の経過を心待ちにしていた時だ。
その時、入り口であの間抜けなチャイムが鳴った。
自然と視線はそちらに向くーー
俺は思いっきり立ち上がった。普通の身体だったら、椅子が吹っ飛んでいたくらいの勢いで。
俺の視線の先――今コンビニに入ってきた客――
俺だーー。
いらっしゃいませー、という虎丸の声が響く。
俺がいた。
俺は、今入ってきた客の後を急いで追った。冷凍食品コーナーにそいつはいた。
この後ろ姿、間違いない。ぐるりと回って色んな角度からその男を見る。
無精髭の生えた顔、暗い表情、無造作な長髪。猫背。冷凍食品の買いだめ。
間違いなく俺だ。
これは、俺以外の何者でもない。目の前に、この街で小説を書いていた過去の俺がいる。二十七歳の俺がいる。
俺は冷凍食品を、大量にカゴに詰めるとレジへと向かった。虎丸が笑顔を作って対応する。
鏡を見ている感覚だった。俺が、俺を見ている。この世界では過去の俺は普通に存在するのだ。
俺が会計を終え、店を出て行く。その後ろ姿を呆然と見ていると、内藤が小声で虎丸に耳打ちしたのが聞こえた。
「ねえ、あの人いっつも暗い顔して怖いんだよね。何してる人なんだろ」
嫌悪感をあからさまに抱いた表情で内藤は言う。
「ああ。あの人はーー」
俺は、虎丸の返答を聞く前に走り出してた。入り口をすり抜け、俺は俺の背中を追う。
走りながら考える。
一つ、仮説がある。
それは、俺がこんな状況に置かれているのは、あの謎の本が原因じゃないか、ということだ。
あの本を開いたことが引き金になって、俺はこんな世界に来てしまったのではないだろうか。俺はもしかして、本の中に入ってしまったのではないだろうか。
そんな大それた考え? いや、なんでも起こるのだ。俺が想像できること、そして想像以上のことは起こるのだ。
俺のこの透明な姿は、三人称の視点だと考えればつじつまが合う気がする。映画のカメラと同じような視点。
すると、これは誰かの物語なのか。
俺。
俺か。
そうだ。この世界には、本来の俺がいるんだ。俺は五年前の俺の物語の中に入り込んだに違いない。
その俺が、コンビニの敷地内を出て横断歩道を渡ろうとしている。
雪の隙間から赤色の信号が光りを放つ。
俺についていけば何か分かるかもしれない。俺が鍵を握っている気がする。
やっと、糸口をつかむことができた――
ガクンっ。
俺のない身体は、はっきりと目視できる俺の背中を目前にして、またしても止まった。また同じ場所でだ。
「くそっ。動けよ。なんでだよっ」
信号が赤から青に変わる。俺が振り向きもせずに動き出す。俺はずっと俯いて下ばかり見ている。
「ああ、くそっ」
ない方の俺は、ない腕を伸ばす。しかし、俺と俺の距離は開いて行くばかり。
ついに俺は向こうに渡り、やがて見えなくなった。
「あぁ!」意味もなく叫ぶ。
気づけば、外は真っ暗だ。暗闇を照らすように雪が舞い落ちる。
「なんで俺がこんな目に合わないといけないんだっ!」
お揃いのマフラーを巻いたカップルが、寒そうに手を繋ぎながら俺の身体をすり抜ける。
俺は……
誰にも気付かれず、自分にさえ気付かれず、行き場をなくしている。
今の俺は、俺の人生俺の小説そのものだ。
「お疲れ様でしたっ」
声に反応して振り返ると、コンビニの裏口から出てくる人物がいた。
虎丸だ。
手に息を吐いては擦り合わせを繰り返しながら走ってくる。コンビニの制服姿だ。
マフラーも手袋も上着すらも着ていない。馬鹿か。そんなの寒いに決まっている。
一瞬、俺が見えているのかと思った。ほんのさっきまで働いていたのに、コンビニの制服姿のまま急こちらに向かって駆けてきたからだ。息を切らしている。なんだか急いでいる様子だ。
しかし、虎丸は俺をすり抜けて、パチンコ屋の方面に向かって左折した。
いや、まあ分かってはいたが――
と、次の瞬間、
「うおぉぉ」
何かに引っ張られるように、それまで動かなかった俺の身体がコンビニの敷地内から出たのだ。
驚きはあった。しかし、驚きよりも喜びが勝った。やった。動ける。なんだか分からないが動いたぞ。早く、俺を追わないと。
しかし、どついうわけか身体は俺の意思通りに動かない。俺は俺の方へと、つまり横断歩道を渡りたいのだ。
だが、それに反するように、俺の身体は左折したのだ。
「おいっ。なんだ、これ。身体がゆうこときかねえ」
そして、俺の視線はある一人の人間を捉えた。
虎丸だ。
俺の身体が勝手に動く方向には、虎丸がいる。
走る虎丸の背中を後ろから追っている。自然と身体が、動く。
おいおい、なんで俺がこいつを追わなきゃならないんだ?
この状況を受け入れられないまま、走る虎丸の後を俺はついていく。
しかし。
俺は心のどこかで薄々と気付いていた。
ぼんやりとではあるが、虎丸のまっすぐ伸びた背中を見ていると、そう考えざるを得なかった。
もしかして、この物語の主人公はこいつなのか?
これからどんどん面白くしていきます!
よろしくお願いします!




